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夕暮れ商店探偵街「まごころを知った大工」

作者: のいじろう

 毎夕、フラフラと疲れた体を電車の座席に預けていると無言の圧力を受ける。席に座って目をつぶって知らぬふりをしていても、妊婦や老人は黙っていない。心中でどんな罵倒をされているのかわからないが、きっと筆舌し難い程の罵詈雑言を並べているのだろう。「そこをどいて席を譲れ!死ね!」と眼が物語っている。

 人によっては耳にイヤフォンをぶち込んで、耳から色とりどりの首輪をブラ下げている。そんな座席には社会奉公をする会社帰りのワンちゃんが眠ったフリなんかをしていたりもして、そんな人を見るたびに「僕はああはなりたくない」と感じるのだが。この目の前に存在する確かな圧迫も好ましくはなく、こんな圧迫を人に与える人にもなりたくはないなあ…なんてことも考えていた。なにひとつ普段と変わらない光景である。

 しあし、あまりのプレッシャーに耐えかねて席を譲ろうかと思った私なのだが、足を組みかえたり、座る位置を小さくずらしたりするのだけで、どうにも席を立ちたいとは思えない。どうしてこんなにも敵視を向けてくる相手に、弱腰になる必要があるのだ。堂々としていればいい。いや、むしろ意地でも席を譲りたくないとも思えてくる。

 そんなことを考えていると、各駅停車の電車は扉を開いた。沢山の人が流れ出て、その倍の人数が乗車する。目的地はまだまだ先なのだけれど、目を開けて駅を確認する。心配症もいいところだ。いつもと変わらない行動なのだけれど、ほとほと嫌気がさす。そうして内心で苦笑しながらも視線を前に戻すと、普段の光景にはないものが目の前にいた。

 キョンシー。第一印象は正にそれだ。中華系の衣装に身を包み、ご丁寧に額にお札を貼っている。こんな帰宅ラッシュの夕方にコスプレで電車に乗るなんて正気な沙汰じゃない。しかし初めのうちこそ、どこかズレた女性だなあ…と思って冷やかな視線を送っていたのだが、額に貼られた紙の文字を見て僕は仰天した。唇をアマガミする少女の額には「体調悪い」の文字か貼り付けてあったのだ。

 僕はその日、初めて笑顔になった。心中で皆々がいがみあっているであろうこの車内で、彼女だけが心の内を晒している。この大勢の顔色よりもよっぽど素直な表情をしている。誰もがひた隠しにしている心境を、彼女だけはつぶさに表わしているのだ。尊敬の念にさえかられる。だが同時に、さみしくもあった。僕もまたこの無表情達と同じ顔をしているのだと知ったのだから。

 僕は決心をして少女の前に立つ。

「お姉さん、よかったらどうぞ」

僕は彼女の眼をまっすぐ見てそう問いかけると、彼女は小さく「ありがとう」と呟いて席に座った。しばらくして名も知らない駅名のアナウンスが告げられた。普段であれば気にもしない駅、でも今の僕はそんな事は些細なことで、寂れた駅が輝いて見える。もうこんなことを繰り返す人生はやめにしよう。知らない事を知って、古い自分にさよならをするんだ。もっと自分に素直になろう。僕は名も知らない駅で降りる事にした。赤い夕日が奇麗な街が小さく遠くに見える。仕事なんて辞めてしまおう。そうだ、子供の頃から夢だった大工になろう。新しいこの街で、僕は全く違う人生を歩もう。

 僕がホームに降り立つと、電車は音を立ててドアを閉める。ふと振り返ると背広を着た活気のない人々が伏目がちに空虚を見つめているのが見えた。その中に一人、キョンシーの格好をした少女がひとり、僕を見つめて微笑んでいた。額には「体調良好」の文字。僕は少女に小さく微笑みかけると電車は少女と僕の距離を広げ始める。ほんの些細なことではあったが、僕にとっては大きな分岐点だった。ネクタイを緩めて、僕はひとり。夕日に染まる改札口に向かって歩いた。

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