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尾道シリーズ

SINCE1993 -J's FANTASY-

作者: 沼田政信

 1993年、日本のスポーツ界にJリーグという名の新風が吹いた。それから約20年、紆余曲折がありながらも今に至るまで一定の存在感を示し続けている。Jリーグの功罪はいくつかあるが、中でも最大の功績は大企業の庇護下になくともチームを立ち上げてプロまで登りつめる事が出来るという希望を授けられた事であろう。


 現在2部リーグに所属するジェミルダート尾道はJリーグという新たなる風に導かれるように設立したクラブのひとつである。地方クラブゆえに大企業からのバックアップを受けられないが堅実な経営を続けて、小規模ながらも地域に根付きつつあるクラブの姿を追う。


 運河のような尾道水道から車で山間に移動する事15分、坂の街として知られる尾道の最上段と言える山の中に備後運動公園は存在する。1994年のアジア競技大会を期に建設された運動公園で、クラブのホームスタジアムである陸上競技場の他にも野球場やテニスコート、屋内プールやキャンプ場までもが完備されているまさに総合運動公園である。


「ようこそ尾道へ、よくぞおいでくださいました」


 やや白髪交じりで小柄な、明るい声の男が近づいてくる。この男こそクラブ創設時に加わったオリジナルメンバーの一人であり、現在はチームのゼネラルマネージャーとして腕を振るっている林淳一(42)である。


 クラブの母体は、地元出身でサッカー好きの同級生である辻直広と岡野佑一郎(ともに当時28)がJリーグブームという追い風に乗る形で創設した「尾道グリーンブレーブス」というサッカークラブだった。林は当時大学を出たばかりの23歳。地元である尾道の企業に就職していたが、メンバー募集のチラシを見て気軽に参加を決めた。


「ずっとサッカーが好きでプレーしていましたから。ただ本格的な部活動は高校までで、大学ではサークルで楽しんでいました。ポジションは、足が速かったので当時で言う右ウイングでした。地元でいいチームはないかなと思っていたときにメンバー募集のチラシを見て、じゃあここでいいやと即決でした」


 創設時のメンバーは14人。辻は監督を、岡野はコーチを兼任していた。このメンバーをたたえるために尾道の背番号14は「オリジナル14」と呼ばれ、クラブの永久欠番となっている。


「今でこそJリーグに加盟していますけどその頃は完全に趣味の領域。ちょうどJリーグが始まったばかりでしたがプロなんて考えていなかった。辻さんだけは内心でもっと大きくしようと考えていたようですが、僕や岡野さんを含めた他のメンバーは全然そんな気はなかった」


 1996年、同時期に創立された「尾道レッドウォーリアーズ」を吸収合併。チーム名を「尾道ジェミニFC」と改める。「緑の勇者」と「赤き戦士」の融合を双子と表現した愛称である。元の名前が表すようにグリーンブレーブスのユニフォームは緑でレッドウォーリアーズは赤だったが、ジェミニFCでは赤と緑の2色に変更し、それは現在まで続いている。


「レッドウォーリアーズは当時の監督が尾道を離れるので解散するけどサッカーをやりたいという選手はうちに移籍という事になった。そのまま辞めた人もいたけど、8人が加わった。同じ時期に生まれて、ある種のライバルみたいなところがあったからね。その辺を尊重して2つのチームが1つになるという事でジェミニという名前にした」


 選手層が厚くなったジェミニFCは広島県大会を順調に勝ち上がっていった。その頃になると辻や岡野は監督やコーチに専念するようになり、林はコーチとしての役割がメインとなっていった。


「一応選手登録だったけど実質コーチみたいなものだったね。2つのチームがひとつになったからまとめ役として戦術をレクチャーしたりとか。試合にはメンバーが足りなかったときにやむを得ず、みたいな出番しかなかった」


 1999年、クラブの将来を大きく変える一人の男がジェミニFCに入団した。彼の名は土生健次(当時34)、広島や神戸に所属していた元Jリーガーである。広島時代は強面のセンターバックとして知られ、ステージ優勝にも貢献した。その後移籍した神戸を退団した後、高校時代の同級生である辻に勧誘されて故郷の小さなサッカーチームへ入団したという。


「土生さんはとにかくレベルが違った。JリーグでのポジションはDFでしたが、ジェミニFCではここぞの時は前線に出てきて、後は個人技だけで何点でも取った」


 土生は明確なプロ志向を打ち出しており、それがクラブの方針となった。この年、ジェミニFCは土生の獅子奮迅の活躍で県1部リーグを優勝、中国リーグに昇格を果たす。翌年からは土生が選手兼監督に就任し、より上の段階を目指すべくチームの改革に取り組んでいった。林は営業部に配属され、スポンサーを獲得すべく県内各地を回った。


「土生さんは一言で言うとプロフェッショナル意識の塊だった。選手も大きく入れ変わったし、プロを目指すためにはスポンサーが必要と言う事なので毎日のように営業で企業を回っていました。時間が許すと土生さんが僕と一緒に企業の代表者に頭を下げたり」


 スポンサー獲得の様子が放送局に取り上げられて知名度が上昇した影響もあり、順調にチームは大きくなっていく。そしてついに2002年、ジェミニFCはJFLに昇格を決める。当時の主力選手は土生の他に、元神戸のテクニシャン野村尊之、元広島の快速FW片本太一らである。基本的には土生個人のコネクションで選手を獲得していた。


 またJFLに昇格した際、チーム名を現在のジェミルダート尾道に変更した。それまでのチーム名にドイツ語やフランス語などで戦士を表すsoldatを合わせた造語である。ちなみにイタリア語だとsoldato、スペイン語だとsoldadoとなり、英語だとsoldier。つまり意味は双子の兵士。公式には「双子の戦士」と意訳している。


「よりたくましく戦っていこうという方針もあり、このように改名しました。辻社長や土生さん、岡野さんなんかと辞書を引きながらああでもないこうでもないと言いながら決めました。最初はイタリア語だったけど岡野さんが『どうせ発音は同じなんだし最後にoがつかないほうがいい』と言い出したので今の形になりました」


 ジェミルダート尾道初年度のシーズンとなった2003年は選手土生の衰えや大宮による片本の引き抜きなどがあって8位に終わる。この年限りで土生は現役を引退し、監督に専念する。しかし翌年から6位、9位といずれも昇格に届かず、この責任を取る形でチームの象徴だった土生監督が退任する。


「結果を出せないなら辞めるしかないと、土生さんは最後まで自分のプロフェッショナル理論を貫き通しました。でもチームはこれで終わりじゃない、むしろこれからが本当の始まりでした」


 翌年、チームの組織改革が行われる一環で林はGMに就任した。それまでは選手獲得も土生の個人的なコネクションが頼りだったが、より組織的に確固とした方向性を定めた。監督には湘南などで指揮を取った経験のある小松田実を招聘。小松田は元本田のFW前川健次や昨年引退して現在コーチを務めているGK野沢裕といった実力者を獲得、攻撃サッカーを掲げて2006年は5位と順位を上昇させる。また、この年にスタジアムの改修が終了し、Jリーグ基準を上回る15200人分の観客席を確保した。


 そして2007年、小松田監督の攻撃サッカーが浸透した尾道は開幕8連勝という猛烈なスタートダッシュを決める。中盤はもたついたものの終盤は現在もチームに所属しているMF高橋一明が台頭して再び浮上、最終的には3位を確保してJ2昇格を決めた。チームの母体が誕生した1993年から14年目の歓喜だった。


「14年ですか。今見てみると随分長い時間が経ったなとは思いますが、当時にしてみるとすべてが凄いスピードで動いていたので本当に一瞬に思えました」


 Jリーグ1年目となる2008年はそれまでとほとんど変わらないメンバーで臨み、16チーム中15位に終わった。翌年から積極的にレンタル移籍を活用し始め、一定の成果を上げている。例えば清水に所属していたがそれまでの2年で3試合しか出場がなかった光好一をレンタル移籍で獲得すると、持ち前の俊足と得点感覚が覚醒して39試合で23得点と大暴れ。レンタル復帰後は主力メンバーとして活躍し海外まで飛躍した。


「プロまでいける選手はみんなそれ相応の素質を持ち合わせているけど、強豪クラブではどうしても未熟な部分もあると使われにくい。でも本人にその意志があれば、試合を経験する事で力は伸びてくる。例えば光にしてもうちが覚醒させたわけじゃなくて彼が自分の中にある力に気付いてくれたというだけの話。ただ気付かせる手助けはいつでも誰にでもしたいと考えてチームを構成しています」


 2009年からは水沢威志が監督に就任。順位は12位→15位→11位と中堅の位置を保っている。今は将来のJ1昇格をうかがうための土台を作っている時期である。昨年、クラブ初となるユースからの昇格選手を輩出した。


「現在の観客動員は大体平均で4000人ぐらい。幸いにもサポーターの数は順調に増えていますが、まだまだ発展途上です。将来的にはユース出身者がチームの中核を担うのが理想ですし、専用のスタジアムも持ちたい。今は全然及びませんが安芸の広島、備後の尾道というようにうまく共存できるようになれば」


 今季の構想についても話を聞いた。昨年のチームからMFの山根と大原、FWの小泉がレンタル復帰で、不動のセンターバックだったアンドレ・シウバが徳島に移籍でチームを離れた。加入したのは東京からレンタルの右サイドバック山吉、横浜からレンタルのFW有川、ブラジル出身のDFモンテーロら。亀井・野口・茅野の18歳トリオも期待されている。


「後ろから玄馬、港、山田、金田というチームの軸は去年と変わっていない。山吉、(今季神戸からレンタル移籍の)小原の両サイドはうちにそれまでいなかった技術のあるタイプ。有川も体格がいいし、去年は怪我で出番が少なかったヴィトルも今年は万全。水沢監督のサッカーも3年でかなり浸透してきたし、(プレーオフ進出圏内となる)6位以内を十分に狙えますよ」


 目標はプレーオフ圏内となる6位以内という部分は今まで以上に語気を強めていた。夢半ば、しかしその夢は大きい。全ての始まりは1993年からだった。20年でここまで歩いてきた。幸いにも経営難といった災難には見舞われず、地道でもコツコツと階段を登っていった成果は顕在化しつつある。そしてこれからどうなるか、それは誰にも分からない。ただ1つ言えるのは、歩みを止める事はできないという事だ。夢の扉は世界に続いているのだから。

やっぱり今日は甘い短編が多いですね。新着順で見るとちょうどバレンタインとチョコレートに囲まれていますね。投稿時間が02/14 20:14なのはもちろん偶然です。

さて、今回の話は3月から投稿される予定の話の予告編みたいなものです。現実はそんなに甘くないけど今日なら許されるかもと思って。

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