独白
子供の頃、蜘蛛の巣が嫌いだった。
目に見えぬ程細い糸が縦横無尽に張巡らされ、憐れその糸に絡め捕られた蝶は、生きながらにして死を覚悟しなければならない。自らが生きる為とは云え、何とも残忍な殺し方ではないか。同じ死ぬなら、鳥に食われるとか、人に踏潰される方がまだ良い気がする。
夕暮れ。
糸に触れた瞬間から、獲物達は死に始める。否、糸に囚われようと、蜘蛛が身体を蝕もうと、心の蔵の止まるその時まで、傍から見れば生きているのだろう。生物学的観点から云えば、本来死んでいくという表現は正しくない。しかし。
蝉の鳴く声。
生きる気力を一瞬で消し去る程の圧倒的な絶望。死んでいるも同然だ―と考えた時点で、憐れなる蝶は心から死んでいく。
畳。
卓袱台。
蜘蛛に捕捉された力無き者と違い、人は―何とも見苦しい。死ぬと決まっていても、何処かでそうならぬのではないかと考える。根拠の無い希望。泣いて、喚いて、暴れて、狂って。生に取り縋る。死を遠ざける。それでも。
手紙。
それが人間らしさと云うものなのだろう。聞いた話だが、死ぬ前に死のことを考えるのは、人だけだそうだ。蝶は生きたいと思う。人は死ぬのは厭だと思う。ならば―死にたいと思う者は―私は、何者なのか。
―縄。
駄文ですが、お許し下さい。