第四十六話 あなたを愛した罪 ③
眼前には、長い白髪に琥珀色の瞳を持つ、見目麗しい魔人が立っていた。
(……なぜだ。初めて見るはずなのに、胸の奥がざわつく)
(……少し違う。だが、どこか琉龍に似ている気がした)
「藍鈴、ボクに何の用かな――?」
麗しき魔人、珀龍は穏やかに藍鈴を見つめた。
「珀龍様……。私と……」
その刹那、視界が真っ赤に染まった。
美しかった珀龍の髪が鮮血に汚れ、地面に倒れ伏す。藍鈴の手によって身体中を切り刻まれ、溢れ出した血を、藍鈴は頭から爪先まで、身体中で浴びていた。
駆けつけた紺碧の髪の魔人――清龍――を振り切り、藍鈴は林の中へ逃亡した。
「……琢己、やったよ……これで私も、人間になれる……」
彼女は腹部を庇いながら、燃え盛る龍族の王都を見つめていた。藍鈴が内側から結界を解いたことで、鳳凰連合軍の蹂躙が始まったのだ。
珀龍を殺せば、戦争を終わらせれば、「完全な人間」になれる――。鳳凰王との『契約』だけを、彼女は狂ったように信じていた。
「……あは、あはは! これで、もう戦わなくていいんだよね?」
「ねえ、琢己……そうだよね?」
「……琢己と一緒に、お家へ帰れるんだよね……?」
(藍鈴……お前、なんてことを……!)
血まみれの笑顔で立ち尽くす彼女を見つめる瑰の意識は、激しい吐き気と絶望に揉み消されそうになっていた。
だが、これはまだ序章に過ぎなかった。
✕✕✕
龍族が滅び、世界に鳳凰王の支配が知れ渡った頃、藍鈴が琢己の元へ帰ってきた。
「藍鈴、その瞳……」
かつての菫色の瞳に戻っている姿を見て、琢己は手放しで喜んだ。
「もう終わったよ。これで鳳凰様がお許しくださった『人間の国』を造れるわ」
魔族が介入できない、人間だけの国。それは琢己の悲願だった。
琢己は藍鈴を強く抱きしめた。その瞬間、いつもの甘い香りに混じって、消えぬ死臭が鼻を突いた。
(馬鹿か、俺は……!)
藍鈴の瞳が戻った理由。
それは、魔力を逆流させ、自らの内臓を焼きながら色を擬装していたからだ。
(どうして、あの時気づかなかったんだ……!)
鳳凰から割譲された旧龍族の領土で、琢己は持ち前のカリスマを発揮し、『竜王国』の建国に邁進した。
「……琢己、今ちょっとだけ時間ある……?」
「ごめん藍鈴! 建国の話し合いで時間が取れなくて」
「……そっか、気をつけてね」
「ありがとう藍鈴! 愛してる! 君がくれたこのチャンス、今度は俺が頑張る番だ!」
琢己は藍鈴の頬にキスをして、家を後にした。笑顔で見送る藍鈴。
「すぐに帰ってくるから、藍鈴はゆっくり休んでいて」
琢己は振り返りもせず家を出た。
藍鈴は最後まで、笑顔でそれを見送っていた。
(なぜ気づかないんだ! あの時のあいつの顔が、あんなに青ざめていたのに!
「ゆっくり休んで」だと? 違うだろ……! どうして、その痛みに寄り添ってやれなかったんだ……!)
✕✕✕
「……琢己……。魔力で誤魔化すのも、もう限界だよ……」
藍鈴は母、花鈴の家を訪ねていた。そこで彼女は、すべてを打ち明けた。
玉龍の核で魔人の力を得たこと。親友だった珀龍を殺したこと。琉龍に呪いをかけたこと。
――そして、琢己との子を身籠っていること。
「琢己は、竜王国の王になるべき人。……罪人である私が隣にいては、彼を汚してしまう」
藍鈴は花鈴の胸で泣き崩れた。
数日後、藍鈴は静かに出産した。群青色の髪に、藍鈴と同じ菫色の瞳を持つ、愛らしい男の子。
琢己が城で地図を広げ、輝かしい未来を語っているその頃。
藍鈴は薄暗い寝室で、産声すら上げられぬほど喉を枯らし、小さな命を抱きしめていた。
「……ごめんね。お父様には、まだ言えないの」
(この子が「人間」として光の中を歩めるように。私の魔力は、私がすべて食い止める。そのために、私はこの瞳を菫色に染め続ける……)
「お母様、お願い……この子のことは、琢己には内緒にして。こんな血塗られた女、国王の妻には相応しくないわ……」
震える声で告げる藍鈴に、花鈴は悲しげに目を伏せた。
「藍鈴……。貴女は、私と同じ選択をするのね……」
それは、愛ゆえに「真実」を墓場まで持っていこうとする、竜蝶家の女たちが背負った哀しき血の宿命だった。




