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第十三話 刻龍の渓谷

 刻龍の渓谷は、湿り気を帯びた清龍の森とは対照的に、開放感に満ちた光が溢れる場所だった。


「ここが俺の住処だよ」


 刻龍に促された先には、渓谷の景観を庭のように取り込んだ、壮麗な赤い神殿造りの豪邸がそびえ立っていた。


「竜王国の宮殿より広いんじゃないか……?」

「そりゃそうだ。ここはもともと、五百年前まで世界を統治していた『黄龍(コウリュウ)』様――。その“降臨”のためだけに建てられた迎賓館だったんだからな」


 黄龍。かつて六国を従えた伝説の王。

その死が引き金となり、世界は二度と元には戻らなかった。


「今はもう主もいない。廃墟にするには惜しいから、俺が住んでやってるのさ」


(五百年も経てば、迎賓館も“墓”みたいなものだ。

 ――主が戻らない限りはね)  


 刻龍は一瞬だけ寂しげな目をしたが、すぐに眩しい笑顔で一行を招き入れた。


✕✕✕


 客間に通されるなり、琉龍は刻龍に「お茶を淹れてこい」と顎で使われた。かつての仲間内での立ち位置が察せられる。不満げながらも、琉龍は慣れた足取りで台所へ向かった。


 残された三人に、重苦しい沈黙が流れる。


「……折角、琉龍を追っ払ってやったのに、何もないのかよ清龍」


 刻龍が沈黙を破る。清龍は蘭鈴を真っ直ぐに見据えた。


「まずは確認だ。お前たちの目的と、琉龍との関係を」


 蘭鈴は包み隠さず話した。

 琉龍との主従契約、鳳凰国への復讐心、玉龍の核――そして、強くなるために龍国を訪れたことを。


「なるほど、琉龍の話と同じか」

「……お前、あいつを信用してないのか?」

「信用していないのはお前の方だ、竜蝶蘭鈴。私は『人間』を、特に龍蝶の者を信用しないと決めている」


 清龍の言葉に、刻龍がケタケタと笑う。


(あーあ。

 また始まった。

 清龍はいつだって、“失ったもの”の話しかしない)

 

「――なら、なぜオレを殺さなかった? あの時、記憶が飛んでいたオレとどう戦ったんだ?」


 そこへ、着替えを終えていつもの服に戻った琉龍が、乱暴に扉を開けて戻ってきた。


「それは俺も知りたいな! さあ、話してもらおうか、お前たちの真意を!」


✕✕✕


 琉龍が淹れた茶で喉を潤すと、清龍が静かに語り始めた。


「私は龍蝶を憎んでいる。

 龍蝶藍鈴を殺すために、生きてきた」


 蘭鈴は息を呑む。


「だが藍鈴は五百年前に死んだ。……それなのに、今になって琉龍がお前を連れてきた。

 藍鈴の生き写しであるお前を見た瞬間、私は歓喜したよ。

 だが同時に――そんな女と行動を共にする珀龍の弟……琉龍に、強い怒りを覚えた」


 再び出た、その名前。蘭鈴は思わず尋ねた。


「その、珀龍って人は今どこに……」


 一瞬にして空気が凍りついた。琉龍が、重い口を開く。


「……姉さんは、五百年前に亡くなったんだ」


「ッ……! すまない……オレ、変なことを……」


「謝る必要はない。悪いのは龍蝶藍鈴だ。

 あの女が――珀龍を殺したんだからな!!」


 清龍の浅葱色の瞳が、殺意を孕んで蘭鈴を射抜く。

 

 蘭鈴の全身から血の気が引いた。先祖の犯した罪。藍鈴の写し身である自分を、琉龍はどんな思いで守ってきたのか。


「――まあまあ、そこまでにしなよ」


 部外者を装っていた刻龍が茶菓子を頬張りながら割って入った。


「清龍、藍鈴への恨み節は分かった。で、蘭鈴ちゃんを殺さなかった理由は?」


「……理由は三つある」


 清龍は淡々と語り継ぐ。


「一つ、お前の血には龍蝶以外のものが混ざっている。

 二つ、お前が珀龍と同じ力を使った。


 三つ目だ。


 ――お前は、藍鈴ではない」


 最後の言葉は、蘭鈴の胸に深く突き刺さった。誰よりも彼女が欲しがっていた肯定だった。

 

 だが、琉龍は別の部分に食いついた。


珀龍(姉さん)と同じ力だと!? どういうことだ!」

 

「そのままの意味だ。私はその力に魔剣を消され、血を吸われた。……確信しているよ。お前の中に『珀龍の魂』が一部混じっているとね」

 

「そんなの、血を吸っただけで分かるわけ……!」


「私たちはお互いに血液を交換し合った仲だからな」

 

 その言葉が、琉龍の怒りに火をつけた。


 勝ち誇った清龍の笑みに、琉龍は激昂し、彼の襟首を掴み上げた。


「ははは、モテモテだね蘭鈴ちゃん」


 刻龍が面白そうに茶菓子のお代わりを取りに立ち上がる。


「かつては俺と清龍で珀龍を取り合った。今度はその弟と元恋人が、宿敵の体に入った珀龍を奪い合うってか? 最高に楽しいじゃないか!」


(人も龍も、追い詰められた時が一番“綺麗”だ)

 刻龍は、それを心から信じていた。 

 

 衝撃の発言を残し、刻龍は部屋を出て行った。


「……お前の気配を感じたんだ、琉龍。契約の際、お前が無理やり自分の血を飲ませただろう?」


 清龍が冷徹に解説を続ける。


「龍族の因子を持つ蘭鈴が、お前の血を取り入れて魔人化した。

 だが、私を破ったのはお前の魔力ではない。

 ――私の魔力を『消滅』させた、珀龍の力だ」


「…………」

 琉龍は絶句した。 

 

「羨ましいのか? ならお前も奪えばいいだろう。

 ……結局は奪うのも与えるのも“愛”だからな」


 清龍の皮肉な挑発に、琉龍の魔力が爆発寸前まで高まる。


「清龍! いい加減にしろ……ッ!」


✕✕✕


「はいはい、そこまで!  蘭鈴ちゃんが困ってるよ」


 戻ってきた刻龍が山積みのお菓子を机に広げた。その場の熱気がようやく落ち着く。


「……さて。蘭鈴ちゃん、君の目的に答えをあげよう、清龍が」


(お前じゃないのかよ!)


 清龍が溜息混じりに、蘭鈴の頬に手を添えた。


「人間が魔族に勝つ方法。……簡潔に言えば、人間を止めて魔族になればいい。――それが、最も“簡単”で、最も“確実”な方法だ。数百万の魔人を殺してその血を浴びるか、あるいは……」


 清龍の指先が、不意に蘭鈴の口内に滑り込んだ。


「ッ!?」


 清龍は自分の指を、蘭鈴の奥歯に突き刺した。鉄の匂いが広がる。引き抜かれた指からは、見る間に傷が塞がっていった。


「牙が生えているだろう? それは、琉龍と私の血を同時に取り入れたことによる『後遺症』だ」


 蘭鈴が驚いて自分の歯に触れる。

 触れた瞬間、皮膚を切りそうな鋭さに、息が詰まった。


 その瞬間、黙っていた琉龍が蘭鈴の腕を強引に掴み、自分の方へ引き寄せた。


「おい、いきなり何するんだ!」


 琉龍は無言のまま、蘭鈴の顎を掴み、自分と同じ牙をその目に焼き付けた。

 その瞳は、独占欲か、あるいは絶望か。

――いずれにせよ、人のそれではなかった。


「ッ…………」

「放せよ!」


 蘭鈴は琉龍を振り払い、逃げるように距離を取った。

 机にぶつかり、茶器が揺れ、こぼれたお茶が彼女のドレスを冷たく濡らした。


「……どうしたんだよ、琉龍。変だぞ」


 琉龍はハッと我に返ったように、蘭鈴から目を逸らした。


「蘭鈴ちゃん、着替えた方がいいね」


 刻龍が優しく肩を叩く。


「清龍、案内してあげて。俺はここの『弟分』を少し落ち着かせるから」


(……まったく、手のかかる駄犬だ) 


 清龍は無言で立ち上がり、部屋を出た。


「刻龍。琉龍を頼むな……」


 蘭鈴はそう言い残し、どこか恐ろしくなってしまった琉龍に背を向け、清龍の後に続いた。

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