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第一話 藤色の偶像、瑠璃色の邂逅

「竜王国武闘大会優勝、竜蝶 蘭鈴(ランレイ)――!」


 笑ってはいけない、と誰かに教えられたわけじゃない。

 ただ、笑うたびに何かが壊れていった。

 ――“偶像”として求められる自分が、少しずつ。


 だからオレは、いつからか笑わなくなった。

 感情を殺せば、失うものもなくなると思ったからだ。


 ――それが間違いだと知ったのは、

 ある龍と出会ってからだった。


 

 銅鑼の音が鼓膜を震わせ、観客席から悲鳴に近い歓声が降り注ぐ。

 

 ――うるさい。

 どうせ誰も、オレを見ていないくせに。


 闘技場の中心に立つ十六歳の少女・蘭鈴の心は、冬の湖のように冷え切っていた。

 彼らが見ているのは、“蘭鈴”ですらない。五百年前の偶像――『龍蝶 藍鈴(アイリン)』の影だ。

 この身体に投影された、都合のいい幻だ。


 蘭鈴は心底不快そうに瞳を伏せた。


 蘭鈴は六年連続優勝という快挙を成し遂げた。

 深紅のチャイナドレスから覗くしなやかな脚と、藤色の髪、双剣が鮮烈に映える。

 人形のように完璧な美貌を持つ彼女は、民にとっての「希望の偶像」。

 ――蘭鈴自身の意思など、最初から求められていないのだ。


 蘭鈴は機械的に一礼した。けれど、菫色の瞳は客席の誰とも視線を合わせない。


「見て、あの凛とした佇まい。まさに五百年前の聖女、龍蝶 藍鈴様の再来だわ……」

「ああ、あの藤色の髪。龍蝶の血筋は、やはり神聖なものなのだな」


 その声を聞くたび、蘭鈴は奥歯を噛み締める。

 

 かつて世界の均衡を保っていた魔族国家は、今や『白虎』『玄武』『鳳凰』の三つだけ。

 最初に切り捨てられ、歴史から消えたのが――『龍』だった。


 かつて魔族国家の一角を担っていた『龍』の国。

 その“空白”の上に成り立つ仮初の国家が、人間たちが築いた『竜王国』だ。


 人間が主権を握る『竜王国』が成立した際、彼らの一族は、その名を『龍』から『竜』へと変えられたという。

 それは、“龍の血に連なる者”ではなく、“ただの人間”として生きることを選ばされた証でもあった。


 それは、歴史の話ではない。

 蘭鈴自身が、生まれた瞬間から背負わされてきた“現実”だった。


 蘭鈴は、そんな藍鈴と同じ血筋に生まれた。

 元は同じ家系。けれど、今や自分たちは牙を抜かれ、過去の栄光を飾るためだけの『竜』に過ぎない。


 賞賛されているのは「自分」ではない。背後に透けて見える伝説の偶像――『龍蝶 藍鈴』だ。

 蘭鈴は逃げるように闘技場を後にした。


✕✕✕


「俺より国民に慕われてるみたいで、王子の面子丸つぶれだぜ」

 

 控え室へ向かう通路で、やれやれと肩を竦めて追ってきたのは、竜王国の王子・(カイ)だった。

 

 瑰は群青色の髪を揺らし、軽薄な笑みを浮かべる。

 

「またお前に勝てなかった。魔族の国々に舐められないためにも、俺が強くならなきゃいけないのにな」

 

「……うるさい。黙れ」

 

 蘭鈴が鋭い視線を向けると、瑰は楽しげに目を細めた。

 彼女がこんな顔を見せるのは、世界で自分だけだと知っているからだ。


 人々は陰で蘭鈴を『人形』と呼ぶ。

 感情を見せず、何を言われても揺らがない――そう思われている。

 

 だが瑰だけは知っていた。

 彼女が怒りを見せるのも、刃のような言葉を向けるのも、すべて彼にだけだということを。


 幼い頃に家族を失った蘭鈴は、竜王・珱珠(エイジュ)に引き取られ、瑰と兄妹のように育った。

 成長するにつれ、その美貌は祝福ではなく呪いとなる。

 

「藍鈴に似ている」

「藍鈴の再来だ」


 その言葉を投げられるたび、彼女は笑顔を捨て、一人称を「オレ」に変えた。

 期待される“聖女”を、拒むために。

 

「そんな顔してたら、せっかくの美人が台無しだぜ?」


 殺意を宿した菫色の瞳に、瑰は小さく笑った。


 自分だけが、彼女の“人形ではない顔”を知っている――そう思えることが、彼の救いだった。 


✕✕✕


「蘭鈴、今日の優勝式典には出るんだろうな?」

「は? 出るわけないだろう」

「母上も嘆いてるぜ? 俺が主役の『慰めパーティ』なんて全然面白くないからな!」

「……善処する」

「それ嘘だろ! お前の考えなんてお見通しなんだからな!」


 瑰の叫びを背に、蘭鈴は王宮を飛び出した。


 向かったのは、人里離れた湖。十一年前、家族が殺害され、蘭鈴一人が生き残った「竜蝶家」の跡地。

 夕闇が迫る湖畔、滝の音が響く中、蘭鈴は祈るように目を閉じた。


(自分は誰だ。何のために、この『血』を継いでいるのか)


『……龍蝶の血よ……我のもとに……』


 地底から響くような声。見れば、滝の中心から不可思議な光が溢れていた。


 吸い寄せられるように、蘭鈴は滝の裏の秘密の通路へ駆け込む。光の根源を確かめようと、濡れた岩肌に足をかけた――その時だった。


「っ……!!」


 足を取られ、身体が宙に浮く。

 死を覚悟し、目を閉じた刹那。


 ――ふわり。


 激しい水音も恐怖も、一瞬で遠のいた。


 温かな、けれどこの世のものとは思えないほど澄んだ「誰か」の腕の中に、蘭鈴は抱きとめられていた。


「……全く。無茶をする人間だ」

 

 耳元で響いたのは、鈴の音のように澄んだ、けれど冬の月のように冷ややかな声。

 

 蘭鈴は朧げな意識の中で、自分を抱き上げるその主を見上げた。

 

 透き通る白髪。

 そして、夜の湖よりも深く輝く――瑠璃色の瞳。



(綺麗だ……)


 それは、偶像(藍鈴)ではなく、ただの蘭鈴として零れ落ちた、初めての感情だった。

 

「安心しろ。ここは――お前がいた国よりもずっと安全だ」

 

 その言葉の意味を考える間もなく、

 蘭鈴の意識は、深い闇へと沈んでいく。



 ――この出会いが、

 五百年止まっていた世界と、

 そして彼女自身を、再び動かすことになる。


 それは、ただの出会いではない。

 一人の龍が、“偶像”ではない彼女に跪く――その始まりだった。

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