第六章:悪役令嬢、命懸けの跳躍
1.狂気のレッテル
カインからの電報がもたらした衝撃は、王都全土を揺るがした。
「ルクレツィア嬢が狂気に陥った」という情報は、彼女の公爵令嬢としての地位を、一瞬で最も致命的な危険物へと変えた。王室は直ちに公的関与を凍結し、公爵家は、名誉を守るためにルクレツィアを「自宅静養」という名の厳重な軟禁状態に置いた。
ルクレツィアは、屋敷の最上階の自室に閉じ込められた。簡素な旅装に着替えたものの、窓の外には監視役の護衛が常に控えている。
(カイン……! なぜ、こんな愚かで、非戦略的な真似を! わたくしを辺境へ避難させるにしても、なぜ『狂気』という、最も致命的なレッテルを選んだの!?)
彼女は、この命令が、単なるカインの嫉妬によるものだと認めることを拒絶した。それは、彼女の傲慢なプライドへの究極の侮辱であり、追放された護衛騎士が愚かな男に成り下がった事実を認めることになったからだ。
しかし、このまま軟禁されていれば、彼女は愚かな狂気の令嬢として、カインの成功を見ることもなく終わる。
ルクレツィアは、事前に隠し持っていた情報を駆使し、カインが送った辺境の騎士団が、今夜、公爵邸に到着することを知った。彼らは彼女を**「強制連行」**するだろう。
それが、ルクレツィアの最後のチャンスだった。
2.縄梯子と最後の矜持
ルクレツィアは、絹のシーツを編み上げた即席の縄梯子を、窓枠にしっかりと結びつけた。
外からは、公爵家の護衛と、辺境の騎士団が激しく言い争う怒声が聞こえてくる。騒乱に気を取られた監視役の護衛を、ルクレツィアは硬い書物で殴りつけ、気絶させた。
そして、窓枠を乗り越える。
(わたくしが、この公爵邸から、縄梯子で脱出するなんて……! 淑女としての矜持も、高貴な身分も、全てが泥にまみれている! カイン、この屈辱、必ずあなたに償わせるわ!)
ルクレツィアは、ドレスの裾を引き裂きながら、縄梯子を伝い始めた。冷たい壁面を滑り降りる中で、彼女の全身は泥と埃に塗れた。
3.辺境騎士団との合流
ルクレツィアは、公爵家の護衛と辺境の騎士団がもみ合い、剣を交える寸前の混乱の中、ようやく門前へたどり着いた。
辺境の騎士団を率いる腹心ユリウスは、泥と旅装にまみれたルクレツィアの姿を見て、驚愕に目を見開いた。彼が知る傲慢で完璧な悪役令嬢の姿は、そこにはなかった。
「ルクレツィア様……! 貴女様は……本当に……」
「狂った? いいえ、ユリウス。狂ったのは、わたくしにこんな理不尽な命令を下した、そちらの主人よ!」
ルクレツィアは、最後の力を振り絞ってカインの騎士団の馬に飛び乗る。その瞳には、もはや恐怖はなく、カインへの激しい怒りと、止めようのない執着だけが燃え盛っていた。
「急ぎなさい! カインの傍へ! わたくしの人生を破壊した、あの男と直接対決する!」
こうして、ルクレツィアは公爵令嬢としての地位を完全に破壊し、一週間にも及ぶ命懸けの旅を経て、理性を失った支配者のもとへと向かうのだった。




