第二章:完璧な日常の崩壊
カインを追放して以降、ルクレツィアの完璧な日常は、まるで砂上の楼閣のように音を立てて崩れ始めた。
ルクレツィアは、追放を「不要な道具の排除」だと信じていた。だが、実際に彼女の世界から消えたのは、彼女自身の絶対的な「影」だった。
まず、ルクレツィアが最も警戒すべき、毒が仕込まれた事件が起きた。以前であれば、カインが毒見役として事もなげに処理していたであろう微量の毒が、今や彼女のティータイムの焼き菓子に混入し、ルクレツィアは毒を口にして数日間寝込む羽目になった。
次に、彼女の悪役としての手腕に限界が見え始めた。
政敵である子爵令嬢を社交界から追い詰める際、決定的な「弱み」が必要となった。以前であれば、カインが貴族の誰もが知らぬ秘密の裏帳簿や、私的な手紙といった確実な情報を、まるで魔法のように提供してくれていた。
しかし、カインはいない。ルクレツィアが自力で集めた情報は確証に欠け、子爵令嬢は彼女の攻撃を巧みにかわし続けた。
ルクレツィアは自室で扇子を打ち付けて苛立ちを隠せない。そのとき、側仕えの侍女が震えながら報告した。
「ルクレツィア様……最近、夜会での皆様の視線が……以前と異なります」
侍女の言葉は事実だった。以前は、ルクレツィアへの恐怖と、王太子妃の座への羨望に満ちていた貴族たちの視線が、今は冷たい嘲笑と、侮蔑に変わり始めていた。
「護衛騎士を追放した悪役令嬢など、最早怖れるに足らず」
「後ろ盾を失い、自力では何もできない傲慢な女」
カインという「影」を失ったルクレツィアは、光の当たる舞台のど真ん中に立ち、彼女の能力の限界を公然と曝されてしまったのだ。
ルクレツィアは、初めて悟った。カインは、彼女の完璧な世界を維持するための、唯一無二の、最も必要な「道具」だったのだと。
「カイン……」
彼女の心中で燃え上がったのは、失われた所有物への強烈な執着だった。王太子アシュトン殿下への執着など、比ではない。ルクレツィアは、カインなしでは自分の地位とプライドを保てないという事実に直面し、その魂は彼を取り戻すことに囚われていった。
彼女は、自分の完璧な世界を再建するため、「最高の所有物」を取り戻すことを決意した。




