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酒と野球の日々 MLBの酒仙強打者 ハック・ウィルソン

作者: 滝 城太郎

168cm86kgというずんぐりむっくりの飲んだくれ男が、ベーブ・ルースと並び称されるほどの集客力を誇るMLB屈指のスタープレイヤーになるなんて一体誰が信じるというのだろうか。今日であれば、日本の野球強豪校の監督が見ても、野球部への入部はさりげなく断られかねない男が、現在もなお破られないMLB記録を作ったのだ。人間の可能性を決めるのは神であって、人が人を判断する洞察力など、何の根拠もない児戯に等しいことがわかるだろう。


 ペンシルバニア州の鉄鋼業の町、エルウッドシティに十九世紀最後の年に生まれたハック・ウィルソンことルイス・ロバート・ウィルソンは不幸の星の落とし子だった。

 ハックが生まれた時、鉄工所で働く父ウィルソン(二十四歳)と浮浪児あがりの母ジェニー(十七歳)はともにアルコール依存症の飲んだくれで入籍はしていなかった。母はハックが七歳の時に虫垂炎で他界し、父親からもほとんどかまってもらえない孤独な少年の面倒を見てくれたのは下宿屋の主、ワードマンだった。ワードマンと彼に野球を教えてくれた家主の息子コニーがいなければ、ハックの人生に陽が当たることはなかっただろう。

 その後、父に連れられて二度ほど転居を繰り返したハックは十六歳で学校を辞め、エディストーンの印刷工場で植字工として働くことになった。過酷な十二時間労働にもかかわらず週給四ドルという薄給に甘んじていたこの頃は人生のどん底だった。

 「こんな世界から早く脱け出して、大金をつかみたい」

 学もない貧しい私生児であるハックにとって、陽の当たる場所に出てゆく手段は野球しかなかった。

 アマチュアやセミプロチームで野球漬けの日々を過ごしたハックに人生最初の転機が訪れたのは、ウエストバージニア州マーティンスバーグに引っ越してきた一九二一年のことだ。

 セミプロの試合でホームインの際に足を骨折したハックは、何度手術しても足の状態が思わしくないため、ずっと続けていた捕手を諦め、外野手に転向することにした。ハックは首が太くごつい体型にもかかわらず、手足が小さいため、中腰で守らなければいけない捕手では足への負担が大きかったのだ。


 一九二二年、マイナーのD級リーグでプレーしていたハックの強打はジャイアンツのマグロー監督の目にとまり、翌年いきなりメジャーに引き上げられた。

 一九二三年のシーズンの大半はB級プリマスで過ごしたが、三割八分八厘、十九本塁打というマイナー成績を見てもわかるように当時のハックは長距離砲というよりも巧打者タイプだった。

 メジャーで初めてレギュラー外野手として一年間を全うした一九二四年も二割九分五厘、十本塁打、五十七打点と典型的な中距離打者の成績を残している。一六八センチというメジャーの選手の中でも飛びぬけた小兵であるハックに長打を期待する方が無理だったのかもしれない。

 ただし体重は八十六キロもあり、肥満体型のわりに俊敏で、当たりどころさえよければスタンドに運んでゆく腕力はあった。一九二五年四月十九日には、エベッツフィールドの歴史に残る一イニング二本塁打という快記録を残しているが、カーブに弱いという弱点が露呈してからはスランプに陥り、マグロー監督からもついに見切られてしまった。

 好き嫌いの激しいマグローがわずか五千ドルでカブスにハックを売り払ったのは、一等当選の宝くじを番号も確認せずにクズかごに捨てたのに等しかった。


 カブスの新監督ジョー・マッカーシーは、ハックのパワーに以前から注目していた。

 まるでムッソリーニのようなコワモテな見てくれとは裏腹に気の小さいハックは、神経質なマグローのもとでは、顔色ばかり伺って実力が発揮出来なかったが、マッカーシーの選手操縦術はもう一枚上手だった。

 マッカーシーは些細なことでも選手に罰金を科すほどの厳格さを持っている反面、試合で結果を出しさえすれば、大抵のことは見て見ぬふりをする寛容さも持ち合わせていた。そこで好物のラム酒を一息あおらなければ緊張感でブルってしまい試合に臨めないほどのあがり症であるハックに、好きなだけ酒を飲ませたのだ。

 酒好きの両親の血を引いているだけあってアルコール類に目がないハックにとって、アル・カポネが牛耳るシカゴは天国だった。禁酒法下にもかかわらず、カポネの息がかかったもぐり酒場ではいくらでも酒が飲めたからである。

 不思議なもので、アルコールが入った方がハックのバッティングは凄みを増した。

 チームメイトにパット・マローンという酒豪の投手がいたことも彼の飲酒癖に拍車をかけた。

 意気投合した二人は毎晩のように飲み歩き、時には警察のガサ入れで拘留されることもあったが、マッカーシーが手を回してくれたおかげで保釈され、大事に至ることはなかった。

 選手に厳しいことで知られるマッカーシーがここまで好き勝手にさせるのは珍しい。

ハックは自制心が弱く、ハメを外しやすいタイプだが、可愛がれば子供のように従順なところもあるため、マッカーシーにとっては御しやすかったのだ。とりわけハックを特別扱いし、何かと庇うことが多かったのは、ハックは私生活におけるボーンヘッドの借りは必ずグラウンドで返したからである。それも倍返しではきかないほどの法外な過払い金で。


 マッカーシーの自由放任主義の成果はハックが入団した一九二六年から現われた。

 三割二分一厘、二一本塁打、一〇九打点のハックは打点王のタイトルを獲得し、チームも前年度の七位から四位に浮上したのだ。

 しかしそれ以上にオーナーのリグレーを喜ばせたのは、観客動員数がリーグトップになったことだろう。

 ナ・リーグでは老舗のカブスは人気球団ではあったが、観客動員数がトップになったのは黄金時代の一九一〇年以来のことだった。

 ベーブ・ルースの登場によってホームランブームが到来した一九二〇年代の球界は、緻密さより派手さが求められていた。そうなると、どこのチームでも長距離打者を看板選手としたいところだが、ホームランといえばベーブ・ルースの独り舞台で、二度の三冠王を獲得したナ・リーグ随一の強打者、ロジャース・ホーンスビー(カージナルス)をもってしてもホームランではルースに及ばなかった。

 そこでルースに匹敵するホームラン打者を育成することこそが観客動員につながると確信したマッカーシーは、ハックに白羽の矢を立て、その卓越した選手操縦術によってナ・リーグきっての長距離打者に育て上げたのだ。


 かくしてハックは一九二六年から一九二八年まで三年連続本塁打王、一九二九年には打点王に輝き、ついにホーンスビーに並ぶナ・リーグの看板打者となった。

 一九二九年にカブスに移籍してきたホーンスビーが、三割八分〇厘、三九本塁打、一四九打点と相変わらずの猛打を披露すれば、ハックも三割四分五厘、三九本塁打、一五九打点と引けをとらず、ナ・リーグを代表する二大巨砲を揃えたカブスは一九一〇年以来のリーグ優勝を勝ち取った。

 ハックの入団以来、チームの観客動員はこれで四年連続リーグ一位となり、マッカーシーのホームラン至上主義はずばり的中した形になった。

 ハックが在籍した六年間でカブスの優勝は一度しかないにもかかわらず、観客動員がずっと一位だったのは、観客のニーズに応える「空中戦(本塁打が乱れ飛ぶ試合)」の魅力によるところが大きい。逆に鉄壁の内野陣を揃えて三連覇を含む四度のリーグ優勝を勝ち取った黄金時代(一九〇六~一九一一)でさえ観客動員一位を記録したのは二度しかなかった。

 そういう意味ではハックが在籍した六年間こそカブスの野球が球団史上最大の人気を集めた時代だったといえるだろう。

 その後、カブスがリーグ優勝した年度以外で観客動員一位を記録したシーズンは一度もない。

 

 一九三〇年はハックがルースに代わってメジャー最強打者の称号を手に入れた記念すべきシーズンだった。

 この年、カブスは二位(観客動員数は五年連続一位)に終わったが、ハックは三割五分六厘、五六本塁打、一九一打点と大暴れし、三割五分九厘、四九本塁打、一五三打点のルースを脱帽させた。

 開幕当初は打率一割台と冴えなかったハックだが、夏場から猛チャージを見せ、三冠王候補だったチャック・クラインを本塁打、打点部門で一気に抜き去った。ラスト二十試合は三十一安打十本塁打三十一打点だった。


 五〇本塁打以上を記録したのはルースにつぐ史上二番目だが、打点は一九二七年のゲーリッグのMLB記録一七五打点を大幅に上回った。記録を更新されたゲーリッグは翌一九三一年にキャリアハイの一八四打点を叩き出すが、記録の再更新はならなかった。それでもこの記録はMLB史上2位である。

 不倒の記録といわれたルースの六〇本塁打は後に更新されたが、ハックの一九一打点はいまだにメジャー記録であり、バリー・ボンズの七三本塁打の更新以上に難易度の高い数字となっている。

 また打率三割五分、五〇本塁打、一五〇打点をシーズンで同時にマークできた打者も、ルース(2回)の他にはジミー・フォックスとハック・ウィルソンしかいない。


 ハックはその知名度が高まるにつれて態度が傲慢になり、温厚だった性格も次第に凶暴性を帯びてきた。

 カブスに移籍するまで乱闘騒ぎなど起こしたことのなかったハックが、野次に激昂して観客席まで飛び込んだり、相手チームのベンチで乱闘騒ぎを起こしたりするようになったのも、周囲がスター扱いして我儘を許してきたからである。

 試合中の飲酒まで黙認され、ほろ酔い気分で外野守備につくのはまだしも、試合中であるにもかかわらず酒瓶を片手に守備位置で酩酊してしまい、他の外野手が飛球処理に大わらわということさえあった。

 元々守備は下手ななくせに常に酒気帯びというのでは救いようがない。ワールドシリーズで一試合に二度の落球という赤恥をかいたのも自業自得という他はないが、責任の一端は常に不祥事の尻拭いをしてやったマッカーシーにもある。

 しかし、素行が悪いのはベーブ・ルースも同様で、球場での華々しい活躍とファン人気があらゆる汚点を洗い流していた。たとえ不祥事を起こして謹慎処分になろうが、芸能スターがいつの間にか何事もなかったように公の場に復帰し、ファンも過去の汚点にいつまでも拘らないのと同様である。

 ハックとルースのいないメジャーリーグベースボールなど考えられないほどファン需要がある以上、その恐るべき強打が健在である間は、チームメイトや関係者以外にとって素行不良など大した問題ではなかったのだ。

 ハックとルースの共通点は、二人とも癇癪持ちではあっても、人前では陽気で、子供好きのためファンサービスには熱心なところである。幼少時は浮浪児同然だった二人だからこそ、子供たちと触れ合う時間をことさら大事にしたのだろう。


 カブスに移籍して五年間のハックの成績は一七七本塁打、七一八打点で、ルースには及ばないまでも一六六本塁打、七二九打点のゲーリッグに匹敵する数字を残している。ただ打撃タイトルとなると、この間ゲーリッグは三度の打点王だけで、四度の本塁打王、二度の打点王のハックは、五度の本塁打王、二度の打点王を獲得したルースに次ぐ。

 大男のルースと小男のハックが打者としての全盛期の成績を見る限り、かなり拮抗しているというのは、MLBの七不思議の一つといっていいかもしれない。見た目こそルースが善玉でハックは悪役という感じだが、MLBの選手の中に混じっていると、太った中学生のようにしか見えないハックが、いとも簡単にメジャーの広い球場のスタンドに打球を叩き込んでいる姿は、まるで漫画の世界で、観客の目を釘付けにしたことは間違いないだろう。アイドルキャラには程遠い飲んだくれ男見たさに球場に詰めかけた当時のファンの気持もわかるような気がする。

 

 輝かしかった一九三〇年から一転して、一九三一年はハックにとって大厄といってもいいほどツキのない一年だった。

 これまでハックを擁護してきたマッカーシーがヤンキースに転出し、二塁手のホーンスビーが監督兼任になったことが全ての不幸の始まりだった。

 ホーンスビーは酒も煙草もやらないばかりか視力が落ちることを気にして本さえ読まないほど、野球の妨げになりそうなあらゆるものを遠ざける徹底した管理主義者だった。常に冷静沈着でチームメイトやファンともあまり交わることがない孤高の男と、陽気だが気分屋で酒の力で虚勢を張っているような男とでは全てが水と油だったが、厳格でトップダウン型の指揮官であるマッカーシーがハックを擁護していたため、両者の間にこれといった軋轢が生じることはなかった。

 ところがホーンスビーに全権が与えられたことで、これまで見逃されてきたハックの我儘が通らなくなり、それがストレスとなって別人のように打てなくなったのだ。

 二割六分一厘、十三本塁打、六十一打点という散々たる成績に終わったハックは、まるで厄介払いされるかのようにドジャースに放出された。


 一九三二年、ドジャースの四番に座ったハックは二割九分七厘、二三本塁打、一二三打点とかつての片鱗を見せ、チーム順位を四位から三位へ、観客動員数を三位から二位に引き上げるのに貢献したが、ホーンスビー率いるカブスがリーグ優勝と観客動員数一位を勝ち取り、リベンジは果たせなかった。そしてこの年の活躍がハックにとって最後の輝きとなった。


 度を越した暴飲暴食によって肥満したハックは、かつてのシャープな身体のキレを失い、巧守にわたってチームの足を引っ張るようになった。ハックの名がメジャーの登録名簿から消えたのは、シーズン打点記録を更新してからわずか四年後のことだった。

 一九三五年に2Aアルバニーでプレーするも一年で馘になり、最後はセミプロチームを転々とするほどまでに落ちぶれてしまった。

 蓄財の才がなかったため、引退後ほどなくして生活は困窮したが、夫人がへそくりしておいた金を元手にスーパーマーケットを経営し、一時はチェーン店を持つほど商売は順調だったという。

 戦争中軍関係の仕事に就いていたというから、最終的にはスーパーも立ち行かなくなったのだろう。

市民プールの入場係をしていた一九四八年十一月、自宅の屋根から落ちた怪我で原因で入院中に、肺炎を併発し亡くなった。享年四十八歳、人生の最後もまたツキに見放された形になった。


現在のメジャーの選手でハックに近い小兵の強打者は、ホセ・アルトゥーベ(アストロズ)二塁手だろう。168cm75kgで首位打者3回、盗塁王2回、MVP1回という記録から、イチロータイプの巧打者を想像するかもしれないが、この身体でホームラン30本以上のシーズンもあるほど長打力に恵まれ、出塁率もイチローより高いのだから、超一流メジャーリーガーといっていいだろう。ハックとはゆかないまでもアルトゥーベクラスの日本の打者はなぜ生まれないのだろうか。集荷前のヒヨコのように早い時期に選別されてしまっているとしたら、現場の指揮官にはもう少しリサイクルシステムでも学ばせた方が良いのかもしれない。

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