夜が来る
夕暮れ時。影斗が意識を失ってから、もう六時間は経とうとしている。辺りが暗くなっていくのを感じた俺は、焦燥に駆られていた。
「くそっ……」
病院に連れて行くか迷ったが、影斗の体から悪い傀朧の気配を感じ取った俺は、県警の二人に廃寺まで送ってもらい、影斗を抱えたまま本堂に飛び込んだ。明日の決戦に備え、術や式札等傀具の準備を行っていた刈谷と門馬が、急いで影斗の容態を確認してくれた。
今影斗は、俺たちが寝泊まりしている離れの建物に籠って、容体を落ち着かせているところだ。門馬が傀朧の解析結果から浄化の術式を組んでくれたおかげで、命に別状はなかった。不思議なことに影斗の体に侵入した八尺様の傀朧は、綺麗に影斗の体に順応していたらしい。だが安心すると同時に、目が覚めるまで何もすることのできない自分に苛立ちが募る。
――――――俺は、傀異の気配すら感じなかった。
影斗を守ると言っておきながらこの体たらくだ。俺は拳を握りしめ、壁を殴りつける。
「くそっ……俺がいながら!」
「風牙君。自分を責めたくなる気持ちはわかりますが、それだけ敵の気配が感じ取りにくいということです。我々でさえも、姿形を視認することはできなかったでしょう」
刈谷は俺に、冷えた缶のお茶を渡してくれる。俺は深呼吸をすると、お茶を一気に飲み干した。
「悪ぃ……冷静じゃなかったです」
「仕方がないよ。それに、影斗君が助かったのは、君が迅速にここに運んでくれたからだ。ありがとう」
刈谷はにっこり笑うと、まだほんのり温かい、印刷したてのレジュメをくれる。
「君たちが調べてくれた傀朧の解析結果が終わった。君たちの予想通り、噂の根源は廃墟になった野上家で間違いないようだ」
そのレジュメには傀朧の分析結果が事細かく載っていた。結果が示していたのは、八尺様の傀異が持つ傀朧と一致した、という事実だった。
その時、離れから門馬が出てきた。顔には若干疲労が見て取れる。俺は急いで門馬の元へ駆け寄る。
「影斗は!? 大丈夫なのか?」
「はいっス。もうじき意識を取り戻すと思うっス。影斗くんはかなり傀朧の影響を受けやすい体質みたいっスね。身体にすごい量の傀朧を吸収してたっス。一気に体に流れ込んだことが原因で意識を失ったみたいっスね。傀朧は全部浄化したんで、大丈夫だと思うんスけど……」
門馬は心配そうに刈谷の顔色をちらちらと伺う。
「残念ながら影斗君は、マーキングされたとみていいでしょう」
「マーキング?」
俺は門馬と刈谷を交互に見遣る。
「はいっス……八尺様の怪談話では、八尺様を見てしまうという行為が、神隠しのトリガーなんス。つまり、視認した子どもと八尺様に呪術的な繋がりが生まれる……」
「魅入られる、という表現が使われることが多いようですね。そしてそれは、傀朧を浄化してもおそらく消えない」
「じゃあ影斗は消えちまうってことか!?」
「はい。何も手を打たなければ、今夜にも八尺様に連れていかれてしまうでしょう」
冷静に告げる刈谷の表情が曇る。腕を組んでしばらく考えるようなそぶりを見せると、俺の顔を直視してはっきりと告げる。
「ですが……これはチャンスでもある」
「そうっスね。逆に言えば、必ず影斗くんを攫いに来るってことっス。そこを待ち伏せて、奇襲ができれば……」
「で、でもさ。どうやって気配を探知するんだ?」
刈谷はにこやかに笑って、人差し指を立てる。
「大丈夫です。君たちのおかげで傀朧の解析は完全に終了しているので、検知できます。門馬、すぐに離れに結界を張ってください。あと、影斗君自身にもまじないを。後で私が最終チェックをします」
「わ、わかりました!」
「風牙君。我々の中で最も直接戦闘ができるのは君です。現れた八尺様にダメージを与えてください。弱らせたところに、我々が止めを刺します」
「わかったよ……頼みます」
刈谷は俺の肩を叩くと、本堂の方へ足早に駆けていく。
そうだ。いつまでも嘆いてはいられない。必ず影斗を守り、八尺様の傀異を祓う。
「……絶対に誘拐なんてさせねえ」
その時、俺のスマホの着信音が鳴る。確認すると、見たこともない番号からの電話だった。普段ならば出ずに無視をするのだが、なぜか胸がざわつき、通話ボタンに指が伸びてしまう。
「……もしもし」
『すまねえな。おれだ』
「なっ! あんた何で俺の番号……!」
『勝手に調べるような真似して申し訳ねえが、ちょいと事態が進展してなァ』
灰狼の言葉は淡々としており、深刻そうな雰囲気がひしひしと伝わってきた。俺は嫌な予感がして、慌てて茂みに身を顰める。
「何だよ。進展って」
『さっき白骨化した遺体が見つかったんだ。DNA鑑定の結果、八下田町近辺の傀朧を監視している想術師……いわば、地域担当の想術師だということがわかった』
「想術師の遺体……?」
『ああ。見つかった場所は、八下田町に流れている八下田川の上流付近。調べてみると、お前ら想術師の言うところの霊脈っていうのか? 傀朧が溜まりやすい場所付近の民家だった。死亡推定時刻は死後四年……そうだな、二件目の失踪事件が起きた辺りと考えられる』
「……悪いけどその事件って、今回の事件に関係あんのか? 別の事件なんじゃ」
俺の質問に、少しの沈黙があった後、灰狼は衝撃の事実を告げる。
『こいつはな、生きていると思われていたんだよ。つい先日まで』
「は?」
『被害者はずっと忘れられていたのさ。家族からも友人からも、その存在がなかったかのように振る舞われていた。これってよォ、同じだと思わねえか。失踪事件の被害者たちと』
「隠匿の霧……!」
失踪事件の被害者家族や友人たちは、忽然と消えた子どもたちの存在を忘れてしまっていた。まるで意識に、深い霧がかかったかのように、思い出すこともなく日常を過ごしていた。それと同じケースの殺人事件が起こった――――――。
やはりこの一連の事件は、単なる傀異の仕業と言い切れるのだろうか。あろうことか、傀朧を管理する役割の想術師が殺されたのだ。何か裏があるような気がしてならない。
『こっちはもう少し調べてみる。お前は影斗のことを気にしなきゃならねえんだろ』
「ああ……」
『なら、こっちは任せろ。お前は自分の仕事に集中してくれ』
そう言って、電話が切られた。
胸騒ぎがする。傀異は確かに存在し、影斗を襲った。これからその傀異と戦うというのに、妙な疑念が湧いて仕方がない。
やはりこの事件は傀異の仕業に見せかけた、想術師の犯行――――――。
「いや……今俺が考えることは……」
俺は首を振って、頬を引っぱたく。
犯人がどうであれ、影斗を八尺様の傀異から守らなければならない。今、俺がしなければならないことは犯人捜しではない。
「八尺様と戦えば、何かわかるか……?」
俺は気を取り直して茂みから出ると、本堂の方へ向かった。