いざ霧の街へ
鳥取駅から車に揺られること二時間。車は山中の幹線道路を進んでいく。ようやく町を示す道路標識が見えたころには、人の気配がなくなっていた。
幹線道路を中心とし、自然に囲まれた八下田町は、交通の要所としてそれなりに交流人口があるらしい。幹線道路沿いにはいくつかの飲食チェーン店や有名スーパーなどが立ち並んでいたが、道を歩く人は誰もいなかった。
「ここが八下田町なのか」
「はいっス。交通の要所っていうか、幹線道路沿いにちょっと栄えてるんスけど、そこから離れたらめっちゃ田舎っスね。まあ山陰地方なんて大体そんな感じっスけど」
車が幹線道路から脇道に逸れ、田んぼの中を進んでいくにつれて霧がかかり、周囲の視界が急速に狭まっていく。
「これって……」
「ああ。傀朧が見える奴なら、だいぶヤバいってわかるぜ」
門馬は車の速度を落とし、慎重に運転している。
「この白い霧そのものが、隠匿の概念の傀朧らしいんス。靄のように広がった傀朧が濃すぎて霧状になっている、というのが正しいみたいっスけどね。だから、想術師以外にも見えてしまうんス」
「毎日こんな感じなんですか?」
「はいっス。最後の誘拐事件が起きたのは二週間前。その数日前から確認されてたようっスね」
「あ、あの……実はおれ、事件についてそこまで知らなくて」
俺も、じいさんからざっくりと事件の話を聞いたくらいで、細かいことはわからない。資料も見たが、正直詳しくは覚えていないし――――――。
「そうっスね。じゃあ捜査本部に行く前に、ちょっとだけ事件を説明させてもらうっス」
門馬はそう言うと、次の十字路を左折し、山際に向かって車を進める。
「〈八尺様〉の傀異が引き起こしたとされる事件はいくつもあって、今回その全てが露呈したんス。被害者は全部で十二名。女子が二名と男子が十名。いずれもこの町唯一の学校である小中一貫校、〈町立八下田学園〉に通う生徒だったっス。
二週間前の事件で行方不明になったのは、小谷創くん十一歳。警察の調べによると、学校終わりの午後五時ごろまで友だちの家で遊んでいたらしいんスけど、そこから家に帰るまでの間に行方不明に。身代金要求も何もなく、警察の捜索で一切の痕跡が見つからなかったんで、〈想術師協会〉に通報があったっス」
「ほんと、どうしてこれまでわからなかったんだろうな」
「そこなんス。この白い霧、これが原因と我々は考えてるっス。小谷くんが行方不明になる三日前に、周りに視線を感じるって話していたらしいんスけど、それまで白い霧はこんなに濃くなくて、一般人には見えてなかったらしいんス。でもその時点で、傀異との呪術的な繋がりがあったと考えられるっス」
「今回の傀異って、有名な怪談に出てくる傀異なんですよね?」
「〈八尺様〉って、聞いたことないっすか……? ぐへへ」
「ぐへへじゃねえよ」
門馬はニヤニヤしながら影斗をミラー越しに見つめる。
「最近ホラゲでも話題の、影斗さんみたいなかわいいショタを襲う、とびっきりエッツィな怪異っス!!」
「もういいって。わかったから続けてくれ」
門馬は残念そうに続ける。
「我々は初動捜査として、傀朧の分析を行ったっス。そしたら概念として、八尺様、子ども、深い悲しみとか、あとは日常を送るとかもあったっスね」
「日常を送る? えらい具体的だな」
「ねえねえ風牙。傀朧の分析って?」
「ああ。俺たち想術師は、傀異と戦う時に真っ先に相手の傀朧を分析するんだ。傀朧は一つの大きな想像を核として、色んな想像にまつわる概念がくっついていて増幅していく特性がある。だから、強い傀異ほど色んな概念が検出されるんだぜ。それを分析して、傀異への対策を立てるんだ」
「すごい! 功刀さん説明うまッ!」
「なるほど……勉強になる……」
影斗は熱心にメモを取りながら聞いていた。
付け加えると、俺たち想術師は傀朧を検知するために色々な傀具と呼ばれる道具を使う。それはおいおい目にすることになるかもしれない。
「んで今回の傀異は、〈八尺様〉という危険な概念を、色々な概念の集合体が取り込むような形で出現したと考えられるっス。その中に、恐らく隠匿の概念もあった。五年間ゆっくりと人が消えていなくなっていたのに、誰も気づかず、皆日常を送っていたのは、この概念のせいっス」
その時、門馬は車を路肩に停める。門馬が指さした先には、立派な校舎があった。しかし、白い霧に覆われており、あまり詳しくは見えない。
「ここが八下田学園っス。学校はここしかないから、まあ被害者全員がここに通っているのは当たり前なんスよね。一応ついでに紹介っス」
門馬はやれやれと言わんばかりに肩を竦め、再び車を発進させる。
「そんじゃ、続きは対策会議でしましょう」
それから、車は元来た方角へ戻り始める。
隠匿の概念の傀朧――――――俺はどこか妙な違和感を覚え、霧に溶けて見えなくなっていく校舎を見つめていた。
〈八尺様〉という怪談話は危険な概念だ。でも、なぜそれがこの町で自然発生したのだろうか。それに、目視できるほどの隠匿の概念の傀朧を発生させるなど、そもそもできるものなのだろうか。
俺がしかめっ面で考え事している間、まるで空気を読んだかのように、車内は目的地に着くまで沈黙に包まれた。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
車が到着したのは、人里離れた山の中だった。周囲は完全に緑に覆われ、道も舗装されていない。車を降りた俺たちを出迎えたのは、大きなボロボロの木造建築。見た目はお寺のようだが、瓦がところどころ無くなっていたり、境内への階段が崩落していたりと、廃墟にしか見えない。敷地の中に、比較的綺麗な民家が一軒あり、こちらには人が住めそうだった。
「こんにちは。お待ちしていました」
到着した俺たちに気づき、境内から三十代くらいの男が出てくる。フチなしの薄いメガネをかけた色白の男だった。黒いスーツに赤色のネクタイをしており、きりっとした目なのに、やけににっこりと笑っているのが、少しだけアンバランスに感じる。男は柔和にほほ笑んだまま、俺たちに手を差し出してくる。
「初めまして。この事件の責任者をやらせていただいている、刈谷啓介と言います。よろしく」
「功刀風牙っす。こちらこそよろしくお願いします」
俺は形式的な挨拶を済ませ、刈谷と握手を交わす。
「おや、そちらの少年が、助手の……」
「は、はい。西浄影斗といいます。よろしくお願いします」
刈谷は緊張気味の影斗に、一瞬驚くように目を丸め、再び柔和な笑みを見せる。
「遠路はるばるお越しいただいて感謝します。なにせ、我々は傀異のテリトリーすら見つけられないほど拒絶されていましてね。困っていました」
「話は聞いてます。いざとなったら俺が祓います」
「頼もしい限りだ」
刈谷は俺たちを境内に案内する。入口を開けると外からのボロボロの印象とは違い、綺麗な畳が出迎えてくれる。中はいくつかのパイプ椅子や長机、ソファにパソコン付きのデスクなどが置かれていた。
刈谷は俺たちを椅子に座らせると自身も正面に座る。
「門馬。資料は」
「あ、はいっス……」
門馬を呼ぶ刈谷の声が、酷く冷たかったのを聞いて、俺は思わず刈谷の顔を直視してしまう。
門馬は急いでデスクの上の資料をかき集めると、俺たちに配って回る。
「プロジェクターの起動は?」
「す、すいませんっス……今すぐに……」
「お二人ががお越しになったのに、茶も出さないのか」
「そ、それもすぐに~」
「もういい」
刈谷は机を殴打し、舌打ちをする。俺と影斗が呆気に取られているのに気づき、慌てて元の笑みに戻る。
「失礼しました。彼女、何か粗相はありませんでしたか?」
「……いや、何も」
「そうですか。何かあれば仰ってください。なにせ彼女は……いえ、取り乱して申し訳ありません」
「……」
刈谷は何か言いかけて止める。それがとても気になったが、今は考えないようにすることにした。
刈谷はあたふたと動く門馬を尻目に立ち上がると、テキパキと会議の準備を進める。しばらくしてプロジェクターの準備が整ったため、刈谷が口火を切る。
「それでは対策会議を始めましょう。町のことや事件のことはどのくらいお知りになっていますか?」
「それは粗方聞いたぜ」
「わかりました。では、簡単に説明しながら、今回の敵である〈八尺様〉について整理していきましょうか」
刈谷は丁寧かつ要点を押さえ、八尺様の傀異について説明していく。
――――――傀異がこの町に現れたのは五年前。最初の被害者である〈野上拓也、紗香兄妹〉の失踪を皮切りに、その十か月後、さらにその三か月後と、ゆっくり子どもが消えて行ったのだという。被害者の周囲は皆、誘拐される数日前から八尺様の存在をほのめかしていた。そして最終的に視認することで、八尺様の怪談にも出てくる呪術的な効果を発現させ、神隠しにあってしまうのだという。
「さて改めて、祓うための対策ですが……」
「傀異はどこにいるのかわかってないのか?」
「場所は正直わかっていません。ただ、おびき出すことができると考えています」
刈谷が門馬に目で圧をかけると、門馬が追加資料を持ってくる。
「誘拐された子どもたちの特徴です。想術師視点で調べると、面白いことがわかりましてね。皆、常人よりも傀朧の量が多い家系だったと判明しました」
「なるほど。それなら、俺が町をうろついてたら、目ェ付けられるかもな」
「はい。それが最も効果的かと」
それを聞いた影斗の表情がふと強張る。
「よって、風牙君に傀異をおびき出してもらい、直接戦闘をしていただきます。ですが、相手の傀異ランクは、伝承レベルⅣ、危険レベルd、のランク〈上〉です。風牙君の実力を疑うわけではありませんが、本来ならば準一級以上が数名以上で対処するレベルのもの。我々が援護し、戦いを優位に進められたらと思います」
「わかりました」
俺が返事をすると、影斗が服を引っ張ってくる。
「ごめん。ランクってなに?」
「傀異の傀朧を分析するって話は、さっき車の中でしただろ? その次に、傀朧の持つ伝承レベル……今回でいうと、〈八尺様〉の部分だな。その伝承がどれだけ有名なのかっていうところと、その概念がどれだけ人に害を与えるかっていう危険レベルを測定するんだ。レベルは両方とも五段階ある。その二つを掛け合わせて、さらに五段階のランクを決める。〈上〉ってのは、五段階中四段階目で、かなり強力な傀異ってことだな。準一級想術師以上が担当することになるから、俺も相手にしたことはねえ」
「なるほど……ありがとう。よくわかった」
「はは。影斗君は、想術師の卵なのかな? 意欲が大変高くて素晴らしい」
「ありがとうございます……」
影斗は照れ臭そうに頬を掻く。
「先ほど渡した資料の中に、傀異の詳細な傀朧分析データを載せておきました。ぜひ、参考にしてください。こちらは風牙君が戦う間、分析を基に構築したあらゆる術式でサポートします。八尺様は概念上、神仏系の加護に弱い。最後に浄化の術を用いてとどめを刺しますので、そこは安心してください」
「ああ。頼もしいぜ」
俺は資料をざっくりと読んだあと、気になったことを質問する。
「ちょっと気になったんですけど、八尺様は有名な概念なんだよな? でも何でこの町で生まれて、こんなに強い傀異になったんだろって」
刈谷は俺の質問に、一呼吸おいてから答える。
「それはおそらく、この地域に古くから伝わる伝承に由来したものだと考えられます。八尺様は元々、土着の怪談にある〈大女〉に由来しているとの説がある。大女伝説は、この辺りでは割と有名なんです。この町にも、江戸時代以前にできた地蔵がたくさん残されていますし」
「なるほど……わかった。ありがとうございます」
「では、具体的に流れを練っていきたいのですが……」
「お待たせしました~」
その時、門馬がお盆に人数分の茶を淹れて持ってきてくれた。しかし、
「ふぎゃっ」
プロジェクターのコードに足をかけてしまい、豪快にこけてしまう。その結果、お茶がプロジェクターにかかって壊れてしまい、辺りがびしょびしょになってしまった。
「……」
「大丈夫ですか!?」
影斗が慌ててフォローに入るが、青筋を立てた刈谷は立ち上がり、何も言わずに境内から出て行ってしまった。その圧は凄まじく、残された俺たちは門馬を手伝って無言で掃除をするしかなかった。