連続児童失踪事件
平屋の本邸から渡り廊下を進んだ先にある洋館は、いつもよりも静まり返っていた。
執務室で俺を待っていたのは、深い皺を顔に刻んだ和服のじいさんだ。この男が浄霊院厳夜なのだが、その目つきと佇まいは恐ろしいほどの存在感に満ちている。当然、身にまとう傀朧も、尋常ではないほど研ぎ澄まされている。
「呼び出して済まなかったな」
じいさんは俺に座るよう促すと、眉根を寄せて小さくため息を吐いた。
「何か用か? 雑用は適当にやってるぜ」
じいさんは深刻そうな顔のまま、俺を見つめてくる。俺は怒られると思い、ふと身構えてしまう。
「な、なんだよ。説教か?」
「説教? 何か怒られるようなことをしたのか?」
「してねえ!」
俺がついムキになってしまったのを見て、じいさんは再びため息を吐いた。
「今日呼んだのは説教ではない。仕事の依頼だ」
「仕事?」
じいさんはそう言って、ファックスと思しき数枚のレジュメを手渡してくる。
「功刀風牙二級想術師に、〈傀朧管理局〉から正式な傀異討伐の依頼だ」
俺はそれを聞いて、レジュメを凝視する。そこには、『八下田町連続児童失踪事件』と題された事件の概要が書かれているようだった。
「連続児童失踪事件……?」
「そうだ。概要を説明する。山陰地方の小さな町、八下田町で発生した連続児童失踪事件について、二週間前に県警からの捜査依頼が来た。調査の結果、この町では五年前から合計十二人の児童が失踪していて、未だすべての児童が見つかっていない」
じいさんはそう言うと、続けて新聞記事を俺に見せてきた。
「ようやく事件として発覚したのは、二週間前に起きた一人の児童失踪で、だ」
「何でそんなになるまでわからなかったんだ? 普通、傀異の事件だったら警察がすぐに依頼してくるんじゃねえの?」
「問題はそこでな。様々な理由が考えられるが、失踪した児童はまるで最初からいなかった者のように扱われていたらしい。こうして失踪自体が隠匿されていたようでな」
じいさんはレジュメの中にあった傀朧の調査結果を見るよう促す。
「原因は、隠匿の概念の傀朧により引き起こされていたとわかった」
傀朧には固有の型のようなものがあるが、その型を構成するのは、人間の想像の種類だ。この場合、隠すということに関する想像が、隠匿の概念の傀朧を生み出す。傀朧は概念に対してとても忠実で、この傀朧には言葉の通り、何かを隠す性質がある。
「隠匿……隠すって、傀異が何を隠すんだろうな」
レジュメには、他にもぼやけた傀異の写真が載っていた。
大きな麦藁帽に白いワンピース、黒髪の長髪を靡かせ、町を彷徨う幽霊――――――その見た目はホラー映画に出てきそうな女の幽霊、という印象だったが、特に気になったのはその大きさである。
「この女幽霊、でかくね?」
「その見た目にピンとこないか。私は詳しくないのだが、近年〈特定危険概念〉に登録された傀異だと聞いたぞ」
特定危険概念というのは、想術師協会が特に管理を行う危険な概念のことだ。
傀異は人間の想像から生み出される傀朧から構成された化け物。つまり、人間の恐ろしい想像が形になる場合が多い。一般的に傀朧は、負の感情を内包した想像ほど生まれやすい。だから、人が怖いと思うようなものに対する想像は、より傀異になりやすいわけだ。
「んで、この女の幽霊は……〈八尺様〉? なんだそりゃ」
「ここ十年ほどで有名になった都市伝説だそうだ。田舎の集落に現れ、主に少年を攫う大きな女の怪異。特徴は写真の通りだが、厄介なのは傀異自体の強さというわけではなく、被害者の発覚を遅らせていた隠匿の概念の傀朧だ。これにより現在、町は霧に包まれ、誘拐されたことに誰も気づかず、ゆっくりと子どもたちが消えているという」
「霧……隠匿の概念の傀朧……うーん」
「だからこそ、今回お前に白羽の矢が立った。あらゆる可能性を考慮して、子どものお前なら傀異と接触できる可能性があると判断されたらしい」
「俺は子どもじゃねえ! んでもまあ、そういうことなら行くっきゃねえな」
俺は気合を入れるように拳を握る。理由はどうであれ、やることは変わらない。俺は誰かが傷つくところを見過ごすことは絶対にない。誘拐された子どものためにも、一刻も早く現場に向かわなければ。
「まあ任せとけって。俺がこの傀異をぶっ倒してくるぜ」
「済まないな。本来はランク的にも、準一級想術師以上が数名で担当する事案なのだが……」
「んなもん関係ねえよ。俺が倒す」
「お前ならそう言ってくれると思ったよ」
「おう! そうと決まればすぐに行ってくるぜ」
俺は早速、意気揚々と部屋の出口に向かう。その時、部屋の扉が勢いよく開け放たれ、影斗が中に入って来る。俺の行く手を塞ぐように立つと、驚いている俺とじいさんを尻目に、勢いよく頭を下げた。
「あ、あの! その話、どうかおれにも行かせてもらえませんか!?」
「何?」
じいさんは顔を顰めて腕を組む。
「……話を聞いていたのか」
「す、すみません……盗み聞きしたのは悪かったと思ってます。でも!」
影斗は俺を押しのけ、じいさんの机に迫る。
「子どもの……誘拐事件、なんですよね?」
「……」
「お願いです。おれも力になりたいんです」
じいさんは、影斗の言葉に狼狽えるようなそぶりを見せる。影斗はじいさんの顔を覗き込むと、食い気味に続ける。
「おれ、みんなの役に立ちたい! いや、立たなくちゃいけないんです。そのためにも、おれは強くなりたいんです」
「……強くなるだと? お前は十分役に立っている。屋敷の家事も雑用も、最近は簡単な資料整理や事務補佐までやってくれているじゃないか。これ以上何を望む」
「ダメなんです……それだけじゃダメなんだ。おれは、生かされた分もっと役に立たないといけないんです。それに……」
影斗は声を震わせながら、じいさんに訴え続ける。その必死の形相に、じいさんは影斗から目を反らし続ける。
「お前の気持ちはわかる。だが、危険なのだ。今回の傀異は子どもを狙う。ちょうど、お前くらいの子どもを」
じいさんは極まりが悪そうに立ち上がると、影斗に背を向け窓を見る。
「おれにだって、傀異を引き付けることくらい……!」
「いい加減にしなさい」
低く吐き出されたじいさんの声が、影斗を黙らせる。
「……お前の気持ちは痛いほどわかっているつもりだ。だがな影斗。そうやってずっと、自分を責め続けても何もいいことはない。少し落ち着きなさい」
「……おれ、落ち着いてます。ちゃんと考えて決めたことなんです」
「……」
二人の間に険悪な空気が流れる。事情はよくわからなかったが、影斗が我儘を言っていることと、二人の過去に何かあったんだということだけは理解できた。その上で、この重い空気に耐えられなくなった俺は、思わず口をはさんだ。
「あー。あのさ、よくわかんねえんだけど」
二人は一斉に俺を見る。
「俺は、連れて行くのは反対だぜ」
「えっ」
「そりゃそうだろ。想術師でもないお前を連れて行っても、正直足手まといになるだけだ」
「そ、そんなこと……」
「そんなこと、何だよ」
俺は不満げな顔の影斗を睨みつけ、はっきりと告げる。
「傀異と戦うってのは、命がけなんだ。その覚悟がお前にあんのか?」
「ッ!」
「それにな、じいさんの言う通り、お前十分役に立ってんじゃねえか。俺はよくわかんねえけど、傍から見ててそう思うけどな」
俺は肩が少し重く感じたので、ぐるぐると回し、込み上げて来た眠気に従ってあくびをした。それを見た影斗はムキになって、俺を睨みつける。
「お、お前に……」
「あ? んだよ」
「お前に何がわかるんだよ……!」
「わかんねえよ。何でそんなに行きてえのかも、何でそんなに焦ってんのかもわかんねえ。でもな、何度も言わせんな。危ねえんだよ。足手まといだ」
俺が睨み返すと、影斗は俯いて拳を握りしめる。よく見ると握られた拳の先には、いくつもの裂傷ができていた。拳骨周りが、やけにボロボロで、真っ赤になっている。
影斗の肩は震えており、今にも泣きだしそうな様子だった。
俺は何も言わずに、影斗が喋り出すのを待った。長い沈黙ののち、影斗は震える声を吐き出す。
「……わかってるよ。厳夜様も、お前も正しい。おれは足手まといにしかならないよ。わかってるんだ」
影斗はそれでも、俺をまっすぐに見据えてから頭を下げた。
「それでも……お願いします。自分の身は自分で守るから」
その様子を見て、俺はこれ以上断ることはできないと思った。どんな理由があるのかは知らないが、こいつは本気だ。本気の本気で危険を理解してなお、ついてくるのなら、俺に止める権利はない。
「わかったよ。なら早く準備しろよな」
「えっ……」
影斗は面食らったように俺を見つめる。
「風牙、お前まで何を言う」
「だってさ、俺がいくら止めてもついてくる気だろ? それに、努力してる奴を、俺は否定したくねえ」
俺は影斗の手を掴み、拳をじいさんに見せる。
「この傷、岩でも殴ってんじゃねえか。俺もよくやったけど」
それを見たじいさんは、頭を抱えて今日何度目かのため息を吐いた。
「大丈夫だって。俺が守ってやるから」
「しかし……」
「勝手についてきたら、それこそ守れねえぞ」
じいさんは諦めたように、椅子に深々と腰かける。
「……わかった。もういい」
「ほ、本当ですか!?」
その言葉を聞いた影斗の瞳が黄金色に輝く。じいさんは蒼白な顔で頭を抱えたまま、重い口を開くと、懇願するように影斗を見つめた。
「……ただし、絶対に無理はしないこと! 傀異が現れたら必ず安全な場所に避難するんだ。いいな。傀異には決して近づいてはならん。現場の想術師の指示に必ず従うんだ。興味本位で危ない真似をしてはならん。あと、現場は山陰地方だから、しっかりと準備をしなさい。そうと決まれば、寝床の手配をしなければ。お前に野宿をさせるわけにはいかないからな。あと、電車だ。京都駅から特急が出ていたはずだ。それの手配もしておこう。今夜は家事をせず、しっかりと寝なさい。着替えと財布は忘れないようにな。私のクレジットカードを渡しておこう。三食美味しいものをきちんと食べなさい。ああそうだ。明日の朝は駅まで送っていこう。現地では迷子にならないように、迎えに行くよう頼んでおく。それから……」
「うるせえ!! 過保護か!! 俺も行くんだし大丈夫だよんなもん!!」
俺は思わずツッコミを入れてしまった。もしかして、このじいさんは単純に心配だったから、影斗を行かせたくなかっただけなのか――――――?
俺のツッコミを受けたじいさんは、悲し気な顔で肩を落とし、どこかに電話をかけ始める。
「マイペースかよ」
「わかりました! 今日はご飯食べてお風呂入って早く寝ます。準備もしなきゃだし」
「お前も暢気だな。遠足じゃねえんだぞ?」
「わ、わかってるよ!」
影斗はどこからか取り出したメモ帳に、じいさんの言ったことをつらつらと書き連ね、満足そうに笑って、メモ帳を畳む。
俺は目を細めて二人を見た後、一番に執務室を後にした。