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惨劇の記憶


★ ★ ★ ★ ★ 


 テーブルいっぱいの、豪華な料理。美味しくて、美味しくて、ただ幸せだった。

 やりたいことは何でもできた。読みたい本も読めて、ゲームもできて、たくさんの遊びを教えてもらった。友だちもたくさんできて、毎日が夢のようだった。

 楽しい――――――一生このままでいたい。

 楽しい――――――この楽しさをくれた、タツヤ(・・・)さんのことが好き。

 タツヤさんはすごい人。タツヤさんは優しい人。

 タツヤさんにずっとついて行こう。それなら間違いない。幸せになれる。

 タツヤさんの言うことなら何でも聞こう。何でも言うことを聞こう。

 どんなことでも――――――言うことを、聞こう。

 それが、どんなことでも。どんなに嫌なことでも――――――我慢しなきゃ。我慢しなきゃ。我慢――――――あれ?


★ ★ ★ ★ ★



「っ!?」


 影斗の意識が戻ると同時に、勢いよく布団から体を起こしていた。

 激しい恐怖の残滓が、影斗の全身を支配している。

 じっとりとした汗、荒い呼吸――――――脳裏から消えない、あの男(・・・)の姿。声やしぐさまではっきりと思い出せる。思い出すたびに吐き気が込み上げてきて、思わず口元を押さえる。

 恐ろしい悪夢を見ていた。あれは、自分が誘拐されていた時の出来事だった。


 大好きだった父がいた何気ない日常は、突如夢のような世界に変わった。

 ありとあらゆる快楽を味わい、楽しくて楽しくて、いつしか日常を忘れてしまっていた。

 だがそれは――――――恐ろしいまやかしだったのだ。


「こ、ここは……?」


 影斗は脳裏に焼き付いた男の姿をかき消すように、自分の状況を整理する。

 八下田学園で傀朧を採取し、正門に戻ろうとした時に “ソレ”を目撃した。

 学校の塀を超える高さの、白い服の大きな女が、正門に向かってゆっくりと歩いて来ていた。姿をはっきりと視認した瞬間、突然体の中が熱くなるのを感じた。そして女性は、こちらの方へゆっくりと顔を向けると、口を開く。


「……私が守る」


 透き通った女性の声――――――その声は悲しみを内包したように小刻みに震え、はっきりと影斗の耳に伝わった。

 そこから、激しい頭痛と吐き気が込み上げてきて、気づけば意識を失っていた。


「……あれが、八尺様の傀異?」


 影斗は重い頭を押さえて周囲を見渡す。どうやら、生活拠点にしている離れの一室のようだ。土壁と障子に囲まれた広めの和室で、周囲に蝋燭の火がいくつも灯っている。よく見ると部屋の四隅に盛り塩がおかれており、部屋全体に術がかけられているようだ。


(おれ、魅入られたってことだよな……)


 影斗は自身の体に魔よけの術がかけられていることに気づく。周囲からの傀朧をシャットアウトする術のようで、なんだか体が重く感じる。枕元に置時計と、メモ書きが置いてあった。メモ書きには、影斗が置かれた状況と、これから取るべき行動が書かれている。


 一つ――――――午前二時になると、必ず部屋の向こうから声がかけられる。しかし、それは八尺様の傀異で、決してふすまを開けてはならない。耳を塞いでおくように。


 二つ――――――八尺様の傀異が現れたら、風牙が助けに来るまで布団にくるまっていること。助けが来たらすぐに車に乗り、この場を離れる。


 影斗は置時計の時刻を確認する。午前一時五十分―――八尺様の傀異が現れる時刻が迫っていた。


「……」


 影斗は言われた通り耳を塞ぎ、布団に包まることにした。

 こうしていれば助けが来るまで安全に過ごせるだろう。そうすれば風牙が戦って祓ってくれる。そう思うと、心強かった。


 ――――――影斗は昨日、野上家に行った時のことを思い出す。

 他人に自分の過去を話したのは初めてだった。野上家の家族写真を見て、自身の過去がフラッシュバックした結果、酷く取り乱してしまった。

 さっきの夢もそうだ。恐ろしい後悔と自己嫌悪がいつだって頭を離れない。布団に包まっていると、またあの時のことが脳裏に浮かぶ。


 ――――――お前は偉いよ。必死で頑張って、前を向こうとしてる。俺はそれを全力で応援する。


 話をした時、風牙は真剣な顔で聞いてくれた。受け入れてくれた。自分も同じだと言ってくれた。その時、少しだけ心が楽になったのだ。


 でも、本当は違う。

 ――――――だからこそ、もう二度と誰かを目の前で傷つけさせやしねえ。


 眩しかった。心の底から羨ましいと、そうなりたいと思った。前を向いているのは風牙で、自分はいつまで経っても前を向くことなんてできない。


 ――――――だって、おれは。


「……影斗」

「えっ」


 耳を塞いでいるはずの影斗の耳に、優しくて温かい声が聞こえてくる。

 その声は、影斗が最も会いたいと渇望している人物の声だった。会いたくて、会いたくて、仕方がない、大好きな父の声――――――。


「お……おとうさん?」

「影斗。大きくなったな」


 影斗は無意識に布団から出てしまう。声が聞こえたふすまに這うように近づいていくと、障子紙の向こうに人影が浮かび上がった。


「なんで……」

「お前が、会いたいと願ってくれたからだ」

「おれが……?」


 父の影は、ゆらりと炎のように揺れ、その形を鮮明にしていく。


「もう七年前になるか……幼かったお前が誘拐され、酷く辛い思いをして……それであんなことになってしまったのは。お前は何も悪くない。すべては力のなかった俺と、浄霊院燵夜(たつや)のせいだ」

「ち、違う……! 悪いのは、おれなんだ……おれが悪いんだ……」


 影斗は目に涙を浮かべ、ゆっくりとふすまの取っ手に手を伸ばす。

 父の優しい顔が見たかった。会って抱きしめたかった。もう二度と、その手を離したくなかった。


「おれが……おれがおとうさんを殺した(・・・)んだ。助けに来てくれたおとうさんの手を払ったんだ……だからおとうさんは!」

「違うよ。お前はその後自力で洗脳を解いて、俺を助けに来てくれたじゃないか」

「うっ……うっ……」


 影斗は酷い吐き気に襲われ、ふすまの取っ手から手を離す。

 ――――――影斗は、薄暗い地下室で父親を見た。血に塗れ、体をあらゆる拷問器具でボロボロにされた、父の姿を。


「俺が無力だったから、浄霊院燵夜に捕まったんだ。お前のせいじゃない。だからもう大丈夫。俺がお前を幸せにする(・・・・・)

「ぅぅ……違う……そうじゃない」


 ――――――幸せにする。

 その言葉に、影斗は歯を食いしばった。

 地下室で父の変わり果てた姿を見た影斗は、すべてに絶望した。

 自分のせいで父親が死んだ。快楽に支配されていた自分が助けの手を拒んだことで、父親が死んだ。全ては自分のせいだった。自分が全て、悪いのだと。

 ――――――目の前に現れた浄霊院燵夜という男は、父が死んだことをとても喜んでいた。そして、影斗を快楽漬けにして洗脳したことを嬉々として話した。

 その異常で醜悪な狂気を目の当たりにした時、影斗の中で何かが弾けた。


「おれは……殺した(・・・)んだ。あの男を……殺した」


 次に影斗の意識が戻った時、目の前で浄霊院燵夜は肉塊になっていた。

 その遺体は、植物の根のようなものに何度も何度も貫かれていた。そしてその惨劇の中心に、血まみれの自分が立っていた。


「おれはっ……!! 願っちゃいけないんだ。許されちゃいけないんだ。おれがおとうさんの手を払ったから、おとうさんは死んだ。なのに、おれは自分勝手な絶望で、人を殺してしまった……」


 影斗はふすまから離れて行く。父の影は寂しそうに、障子紙の向こうから手を伸ばしていた。


「おれには幸せになる資格なんてない……あの男と同じ、人殺しだから」


 その時、父の影がぐにゃりと変形し、女性のシルエットへ変わる。


「……可哀そうに」


 影斗は驚いて布団を被り、再び耳を塞いだ。


「安心して……あなたは私が……守ってみせる(・・・・・・)から」


 その瞬間、メリメリと音を立てて屋根が崩落する。影斗は布団を蹴飛ばし、壁際に退避する。


「な……」


 崩れた天井から、大きな月が見える。その月明かりに照らされた巨大な女は、青白く長い腕を伸ばし、影斗を掴もうとする。

 長い髪は触手のようにうねり、表情のない真っ黒な顔が近づいてくる。その顔に、真っ赤でつり上がった口が浮かび上がる。

 影斗は恐怖で動けなかった。女から放たれる傀朧が全身を硬直させ、息も止まりそうだった。


 ――――――ああ、おれは。


 これで良いのかもしれない。二人も(・・・)人を殺した自分に、お似合いの最後だ。それに、少し疲れた。

 八尺様の細い手が、影斗を包み込もうとする。


 刹那、夜風が舞い上がる。


「っ!」


 爽やかな木々の匂いがする。蹴飛ばした布団が宙を舞い、夜空を覆い隠した。


 風牙の右手が八尺様の傀異の手首を掴んでいる。ミシミシと音を立て、力強く握られた手は、ピクリとも動かなかった。


「待たせたな。遅くなった」


 静かに吐き出された言葉は、怒りを内包していた。風牙は左拳に傀朧を込め、八尺様の傀異の顔面目掛けて打ち放つ。八尺様の傀異は衝撃で本堂の前まで大きく吹き飛ばされた。風牙は影斗を抱え、半壊した離れから脱出する。

 跳躍し、夜空を進んでいく風牙の顔が、月明かりに照らされた。

 その凛々しい顔が、いつかの父の顔と重なる――――――。


「大丈夫か?」

「……え」


 地面に着地した風牙は、そっと影斗を下ろす。涙でぐしゃぐしゃになっていた影斗の顔を見て、ハンカチを渡してくれた。


「涙、拭いとけ」


 風牙はニカッと笑い、倒れている八尺様の傀異に向き直る。


「てめえ、影斗を泣かせたのか」


 八尺様の傀異は、ぽきぽきと拳を鳴らしながら近づいてくる風牙を見て、態勢を立て直した。


「なら、ぶっ飛ばされる覚悟はできてるよな?」

「……マモル」


 八尺様の傀異は体勢を立て直す。


「ジャマハ……サセナイ!!」


 怒り狂い、髪の毛を太い腕のように変化させると、風牙に襲いかかった。

 傀異の咆哮が、夜に響き渡る――――――。



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