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曇天と憎悪

 分厚い雲がうねりながら流れていく曇天の空を見ていると、どこか遠い世界に来たような気がする。俺は今にも雨が降り出しそうな黒い空を睨みつけた。

 ふと強い風が吹き、広い平屋の縁側で床掃除をしていた俺の顔に、生暖かい雨粒が当たる。


「……何やってんだ俺」


 つい心の声が出てしまう。脱力し、水を含んで少し重くなったモップを壁に立てかける。

 ここは想術師協会そうじゅつしきょうかいの重鎮である浄霊院(じょうれいいん)家の巨大な屋敷だ。俺がここに来てから早くも五日。俺は初日に、敵と勘違いされてかけられた幻術を解除するため、勢いよく刺してしまった自分の右太ももを軽く叩いてみる。術による治療をしてもらったとはいえ、昔から体の頑丈さだけが取り柄だった。大抵の怪我は唾を付けていれば治ったし、生まれてからほとんど病気をしたこともない。

 だからこそ、だ。怪我が良くなってきたからこそ、俺はこの屋敷へ来た目的を果たさなければならない。


 ――――――燃える故郷。助けを呼ぶ声。そして両親の死。

 七年前に起きた大火は、俺のすべてを変えてしまった。

 両親を殺し、故郷に火を放った男の名は、浄霊院紅夜(じょうれいいんこうや)。赤い長髪の和装の男だった。俺はあの男が、両親を刺して殺したところを目撃した。あの男が振り返り様に俺を見た、虚ろで冷たい深紅の瞳が、脳裏に焼き付いて消えない。

 憎い。憎い。憎い。

 俺は死ぬほど努力した。復讐するための力を欲した。全てを捨て、死に物狂いで努力した。だから――――――どれだけ苦しくても我慢できた。


「……ッ」


 俺は高鳴る胸を押さえつけるように縁側に座り込む。

 熱い――――――この滾る憎悪があれば、決して復讐を忘れずに済む。

 どこへ行っても、誰と出会おうとも。


「……クソ」


 俺は胡坐をかいたまま舌打ちをし、肘杖をついて再び外を眺める。

 雑用として働け、というこの屋敷の主の命令に従わざるを得ないとはいえ、行動できないことにイライラする。俺は一刻も早く浄霊院紅夜の痕跡を見つけなければならない。悠長なことなどしていられない。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


 俺は浄霊院紅夜の痕跡を追ってこの屋敷にやってきた。

 七年間、死に物狂いで力を付けた結果、歴代最年少で想術師(そうじゅつし)になることができた。

 想術師というのは、想術(そうじゅつ)という不思議な力を使って、人々を傀異(カイイ)という化け物から守る仕事をする者のことだ。俺の両親も、故郷も、想術師と縁が深かった。俺の家、功刀(くぬぎ)家は古くから想術師の家系だったし、俺が想術師になるのは別に特別なことではなかったが、俺には才能がない。だから幼いころの俺は、想術師になりたいなんて思っていなかった。だが、七年前の事件が俺の心を大きく変えることになる。

 俺が想術師になることを急いだのは、情報を得るためだった。想術師になることで、浄霊院紅夜のより深い情報にアクセスすることができるようになる。俺は想術師免許を取ってから毎日、〈情報統制局〉という想術師協会そうじゅつしきょうかいの情報を取り扱う部局に通い詰めた。

 しかし、得られるものはほとんどなかった。全ての記録がロックされており、俺の権限では閲覧することができない。俺は焦って、責任者に直談判しようとして出禁になってしまった。そんな時、浄霊院紅夜の傀朧(カイロウ)の痕跡を見つける。

 傀朧(カイロウ)というのは、想術や傀異の元となる不思議なエネルギーのことだ。傀朧は人間の想像から生まれる。生きている上で様々なことを無意識に想像して生きている人間の、想像の残りカスみたいなものだ。傀異は傀朧の塊でできているため、想術師は同じ傀朧を用いてしか、傀異と戦えない。

 傀朧には、固有の型のようなものがあり、傀朧を調べれば持ち主を特定できる。

 俺はあの時―――両親が殺された時に出会ったあの男の傀朧を、鮮明に覚えていた。


 俺は〈想術師協会〉の外れにある森の中で、古い木箱と古い写真を見つけた。写真はモノクロで、二人の青年が大きな屋敷の前に立っている写真だった。写真の場所を求めて情報を集めたところ、俺が今いる浄霊院家に行きつくことになる。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


 思い返せば、屋敷に着いてからは嵐のようにことが進んだ。

 囚われていた咲夜(さくや)という少女を助けたり、この屋敷の主、浄霊院厳夜(じょうれいいんげんや)の圧迫面接を受けてピンチになって、つい太ももを刺したり――――――目が覚めたら、手ぬぐいを頭に巻いた年下の少年にツンツンされたりしたっけ。

 とまあ、色々あって何とか屋敷に留まる許可を得られたのはよかったが、正直探索どころではない。命じられる雑用で一日が溶ける。


「あのジジイ……ぜってェ俺を自由にさせない気だろ」

「あら、何か言ったかしら?」

「うわっ!!」


 気づけば背後に小さなオバはん、じゃなかった、家政婦のトシミが腕を組んで立っていた。座っている俺と大差ない身長だったが、このオバはんの放つ圧は異常だ。トシミは不動明王みたいな恐ろしい顔で俺を見つめている。


「いや、ちょっと疲れたから休憩してただけだぜ……」

「あら、床がこれっぽっちも濡れてないのに?」

「それは……あれだ。あれ。窓拭いてた!」

「あら、こんなにも窓に汚れがついているのに?」

「えっと……それは、あれだ。洗剤取ってこようと思って……」


 トシミは頭から角を生やさんばかりの形相で俺を睨むと、腰に差していたハンディモップをナイフのように振るい、俺の首に突き付けた。


「そうね……嘘つきには罰として買い出しに逝ってもらうわ」

「行くの、あの世になってねえか?」

「逝って……もらうわね?」

「わ、悪かったって……ちゃんとやりますから!」


 トシミは買い出しのメモを俺に押し付けると、怪獣のような足取りで去って行った。

 怖すぎる。次にサボっているのが見つかれば殺されるのは間違いないだろう。


「……ったくよぉ。買い出しっつっても、スーパーまで何キロあんだよ……」


 ここは人知れぬ山奥の中の山奥だ。それにこの天気では、買い出しに行くのもままならないだろう。とはいえ、トシミに逆らうわけにはいかない。

 これでは尚更探索の時間が取れない。俺は全てを諦めてため息を吐き、腕を伸ばして背中から寝転がった。


「じー……」

「……じー?」


 その時、誰かの視線、もとい気配を感じ、勢いよく起き上がる。

 この視線、トシミではない。もっと小さくて、ちょっとツンツンした視線。俺はこの気配の主に覚えがあった。振り返ると、ふすまの影から顔をちょこんと出し、俺を見つめる小さな影があった。

 頭に手ぬぐいを巻いて、紺色の甚平を着た少年が、ただでさえ丸い頬をさらに膨らませて俺を睨んでいる。トシミとは違って全く迫力がない。


「何だよお前か。影斗……だっけ?」

「……ほら早く」

「は?」

「掃除サボるな! ちゃんとやれ!」


 ふすまを思いっきり開き、全身を露わにした影斗は、俺に窓と床用の洗剤を二つ手渡す。


「チッ。お前もそれ言うのかよ」

「当たり前だ! お前はただでさえ怪しいのに」

「もうそれ、疑い晴れたんじゃねえの?」

「晴れてない! 掃除しない奴は疑いなんて晴れないぞ!」

「何で掃除が基準なんだよ……」


 呆れる俺をよそに、影斗はぷんすか怒ってモップ掛けを始める。その手際は慣れたもので、思わず見とれてしまうほどだった。

 ていうか、代わりにやってくれるんだな。こいつはいい奴だ。


「……そ、それでさ」

「ん?」

「げ、厳夜様が呼んでたぞ」


 影斗はなぜか顔を赤らめ、ぼそっと呟く。


「先にそれを言えよ」

「言ったら喜ぶだろ!」

「わかってんじゃねえか。そりゃ、サボれるしな」


 俺はぺろっと舌を出して、影斗に背を向ける。


「んじゃ、モップよろしく」

「お、おい。待てー!」


 慌てて追いかけてくる影斗を尻目に、俺は浄霊院厳夜の執務室へ向かった。




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