6
次の瞬間――エリスは、「ひっ、」と悲鳴を呑み込んだ。
ぴしり、と空気の割れるような音がした。
そう思った瞬間、目の前のアシェルの左頬、銀色の鱗が他の部分へ拡がり始めたのだ。
彼の顔半分をびっしりと覆い尽くした鱗は、やがて無数の鋭い突起をつくり、大きな角を形成していく。
エリスの手を掴む人間のものだったはずの手の指も、今や人とはほど遠い獣のようなかぎ爪を有していた。
冷たく鋭利なかぎ爪の先端……それが、エリスのやわらかな膚に、くっ、と棘のように食い込む。
アシェルは、人間とも、服を着たドラゴンとも形容しがたい、奇妙な姿でエリスに覆い被さっていた。
「……君は、よっぽど僕に食べられたいようだね」
薄紫色の瞳が、猛禽類のように、鋭くエリスを見下ろしている。
エリスは、恐ろしかった。
……けれど、その瞳から目が逸らせなかった。
それは、その瞳が、あまりに――
ガァアアああアアアアアアアアああアアアアアアアアアァアッ!!!!!!!!!
じっと瞳に見入っていたエリスに、奇妙な姿のアシェルは苛立ったように咆哮を上げた。
「……っ、………………!」
エリスはその瞬間、遂に目をぎゅっと閉じた。怖い……!
「………………これで、分かったでしょ」
がくがく、と目をつぶったエリスが震えていると、呆れたような、そんな声が聞こえた。
再び目を開ければ、アシェルは元の人間の姿に戻っている。
握った手首を傷一つつけることなく解放した彼は、ベッドに横座りになっていた。
その横顔は、少し悲しげにエリスには見えた。
「……分かったら、早く帰りなよ。ここは君みたいな女の子の来る場所じゃない」
「い、嫌よ!」
「………………は?」
エリスはベッドから起き上がった。
呼吸と、乱れてしまった白いドレスの裾を整えながら、アシェルにまっすぐ向き直る。
「わたし、ドラゴンに……あなたに用があって来たんだもの。ドラゴンが人間で、意思疎通できるなんて、願ってもないことだわ」
「……震えてたくせに?」
「あ、あれは不可抗力よ! あなただって、わざと怖がらせようとしてたじゃない!」
エリスが喚くと、アシェルは面倒くさそうに鼻の上に皺を寄せた。
そういう表情をすると、きれいな顔が台無しである。ドラゴンだから仕方ないのかもしれないが、とても残念だとエリスは思った。
「アシェル。わたし、あなたに頼みがあって来たの。お願い、わたしと一緒に、王都アモルへ――」
「嫌だ」
今度は、アシェルが拒否した。
エリスは目をぱちくりさせたあと……むっ、と唇を尖らせた。
「……ちょっと……まだ全部言ってないわ」
「全部聞こうが聞くまいが、僕は君の頼みは聞かないよ。聞きません」
「そ、そんな…………あなたが力を貸してくれないと、わたし、エルマギアの女王になれないの。そうなったら、大変なことになるかもしれないのよ。みんなを守れなくなるわ……ねえ、お願い!」
「知らないよ。僕には関係ない」
アシェルはそう言って、再度ベッドに横になってしまった。
(こンの……!)
エリスは、彼の態度にかちんときた。
こんなに必死に頼んでるのに、何様なのよ、このドラゴン……!
「さあ、僕はもう寝るから、とっとと君も帰って――」
「……決めたわ」
エリスは膝の上で拳を握り、アシェルの方を向いた。
横になったアシェルが、怪訝そうな顔でエリスを見上げている。
「………………何を?」
「あなたが協力してくれるまで、この城で暮らすってこと」
アシェルが、寝耳に水といった顔になった。
「は、あ………? ……なにそれ、すっごい迷惑なんだけど」
「嫌なら協力することね」
「……君、脅しとか、悪者のすることだよ、それ」
「気にしないわよ。目的のためなら手段は選ばないわ」
「困るんだけどな、ホント。そういうのって、よくないと思う」
「困るなら、とっとと協力することね!」
「協力はしない。ここで暮らしたいなら……勝手にすれば」
そう言って、アシェルはごろんとエリスに背を向けた。
エリスは目元がぴくりとするのを禁じ得なかった。
このくそドラゴン……!
そんな風に内心で王女らしからぬ罵りをしつつ、ベッドから下りてすっくと床に立ち上がる。
「……そういうことで、しばらくここに住ませてもらうことにしたわ」
ただの鎧のように棒立ちになっていたメイルが、はっとしたように再び動き出した。
彼は「お部屋を用意しますね!」と言って、そそくさと部屋から出て行く。
その後を追うようにして、エリスも部屋から出た。
扉を閉める直前、ベッドの方を、きっ、と睨んだ。
横になったアシェルが起きてくる気配はない。
……これは持久戦になりそうだ。
絶対に負けないんだから――エリスは、そう固く心に誓って扉を閉めた。




