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がっしょんがっしょん、と音を立てながら歩くメイルに従い、エリスは古城の中を歩いていた。
メイルの話によると、この古城にはやはり千年の間、人が入っていないらしい。
城の中が整えられているのは、ひとえにこの動く鎧の活躍によるものだった。魔法によって古城は劣化速度が落ちているようだが、それでも蜘蛛の巣は張るし埃も積もる。
それらが残っていないのは、朝から晩まで、メイルが城の中を掃除して回っているからだった。何とも奇特な鎧である。
「ご主人様がいつ目覚めるとも分かりませんでしたので」
「それって、ドラゴンのこと?」
「ええ、そうです。とは言っても、現在のご主人様をドラゴンと言っていいのか……」
言葉を濁したメイルに、エリスは首を傾げた。
ドラゴンを『ご主人様』などと畏まって呼ぶとは、この鎧は本当に変わっている。
(まあ、喋って動く段階で大分変わっているのだけれど……)
そんなことを考えながらついていくと――メイルが、とある扉の前で、ピタッと立ち止まった。
遠慮がちに扉をノックをする。コン、コン。
「ご主人様は寝起きが悪いので、くれぐれも気をつけてくださいね」
そう一言、囁いて……彼は、扉を開けた。
エリスはびくびくしながら、扉の向こうに消えた鎧を見ていた。
……というか、気をつけろと言われたって、ドラゴン相手に何をどう気をつけろというのだろう。
「エリスさん? どうしました? ささ、お早く……」
突っ立っていると、メイルが室内から顔を出した。
エリスは、泥沼にでも足を踏み入れるような顔をして部屋の中に進んだ。
手にはしっかり短剣を握っている。いつでもかかってらっしゃいドラゴン……と強気に思いたかったが、手にしているのは竜殺しの剣には程遠く頼りない短剣で。しかも、こんなドレスで戦えるはずがなかった。裾、やっぱり破いてくればよかったと思う。
そもそも、エリスには戦えるような武力はない。
どうしよう……不安で堪らないのだが……
「……こちらですよ」
メイルがひそひそ声で促す先。
そこには、エリスの使っていたものと引けをとらないくらい豪奢な天蓋付きのベッドがあった。
窓から差し込む暖かな陽の光に、その場所が白く浮き上がっているように見える。
(………………ここに、ドラゴン?)
疑問を抱えたまま奥へと進んだエリスは、ベッドを覗き込んだ。
はっ、と目を見開く。
「ドラ……ゴン…………?」
思わず口にしたのは、違うと思ったからだ。
そこに横たわっていたのは、紛れもなく人間だった。
少なくともエリスの目にはそう見えた。
一人の青年が、眠っている。
まぶたを閉じていても分かるくらい、世にも美しい顔立ちをしていた。
白銀の髪が、降り積もったばかりの白雪のように、きらきらと陽の光で輝いている。
それらがかかる左頬に、エリスは釘付けになった。
光を受け、白蝶貝のように色味を変える銀色の――これは、鱗?
「ん…………」
エリスの声に反応するように、青年は身じろいだ。
うっすらと、まぶたを開ける。
彼の首に下げられた鏡のようなペンダントが動き、光をちかりと反射した。
「……うん、メイル? なんだい、起こしに来るなんて珍しい…………
………………っていうか、何、このにおい……?」
不機嫌そうに低い声を吐き出しながら、青年は目を開け――エリスを、見た。
目を開けた彼は、ぞっとするほど美しかった。
アメジストのような薄紫の瞳が、エリスをまっすぐに射る。
エリスは、彼の挙動を、固唾を呑んで見守ることしか出来なかった。
あまりの美しさに、動けなくなってしまったのだ。
「セ………………………………セイリーン……………………じゃ………………ない」
自分で発した言葉を自分で否定して、青年は眉根を寄せた。
アメジストの瞳が、エリスを見て不機嫌そうに眇められる。
「…………誰だ? セイリーンに、とてもよく似ているけれど」
「わ、わたしはセイリーンの子孫、エリスティーナよ」
「子孫……? ………………メイル、セイリーンには子供がいたのか?」
「ええ。エリスティーナ様は、セイリーン様から数えて二十六代目の、この国の――今はエルマギアというそうですが――その王女様だそうです」
「ふうん……そう」
「そう、って……ちょっと、あなたは誰なのよ。人に名乗らせて自分は名乗らないなんて、失礼じゃない」
「………………僕は、アシェルだよ。これでいい?」
銀髪の青年――アシェルは、素っ気なく答えた。
エリスは、さらに疑問をぶつける。
「この城、無人だったはずよ。あなたはどうしてここにいるの? っていうか、ドラゴンは? この城の主なんでしょう? どこにいるの?」
エリスの質問に、アシェルは煩わしそうにベッドに横たわったまま答えた。
「今は、僕がこの城の主――君が言っているドラゴンって、僕のことだよ」
「…………………………はい?」
エリスは目を見張った。
この青年が、ドラゴン?
…………………………いや、そんな馬鹿な。
「あの、冗談よね、それ……?」
「なに君、喧嘩売ってるの?」
不機嫌そうな表情を更に不機嫌そうに歪めて、アシェルは噛みつくように言った。
エリスは怯みそうになりながら、何とか踏ん張る。
「ち、違うわ。けど、自分がドラゴンだなんて言うから……」
「僕が嘘ついてるって、君は言うわけだ」
「ちが…………きゃっ……!」
手首を掴まれたエリスは、そのまま上下反転する形でベッドへと押し倒された。
手に持っていた短剣がベッドから滑り落ちて、かつん、と床で硬い音を立てる。
「………………っ」
エリスは、息を呑んだ。
薄紫色の目が、やわらかなベッドに沈むエリスを冷たく見下ろしていた。
その向こうで、メイルがおろおろしている。
アシェルの首から下がった鏡のペンダントが、目の前で揺れて、ちかちかした。
「あの、ええと、……」
突然のことに、エリスがどうしたらいいか分からず息を詰めていた時だった。
「僕が嘘つきじゃないって証拠、見せてあげるよ」




