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エルマギアの季節は、夏に向かおうとしていた。
冷たい風は、もう吹いていない。
フェリシーダ城の城下では緑鮮やかな植物が色とりどりの花をつけ、さわやかな風がそれを揺らしている。
そんな城下の街が見えるかの広場で、エリスは心地よい日差しと風を浴びながら、王都を見守る晴れ渡った青空に向かって、王冠を掲げていた。
まとっているのは、光沢のある白銀のドレスだ。その上に、星空のような刺繍が施された漆黒のローブを羽織っている。
それは、魔女の、そして、女王となる者の証だった。
そして首には、アシェルがくれた鏡のペンダントをつけていた。
エリスの背後には、たくさんの人々がいた。
ケヴィンを初めとした近隣諸国の王侯貴族、エリスを見捨てずハーデュスに逆らった元老院の議長たち、それからリラたちフェリシーダ城の者が、エリスがこれからすることを見守るために並んでいる。
そして、彼らの最前列には、王子のように立派な格好をしたアシェルがいた。
そして、その隣には、エリスがまだ見慣れぬ灰色の髪をした青年の姿があった。
アシェルが人間になってから数日後、エリスはメイルに会うため古城へ戻ろうと馬車を出した。
ところがどういうわけか、馬車は古城へたどり着くことが出来なかったのである。
まるで、古城が夢か幻だったかのように……
当然、あの優しい動く鎧には、再会することが叶わなかった。
だから、ひどく落胆して、エリスはフェリシーダ城へと戻ってきたのだ。
しかし、ちょうどその時……この青年がフェリシーダ城へ、鏡のような鎧を着てやって来たのである。
がしゃがしゃがしゃ、と音をさせて。
その鎧を着た青年は、名を『メイル』と名乗った。
そう……あの、動く鎧だったのだ。
魔法の完成により、彼もまた、人間になれたのだという。
それは千年の間、主人に忠実に仕えてきた彼に対する、始まりの魔女からの褒美らしかった。
人間となった彼は、鎧だった時と変わらず、温和で優しい青年だ。
きっとこれからも、エリスやアシェルを支えてくれることだろう。
エリスは、広場から王都を見渡した。
たくさんの人々のまなざしを背に、澄み渡る空気を吸い込み、宣誓する。
「……わたしは、この命があらん限り、この国の人々を幸せにすることを、始まりの魔女より連綿と続く、亡き女王たちに誓おう。
恒久の平和がこの地にあるように、わたしは力を尽くそう………………エル・マギア」
魔法の言葉を、唱える。
そして、自身の手で王冠を頭に載せた。
本当は、お母様の手で被せて欲しかったのだけれど……
――そう思った時だった。
「エリス」
名を呼ぶ声が聞こえて、エリスははっとした。
声は、ペンダントからしていた。
鏡面が、太陽の光にきらめいている。
慌ててのぞき込むと、そこには懐かしい美女が映っていた。
「ミラージャ……! あなたも来てくれたのね……」
古城で出会った友人がやって来てくれたことに、エリスは喜ぶ。
ミラージャは、鏡の中でにやりとした。
「当然じゃない。私が来なくて、一体、誰があなたの頭に王冠を載せるっていうのよ」
「え……?」
「魔法は、まだ終わってないわよ?」
ミラージャが、ぱちんと指を鳴らした瞬間。
鏡の中からあたたかな光が溢れた。
その光が、人の形を取る。
エリスによく似た女性が、ドレスをなびかせて宙から地に降りた。
けれど、それはミラージャではない。
エリスは、目を瞠る。
涙が、頬を伝って落ちた。
「お…………お母、様……?」
「エリス、よく頑張ったわね」
懐かしい声に、エリスは時間が巻き戻ったかのように錯覚する。
いなくなってしまった人。
偉大な女王。
大好きな母イルダ……その姿が、そこに、確かにあった。
「お母様、で、でも、どうして……?」
「あなたのこと、ミラージャとして、ずっと見守っていたのよ。始まりの魔女様が残した魔力が、さまよっていた私の魂をここにとどめてくださったの……でも、それも今日この時まで」
「そんな………………逝ってしまうの……?」
エリスは、幼子のように唇を噛んで顔を歪めた。
話したいこと、教えて欲しいことが山ほどある。
これから一緒に過ごしたい時間が、まだ、この先にもあるのだ。
なのに、別れなければならないなんて。
また、こうして会えたのに――
涙を堪えるエリスの髪を撫で、イルダは困ったように微笑んだ。
「……エリス、人は、死にはあらがえないわ。とどまれたことが奇跡なのだから。
さあ、その冠を渡してちょうだい……女王として、最後の仕事をしなくてはね」
エリスは、王冠をそっとイルダに手渡した。
イルダが、再び王冠を宙に掲げる。
「前女王イルディーダは、ここにエリスティーナの即位を認める。
新たなる女王よ……汝に、恒久の幸運があらんことを」
まるで魔法をかけるように、イルダはエリスの頭に王冠を載せた。
そうしてから、エリスの背後に目をやって、言う。
「アシェル、娘を頼んだわよ。しっかりと守ってあげてちょうだいね。なんたってその子は、セイリーン様の生まれ変わりなんだから」
イルダの言葉に、驚いたのはアシェルだけではなかった。
当のエリスも、目を丸くする。




