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明朝、エリスはフェリシーダ城から馬車に乗せられ、ドルミーレの森へと送られた。
まるで婚礼衣装だわ……と、身につけた真っ白なドレスを見て、エリスは皮肉った。
ハーデュスは、自分をドラゴンに嫁がせる気なのだろうか。まるで振られたことへの当てつけのようだ……
……いや、当てつけそのものなのだろう。
きっと、ドラゴンに食べられやすいように、こんな格好をさせたに違いないとエリスは思った。あとで、動きやすいように裾をビリビリに破ってやろうかと思う。
エリスが向かう、ドルミーレの森。
そこは千年前、たくさんの人々が暮らす都だったという。
エルマギアがまだその名で呼ばれていなかった頃、この場所を守っていた魔女がいた。
それがエリスのご先祖様、”始まりの魔女”である。
始まりの魔女は、千年前の戦の後、攻め入ってきたイストリアの王子に求婚され、現王都アモルにあるフェリシーダ城に女王として迎えられた。
その際、魔女は使役していたドラゴンをこの森の中の古城に封印したという。
その時から、この場所は、眠りの魔法がかかった深い森になったと言われている。
森の中は草木が鬱蒼と茂っていたが、ドラゴンが封印されている古城までの道だけが、不思議なことに誰かが手入れしているように整然としていた。
恐らくこの道は、千年前の都に整備されていた太い街道だった部分なのだろう。
そのため、エリスの願いとは裏腹に、馬車はすんなりと古城へたどり着いてしまった。
……一日も、かからなかった。
「どういうことなのよ…………早すぎじゃないの…………」
古城にかかった橋の手前でエリスが嘆息して古城を見上げていると、従者たちが悲愴な声をあげた。「なんでこんなに早く着いちゃうんだよ、バカ!」と馬を叱りながら涙を浮かべてくれている者もいる。馬は悪くないわ、とエリスは彼をなだめた。
従者の一人が、がつっと、悔しそうに馬車の扉を殴りつける。
「くそっ。何で姫様がこんな目にあわなきゃいけないんだ!」
「本当だよ、いつもみんなのことを思っていてくださる姫様が、こんな……」
「出来るなら、俺が代わって差し上げたいです……!」
エリスは、彼らの言葉に胸がいっぱいになった。
従者たちとは、ここでお別れである。ドラゴンの背に乗って帰還するようにと、元老院から言われているのだ。
「……みんな、送ってくれてありがとう。じゃあ、頑張ってくるわね」
エリスは、城へと続く橋を一人で渡る。
一歩一歩進むたびに挫けそうになる心を必死に叱咤する。
そうして、エリスは何とか古城の門へとたどり着いた。
代々、王家に伝わる鍵で門を開け、城の入り口まで進む。
古城は、歴史を感じさせる姿で、ひっそりとそこに佇んでいた。
だが、白い石の壁に青い屋根の尖塔など、千年の月日が経った今でもその美しさが朽ち果てることはなかったらしい。森の中で、ここだけが別の世界のようだ。
そして、この小さな城の中に、ドラゴンがいるという噂だった。
大きな扉を押し開け、エリスは恐る恐る中へと入る。
「……あら?」
中の様子に、エリスは不思議に思った。
古城には千年の間、人が入ったことはないはずだった。それは門の鍵がかかったままだったことからも明らかで。厳重に管理されていたこの鍵も、使われたことがないという記録だった。
だというのに、古城の中は、誰かが手入れしていたように整然としていた。
蜘蛛の巣も張っていなければ埃も落ちていないし、フェリシーダ城にある古い塔の中のような、かび臭いにおいもしない。
「これも、魔女の魔法のせいなのかしら……」
「そうですよ」
背後で扉の閉まる音。
それと共に声がして、エリスは慌てて振り向いた。
見れば、扉の前には古の騎士が纏っていたであろう古い全身鎧があった。表面が鏡のようにエリスを映す。
今まで、なかったはずなのに……?
エリスが疑問に思った時だった。
鎧が、被っていた帽子でもとるように兜をすぽっと外した。
首がない……だけじゃなかった。
一礼した鎧の中身が見えたが、中には何もない。誰も入っていない。カラだ。
「ようこそお越しくださいました。わたくし鎧のメイルと申します。以後お見知りおきを――」
「きゃああああああああああああああああああああああああああ!!!!????」
エリスは叫んだ。
誰も入っていない鎧が、独りでに喋っている!?
鎧は悲鳴に驚いて、兜を元の位置に戻す。
「落ち着いてください、大丈夫です、怖くないですって! ほら、剣、剣も置いてきましたし! 危ないものなど持っておりませんゆえ! ね?」
がっしょんと音をさせてメイルと名乗った鎧が前進する。
怖くないわけがなかった。エリスは護身用にと懐に忍ばせておいた短剣を引き抜き、メイルに突きつける。
「ああああなた、それ以上近づいたら溶鉱炉にたたき込むわよ!?」
「ぇえっ!? それはご勘弁です……ね、これ以上近づきませんから、落ち着いてください」
万歳をしたまま、メイルが足を止める。
エリスはばっくばっく鳴っている自分の心臓を落ち着けるように深呼吸した。
「……だ、だだ、大丈夫よ、落ち着いた、落ち着きましたから」
「本当ですか……?」
「え、ええ、本当に…………そ、それで、あなたは何なの?」
「ご覧の通り、鎧です。ただ、魔女セイリーン様がこの城にかけた魔法によって、どういうわけかわたくしという人格が生まれてしまった鎧なのですが」
まるで他人事のような説明だった。
だが、悪い鎧ではなさそうだ。
エリスは、メイルに向けた短剣を下ろした。
「……わたしは、そのセイリーンの末裔よ。セイリーンから数えて二十六代目。名前は、エリスティーナ・セミリヤ・エル・マギア」
「ほお、あなた様がエリスティーナ様でしたか」
「あなた、わたしを知っているの?」
「はい。あなた様がこの城へといらっしゃることは、決まっていたようなものですから」
「どういう意味……?」
「説明するとなると難しいのですが……。いやあ、それにしてもセイリーン様とよく似ていらっしゃいます」
話を逸らしたメイルに、どれほど魔女と似ているものかとエリスは鼻を鳴らした。
黒髪に青い瞳は、代々魔女の血筋の者ならば持っていたものだ。
イルダも、エリスと同じ髪と瞳の色をしていたし、エリスは母の若い頃にそっくりだとよく言われていた。セイリーンの肖像画は残っていないので知るよしもないが、彼女も同じような姿だったのだろうか。
「メイル、会ったばかりで申し訳ないのだけれど、この城でドラゴンが目覚めたと聞いてわたしはやって来たの。本当かしら?」
「ええ、本当です。あなたが来ることが決まっていたからこそ、目覚めたと言っても過言ではないのですが……」
意味深な台詞をメイルは放った。
エリスが眉根を寄せていると、表情の見えない鎧は、しかし楽しそうな声音で城の奥手へと手を差し向けた。
「ドラゴンに会いたいのでしょう? ご案内しますよ」




