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戴冠の広場――歴代のエルマギア女王たちが、代々、その王位を継いでいった場所だ。
王女エリスティーナの母イルディーダも、その母もそのまた母も……みな、この地で女王になった。
ここは、そんな歴史と由緒がある場所である。
高台の上にあるこの場所からは、エルマギアの王都アモルの全景が見渡せた。
現在、無数の兵士によって厳重に入り口を閉ざしたその場所には、既に数名の議員たちが正装して参列していた。
間もなく、日は空の頂に昇るのだろう。
だが、地上の者がそれを目で確認することはできなかった。
空が、鈍色の厚い雲に覆われていたからだ。
陽の光が届かないその広場へ……大臣ハーデュスは、足を踏み入れた。
彼の手の中には、この国を治める者が戴く黄金の王冠があった。
金の刺繍の入った黒い豪奢なローブをまとった彼は、今、この国の王になるべく、一歩一歩、石畳を強く踏みしめるように前進する。
ハーデュスは、広場の中央を厳かに目指しながら、その冷静な表情の下で、内心、歓喜に打ち震えていた。
(――ああ、やっとだ……この時を、どれほど待ち望んだか!)
前女王イルダが在位していた時から、今日という日を夢見てきた。
それが、ようやく現実になった。
イルダを毒殺するには多少の時間と労力がかかったが、それでも王冠は十分すぎる報酬だ。
得られる地位は、罪悪感などよりよほど重い。
唯一の正当な王位継承者である王女も帰ってこない。
ならば、ドラゴンに食われたか、森でのたれ死んでいるはずだった。
邪魔者は消えた……全て、計画通りだ。
イルダは――エリスもだ――自分の進言に耳を傾けようとはしなかった。
エルマギアは、小さな国だ。
他の国から生まれたように、いつか他の国に飲み込まれてしまうだろう。
その危機感が、彼女たちには伝わらなかった。
彼女たちは、エルマギアが常に平和であり続けると信じていた。
愚かだとハーデュスは思う。恒久に在り続けるものなど、ない。
ならば、自分が彼女たちにとって代わり、国を導くしかないではないか。
国が、在り続けるために。
手の内の王冠を見る。
こんなもの、形式上のものでしかないのは分かっている。
だが、その形式的なことが必要だった。
議員に見守られながら、この場で王冠を戴く……それでこそ、真にこの国を我が手にすることができるのだ。
ハーデュスは、空を見上げた。相変わらず太陽は見えない。
「くくっ…………」
思わず、笑ってしまう。
……なんと自分に相応しい日なのだろうか。
太陽など見えずともよい。光に背いてでも、この道を行くと決めたのだから。
そう思った時、視界に白いものが映った。
はらはら、と落ちてくる。
「大臣、雪が……こんな時期に。やはり、魔女たちが怒っているのでは……」
付き従っていた議員の一人が、不安げな声を上げた。
ハーデュスは、王冠に落ちようとした雪を手のひらで捕まえ、握り潰して低い声で言う。
「……狼狽えるな。吉兆だろう」
魔女など、既にこの地には存在しない。
死んでいった者たちなど、恐れるに足りぬ。
目の前にあるものが、全てだ。ここで……引き返すわけにはいかない。
天候が荒れる前に片付けなくては――そう考えて、ハーデュスは事を急いだ。
本来ならば、近隣諸国の王族や国民を招いて盛大に行う戴冠式。
だが、王女の死の発表から三日という異例の早さで行うことになったため、王侯貴族は招くことは出来なかった。
今ハーデュスの行いを見ているのは、彼が統率する百余りの兵士と、数名の元老院議員だけ。
とても閑散とした、寂しい儀式だった。
だが、ハーデュスはこれで構わないと思っていた。
祝いの言葉も華やかな式典も、自分には必要ない。いらない。
自分が王になる。
ただ、その事実さえあればいい。
広場の中央へ、ハーデュスが立つ。
そして、王冠を両手で宙に掲げた。
「私はこれより、エルマギア王国の王となる。私は王国の独自性と国土、そして国民を守り、恒久の平和に導くことを、我が胸と古より続く魔女の祈りに誓う――」
宣誓の言葉を述べ終え、ハーデュスは自身の頭に王冠を戴こうとした――
その時だった。
広場の者たちが、突如ざわめきだした。
議員も兵士も、みな空の一点を見上げている。
誰かが叫んだ。「ドラゴンだ!」
「ドラゴン、だと……?」
王冠を下ろし、ハーデュスは空を仰いだ。
鳥など比較にもならぬほど巨大な何か――それが、舞い落ちる白い雪に混じって、広場に迫ってくる。
それは、ハーデュスがこれまでに見たこともない何かだった。
圧倒的な存在感を表すそれは、広場の上へとやって来た。
激しい風を伴って、舞い降りる。
「っ…………!?」
やって来たものを見て、ハーデュスは息を呑んだ。
それは、銀色に輝く伝説のドラゴンと、既にハーデュスが亡き者と思っていたエルマギア王国の王女、正当なる王位継承者である、エリスティーナ姫だった。




