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「……僕が千年の間、この城で眠りについていた理由をずっと考えていた。分かったんだ。きっと、君を助けるためだったんだと思う。僕は、君のために目覚めたんだ。君を女王にするために、僕は今ここにいるんだよ」
違うわ、とエリスは思った。
そんなはずない。わたしの都合のためだけに、あなたはここにいるんじゃない――
……けれど、言葉に出来なかった。
アシェルの優しい微笑みを見ていたら、胸が潰れたように何も言えなくなってしまった。
「戴冠式だっけ。三日後、だったよね」
アシェルはケヴィンに訊ねた。
真剣な顔で見つめていたケヴィンが、頷く。
「ああ。そうだ」
「その式典の最中に、死んだと思われてる王女が伝説のドラゴンを従えて現れたら、みんなびっくりするんじゃないかなーって思うんだけど、どうかな」
「……悪くないと私は思うぞ。だが、エリス……君は、それでいいのか」
ケヴィンの問いに、エリスは硬直した。
心臓を、氷の杭で打ち付けられたようだった。
アシェルがドラゴンになる。
人間として生きる未来を諦めて、エリスが女王になる未来を、彼は選ぼうとしてくれている。
……なら、わたしは?
彼と共に生きる未来。
女王になって、国を、民を守っていく未来。
どちらを選ぶのか。選ばなければならないのか。
わたしは――
「……アシェル、お願い。ドラゴンに、なって」
それが、エリスの選択だった。
震える声で、真っ直ぐ彼の目を見て、そう言うのがやっとだった。
「うん」
アシェルが、頷く。
穏やかな微笑みを浮かべていた。
きゅ、とエリスの手を握る彼の手に、力が入る。
「三日後の正午、僕はドラゴンになって、エリスを連れてフェリシーダ城の広場に行く。エリスを、女王にする。約束するよ」
アシェルがケヴィンに言った。
二人の男が見つめ合う。その間には、無言の同意。
「……そうか。それでは私は、全力でそなたたちを援護しよう。先にアモルへ行っている」
「うん、頼むよ。それと、エリスと楽しく過ごしたいんだ……最後の日まで。いいかな」
最後の問いは、エリスに向けてのものだった。
手を握られたまま、エリスは俯いた。
最後の日、その言葉に泣きそうだったのだ。胸が苦しくて、鼻の奥がつんとして、目の奥が熱かった。
アシェルの目を見ていられなかった。泣いてしまう。
自分で選んだことなのに、なんて勝手……
エリスの無言を、アシェルは肯定ととったらしい。
「ありがとう、エリス」
そう言って、アシェルは笑った。
「……私は準備ができ次第、この城を出る。何かそれまでにできることがあれば、言ってくれ」
言い置いたケヴィンは、「馬の様子を見てくる」と騎士と共に城の外へと出て行った。
静かになった城内に、エリスとアシェルは無言のまま。
メイルが悲しげに自分の方を向いているのに気づき、アシェルは明るく声をかけた。
「メイル。今晩からはとびきり贅沢で美味い料理を食べさせてくれるかい。フォークとナイフを使うのも、最後になるからさ」
「ご主人様……は、はい! 不祥メイル、誠心誠意、心を込めてお作りいたします! では、さっそく準備に参りますね……うう……」
涙声の鎧は、そのまま調理場の方に駆けていく。
あとには、エリスとアシェルだけになった。
俯いたままのエリスの肩に、そっとアシェルの手が触れる。
エリスがびくりとした瞬間、アシェルがエリスを抱き寄せた。
壊れものを扱うかのように、そっと、優しく……
エリスの目から、涙がひとしずくこぼれて、アシェルのシャツに染みを作った。
「エリス。また君に添い寝をしてもらいたいんだけど。いいよね?」
「……だめなんて、言えないわ……」
「よかった」
エリスのにおいを確かめるように、アシェルがエリスの首筋に顔を埋める。
エリスは、彼の身体を抱きしめ返した。
彼が消えてしまわないように。
彼という存在をかき寄せるように。
「ケヴィン様、お願いがあります。これを、届けていただけませんか」
その日の昼過ぎ、ケヴィンが出立のため城を出ようとした時だった。
一人見送りに来たエリスは、彼にそっと一通の手紙を差し出した。
ケヴィンが受け取り、しげしげと眺める。
「……これは?」
「元老院の議長へ宛てた手紙です。元老院の議員のうち、議長を始めとした数名は、信頼できる人たちですので」
「力を借りようと言うのだな?」
こくり、とエリスは強く頷いた。
「……わたし、まだ、女王とは言えない未熟者です。こういう時、どうしたらいいかなんて、全然分からない。けれど、ハーデュスがそのつもりなら……わたしも戦わなきゃって」
手紙には、エリスの想いがしたためてあった。
自分がまだ生きていること、ハーデュスと戦うつもりでいること、議員たちの力を借りたいという切なる願い――それを、城の中で見つけた古びた羊皮紙に、必死に書きつづった。
「印璽もなくて、わたしからのものだって、信じてもらえるかは分かりませんが……」
エリスは、唇を噛んだ。
自分が今できることは、これくらいしかない。
悔しいし、情けない。けれど、これしか……
「いい顔つきだ」
ふいにケヴィンが口角を上げた。
エリスは「え?」と首を傾げる。
「決意に満ちた顔つきだ。そなたは今、戦う者――大切なものを守ろうとする者の表情をしている。そういう者に、天は味方するのだ。
これは必ず渡そう。必ずやそなたの想い、届けようぞ」
ケヴィンは手紙を甲冑の間から懐にしまい、「では三日後、また」と言い残して、颯爽と城を出て行った。




