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「………………聞いてはいけない話題だったかな」
アシェルが消えた部屋の扉を見つめて、ケヴィンが言った。
「いえ……」
「ふうむ」
考えるように顎を撫でるケヴィン。
ややすると、彼はエリスを見て、不満そうに唇を尖らせた。
「それにしてもそなた、あのドラゴンのことを随分と好いているのだな」
「ぅえっ!?」
わざとらしく明後日の方を向きながら言うケヴィンに、エリスは激しく狼狽する。
「……そ、そんな、ことは」
「隠さずともよい。私にだってそれくらい分かる。好きなのだろう?」
エリスは俯いた。
……この人は、人の心が分かる人。
言動はおバカだけれど、中身は決して愚かではない。
「それは、愛なのかな?」
ケヴィンが真っ直ぐ向き直って尋ねてきた。
穏やかな緑の瞳が、エリスを見つめている。
エリスは首を横に振った。
……分からなかった。
この感情が何ものなのか、まだ判断ができずにいる。
「好き……なんだと思いますけど………………愛かどうかは………………」
「ふむ。私をフったエリスがドラゴンを慕うか……解せぬものよ」
アシェルが退けたスツールにどっかと腰を下ろして、ケヴィンがつまらなそうに言った。
エリスは慌てて否定する。
「そ、それは、わたしたちが、それぞれの国の王位継承者だからだと申したではありませんか」
実のところ一年前、エリスはこの王子から求婚された。
ケヴィンはイストリアの王に、エリスはエルマギアの女王になる。
二人が婚姻関係になれば、国同士の結びつきは強くなる。
だが、同時に問題もあった。
エルマギアは、歴史上イストリアの属国という扱いが長かったため、国家の格としてはどうしても低く見られがちだ。
そのため、もし二人が結婚すれば、エルマギアはイストリアに吸収されるということが考えられた。
エルマギアは千年前にイストリアによって支配された国だ。国民感情を考えれば、あまりよい縁組みではない。
それだけではない。
もし、エリスがエルマギアを不在にするならば、大臣であるハーデュスが国政で幅を利かせるだろうことが大いに懸念された。
それが、エリスの一番避けたいことだった。
ハーデュスは好戦的で、母イルダに何度も領地拡大のための戦を打診していたのだ。
彼には、政治を任せたくない。
……しかし残念なことに、いま現在、それと変わらない状況になっていた。
「だがエリス。私たちの結婚は、絶対に無理というわけではないのも、分かっているだろう? いつも言っていることだが、エリス、私はそなたを好いている」
どきり、と胸が鳴った。
ケヴィンはこういうことも、人を真っ直ぐ見据えて言ってくる。
エリスは困り果てた。
彼は、いつだって本気なのだ。冗談は、一つもない。
「……まあ、私がプロポーズした時は、まだ押せばなびいてくれると思っていたのだが、今はそういうわけにもいかないようだな。悔しいが」
「そ、そんなんじゃありません! アシェルは、ただの……」
「ただの、なんだい?」
エリスは、かあっ、と顔を赤らめた。
ただの、何なのだろう……自分でそこまで口にしておきながら、自分でも、よく分からない。
彼と、自分の関係を表す、適切な言葉……それが、思い浮かばなかった。
「……言っておくがエリス、私はまだそなたが好きだ。いつだって求婚継続中なのだからな?」
エリスは、ケヴィンの微笑みに胸が痛くなった。
この人の想いに応えられないことが、つらかった。
それは、自分が女王になるからだとか、国がどうのといったことではない。
単純に、心の問題だった。
ケヴィンのことは嫌いではない。人として尊敬もしている。
けれど、彼に対する想いは、恋と呼べるようなものではなかった。
恋なんてもの、王女の自分には関係のないものだと思う。
国のために相応しい人と結婚する、それが当然なのだと。それ以外の選択肢などないのだと。そう思っている。
だから、愛などというもの、これっぽっちも知らずに死んでいくのかもしれない。
けれど、エリスはまだ一人の少女として、それを諦められなかった。
もしかしたら、に後ろ髪を引かれていた。
「ケヴィン様、ごめんなさい。わたし……」
「謝らないでくれるか、まだ諦めていないと言っただろう。いつ好きになってくれてもいいのだから。
それより……あのドラゴンも、相当そなたのことが好きと見える」
「え」
「あやつ、そなたが倒れた後、血相を変えて騒いでな。私がただの風邪だろうと言ってやると、安心したのか泣きそうになっていた。だが、そうなると、そなたと共にフェリシーダへ登城しない理由がますます分からんな」
「……ケヴィン様、実は――」
エリスは、ケヴィンに、アシェルの身体のことを話した。
アシェルは人間になろうとしている。だが、一度完全なドラゴンの姿になってしまうと、彼はもう二度と人間にはなれないということを。
ケヴィンが、深刻な顔で頷いた。
「……それは確かに、うん、とは言えないかもしれないな」
「わたしも、アシェルが人に戻れなくなるなんて嫌で……自分の都合で、彼の未来を決めてしまうのも、嫌なんです」
「しかし、そなたは、そうせねば女王になれぬのであろう?」
「それは……」
「国を背負って立つもの、生ぬるいことばかりは言っていられない。当然そなたも承知しているだろうが」
ケヴィンの言葉が、胸に刺さる。
……分かっている。時にはつらい選択だってしなければならない。
けれど、何かが違う気がした。その選択を選ぶべきではないと、心のどこかが訴えている。
他にいい方法はないだろうか。
それを探してしまう自分は、甘いのだろうか。
「……顔色が悪くなってきたようだ、少し休んだ方がいい」
ケヴィンが、気遣うように言ってくれた。
「はい。そうします……」
「私は少しこの城の中を散策してこよう。ここは、不思議な場所だ。なんだか懐かしく感じる」
言って、ケヴィンは部屋から出ていった。
エリスは、ベッドに横になる。
重いまぶたを閉じた。
肩にのしかかるものが重すぎて、泥沼の中で身動きが取れないような気分だった。
女王の座と、アシェルと共に生きる未来。
……どちらを選んだらいいのか、分からない。
(他の方法は、本当にないの?)
考えた……だが、エリスには、それを見つけることができなかった。




