27
ひやりとした冷たいものに、エリスはうっすらと目を開けた。
身体は柔らかいものの上にあった。
毛布に包まれている――どうやらベッドの上にいるようだった。
「……エリス、気がついた?」
ベッドサイドにいたアシェルが、心配そうな顔で覗き込んできた。
人の姿をしていた。
どこにも怪我をしていないようだ。ほっとして、エリスは訊ねる。
「アシェル……ここは……」
「君の部屋。運んだんだ。ああ、まだ動いちゃだめだよ、熱があるみたいだから」
額でひやりとしたのは、濡れた布だった。
アシェルがその位置を直してくれる。
「アシェル、ケヴィン様は」
「ああ、あのバカ王子なら――」
「エリスの具合はいかようだ、ドラゴン!」
ばたーん、と扉が豪快に開けられた。
ケヴィンが部屋へと入ってきた。メイルが、おろおろとその後に続く。
「……静かにしなよ。エリスの具合が悪くなったらどうするんだ」
アシェルが眉間の縦皺を濃くして、来訪者を噛みつくように睨んだ。
「う。それもそうだな、すまない。おお、エリス、目覚めたようだな。よかった」
「ええ……そ、それはそうとケヴィン様……それは……?」
ケヴィンの手にぶら下げられたものを見て、エリスは顔を青ざめさせた。
アシェルも、頬を引きつらせている。
「これか! これは、蛇だ!」
右手で、エリスの腕ほどもあろう太さの蛇の首を器用に絞め上げながら、ケヴィンが自信たっぷりに見せつけてくる。
蛇がうねうねと抵抗していた。生きている。
「それは分かっています。そうじゃなく、なんでそんなものを……」
「そなた、ここに来てから肉を食べていなかったそうではないか。体調を崩したのは栄養の乱れと思ってな、こうして獲ってきたのだ!」
どーん、と蛇を掲げ、高らかに報告するイストリア王子。
エリスは頬をひくりとさせた。
……それを、食べろと?
「ちょっとバカ王子、エリスにそんなもの食べさせるつもり? ドラゴンの僕だって、そんな選択しないっていうのに……」
「何を言うか。蛇の肉はとても美味だぞ。栄養も豊富で、摂取すれば病も吹き飛ぶ。何より私の大好物だ!」
「あんたの好物とか、どうでもいいよ……とりあえず、そんなものこの部屋に持ち込むな。エリスだって嫌だろ?」
エリスは、こくこくと頷く。
ドラゴンであるアシェルの方が、どうやらまともな感覚の持ち主であるらしい。
「むう。仕方がない……鎧くん、これの調理、任せたぞ」
「へええっ!?」
唐突に蛇を渡されたメイルが、蛇と格闘し始めた。
さすがに金属の鎧。蛇の牙も毒も、彼には効かない。
彼はそのまま「し、失礼しますー!」と蛇を部屋から引きずり出していった。
……本当に調理する気だろうか。
エリスがそんな気持ちで唖然としてメイルの消えた出口を見つめていると、ケヴィンがアシェルの隣に並んだ。
アシェルを、ちら、と見て、エリスに向き直る。
「……彼とは一時停戦している。エリス、そなたから話が聞きたいのだが……まだ身体は優れないようだな」
「大丈夫です。お話します」
起き上がろうとすると、ケヴィンが「横になったままでいい」と言ってくれた。
だが、エリスは起き上がった。話をする。
母である女王イルダの崩御。
それによって即位するかと思われた自分に、大臣ハーデュスから課せられた王女としての役目。
ドラゴンを従えてフェリシーダ城に帰らねば、女王にはなれないこと。
アシェルはドラゴンだが、自分を捕らえているわけではないこと。
「……そうか。概ねはリラ嬢から聞いていたが……ハーデュス大臣は、君を貶めようとしているのだろうか」
「ケヴィン様も、そう思いますか」
「リラ嬢が、君がいなくなってからにわかにフェリシーダの城内が騒がしくなったと言っていたのでな……それに」
「何です?」
「ハーデュス大臣が言っていたのだよ。『そのうちまたイストリアにもお邪魔します』と。何のことを言っているのか分からなかったが、引っかかったのだ。彼が我が国を訪問することなど、久しくなかったのでな」
ケヴィンが、思案するように顎を撫でた。
エリスも、ハーデュスの放った言葉の意味を考える。
……一体、何を意味しているのだろう。
「一応、リラ嬢の力を借りて、私付きの騎士二人をフェリシーダに残してきた。何かあったら、早馬でここまで情報を持ってくるだろう」
「寛大なご配慮、感謝いたします……ところで、ケヴィン様はこちらに、お一人で?」
「当然だッ! 勇者は一人で姫を救い出すものだと、相場が決まっている!」
エリスは額を押さえた。めまいがした。
……この人は、いつもこうだ。
ケヴィンとは、隣国の跡継ぎ同士ということもあり、エリスは接する機会も多かった。
初めて会ったのはエリスが十歳の時で、以後、年に数回、顔を合わせてきた。
それから七年……幼い頃に抱いた印象は、彼が国政に携わるようになった今もまるで変わらない。
ケヴィンは相変わらず、永遠の少年のような人だった。
「友好国の正統な次期女王が困っているのだ、イストリアも可能な限り力を貸そう。だが、」
ケヴィンはアシェルをじろりと見た。
アシェルが片眉を上げる。
「……何さ?」
「そもそも、ドラゴンが実際にいて、しかも話が通じるこの状況だ。エリス、君が彼を連れて行って、みんなの前で彼がドラゴンだと証明すれば、全て丸く収まるのでは? 先ほどの様子だと、彼はドラゴンの姿になれるのだろう?」
「それは……」
エリスは言葉を詰まらせた。
アシェルも視線をそらす。
二人の様子に、ケヴィンが不思議そうな顔をしている。
「うん? どうしたのだ?」
「いえ……あの……」
「……僕、メイルの様子を見てくる」
アシェルがスツールを立つ。
そして、そのまま部屋を出て行ってしまった。




