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ざわざわと騒がしくなるフェリシーダ城の回廊を、リラは息を切らせて走っていた。
隣国イストリアの第一王子ケヴィン・フォルト・イストリア。
彼が、イルダの弔問に訪れたというのだ。
隣国イストリアは、その広大な国土のため、他国と接地している部分が多い。
ここ半年前にも、西の小国との小競り合いが勃発した。
それを調停すべく遠征していたために、ケヴィン王子は先日行われたイルダの国葬に参列することができなかったのである。
リラが今、懸命に走っているのは、他でもない彼に会うためだった。
ケヴィンは、勇敢な戦士として名高い王子だ。
イストリアが抱く白鷹騎士団をまとめ上げ、国の各地で起きる戦をその類稀なる手腕で治めて回っている。
エリスより僅かに年上なばかりだが、その剣の腕も相当なものだというのは、国をまたいで有名な話だ。
その勇壮な姿から、古にドラゴンを倒し魔女を妃にした、無敵と謳われるかのエルマギア初代の王ロクシアスになぞらえられ“龍殺し”と呼ばれることもあった。
「ケヴィン殿下なら、きっと姫様を古城から連れ戻してくださるわ……!」
階段を滑り落ちるように駆け下り、目指したのは城内にある礼拝堂だった。
先日まで安置されていたイルダの遺体は、既にここにはない。
だが、かの王子が祈りを捧げるためにそこを訪れているとの情報を、リラは召使い仲間たちから得ていた。走る。
礼拝堂への扉が見えてきた。
立ち止まった瞬間、扉が開く。
中から二人の騎士を従えた、金髪の精悍な青年が現れた。
王子だ。
ハーデュスと元老院の面々に見送られて、城の出口へ向かおうとしている。
「ケヴィン殿下っ!!」
リラは必死の思いで王子の前に飛び出した。
ハーデュスがそれに気づき、眉根を寄せた。
「姫様付きのメイドではないか。殿下の御前に無礼であるぞ、下がれ――」
「いや、いい」
ハーデュスを手で制したのは、他でもないケヴィン王子だった。
ハーデュスが険しい顔をする。
「殿下……しかし、卑しい身分の者がイストリアの次期国王と口を利くなど……」
「卑しくなどないよ。彼女は私の友人だ……そうだね、リラ?」
名前を覚えていてくれた、とリラは感激した。以前、主のお供をして、彼に会ったことがあったのだ。
翡翠の目を細めて微笑む王子に、慌てて頭を下げる。
「ご無礼をお許しください!」
「気にすることはない。それよりどうしたんだい? エリスも不在のようだが」
「……そのことで、殿下にお話が」
リラは唇を引き結ぶ。
ハーデュスの視線が刺すように痛かった。怖い。腕が震える。
「……そうか。では、ここからはリラ嬢に見送ってもらうことにしよう」
「殿下、それは――」
「なんだい大臣。問題でも?」
「…………………………いえ」
ケヴィンの笑顔に、ハーデュスが押し黙る。
「……それでは、失礼いたします」
その場で立ち止まり、ハーデュスと議員たちは一礼した。
見送られ歩き出したケヴィンに、リラは半歩後ろをついていく。
「大丈夫かい?」
「え……? あ、あの……」
「震えていたようだが」
ハーデュスの姿が見えなくなると、二人の騎士の背後でケヴィンがリラの隣に並び、そっと訊ねた。
リラは、縋る思いで王子を見上げた。
「あの、あたしは大丈夫です。大丈夫じゃないのは、姫様で……」
「姫……エリスのことかい?」
「っ、ああ、ケヴィン殿下……どうか、どうか姫様を…………エリスティーナ殿下をお救いください!!」
リラの様子に、ケヴィンが顔色を変えた。
「エリスを救う? ……詳しく聞かせてもらえるかな、リラ」
「はい。実は……」
リラは懸命に説明した。
主であるエリスが、眠りの森と言われるドルミーレの森の古城へとドラゴンを従えに行ってから戻ってこないこと。
リラが頼んだところで、兵士たちはドラゴンを恐れて救助にも行ってくれないこと。
その話に、ケヴィンは黙って耳を傾けていた。
「姫様、ドラゴンに食べられちゃうかもしれません……眠れる森の古城へ行ってから、もう二週間も経つんです。もしかしたら、もう――」
最後は涙声になって、リラは言葉を終えた。
ちょうど、フェリシーダ城の出口だった。
リラは涙で視界が曇り、その場に立ち止まってしまった。
姫様、お願い無事でいて、と思わず口にする。
「リラ。君は、エリスのことを大切に思っているのだね」
「も、もちろんです……っ! 姫様は、あたしたちの宝物ですから!」
リラは、エリスとのこれまでを思い返した。
エリスは、とても優しい人だ。
臣下を、民を見下さず、同じ目線で物事を見てくれる。
そして、何より国民の幸せを第一に考えてくれる人だ。
一度、飢饉が国を襲った時のことだ。
城下を訪れていたエリスが自分の食べ物を減らし、代わりに民に食べさせるように言ったことがある。
「わたしは我慢できるから、みんなにあげて」と。彼女がまだ六歳の時だ。
同い年のリラは、彼女のことをすごいと思った。
だから彼女に仕えたくて、王女付きのメイドに志願したのだ。
「あたし、姫様のこと、大好きなんです……」
……思い出して、彼女の窮地に何もできなかったことに悔しさが込み上げてくる。
エリスのような人が女王にならずして、一体誰がなれるだろう、いや、そんな人他にいないとリラは思う。
なのに、その彼女が、ドラゴンに食べられてしまうなんて……
……いや、彼女はまだ生きているに違いない……
彼女が死ぬなんて、あってはならないのだ……だから、誰か……誰か――
「安心しなさい」
穏やかな声に、リラは涙でぐちゃぐちゃになった顔を上げた。
ケヴィンが微笑む。
「私がエリスを助けに行こう……そういうのは、得意だ」




