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さんざん笑ってから、アシェルは「はー」と息を吐き出した。
エリスを見て、薄紫色の瞳を細めて、話を続ける。
「……セイリーンはね、戦いで傷ついた僕をこの城ごと眠りの魔法にかけることにした。封印とも言うね。僕の傷を癒やすためでもあったし、ドラゴンを遠ざけたいバカ王子の頼みでもあったんだ……けど、彼女は言ったんだ。
『一番の目的は、あなたを幸せにするためよ』って」
「幸せに? 城に、封印することが?」
「僕にも、意味が分からなかったよ。だから眠りから目覚めて、自分の身体が人のそれになりかけていることに気づいた時には混乱した。だけど、彼女は僕を眠らせる前に言ったんだ。『未来で、素晴らしい出会いがあなたを待っているわ』って――
――エリス。僕は、君との出会いがそうだって思うんだ」
きゅっと、アシェルはエリスの手に力をこめた。
エリスは、握られた手から、彼の熱が伝わってくるのを感じた。
とくん、とくん、と脈打つ自分の心臓の部分までが、あたたかくなるような気がした。アシェルも、同じ感覚なのだろうか……
「あっ、そうだ! エリス、踊ろうよ!」
唐突にアシェルが立ち上がった。
「え……?」
エリスは手を握られたまま目をぱちくりさせる。
……踊る?
「セイリーンがね、ダンスは素晴らしいものよって言ってたんだ。どんなものかは知ってるんだけど、僕、人間になれるなら、一度やってみたいって思ってたんだ。エリスは踊れるんだろ?」
「それは、もちろんだけど……」
エリスだって、伊達に王女をやっているわけではない。
舞踏会で恥をかかないようにと、きちんとダンスのレッスンも受けているし、自信もそこそこある。
けれど、
「でも、ここで?」
「うん」
「音楽もないのに?」
「あー…………そうだね。うんと……それじゃ、僕が歌うよ。だめ?」
「だめじゃないけど」
くすくすとエリスは笑った。
彼の懸命な案がおかしかったのだ。
「それじゃ」
「きゃ」
ぐいっ、と手を引っ張られて、エリスは立ち上がる……と同時に、アシェルの腕の中に突っ込んでしまった。
「~~~~っ、もう、急すぎるわよ! そんなに強引じゃ、踊れないんだから」
「エリスが教えてくれるから大丈夫」
「全然、大丈夫じゃないわよ。まったく……ほら、手はここと、ここよ」
アシェルの右手を背中に導いて、エリスの左手は彼の肩に。右手は彼の左手を握った。
「それで、音楽に合わせて動くの。歌は――」
「任せて」
自信満々にアシェルが口ずさんだ歌に……エリスは、目を見開いた。
それは、母イルダがよく歌ってくれた子守歌の旋律だった。
……懐かしい旋律に、エリスは微笑んだ。
一歩、動き出す。
アシェルには、ダンスの才能がありそうだった。エリスの動きに、きちんと合わせてくれる。
見た目も申し分ないので、彼がもし舞踏会に出るようなことがあれば、きっと注目の的になるだろうと思った。
星たちが見守る空の下で、エリスとアシェルは一つになり小さく揺れ続ける。
風に色とりどりの花や草木がさわさわと揺れて、まるで歌に合わせた楽曲を奏でているようだ。
エリスが小石に躓いて小さく体勢を崩すと、アシェルが優しく抱き留めてくれる。
……エリスは、彼の広い胸に寄りかかったまま踊り続けた。
彼の腕の中はまるで揺り籠で眠るような心地よさで……踊ることをやめてしまうのは、何だかもったいない気がしたのだ。
――やがてアシェルの歌が終わった。
同時に、二人の足も止まる。
エリスは顔を上げた。
アシェルと目が合う。
……息が、できなくなった。
彼の薄紫色の目が、真っ直ぐに、自分だけを見つめていて。
アシェルの左手が、エリスの顎に触れた。
静かに、遠慮がちに、長いまつげを伏せながら、彼の顔が近づいてくる。
心臓の音しか聞こえなかった。
自分の?
それとも、アシェルの?
唇と唇に吐息がかかるくらいの距離。
そこから最後の一線が越えられようとして――
――だが、エリスは、アシェルの口を両手で防いだ。
「……………………………………………………エリス?」
アシェルが不可解そうに眉根を寄せて、エリスの手の下でもごもごとつぶやいた。
大変に不満げである。
「だ、だから、こういうのは夫婦じゃないとって」
「むー。おかしいなー、今、許してくれる絶好のタイミングだと思ったんだけどなー」
「た、タイミングとか、そういうことじゃないの!」
エリスは、アシェルから離れて背中を向けた。
……全く、何て油断も隙もないドラゴンなのだ。
どうしてこう、どきどきするようなことばかりするのだろう。顔が熱くて熱くて堪らない。
エリスが、そんな顔のほてりを冷まそうとしている時だった。
ふいに、エリスの胸元に、小さな重みが落ちた。
見れば、アシェルがいつも首に提げていた鏡のペンダントだ。
それが、エリスの首にかけられている。
エリスは、慌てて振り返った。
「えっと、アシェル。これ……」
「君にあげるよ」
「え…………そんな。いいの……?」
うん、とアシェルは頷いた。
エリスは、ペンダントに目をやった。
精緻な宝石細工が施された台座の真ん中に、まあるい鏡がはまったものだ。月光を反射して、ちかりと輝く。
ペンダントは、エリスが出会った時から彼の胸元にいつもあった。
外しているところなど、見たことがなかったというのに……
……そんな大事なものを、わたしに?
「うん。セイリーンが、大切な人が出来たら渡すようにって言ってたから」
エリスは、どきりとした。
大切な人――その言葉に、心臓が即座に反応する。
それを鎮める間もなかった。
アシェルが手を握って、真っ直ぐに見つめてくる。
「僕と、ずっと一緒にいてくれるよね?」
エリスは返事に窮した。
答えられなかった。
その言葉が何を意味しているのか、分からないほど愚かではなかった。
けれど、エリスがここにいるのは、そもそもドラゴンを従えて女王としてフェリシーダ城に戻るため。
エリスは思い出す。そう、彼を連れて行かねばならない。
女王に、ならなければいけない……




