18
「よーし! やるわよ!」
かけ声一つ、気合いを入れる。
翌日の朝から、エリスは昨日の昼に眠ってしまった分を取り戻そうと、はりきって仕事を始めた。
まずは浴場の掃除だ。
エリスは水を撒き、ブラシで床を擦った。
どんどん身体が温かくなってきて、時間が一気に過ぎていく。
気づいた時には、太陽が高いところに昇り始めていた。
エリスは、キリのいいところで洗濯に移った。
城で服を着ているのはエリスとアシェルのみだったが、メイルは洗濯が苦手らしく、山のようにアシェルが着たものが溜まっていた。
メイルはかなり申し訳なさそうにしていたが、水気が敵の彼だ。仕方ないだろう。
近くに川がないため、エリスは城の裏手にある井戸近くの洗濯場へと服を運ぶ。
そうして、井戸の水を引き上げにかかった。
かなりの力仕事だ。
それに加え、掃除の疲労も腕に蓄積されている。
滑車から伸びたロープを引っ張った後、桶を引き上げようとしたエリスは思わず唸った。
「うっ……………………お、重い…………っ!」
腕に力が入らない。
ぷるぷると震えて、引き上げることができない。
自分が、こんなに非力だなんて――
――嘆いた瞬間だった。
水の入った桶の重みに負けて、身体が、がくんと井戸の中に落ちそうになる。
「きゃ……っ!」
だが、エリスは落ちなかった。
……桶が、軽い。
悲鳴を上げていた腕が、楽になっている。
「危ないなぁ。何やってるのさ?」
アシェルが、エリスの脇から桶を支えてくれていた。
そのまま、ひょいっと、軽々と引き上げる。
「あ、アシェル……! はあ………………助かったわ……」
「どういたしまして。で、君、何をやろうとしてるんだい?」
「お洗濯よ。水仕事はメイルに任せておけないもの」
「ああそっか、あいつ錆びちゃうから……やらなくていいって、いつも言ってるんだけどなぁ」
「そういうわけにもいかないでしょ」
「それもそうか。でも君、一人でできるの? 水、もっとたくさん必要だろ?」
「そんなこと言うなら手伝いなさいよ……」
「いいよ」
あっさりアシェルが承諾するので、エリスは思わず彼を見返した。
「……いいの?」
「何が?」
「えっと………………眠っていなくて?」
「うーん、昨日、君が添い寝してくれたからかな。今日は、あんまり眠くないんだよね」
アシェルの何気ない言葉に、エリスの頭に昨日の昼下がりのことが過った。
抱きしめられた身体。
目の前にある顔。
しっかりと握られた手。
――思い出すだけで、全身が熱を帯びていく。
「これ、どうすればいいの?」
エリスが恥ずかしさに俯いていると、アシェルが水の入った桶を持ち上げた。
エリスは慌てて「そっちへお願い」と、洗濯場を示す。
アシェルはその後、何度にも渡って水を汲んで運んでくれた。
「あ、ありがとう……」
「うん。次は何をすればいい? それを洗えばいいの?」
働きぶりにエリスが呆然としていると、シャツを腕まくりしたアシェルが洗濯場でかがむ。
「エリス? どうしたの、やろうよ?」
「えっ……と…………………………ううん、なんでもない。やりましょう」
隣り合って、服を洗う。
エリスがちらりと隣を見れば、アシェルは思いの外、楽しそうだった。
全ての衣服を洗い終え、乾かすためにロープに吊るす。
これもアシェルが手伝ってくれた。エリスより上背があるのでとても助かった。
(……アシェルってば、どうしちゃったのかしら?)
風にはためく服たちを眺めながら、エリスは考える。
何がきっかけかと考えれば……昨晩の添い寝しかない。
けれど、この懐きっぷりはなんだろう。
彼の中で、一体何があったというのか――
――考えても分からないことだったし、聞くのはちょっと抵抗があった。はっきり答える彼のことだ、藪蛇にならないとも限らない。
答えを出すことを諦めて、エリスは干された洗濯物に背を向けた。
「エリス、どこ行くの?」
「お掃除、まだ途中なの。やらなきゃ」
「まだやる気なの? そんなにやって、疲れない?」
「そりゃ、疲れはするけど……」
「セイリーンなら、メイルに任せっぱなしにすると思うけどな。面倒くさいって……彼女、結構ものぐさなところもあったから」
セイリーンの名前が出た瞬間、エリスの胸がずき、と小さく痛んだ。
何だろう、これ……
「……わ、わたしはセイリーンじゃありませんからね」
そうぶっきらぼうに言うのが、やっとだった。
エリスは何だか面白くなくて、アシェルを置いて歩き出す。
……だめだ、胸の痛みが止まらない。
(アシェルってば、セイリーンセイリーンって……わたしのこと、やっぱり彼女の代わりだとでも思ってるんだわ……)
だから、こうして仕事を手伝ってくれて、優しくしてくれるのだろうか。
見た目が、においが似ているから。
だからわたしと、昨日も一緒に眠ろうだなんて……
そう思うと、心がささくれて、どうしようもなく途方に暮れた気持ちになる。
なんだか胸を押さえつけられているようで、苦しい。
……この気持ちは、何なのだろう。
今まで感じたことのないものだ。
理解できない苦しさに、エリスはいらいらした。歩く足を速める。
「待って待って」
追いかけてきたアシェルが、エリスの両肩を後ろから掴んだ。
そうして、隣に並ぶ。
「僕も一緒に行くよ」
「……わたしはセイリーンじゃないけど? それでも一緒に来てくれるの?」
エリスは、わざと挑発するように言ってみせた。
八つ当たりしたい気持ちと……彼を、試してみたくなってしまったからだ。
対して、アシェルは無邪気な微笑みを浮かべて答えた。
「もちろんだよ。それに、君がセイリーンじゃないのも知ってる。
だって、セイリーンはこんなに頑張り屋じゃなかったもの」
それは、思いもよらない反撃だった。
硬直したエリスだが……次第に理解して、じわじわ顔が熱に侵されていく。
まさか、彼に自分の努力を認めてもらえるとは思っていなかったのだ。
思えば、イルダ以外の誰かに、頑張りを褒めてもらったことなどなかった。
頑張るのは、王女だから当然のことで。
いつしか褒められることを意識すらしなくなった。褒められなくてもいいと思った。諦めたのだ。
けれど、アシェルはちゃんと見てくれている。
王女としてではなく、エリス自身の頑張りを。
そして、つまり、彼がこうして接してくれるのは、エリスだからということで。
――どうしよう、嬉しい。
「エリス、どうしたの。顔が赤いよ?」
「な――何でもないの……行きましょう」
胸に小さく芽生えた喜びを感じながら、エリスはアシェルと共に城の中へと向かった。
二人で一緒に城の中を磨いていく。
エリスは、アシェルを時々盗み見た。
こうして一緒に何かをしているというのがとても不思議だった。昨日まで分厚い壁があったはずなのに、嘘みたいだ。
アシェルは、その後もこまごまとエリスの手伝いをしてくれた。
そして、それは、その日だけではなかった。
翌日も、翌々日も、エリスが仕事をしていると、どこからともなくやって来ては一緒にこなしてくれるのだ。
エリスとアシェルが共に過ごす時間は、日ごとに長くなっていった。
互いの距離も、どんどん近づいている気がする……のはエリスの気のせいではなかった。
実際、アシェルとの身体の距離が、近くなっていた。
顔も、何だか近い……




