13
翌朝、まだ風がひんやりとする古城の中庭にて。
「あった! これね」
朝露の乾いた草むらをかき分け、エリスは目的の水晶薄荷を見つけた。
中庭の奥にある、エリスの腰ぐらいまである茂みがそれだった。ミラージャの言っていたことは、正しかったのだ。
エリスはメイルを探し、断りを入れてから水晶薄荷の一枝を手折った。
「これを煎じて煮出すのよね」
「エリスさん、わたくしがやりましょうか?」
中庭へと様子を見に来ていたメイルが、エリスに助け船を出してくれた。
エリスはちょっとの間、考えて……それから、首を横に振った。
「ううん。何でもかんでもあなたに任せるわけにはいかないわ。やり方だけ教えてくれたら、あとは自分でやってみる」
「大丈夫、ですか?」
「……迷惑はかけない、つもりだけど」
「いえいえ! そういう意味で言ったのではないのですが……いいでしょう、お教えしますよ」
心配そうにしていたメイルだったが、エリスの頼みに頷いてくれた。
エリスを厨房へと連れてきた彼は、水晶薄荷の煎じ方を教えてくれた。方法は、聞く分には、至って簡単だった。
「……問題は火ですね。普段はずっと絶やさないようにしているのですが、ちょうどかまどの中に溜まった煤を掃除するために消してしまって。なので、火くらいはわたくしが起こしましょう」
「ありがとうメイル……でも、わたしがやるわ。あなたは休んでいてちょうだい」
メイルは日常エリスのために、何の見返りもないのに世話してくれている。
こんな時にまで手を煩わせたくない……そう思い、エリスは申し出を断った。
メイルが気遣わしげに「でも」と言いかけて……エリスの目を見て、納得したように頷いた。
エリスの目が、やる気に満ちて、らんらんと輝いていたのを見たからだ。
「……それじゃ、わたくし、お言葉に甘えて中庭で休んでいますね。何かあったら呼びに来てください。くれぐれも、お気をつけて」
「分かったわ」
メイルを見送ったエリスは、調理台の前に立った。
メイルからエプロンと黒いローブを借りて身につける。セイリーンのものなので汚すまいと慎重に腕まくりした。
それから早速、メイルに教えてもらった方法に取りかかった。
水晶薄荷の葉だけを枝の部分からちぎり取る。この作業だけで、水晶薄荷のつんとするにおいがエリスの周囲に漂った。
それから、今度は鍋でお湯を沸騰させる。
そこに葉を投入して、汁を煮出せばいい――のだが、ここで火を起こすのが大変だった。メイルから渡されていた火口箱、その中から取りだした火打ち石を何度も叩くが、なかなか木くずが燃えてくれない。
「んん……………………難しい………………」
指先をひりつかせながら、エリスはそれでもめげずなかった。
かちん、かちんと火打ち石を叩き続ける。そして、
「あ」
ようやく木くずがじりじりと煙を上げ始めた。
エリスは、急いでふうふうと息を吹きかける。
何度かそうしているうちに、ぼっ、と小さな火が上がった。
その火が、細い枯れ枝に燃え移る。
エリスは力一杯息を吹きかけ続けた。
やがて火は太い薪に移り、ぱちぱちと音を立てて燃え上がっていく。
「やった、ついたわ……っ!」
額に汗をかき、へとへとになりながら、エリスはかまどの中で勢いを増し始めた炎に感激していた。
自分一人で何かを達成したことなど、初めてだったからだ。
「……わたしにも、できることがあるのね」
そう満足げに呟いてから、気を引き締める。まだ、成すべきことは成せていないのだ。最後まで集中しなくては……
水を張った鍋を火にかける。
しばらくすると、ぐらぐらと鍋の中身が沸き立ち始めた。
エリスは初めて見るその光景にびくびくしながら、用意しておいた水晶薄荷の葉をさっと投入する。
むせ返るような薄荷の香りが厨房に広がってゆく。
鼻だけでなく、目まですうすうし始める。
……頃合いを見て、エリスはかまどから鍋を下ろした。
危なっかしい手つきで、薄荷の葉を取り除いた液体をティーポットに移す。
「で、できた……!」
透明なガラスのティーポットの中で、鮮やかな黄緑色の液体が揺れている。水晶薄荷の煮出し汁だ。
エリスは、それを食堂のテーブルへと移動させ、一緒に持ってきたティーカップに移す。熱を冷ますために、高めのところからカップに注ぎ入れる。
では、さっそく……と、エリスはカップを持ち上げ――
「うっ……」
カップを口元に近づけた瞬間、強烈な薄荷臭に鼻を刺激され、エリスは苦悶の表情を浮かべる。
「こ、これを飲めって言うの…………全部……?」
ちょっときついけど、とミラージャは言った。
だが、これは「ちょっと」の範囲だろうか……?
そんな言葉で言い表すには、あまりにも――すさまじい。
わずかににおいを吸い込んだだけで、気持ちが負けそうになる。
エリスは、手にしたカップとにらみ合う。
……できれば、飲みたくない。
カップを握る指に、思わず力が入った。
身体が拒否しているのが分かる。けれど……
「こ……こんちくしょーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!!!!!!!!!」
王女とはあるまじき下品な言葉を放ったエリスは、意を決して鼻をつまみ、カップの中身を思い切りあおった。
ぐび、ぐび、と一息に液体を喉へと流し込む。そうして……
だんッ!
エリスは、ティーカップをテーブルに叩きつけるように置いた。
「う……………………………………――うぇええええううううう~~~~」
情けない声を上げながら、エリスはぴょこぴょこと床を飛び跳ねる。
喉から胃にかけてが瞬間冷却されたように冷たくなった。
ついでに胃から這い上がってくるぞわぞわした感じ……
……だめだ。思わずしゃがみこんでしまう。
「うう~~~~~~~~~~~~~~~~……」
エリスはお腹を押さえて唸った後、動かなくなった。
「な、何なのよ、これぇー……」
……泣き言を言うのすら、つらい。
しばらくそのままで耐えて、涙目になりながらよろよろと起き上がる。
自分のにおいはどうなったのだろう。分からない。鼻が麻痺したようになっていて、もはや機能していなかった。
……確かめるには、よく利く鼻が必要だと思った。
アシェルが目覚めるのは夜と昼下がりの、計二回。
驚いたことにこの城の主は、夕食以外には午後のティータイムにしか食べ物をとらないという話だった。
三度の食事より睡眠が大事らしい。呆れを通り越して、尊敬しそうになる。
そんな彼が起きてくるまでには、まだ少し時間があった。
「……とりあえず、ここのにおいをどうにかしなきゃ」
このままでは自分のにおいがどうにかなったとしても、晩餐時にここを訪れるアシェルがいい顔をするとは思えない。
エリスは、食堂の換気をするために窓を開けて回った。
太陽の陽射しがやわらかく降り注ぐ昼下がり。
開け放った窓から入ってくる空気が、エリスにはやけにおいしく感じられた。




