第86話 北側の異変に備えて
私はティコを連れて、クルスさんとピゲストロさんをファングウルフの巣に案内する。
実際応急処置的なものなので、実に簡素な巣になっているけれど、ファングウルフたちはくつろいでいた。
「わうっ!」
私が姿を見せると、しっぽを振りながらファングウルフが寄ってくる。すっかり私に懐いてしまっている。
「これは驚きましたな。我々オークと同じくらいの危険度を持つ魔物なのですが、これほどにおとなしくなっている姿は見たことがありませんぞ」
ピゲストロさんはあごを擦りながら、私たちの様子を見ている。
「俺も警戒していたさ。でも、唸って警戒するだけで、俺たちを襲うようなことはなかったな。というか、今は俺にすら敵意を向けてこないな……」
目の前の光景が信じられないといった感じの二人である。
鑑定の詳細を見てみると、ファングウルフはかなり攻撃的な種族らしい。自分より格上と認めた相手以外に、こうやって懐くようなことはないみたい。
つまり、自分たちより格上であるマンティコアとそれを従える私のことを、ファングウルフたちは認めてくれたということのようだった。
私としてはのんびり過ごしたいだけなんだけど、この状況ははっきり言って望んでいない。望んではいないけれど、余計な問題を減らせるのなら、それはそれでいいかなと思う。
私は、ファングウルフたちの様子を確認するために、一匹ずつ順番に撫でていく。うん、特に問題はなさそうね。
みんなを撫で終わってくるりと振り向くと、クルスさんとピゲストロさんが驚いた顔で私を見ている。
「えっと、どうかしましか?」
「いや、危険度が高い魔物のはずなんだがな、そいつら」
「うむ。心の底から慕っているように見えるな。さすがはアイラ殿」
どうやら、私に懐いている様子に改めて驚いているようだった。
「君たちって本当に怖い魔物なのね……」
「わうっ!」
ファングウルフたちは私の前にひれ伏していた。
「それで、ファングウルフをお見せしましたけど、ピゲストロさんはどうなさるおつもりなんですかね」
ひと通りみんなを撫で終わったところで、私はピゲストロさんに確認を取る。見せてくれと言われてみせたのだから、理由あってのことのはずだからね。
「うむ、我が領地の護衛として迎え入れようと思うのだ。最近は北の方で怪しい動きが見えてな。牽制に使えればと考えているんだ」
「なるほど……。ですけれど、この子たちもその北から逃れてきているんです。つまり、北側にはこの子たちが敵わない何かがいるということではないですか」
「確かに、そうなのだよな」
私が指摘すると、ピゲストロさんは表情を曇らせていた。
「確かにその通りなんだが、こやつらと同じように逃げてきた魔物が、我が領で被害をもたらさぬとも限らない。我は領主である以上、自分の領を守らなければならぬのだ。アイラ殿、そこはどうか分かって頂きたい」
ピゲストロさんは、悲痛な声で私に訴えかけてきた。
事情は分からなくないので、私はこくりと頷いておく。
「とりあえず、この子たちがその場所を気に入るかどうか、それを確かめてからにしましょう。嫌だっていうのなら、私はこの子たちの意見を尊重しますので」
「分かりましたぞ。では、早速向かうということでよろしいかな」
「えっ、今から?」
いろいろと急すぎるので、私は思わず顔を引きつらせてしまう。
「デザストレ殿、いくらなんでもせき過ぎではないですかな。アイラの事情も少しくらいは考えてあげないと」
「むろん、それは考慮したい。だが、ファングウルフが南下してきた以上、こちらとしてもあまり猶予を見ておれぬのだ」
クルスさんが止めようとするけれど、ピゲストロさんも譲らない。それに、ピゲストロさんの懸念は理解できてしまう。
私は少し考え込んで、うんと強く頷いて結論を出した。
「分かりました。オーク領の北側の視察にお付き合いいたします」
「アイラ?!」
私がこう言い出すと、クルスさんがものすごくびっくりしていた。そんなに意外だったかしらね。
「ええ。私じゃなきゃ無理だと思いますよ。私にはティコもいますし、あの家の魔導書だっています。大抵のことなら、多分解決できてしまいます」
「はあ、ならしょうがないな。俺たちの方は、俺たちでどうにかするか……」
私の意志が固そうだと悟ったのか、クルスさんは諦めたようにため息を漏らしている。
「すみません、クルスさん。一応ピゲストロさんと状況を確認しておきたいんです」
「ああ、分かった。でも、こっちとしてもそのファングウルフは欲しいところなんでね。終わった後で話をさせてもらうぞ」
「分かりました」
話がまとまったところで、クルスさんは一人で町へと戻っていく。
私はティコを大きくして、その背中にピゲストロさんと一緒に乗り込む。
「みんな、ティコについてきてね」
「アオーン!」
私が呼び掛けると、ファングウルフたちは一斉に吠えて返事をする。
クルスさんと別れた私は、かつていたいい思い出のない屋敷の北へと向けてティコを走らせたのだった。




