第33話 女性だけの交渉
男爵様のいる部屋から移動して、マリエッタさんとその母親と向かう合う私。貴族の二人と平民の私が同じ場所で向かい合っているなんて、おそれ多くてものすごく緊張してしまう。
マリエッタさんだけならあまり緊張はしないのだけれども、さすがに男爵夫人を相手となると私の体はつい固くなってしまっていた。
「アイラさんと申しましたわね。どうぞ、お気を楽にして下さい」
男爵夫人から声を掛けられるけれど、私の緊張がそんな簡単に解けるわけがなかった。
返事をするものの、声が裏返ってしまっている。
見かねたマリエッタさんが、私に向けてこんな提案をしてくる。
「お母様は居ないものとして、わたくしとだけ話を致しましょう」
「ちょっと、マリエッタ」
「仕方ないじゃありませんの。このままは緊張で固まったアイラを相手にしなければなりませんわ。とても話がスムーズに進むとは思えませんもの」
母親相手にこの言いっぷりである。
マリエッタさんは自警団でずいぶんと精神を鍛えられたのだと思われる。
このとんでもないマリエッタさんの発言で、私の気持ちはずいぶんと楽になった気がする。
ここで一度大きく呼吸をしなおすと、私は落ち着いてマリエッタさんの顔を見る。
私の表情を見たマリエッタさんは、ようやく落ち着いて話を切り出し始める。
「それじゃ、今日の納品を見せてもらえるかしら」
「はい、こちらですね」
私は鞄からポーションと茶葉を取り出す。
机の上に並べられていく量は、いつもと同じ数だ。現状ではこれ以上の要求はされていないので、作る量を増やしても持ってくることはない。
マリエッタさんから要求があれば増やすけれど、マリエッタさんはそういう性格の人ではないので安心できる。
「下級ポーション二十本と茶葉一袋。はい、確かに受け取りましたわ」
マリエッタさんは受け取ると、帳簿のようなものを取り出して書き込んでいる。
「マリエッタさん、それは一体何でしょうか」
気になった私は、ついつい聞いてしまう。
「ああ、これですか。これは帳簿ですわよ。アイラから納入された物品とその金額を記したものですわよ。もちろん、空の容器代は差し引かせて頂きますけれどね」
見たことのある冊子だと思ったら、やっぱり帳簿だった。
「あら、マリエッタ。代金はお渡ししないのかしら」
男爵夫人が口を挟んでくる。
マリエッタさんは帳簿に記入しながら、男爵夫人の質問に答える。
「お母様、アイラはお金が必要ありませんの。ですから、代金はこちらで預金という形でお預かりしていますのよ。必要な時にいつでもアイラが引き出せるようにしておりますの」
記入を終えたマリエッタさんは、帳簿を閉じて机に置くと、男爵夫人に顔を向けている。
「あら、そうなのですね。でも、アイラさんはそれでよろしいのかしら」
男爵夫人が私の方を見てくる。
しかし、その質問に答えたのは私ではなくマリエッタさんだった。
「わたくしとアイラとの間で話し合った結果ですわよ。アイラも納得しておりますわ」
「そう。それならよろしいですけれど」
きっちりとしたマリエッタさんの回答に、男爵夫人は納得したようだった。
男爵夫人が黙り込むと、マリエッタさんは再び私に顔を向ける。
「これから町に人が増えてくると、今よりもいろいろ大変になるでしょう。現状はこの数から増やすつもりはございませんが、そのうち数を増やして頂く可能性があることを予告しておきますわね」
「大丈夫です。今の倍くらいまでなら余裕がありますから」
マリエッタさんの忠告に、私は大丈夫といわんばかりに笑顔で答えた。
ところが、私の笑顔を見て、マリエッタさんの表情が暗くなった気がする。気のせいだろうか。
「当面は大丈夫というわけですね、安心しました。ですが、わたくしとしてはアイラの負担を増やすつもりはございませんので、この町でもポーションを作れる環境を整えたいと思っておりますわ。アイラのポーションは品質がいいですし、よく効きますから頼りきりですと絶対負担になりますもの」
「よく考えているわね、マリエッタ」
「恩人に仇を返すわけには参りませんわ」
マリエッタさんは胸を張って言い切っていた。
でも、私はそこまで誇りに思われるのはなんとも心外だった。だって、薬瓶に薬草と水を入れて魔力を注ぐだけなんだもの。それだけでポーションはできてしまう。
目の前の二人の様子を見ていると、とてもそんなことを言い出せない雰囲気になっていた。どうしよう……。
結局、私はポーションの作り方を言い出すことができず、話し合いはまとまってしまった。
一日あたりポーション十本と茶葉は都度適量、それが納品の基本的な量と決まった。あとは在庫の具合で増減させるという方向だという。
ただ、現状は余剰が増えつつあるらしいけれど、ポーションは多いことに越したことはないということで、現状の納品ペースは維持されるそうだ。
「うふふ、これからもよろしくでしてよ、アイラさん」
「あはは、こちらこそよろしくお願い致します」
話を終えると、私は男爵夫人から握手を求められる。私なんかでいいのかなと思いつつも、にこにことした表情に逆らうことができずにやむなく握手に応じたのだった。
「それでは話も終わりましたし、お父様やクルスの様子を見に戻りましょうか」
私たちの様子を見たマリエッタさんは、口に人差し指を当てながら意地悪そうに私たちに告げたのだった。




