94「アンフェルディア観光」
王として初日は怒涛のように過ぎていった。
重い衣装を身に纏い、王位継承の儀で己の夢を語り、新王のお披露目パーティで次から次へと訪れる有力貴族と挨拶をした。
ほとんどは媚びを売るのが目的で、他者の感情の機微に疎いシラーフェですら見抜けるほど欲に満ちた目をした者が多くいた。
これまで社交場に足を踏み入れても、最低限の交流にとどめていたシラーフェには気後ればかりする空間だった。
「昨日の演説、とても素晴らしいものでした。必要のないものが愛される国、私もいいと思います」
取り入ろうとする邪な目や隙を探る鋭利な瞳、器を測る値踏みの視線に晒された昨夜を経たシラーフェに向けられるのは無垢な光を湛えた青目だ。銀の睫毛に縁取られた青は辟易した心に癒しを齎す。
晴れやかな笑顔を浮かべて、こちらを見るのは銀髪青目の女性だ。
龍族というアンフェルディアどころか、世界的に見ても、なかなか目にすることのできない種族のこの女性は王位継承の儀に招かれた来賓の一人である。
マレイネ・ユーガルト。ミズオルムの長代理として王位継承の儀に出席するミグフレッドに付き添う形で、アンフェルディアを訪れている。
龍の谷を襲った事件をきっかけにできた友人を案内するため、シラーフェは今日城下の町を訪れていた。
「私もシラーフェ様は優しい王様になれると思います」
「優しいだけじゃ、国の長は務まんねぇけどな」
「それはそうですけど……優しい王様は素敵な王様だと私は思います。なので、私は応援します!」
「長たる者の在り方に正解はない。シラーフェの思うままに進めばいい。それこそ地下で俺に道を指し示したようにな」
カザードから来賓として訪れた友人三人は各々、新王シラーフェに言葉を送る。
カザード王の代理として訪れ、自身も次期王を目指すリトは現実を見た厳しい言葉を零す。
龍族二人はそれぞれの表情と言葉で、シラーフェの道行きに声援を送る。
リトの視線は厳しいものではあったが、最早慣れたものだけにシラーフェの心が揺れることはない。むしろ昨夜、散々向けられた目よりもシラーフェに寄り添ったもので交換が持てる。
「私もシラーフェ様のおはなし好きだった。かっこよかったです」
賑やかに会話を重ねる三人の裏で、シラーフェの裾を引っ張るエマリが告げる。
他の使用人たちに交じり、パーティの準備に忙しくしていたエマリだったが、シラーフェの演説に耳を傾ける時間はあったようだ。誉め言葉に感謝を告げる代わりにエマリの頭を撫でる。
今日はメイド服ではなく、ネリスから贈られたという私服に身を包んでいる。
シラーフェもまた、例の重い衣装でも、町歩き用の平民服でもなく、普段着として着ている貴族服で身を包んでいる。
いつものようにお忍びではなく、今日は公務の一環として城下を訪れているためだ。周囲には護衛の騎士が複数人ついてきてもいる。
自由に町歩きしていた今までを思えば、窮屈さは消えないが、己の立場を思って仕方ないと諦めている。
魔法が満足に使えない頃から町歩きしてきた結果、城下の人々のほとんどが認識阻害が通じない程度にシラーフェを知っている。お忍びがお忍びとして機能しない中で、王が自由に出歩くわけにはいかない。
今日のこれだってフィルが来賓の案内という公務として捻じ込んでくれたからできていることだ、
「服もすごくかっこよかった」
「しばらくあの衣装は着たくはないがな。あの重さは味わいたくない」
親しい者ばかりの場でついつい本音が零れる。それくらいあの衣装は重かった。
「かたっくるしい上にあんだけじゃらじゃら装飾がついてたらそりゃそうだわな」
「かっことかったんですけどね。実際着てみると不便も多いものなんですか?」
「そうだな……。重い上に動きづらい。あまり好ましい格好ではないな」
「動きづらいのは今も似たようなもんだろ。ごちゃごちゃと着込むなんざ、オレにゃあ考えらんねぇわ」
身軽な格好を好むリトからしてみれば、今のシラーフェのいでたちも動きづらいもののうちに入るのだろう。
龍族の服装も比較的な身軽なものであり、エマリやユニスも含めても一番動きづらい格好をしているのはシラーフェであろう。
「一度ドワーフや龍族の衣を着てみたいものだな」
「いいですね! 私も魔族の衣装も着てみたいです。ね、ミグフレッド様」
「そうだな。マレイネがしたいのならするといい」
少し見ないうちにミグフレッドやマレイネは随分と距離が近くなっている。いっそう仲良くなったようでよかった。
「ならば、服飾の店に行くか」
言って、歩を進める向きを変える。
幼い頃から頻繁に通っているので、シラーフェはウォルカの地理に詳しい。
ライのように細い路地まで把握していないが、どこに何の店があるかくらいは頭に入っている。
癖のようにエマリの手を握り、迷いのない足取りで歩を進める。
それほど時間はかからず、目的の服屋へ辿り着いた。上級貴族御用達の高級店である。
もっと安価な店もいくつか知っているが、立場上、真っ先に平民の店に案内するわけにもいかない。
友人との買い物であっても、今行われているのはアンフェルディア国王による接待だ。
案内する店の質はシラーフェの王としての評価に繋がる。面倒ななことだ。
「こういうお店は初めてなので緊張しますね……」
「客は俺たちしかいない。きにしなくていい」
貸し切りというわけではないが、店に他の客はいない。多少の粗相、気にする者はいないと言っても、マレイネの緊張はそう簡単に解けるものではないらしい。
自然の中で生きる龍族にはこういった作られた厳かさに馴染みがないのだろう。
「つか、ここ結構高ぇ店じゃねえの。こいつらにそんな支払い能力ねぇぞ」
龍族は通貨を必要としない原始的な生活を送っている。ミズオルムの龍族はカザードと取引している分、多少貯蓄がある方というくらいだ。
高級店で余裕に支払いができるほど、裕福だとは思っていない。
「ここの支払いは俺が持つ。気にせず、好きなものを選ぶといい」
「うぅ、お言葉に甘えさせてもらいます……」
申し訳ないとは思いつつも、拒否することもできないといった表情だ。
物欲のないシラーフェからしてみれば、日々持て余しているお金を使う機会を得られるのならばありがたい。
王族にはそれぞれ自由に使えるお金が与えられているが、シラーフェはまり使うことがないのである。
「ミグフレッド様、どれがいいと思いますか?」
「俺はこの手のものには疎い。マレイネが好きなものを選ぶといい」
「もうっ、ミグフレッド様は女心が分かっていないんですから。いいですよー、エマリちゃんと選びますぅ」
頬を膨らませた稀いなはエマリを連れて、店の奥へと進んでいった。
ミグフレッドは愛おしそうにマレイネの背を見つめている。初めて会った頃には考えられないほど、その青目は深い情に満ちていた。
「マレイネは怒っているようだったが、いいのか?」
「問題ない。マレイネは怒っていても可愛らしいからな」
起こるマレイネすらも慈しみ、どこか楽しんでいる様子である。思っている以上にまれいねに心酔しているらしい。
離れている時間があった分、愛が強くなっているのかもしれない。
素晴らしいことだと頷くシラーフェの横ではリトがうんざりした顔をしている。
「ミグフレッドとリトの衣装も選ばないとな。男物はあちらだったか」
「オレのはいいよ。そんな動きづらいそうなもん着てらんねぇよ。ミグフレッドのもんだけ選んでくれ」
違う装いのリトも見てみたい欲はあるが、無理強いはできない。仕方ないとシラーフェは肩を落とした。
「あー、ったく、仕方ねぇな! 今日だけだからな」
苛立たしげに頭を掻いたリトはが前言撤回する。
「いいのか? 嫌だったのだろう」
「いーんだよ! あんな顔されたらことわれねぇだろう」
そんな顔をしていただろうか。何気なく近くの姿見に視線を遣るが、いつも通り表情の乏しい自分の顔があるだけだった。
悩ましげに姿見の顔は眉根を寄せる。
シラーフェの反応を他所に、リトはずかずかと店の奥に進んでいる。
乗り気になってくれたのなら、これ以上何かを言うのも無粋だろうと後ろについていく。
「あー、どれがいいとかわっかんねえな。服なんざ、動きやすいかぐれぇしか気にしねえからな」
「同感だ。並べられても違いが分からない。シラーフェ、お前が見繕ってくれ」
「俺もこの手のことには疎いだが……そうだな」
基本的にシラーフェの服は兄姉やユニスに任せている。先の式典の服も、キラやリリィが率先して意匠を決めてくれた。
とはいえ、アンフェルディアで主流の服ならば、シラーフェの方が詳しい。
友人に頼られている以上はとシラーフェはいくつかの服を見せてもらっては二人に似合いそうなものを探す。
さほど時間をかけず選び出した服をそれぞれ手渡す。なかなか悪くない選択という自画自賛を胸に二人の着替えを待つ。
「やっぱ動きづれぇな。お前ら、よくこれで剣を振り回してられんな」
「特に気にしたことはないな。ずっと纏っていれば、不便を感じないものだ」
「十年着ても慣れる気はしねぇわ」
やはりリトはお気に召さなかったようで苦い顔をしている。
文句は言っていても、きちんと来てくれるあたりリトは優しい人物だ。
気崩した着方ではあるが、妙に様になっており、シラーフェの想定以上によく似合っていた。
「他種族の衣装に袖を通すのも悪くはないな。新鮮な気分だ」
ミグフレッドは姿見に映し出される自分の姿を興味深げに見ていた。
龍族は見目がよく、長身な種族なので何を着せてもよく似合う。
「あ! ミグフレッド様とリト様も着替えたんですね」
快活な声とともに衣装を着替えたマレイネが現れる。エマリも一緒だ。
マレイネの衣装はエマリのものとよく似た意匠のワンピースである。手を繋ぎ、二人並んでいる姿はまるで仲の良い姉妹のようで愛らしい。
「見てください、エマリちゃんと選んだんですよー」
「ん、じしんさく」
衣装を見せびらかすように手を広げるマレイネの傍で、エマリは自信満々な表情を見せている。
可愛い自信の通り、選ばれた衣装はマレイネによく似合っている。
マレイネが褒めてほしい人は決まっており、やや澄ました表情でミグフレッドの前に前に立つ。
「どうですか? 似合ってますか?」
「よく似合っている。やはりマレイネは何を着ても可愛いな」
「…っ……そんなかっこいい姿で言うなんて反則ですっ」
「マレイネの方から聞いてきたのだろう?」
「そうですけど、そうですけど……うぅ、かっこよすぎです」
顔を真っ赤に染めたマレイネの反応をミグフレッドは楽しんでいるようだ。口元が綻んでいる。
二人の距離は妙に近く見え、見ているこちらが落ち着かない気分になる。リトは見慣れた様子で、昭田表情を隠そうともしない。
「着替えも終わったとこだし、とっとと町を回ろうぜ」
言うが早いか、リトは出入り口の方に足を向ける。
シラーフェは慌てて、その背を追い、引き留める。リトに渡したいものがあるのだ。
リトとミグフレッドが着替えに行っている間、目についたアクセサリーを包んでもらっていたのだ。
「リト、カザードに戻ったら、これをティフルに渡してもらえないだろうか」
龍の谷ミズオルムで騒ぎを起こし、今は罪人として奉仕している少女へ。
彼女はシラーフェのことも、魔族のことも嫌っているようなので、受け取ってもらえるかは分からないが。
「ん? ああ、わかったわかった。お前もマメだねぇ。ちょっと関わっただけのガキを気にかけるなんてよ」
「一度関わったものを素知らぬ顔はできないだろう。喜んでもらえるのかは分からないが、何かをしてやりたいのだ」
アンフェルディアとカザードと、離れた場所で暮らしていたとしても、取った手の責任は果たしていきたい。
リトはミグフレッドとマレイネに対してそうしたように呆れた顔を浮かべている。
「ティフルは元気にしているか?」
「変わらずってところか。真面目で働き者って姉貴もよく褒めてんぜ」
「ティフル君、すっごくがんばってますよ。私もときどき様子を見に行っているんです」
被害者という立場のマレイネではあるが、ティフルのことを妹のように可愛がっている。
彼女が気にかけてくれるのなら、シラーフェも安心だ。シラーフェはおいそれと様子を見に行ける立場になく、手を取った責任を果たせずにいる不義理を埋め合わせてくれる。
「きっとシラーフェ様からの贈り物だって聞いたらすごく喜んでくれますよ」
「そうだろうか?」
「そうですよ! ティフル君はシラーフェ様のことが大好きですから。シラーフェ様がアンフェルディアに帰られた後もよくシラーフェ様のお話をしているんですよー」
「そう、なのか。むしろ嫌われているものと思っていた」
「嫌っているなんて全然。大っ好きです」
断言するマレイネの勢いに押されつつ、「そうなのか」と頷く。
ティフルの敵国ルーケサの人間で、魔族に敵意を持つように教育されてきた。シラーフェに対する態度も冷たいもので、嫌われていると思っていたが、どうも違うらしい。
マレイネの言う「大好き」をそのまま信じる程自惚れはしないにせよ、嫌われていないのならよかった。
安堵に頬を緩めるシラーフェはエマリの視線に気付き、目を瞬かせる。
「どうかしたか?」
「んーん、なんでもないです」
エマリが少しだけ不貞腐れた顔をしている。
何か気に障るようなことをしただろうか。己の言動を振り返ってみても、心当たりはなく、エマリはすでにマレイネと仲睦まじく話をしている。
乏しい表情の中に笑みを混ぜたエマリはくるりと振り返ってシラーフェの手を取る。
「ん。シラーフェ様、はやくいきましょ」
たどたどしい敬語でそう言ってエマリはシラーフェの手を引いて店を出る。
機嫌はすっかり上向いているようで、不可思議に思いながらも、シラーフェは身を任せる。
「せっかくだし、私もティフル君に何か買いたいな。あのー、シラーフェ様、もっと安価に小物が帰るお店ってありますか?」
「ああ、案内しよう」
マレイネの要望に応えて、雑貨店へ足を向ける。
龍族の金銭能力がどの程度かまでは分からないが、メイーナと幾度か訪れた店が良いだろう。
エマリの手を握り直し、笑みを浮かべる彼女を隣に先導する。
雑貨店は市井の民が多く訪れる場所だ。安価にお洒落ができるということもあり、年若い女性が多い。
突発的に訪れたので、貸し切りとはいかず店内には幾人の客がいた。
「邪魔する」
騎士を引き連れ、物々しい雰囲気で現れた一向に驚く者たちへ謝罪しつつ、店内に入る。
女性向けの小物ばかりの店内で、男性陣はやや手持ち無沙汰ではあるが、マレイネとエマリが楽しそうなのでよしとする。
せっかくなので客として来ている民といくつか話をさせてもらった。
民と近い距離で話をするのは久しぶりで楽しませてもらった。これもマレイネのお陰だ。
メイーナと訪れたときのことも思い出した。癖のように胸元で揺れるステライトの花に触れる。
疼く感情がシラーフェ自身のものか、内に潜む種によるものなのか、最早分からない。
「ん。シラーフェ様、どうかしましたか?」
じっとこちらを見上げるエマリと目が合い、現実に引き戻される。
不安そうな瞳に笑いかけ、その頭を撫でる。
「マレイネの買い物も終わったようだ。俺たちも行くか」
「ん。わかりました」
まだ納得していない表情を見せながら手を引かれるエマリとともにマレイネたちと合流する。




