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魔王に花束を  作者: 猫宮めめ
第4章

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93「王位継承の儀」 挿絵有

 兄姉たちに見送られながら、シラーフェは弓を進める。一歩一歩確かめるように踏みしめ、正面だけを見て歩く。心は不思議と落ち着いていた。


 静穏を奏でる心を抱えて、シラーフェは王として最初の道を歩む。

 この短くも長い廊下を、王になる者として歩くことは初めてではない。


 深い海の底で見た四〇〇年前の記憶が今見ている景色と重なる。

 あのとき、ルヴァンシュが何を思ってこの道を歩いたのかは知らない。聞いても答えてはくれないだろう。



 シラーフェは、見せられた景色の先にある悲劇を思い、胸を不安で満たしていた。ルヴァンシュのことばかりが気掛かりで、この道の記憶は正直あまりない。


「ルヴァンシュ、お前はこの道を幾度と王となる者と共に歩いてきたのだろう? この長い長い廊下を……先に続くこの道はお前にはどう見える?」


 あのときとまるで変ってしまった心は、可能性に満ちた道筋がどう見えているのだろうか。


 己の無力を知り、現実を突きつけられ、この地であった惨劇を知ったシラーフェにはもう可能性の道を輝いたものとして見ることができなくなった。可能性はなんでもできると同意義ではないとシラーフェはもう知っている。


 万能の言葉ではなく、現実的なものとして、シラーフェは先に続く可能性を見る。

 もう輝くことのない、静謐な世界を見つめる赤目に代わりとして輝きを灯した。


「俺はいく。輝きのないものだとしても、俺は輝きを灯していきたい」


 いつだって思い出せる紫色の花畑の中、同じ色の瞳に宿った輝き。

 今はもういない、けれど今もなお、シラーフェのもっとも大切な位置にいる友人の持つ輝き。

 カザードで目にした己の進むべき道を見据えた者たちの揺るぎない輝き。

 知らぬ土地に突然放り込まれてなお、この世界と正しく向き合おうとする勇者の輝き。

 四〇〇年前の惨劇に塗り潰されてしまった、かつて確かに存在していたはずの輝き。


 そのすべてがシラーフェの胸を震わせ、消極的な心を叱咤してくれている。


『シラン様! かっこいいところ見せてね』


 おさげの少女がこちらを見て無邪気に微笑んでいる。

 その輝く笑顔に見守られながらシラーフェはいく。大切な友人の幻影に背中を押され、長い長い廊下を歩む。

 陽の光が近付くにつれ、外で待つ民のざわめきが聞こえてくる。


「……っ」


 廊下の終わりで、赤髪の少女が待っていた。ゆっくりとこちらを振り返る少女の顔は陽光で隠されている。揺れる赤髪だけが鮮やかに、存在を主張するようにきらめいていた。

 言葉はない。こちらもまたかける言葉に迷う逡巡の初恋の幻影は掻き消える。


 再度口を引き結び、正面を見据えて赤紙の少女が立っていた場所を通り過ぎる。

 部屋を抜け、陽光の射し込む先へと進み、シラーフェはバルコニーへ踏み出した。


 瞬間、大きな歓声と戸惑いの声が湧く。こうしてシラーフェが王として公の場に立つのは当然のことながら初めてのことである。

 民は王位を継ぐのがシラーフェだとこのときまで知らされていない。多くはフィルが継ぐものだと思っていたことだろう。


 そうでなくとも、キラやカナトの方がシラーフェよりも先に候補として名があがる。

 多くの予想を裏切り、王位継承者として現れたシラーフェに戸惑いが生まれるのは当然のことであった。


 事前のフィルとの打ち合わせでも予想されていたことであり、シラーフェの中に動揺はない。気持ちは分かるという思いの方が強い。シラーフェも同じ立場なら、同じ反応をしていた。

 誰からも注目されない立場の者が、誰よりも輝かしい立場に就くのだから。


 ゆっくりと歩を進め、正面に立ったシラーフェはゆっくりと民を順繰りに見る。

 こちらを見る一人一人、あるいは見てはおらずともこの場にいる一人一人の顔を見る。


 シラーフェの姿に感激している者。予想外の人物に驚きを隠せずにいる者。

 値踏みの視線を向ける者。不安を覗かせる者。目を輝かせてみる者。

 不機嫌を露わにする者。一切興味を示さない者。ただ流されるままにこの場にいるだけの者。


 離れた位置であっても、民の顔はよく見えた。注がれる感情のすべてを、シラーフェは真正面から受け止める。

 好意的なものばかりでなくとも、シラーフェは好意的に受け止める。

 四〇〇年前、ルヴァンシュの瞳を通じて見た景色以上にシラーフェの胸を満たすものであった。


「これより王位継承の儀を執り行う」


 シラーフェの傍らに立つフィルが朗々と告げる。

 本来は現王あるいは最少が担う役割にフィルが自ら名乗り出た。


 それは多くから次期王と目されていたフィルが、この結果に納得していることを示す意味があると聞かされた。


 一部の上位貴族はシラーフェが王になることに納得しない。無事に継承の儀を終えてもなお、フィルに王位を継ぐように言ってくるような輩が。


 フィルが式典の仕切りを担うのは、そういう者たちへの牽制なのだと。

 ここでシラーフェとフィルの結びつきを示し、邪な考えに釘をさす。


「――影向を希う。九重の地の底、深淵にて眠る者よ。陰を極めし御霊よ、この地の導き手に可惜夜の祝福を」


 流麗に紡がれる言葉に応える周囲のマナが震える。


 魔法の行使に似た現象でありながら、微妙に異なる振動だった。微かな揺れは次第に大きく、広がっていく。

 周囲のマナが集い、渦を巻き、朧ろに形を作り始める。


 揺らぐマナは人の形を成し、シラーフェを覗き込むように頭を下げる。目はないが、強大な存在に見つめられている感覚に妙な緊張感が沸き立つ。


 これもまたシラーフェにとっては二度目のことである。ただ、ルヴァンシュの目を借りて見ただけのあのときと、己のこととして受ける今では感じる迫力はまるで違う。


 人知を超えた神なる存在に値踏みされ数拍。人の形をなすそれは緩慢にその手をシラーフェへと伸ばした。シラーフェは髪の残滓を仰ぎ見たまま、これを受ける。

 マナの塊に触れられる感覚は不思議なものだ。実体のないものに頬を撫でられ、あるともないとも言える感覚を味わう。

 すぐに手は離れ、最期にシラーフェをじっと見つめてマナの塊は霧散した。


 粒となって散るマナが光を浴びて輝く。その中に佇むシラーフェの荘厳を纏った姿に民の多くが感嘆の息を零す。

 懐疑的にこちらを見ていた者さえも、シラーフェの姿に魅入られている。


「神の祝福はなった。アンフェルディア王国の新たな王はここに誕生した!」


 朗々と響くフィルの声に応え、その場に集った者たちは各々声をあげる。

 表情はいっそうの歓喜に彩られ、神の御姿を見た感動に突き動かされるまま、深奥を祝福する。


 晴れやかな空気に包まれる中で、シラーフェの胸中に潜む存在は好んで暗き者を見つけ出す。

 熱狂の渦に巻き込まれず、憎悪を、不快感を、無関心を抱く者たち。それもまたシラーフェが慈しむべき民だと認識して、脈打つ種の訴えと意識の外へと追いやる。


「シフィ、挨拶を」


「はい」


 フィルに促され、シラーフェは改めて集う民を見る。

 〈復讐(フリュズ)の種〉に見せられるのではなく、自分自身の目で民の一人一人を見る。


「余はアンフェルディア王国第三十二代国王、シラーフェンヴァルト・マーモア・アンフェルディアである」


 荘重に口を開き、一音一音を重く響かせる。胸を張り、自分を大きく見せる心持ちでこの場に立つ。

 王らしく、と事前にフィルに言われた言葉を反芻し、シラーフェの知る偉大な王に倣う気持ちで民に向かい合う。脳裏に浮かぶのは父王メーレであり、アルベ王であり、シャトリーネであった。


 三者三様の王の在り方を並べ、自分自身と向き合い、ふっと息を吐いた。

 作り上げた荘重が解け、空気が弛緩する。多くは気付かないささやかな変化は確かにシラーフェの心持ちに変化を齎した。


()がこの場に立っていることに驚いている者は少なくないだろう。俺自身、本音を言えば未だ夢心地だ」


 先程から一転した雰囲気にようやく気付いた民がざわめきを生む。

 傍に立つフィルも怪訝な表情を浮かべているだろうと想像し、少しだけ罪悪感を抱く。


 今、シラーフェが口にしようとしていることは、フィルとともに作り上げた演説とは異なるものであった。

 実際に民と向き合い、変わった心で紡ぐ言葉はさんざん話した為政者としての姿とは程遠いものだった。


 弱く、不安定なところを見せるのは王として相応しくない。

 理解してはいるが、無垢にこちらを見る民に己を着飾って見せることに躊躇いがあった。


「優秀な兄姉の方が余程相応しいという思いもある。けれど、俺には優しい世界が作れると言ってくれた者がいた」


 目端で青緑の髪が揺れる。目を遣らずとも、その顔が笑み崩れていることは容易に想像できる。

 集う民の中に彼女がいたら、今のシラーフェを見て喜んでくれるだろうか。


「選ばれた意味は分からずとも、向けられる期待に応えたい。応えられる自分でありたいと思っている」


 紡がれる言葉の不安定さに反して、シラーフェの声には強い意思が宿っている。

 この思いの強さ応じて、首位委に飛び交う精霊が美しく飾る。どこから現れたのか、いろとりどりの精霊が縦横無尽に奔放にシラーフェの周りを踊る。

 幻想的な光景の中心で、シラーフェは愛おしい情景を重ね、かつて抱いた夢を音に乗せる。


「俺の夢はアンフェルディアに花を咲かせることだ」


 多くの民は精霊たちが生み出す幻想的な光景に魅入られ、一部の者は非現実的な文言に眉根を寄せる。

 夢想家と揶揄されること覚悟して、シラーフェはメイーナと同じ夢を口にした。

 シラーフェの言葉に耳を傾ける誰よりも、嘲笑する拍動を感じながらもなお、前を見据える。


「花は生活に必要なものではない。なくとも困ることはないだろう。だが、我々に必要なのは非常時に不要とされるものであろう」


 気付けば、精霊はより数を増している。

 シラーフェの周辺、バルコニーだけではなく、集う民の周辺にも精霊が飛び交っている。

 ウォルカじゅうの精霊が集っているのではと思ってしまう程だ。冷静に好かれている自覚のあるシラーフェでもこれほどの数は見たことがない。


 祝福してくれているのだと解釈し、感謝を込めて角からマナを排出する。

 シラーフェの気を含んだマナが一帯に広がり、食んだ精霊はいっそう光り輝く。


「道端に咲く花を愛で……大切な者とともに花畑を歩き、愛おしいものに花束を贈る。今のアンフェルディアでは起こり得ぬそれを、ささやかな幸福を飛べる日常を皆に送りたい」


 今は不要な贅沢品とされるものを、意識せずとも求められる日々こそ、シラーフェに望むものだ。

 植物が育ちにくい土地で花を咲かせることを望んだ者がいた。長年啀み合うに種族が分かり合える世界を望んだ者がいた。


 夢物語ではなく、実現可能だと多くに認められる世界を作る。

 それこそシラーフェがアンフェルディアの国王になる意味だ。


「ささやかな幸福を誰もが謳歌できる国にしていく。それこそ俺はこの場に立つ意味だ。この命、アンフェルディアの未来のために使うと誓おう」


 上手く思いを伝えられただろうか。

 シラーフェはあまり言葉が上手い方ではない。本来言うはずであった原稿をから離れ、沸き立つ衝動のまま、口にした言葉はどれだけ届いただろうか。


 今更不安を募らせ、改めて民を見る。一拍の静けさがあって、大きな歓声があがる。

 空気が揺れる感覚を味わうシラーフェの中にはゆっくり安堵が広がっていく。自然、笑みが零れる。


「シフィ、手を振ってやれ」


 フィルに耳打ちされ、シラーフェはそっと手をあげる。


 さらに大きくなる歓声を浴びながら、シラーフェは民たちに手を振る。役目を一つ果たしたことで緊張の糸が一つ切れたのか、注目されることに気恥ずかしさが疼く。


 思えば、今まで大きく注目を浴びることはなかった。精々王族という肩書きから集まる程度のもので、優秀な兄姉を前にすれば、埋もれてしまう程だ。

 第五王子と言う立場に甘んじて生きていた自分がもっとも注目される立場になるとは分からないものだ。


「シフィ」


 促され、未だ歓声の絶えない空間に背を向けて歩き出す。

 振り向いた先には兄姉たちが一揃いしている。式典服に身を包んだ彼らは横一列に並んでシラーフェの演説を聞いていた形だ。


 シラーフェが先に屋敷の中に入り、他の王族らは年齢順に続く。

 屋敷の中ではそれぞれの影が控えており、ユニスの姿を見つけてシラーフェは表情を緩めた。


 バルコニーへと続く扉はすでに閉じられ、民は中の様子を窺うことはできない。もっとも信頼する従者の顔を見たことで緊張の糸が切れた姿を見られる心配はない。


 深く息を吐き出し、背筋が緩む。大役を終えた安心感が疲労として押し寄せ、冠や衣装がいっそう重く感じられる。


「シフィ、お疲れさん。かっこよかったぜ。お兄ちゃんってば、ついつい涙ぐんじまったぜ」


「本当ですわ。とても素晴らしい演説でした……。シフィ兄様らしいお言葉で感動しました」


 疲労感に潰されそうな背中をどっと励ますライは、涙の欠片もない笑顔で真っ先に労う。

 並び立つネリスは目の端に涙の粒を光らせ、シラーフェの演説をほめたたえる。


「兄上やネリスの心に響くものがあったならよかったです。原稿を無駄にしてしまい、フィル兄上には申し訳なく……」


「気にする必要はない。事前に整えた言葉により、内から零れた言葉の方が効果的なこともあろう。――悪くない演説だった」


 時間をかけた準備を無駄にする形となったシラーフェを、フィルは怒るどころかっ賛辞を贈る。口元がほころんで見えるのはきっと気のせいではないだろう。


「うん。いい演説だったよ。きっと多くの民にシフィの気持ちが届いていたはずだよ」


「シフィのこと、たっくさん抱き締めてあげたいところだけれど、今はこれで我慢してちょうだいね」


「ありがとうございます」


 まだパーティが残っているからリリィ控えめにシラーフェは頭を撫でる。

 国の長となっても、兄姉たちの態度は変わらず、弟としての顔は表情を崩す。


「ふんっ、熱に浮かされただけの民の反応が何になる。大望を口にしたのなら、緩む暇もないだろうに、やはりお花畑が口にする妄言の類か」


 和やかな空気に水を浴びせる言葉を投げかけるのはカナトだ。

 態度は変わらないのはこの兄と同じ。剣呑さを向けるカナトへ言葉を返す間もなく、彼は早々に場を立ち去る。


「カナトとは俺が話しておくよ。シフィはゆっくりしていて」


「すみません、キラ兄上。ありがとうございます」


 穏和に笑うキラを複雑に思うとともに見送る。疼く感情に気付いてか、ライがシラーフェの肩を叩く。


「あんま気にすんなよ。カナ兄は嫉妬してるだけだからさ。いつものヤツ、いつものヤツ」


 隙なくライに励まされながら、そっとカナトが去った方を見る。いつかカナトとも分かり合えるだろうかと願いを込めて。

挿絵(By みてみん)

シラーフェ(王位継承の儀ver)

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