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魔王に花束を  作者: 猫宮めめ
第4章

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92「王の衣装」

 細やかな意匠を施され、豪奢な装飾がいくつもついた外套に袖を通す。


 華やかに彩られた分の重みが両肩にかかる。裾は長く、決して背の低い方ではないシラーフェをもってしても引き摺るほどの長さだ。

 王位継承の儀を前に特注で作られたものなので、この引き摺る状況で正常である。


「冠をつけさせていただきます」


 恭しく告げる使用人が手に持つのは国王に代々受け継がれている王冠である。

 歴史の重みはもちろん使われている金属、装飾一つ取ってみても、国宝級の代物であり、慎重に掲げる使用人の手によってシラーフェの頭の上に収まる。


 横に控える使用人が角に装飾を嵌め、王シラーフェンヴァルト・マーモア・アンフェルディアが完成する。

 姿見に映し出される、見慣れない自身の姿にシラーフェが抱く感想は一つだけ。


「重いな」


 外套を纏った時点で重かったが、冠をつけると余計にかかる重量が増したように思える。

 足に纏わりつく長い裾も邪魔で仕方がない。不自由を強いられている感覚が強く、あまり長いこと着ていたくないと言うのがシラーフェの本音だ。


 鏡に映る自身を見ても、特別な感慨もない。いつもと違う姿が新鮮に映るだけだ。


「大変よくお似合いです」


 お着替えを手伝ってくれていた使用人たちが下がり、代わりにユニスが傍に歩み寄る。

 姿見に映し出されるユニスと目を合わせながら、形ばかりの笑みを浮かべる。

 皮肉めいた表情の自分ともまた目が合い、笑みには苦いものが混ざる。


「似合っているだろうか……」


「お似合いです。実に洗練されたお姿にございます」


 互いの声が硬い。感情を抑えた互いの反応に妙な空気を感じて沈黙が落ちる。

 イゾルテの謀反や王位継承の儀の順二と、ここ最近ユニスとまともに話す機会がほとんどなかった。


 シラーフェの個人的な事情もあって、最低限事務的な会話しかしていない。

 なんとなく開いた距離を生める方法も分からず、鏡越しですら視線を合わせづらい。


「おっ、着替え終わってんな」


 硬く流れる空気を壊すように、軽薄な声が投げかけられた。

 いつもいつもこの兄は図ったように現れると、シラーフェはようやく姿見から視線を外して来訪者を見た。


 黄色を帯びた白髪を、今日は珍しく下ろしている。珍しいのはそれだけではなく、いつものように気崩すことなく、儀礼の衣装を纏っている。


「シフィ、よく似合ってんじゃん。流石、オレと同じでなんでも似合うねぇ」


「ライ兄上……わざわざこちらにいらしてくれたんですか?」


「王位継承の儀なんて言っても、参列すんだけのオレは暇だかんな。始まるまでの時間潰しに主役の顔でも拝んどこうと思ってな」


 重さを持たないライの様子に場の空気は弛緩する。


「しっかし、久しぶりに着て思ったけど、やっぱ儀礼用の服ってのは窮屈でいけねえな」


「ライ様! 王位継承の儀が終わるまで気崩さないでくださいね」


 詰め寄るとソフィヤにライは「分かってる、分かってる」といまいち信用できない言葉を返す。


「ライ兄上の気持ちは分かります……」


 思わず零れた本音にライが目を丸くする。

 そしてすぐに目元を和らげた。口角をあげて、肩を組む代わりにシラーフェの肩に手を置く。


「なんだ、シフィも窮屈に思ってる口か? その服、すげぇ重そうだもんな」


「そう、ですね。重いですし、動きづらいです……」


 普段どちらかと言えば、身軽な装いを好むシラーフェとしては苦痛を感じる装いである。

 信頼している兄への甘えから、ついつい本音が零れてしまう。


「王は動く必要ねぇってことだろうな。周りのヤツらと上手く使うことこそ、仕事みてぇなもんだし」


「それは……あまりにも簡略に言いすぎてはありませんか?」


「そりゃ、カナ兄みたいに武力重視の王もいただろうけどさ、それにしたって王が最前線に出るのは愚策だろ?」


「それはそうですが……」


 どれだけ剣の腕が優れていようと王が自ら前線に出ることはまずない。

 それもまたライの言うところの、周囲を上手く使うということなのだろう。

 王は剣の腕以上に、采配能力が必要とされる。いや、究極的に言えば、それすら必要ない。


 必要な国の象徴として君臨し続ける素質である。

 己の持つ才を充分に発揮して国を支配するか、自らを愛する者に依って、理想の国を共に作り上げるか。

 円滑に国を統治する術を二通り描くも、シラーフェにはどちらにもなれないだろうと息を吐く。


 どちらかになる必要はないと思う。ただシラーフェはあの日、己に課した願いを果たすだけ。

 その先にかつて夢見た光景の実現を、というのは流石に欲張りすぎるだろうか。


「不安か?」


 波打つ心を見透かしてライが問いかける。口調は軽く、瞳は真摯に。

 求めている通りにシラーフェの心に寄り添ってくれる。


「そりゃ不安か。国の長になるんだもんな。オレにゃあ、その重さは分かんねぇし、言えることもそんなないけどさ、オレは変わらずシフィの味方だからな」


 目元に和らげた赤目に慈愛を込めて言葉は紡がれる。

 幾度となく聞かされた言葉はシラーフェの中、もっとも深くに刻まれているものだ。物心つく前から、誰よりも信頼できる存在として傍にいる兄はその事実を改めて愛心を以て音にする。


「王としてのシフィの力になるのはフィル兄に任せるとして、普通の、ただの魔族のシフィの力にはオレにだってなってやれる。だから、シフィが疲れたときはオレんとこに来ればいいさ」


「……本当にライ兄上はオレに甘いですね」


「いい兄貴だろ?」


「はい。頼もしいです」


 姿を見ただけで心が緩むくらいに頼りにしている。

 何気なく鏡面を見遣れば、先程より幾分か気の緩んだ自分の顔が映し出される。

 自覚はなかったが、緊張していたらしい。もしかするとこの兄はシラーフェの緊張に気付いてくれたのかもしれない。


「兄上、ありがとうございます」


 自然と零れた感謝をライは軽い調子で受け取る。


 気負わないその態度もライらしく、これまた自然と笑み零れる。

 少しだけ違った心持ちで、鏡面の中の自分を見る。


 ライが来る前と変わった表情はその印象を幾分か頼もしいものに見せる。多少は王として立つに相応しく見えるだろうか。

 鏡に映し出される自分を見つめ合うシラーフェは聞こえたノック音に再度視線を外した。


「おや、ライも来ていたんだね」


「ライちゃんはシフィのことが大好きだものねえ。心配で、一番乗りに見に来たのね」


 揃って姿を現したのはキラとリリィだ。

 二人も用件はきっとライと同じ。王位継承の儀を控えたシラーフェの様子を見に来たのだろう。兄姉の心遣いに胸が温かくなる。


「うん、よく似合っているね。感慨深いね」


「こーんなに小さかったシフィが立派になって……」


 生まれてからこの日まで買い越し、感慨に浸る兄姉を妙に気恥ずかしい思いで見つめる。

 涙ぐんですらいるリリィはいつものようにシラーフェへ手を広げる。慈母の微笑みで迎え入れるリリィに包み込まれる。


 女性特有の柔らかな感触と甘やかな香りはシラーフェにとって慣れ親しんだ温かさだ。

 リリィはことあるごとに弟妹を抱き締める癖のある人なので、女性と触れ合う緊張よりも、姉に包まれる安心感の方が強い。


「シフィってば、式典の前に女性といちゃつくなんて隅におけないね」


「あらあら、ライちゃんもしてほしいならいくらでもしてあげるわよ」


 一度シラーフェから離れたリリィはすぐに標的を変えて、ライに抱きつく。

 ライには抱き締めるだけでは飽き足らず、頭を撫で始める。思えば、リリィがこうしてライを触れ合っている姿を見るのは久しぶりかもしれない。

 幼い頃は幾度か目にすることもあったが、十を過ぎた頃からは一度として見ていない。


「リリィ姉、もういいって」


「あらあら恥ずかしがることないのよお」


 女性好きなライならば、リリィとの触れ合いを喜びそうなものだが、意外にも逃げるように身を捩っている。

 軽薄さばかり描く美顔は珍しく赤らんで、照れているように見える。新鮮な姿だ。


「姉上相手だとライも形無しだね」


 他人事のように呟くキラをライが恨めしそうに見つめる。

 と、一つ瞬きをしたライが半ば強引にリリィは引き剝がした。突然の行動に驚く間もなく、ヒールが床を叩く音が聞こえた。


「シフィ兄様っ、お邪魔しますわ」


 勢いよく床を叩く靴音とともに賑やかな声がやってくる。それはライの突然の行動の理由を雄弁に語っていた。

 末妹ネリスの来訪にいち早く気付いたライに兄として矜持からリリィから無理矢理に逃れたのだ。


 シラーフェが気付けたのはならば、当然リリィとキラも気付いている。

 やや強引なライの行動にリリィは怒るどころか、嬉しそうな顔を見せていた。


「まあ、お姿をお見掛けしないと思っていたら、お姉様がたもこちらにいらしていたのですね」


 場にいる者を大きな目を収めてすぐネリスは駆け足気味に合流する。


「ネリスも来たのか」


「こんな貴重な機会を見逃すわけにはいきませんもの。使用人から着替えが終わったと聞いて急いで来ましたのよ」


 ネリスの言う貴重な機会の意味が分からず眉根を寄せる。

 王位継承の儀が滅多にない機会なのは確かだが、ネリスの言っていることは違うだろう。

 その詳細を求める必要はなく、すぐにネリス自身の口から明らかにさせる。


「式典が始まってしまってはシフィ兄様のこの姿をゆっくり見ることはできませんもの」


 どうやらネリスはこの王位継承の儀のために仕立てた衣装が気になっていたらしい。


 細やかな意匠と煌びやかな装飾を飾り立てられた王シラーフェの衣装。遠目にも映えるような職人が拘り、国の長が着るものとして相応しいだけの素材を揃えた代物。

 こうして袖を通すまでに多くの労力とお金をかけたそれは、込められたものに反して披露される機会は少ない。


 こんな重たい衣装を普段使いできるわけもなく、着る機会はと言えば、今日もように式典が催されるときくらいのものであった。


「今日が終われば、城内で保管されることになるはずだ。言えば、いつでも見ることは可能だろう。俺も止めるつもりはない」


 ネリスは年頃の女性らしくお洒落に興味がある。国有数の職人が仕立てあげた衣装にも興味があるのだろうと思って提案する。


 今日の王位継承の儀が終われば、この衣装は宝物と同等の扱いを以て保管されることになる。

 シラーフェが許可を出していれば、見ることも、触れることも咎められることはない。


「……シフィ兄様、まるでわたくしの気持ちが分かっていませんわ!」


 喜ぶだろうと思っての申し出は眉尻をあげたネリスによって拒否される。


「わたくしが見たいのはその衣装を纏ったシフィ兄様の優美なお姿を見たいのです。お兄様が着ていらっしゃらないのならば価値はありませんわ」


 言い切る姿は勇ましく、勢いに気おされるシラーフェは苦く笑う。

 ネリスの考えを読み違えたことに対する恥と、真正面から褒められたことに対する恥が同時に込み上げる。


「ネリス、気持ちは分かるけれど、職人たちが心血を注いで作り上げた衣装だ。価値がないと言うのは感心しないね」


「うっ、勢い余って言いすぎてしまいましたわ。ごめんなさい。もちろん素荒らしい衣装だと心から思っております」


「うん。ちゃんと謝れて偉いね」


 己の失言を指摘され、素直に謝罪を口にするネリスと、相好を崩して受けるキラ。

 二人のやりとりを見ているうちにシラーフェも落ち着きを取り戻した。


「そういうことなら好きなだけ見てくれ」


 妹の要望を聞くため、その身を完全にネリスの方へ向ける。

 気持ち胸を張って立つシラーフェはその目を歓喜で輝かせて正面で向かい合う。


「普段のシフィ兄様ももちろん素敵ですけれど、特別な意匠を纏っているお姿は格別は趣がありますわ。エマリに見せられないのが惜しいですわ」


「あちらはあちらで忙しくしているのだろう。仕方あるまい」


 式典の後は新しい王の誕生を祝うためのパーティが開かれる。

 王城の使用人は皆、駆り出される。一際豪華に彩られたパーティの準備に人手が必要と従者となって間もないエマリもまた雑用に忙しくしているようだ。

 準備が早くに終われば、挨拶を聞く時間くらいはあるだろうか。


「ちなみにネリスちゃん、俺もなかなか見れない格好してるんだけど」


「ライ兄様もよくお似合いですわ。普段からそのように整ったお姿をしていらっしゃればよろしいのに」


「言ってくるねえ。普段のオレもかっこいいだろ?」


「あのように軽薄な服装はわたくしの好みとは異なりますのでお答えできませんわ」


 いつも通りに言葉を交わすライとネリス。シラーフェ以外の王族は皆、揃いの式典服を着ている。

 同じ意匠の服を纏っていると余計に仲睦まじく見える。見慣れた光景に温かな気持ちを抱いているのはシラーフェだけではなく、リリィやキラも穏やかに二人を見ている。


 数日前のお茶会の場を思い出される光景にシラーフェの胸は複雑に疼く。


「――やけに騒がしいと思えば、皆揃っていたのか」


 疼きが齎す覚悟を確かめるシラーフェの耳に始まりへと繋ぐ声が届いた。

 場にいる全員の視線を当然のように受けるのは長兄フィルであった。甘さを切り捨てた鋭い瞳に射抜かれ、シラーフェは無意識に口を引き結んだ。


 フィルが訪れたのはシラーフェの刀子を見に来たのではない。ましてや、ネリスのように特別な衣装を纏ったシラーフェを見に来たのでもない。

 情に絆されることを選ばない兄はただ長兄として、第一王子として果たすべきことを優先する。


「シフィ、時間だ」


「はい」


 互いに交わす言葉は少ない。交わす視線に宿る感情もまた少ない。

 そこにあるのは己に与えられた役割を全うする意思とそのための覚悟だ。


「演説の内容は頭に入っているな」


「問題ありません」


 少ない言葉は言葉を信頼と受け取ってシラーフェは強く頷く。そうして一歩踏み出した。

 これから先、歩むことになる。きっと長くはない王としての道を。

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