91「影たちの談話」 挿絵有
怒涛の勢いで過ぎ去った日々など知らぬと青々とした空はどこまでも広がっている。
胸に巣食っていった悩みの一つが解消されたせいか、心なしか空も澄んで見える。
「主犯であるイゾルテ、及び協力者である影人四名は騎士団内で拘留中。協力者の一人であるイフアン・ラァークは消息不明、現在捜索中だ」
謀反を起こした影人たちは「ツェル」の者たちの協力により一人を除いて、皆、騎士団に拘束されることとなった。
この場には謀反人を捕らえる役を担った「ツェル」の者たちが勢揃いしており、フニートの報告を耳に傾ける。
「普段あれだけ偉そうな態度してるのに、一人だけ取り逃がすなんて立派なもんだね」
「はっ。一人では成果も出せないような奴が生意気なことを言う」
「こっちは二人相手だったんだから仕方ないでしょ。与えられた役目も果たせない人にとやかく言われる筋合いはないっての」
消息不明となっているイフアンは、カナトに扮したレナードが相手をすることになっていた。
ただ一人、役割を全うできず、謀反人を逃がす結果となったレナードは変わらず、不遜に鼻を鳴らす。そこにいつものようにリーカスが噛み付く構図だ。
「そっ、そうですよ。リカは本当に頼もしくて、むしろ自分の方が足を引っ張るんじゃないかって気が気じゃなく……」
「ソフィヤはもうちょっと自信を持ちなよ。僕もすごく助けられたんだから」
自信なさげながら口を挟むソフィヤはレナードに睨まれて身を縮こませる。それ以上視線を寄越すだけ無駄だと言わんばかりにレナードはすぐに視線を外す。
さらに身を小さくするソフィヤにリーカスがそんな言葉を投げかけた。
「しかし、レナードが失態を演じるとは意外だな。イフアンはそれほど腕が立つ相手だったのか?」
剣の達人と名高いカナトを主に持つレナードは自身も剣が立つ。
そのレナードが取り逃がす相手として、イフアンは不足しているというのがユニスの見解だ。
イフアンと直接顔を合した時間は少ないながらも、その思慮の浅さが感じ取れる人物であった。
一度騎士団に捕らわれた経緯を含めて、己の感情のまま突っ走る性情の持ち主だった。戦闘能力までは把握していないが、レナードが遅れを取るとは思えない。
抱く不審をメリベルが真正面から問いかけた。誤魔化しを許さない凛とした赤目を、静かに見返し、短い沈黙を以てレナードは口を開く。
「あの程度、相手にもならない。ソフィヤごときが押さえられる相手に俺が遅れを取るわけがないだろう」
「取り逃がした人が言う台詞じゃないんですけどー」
「話は最後まで聞くんだな、恥知らず。俺はあの出来損ないに後れを取ったわけじゃない」
リーカスへの苛立ちのままに吐き捨てるレナードに影人たちの意識が向けられる。
それぞれの感情を含ませ、レナードがイフアンを逃がすに至った理由を耳に傾ける。
「目を離した隙に逃げられただけだ」
「はあ⁉ さんっざん偉そうなこと言っといて理由がそれ? ふざけないでよね!」
拍子抜けする理由に文句を重ねるリーカスに、レナードは珍しく言い返すこともなくユニスを見た。
馴染んだ侮蔑でユニスを射抜き、口元を歪める。
「これは俺の失態ではなく、そこの欠陥品の失態だ。メリベル、認識を改めるんだな」
「どういうことだ?」
「情報に誤りがあったんだ。イフアン・ラァークには協力者がいた。そのせいで逃げられたんだ」
初耳だ。隙を見つけたと喜び勇んで糾弾するレナードに抱くのは驚き。
イゾルテに紹介された協力者はフニートに報告した者たちのみ。イフアンを除いた全員が同時刻にこの場にいる者たちによって捕らえられている。
他にユニスが知らない協力者がいたのか。
イゾルテはユニスのことを完全に信用していたわけではなかった。すべてを包み隠さず話していたと言えるわけではないが。
「すでにその報告は受けている」
レナードが生み出した歪な空気はフニートのその一言で打ち破られる。
「イゾルテ・ラァークに尋問しましたが、心当たりはないの一点張りだ。……ただ、レナードがイフアンと交戦した場所に魔術を行使した痕跡が残っているというスクトの報告もある」
すでに粗方の調査を行ったらしいフニートの言に仄かな緊張が走る。
魔族の国たるアンフェルディアで魔術が行使されることはほぼない。森の中や町の外れであれば、魔物によるものと処理することもできるが、レナードがイフアンと接触したのは王城の片隅。
カナトがいつも剣の鍛錬を行っている場所だ。魔物が入り込める場所でも冒険者の類も入り込める場所ではない。
「王城に魔術の痕跡か……。影人が敵に回れば、入り込める隙がないとは言えない。これは我々の思想の怠慢だな」
影人が裏切る可能性を考えていなかったが故の警備の穴。
一族から裏切り者を出した罪はこの場にいる全員が負うべきものだ。とりわけ長の家系、次期長の位置に座するフニートは事態を受け止めた顔で。
「長も体制の見直しを検討している。警備の見直しもも騎士団との調整の段階に入っている」
感情を排除した声で、現状だけを伝える。
端的に説明する声は静菌を果たしつつも、多くを語れる状況ではないことも告げていた。
「魔術の痕跡は聖国の人間の可能性はあるの?」
「現状ではなんとも」
「王位継承を控えている今、聖国の人間に介入されては面倒だな。ただえさえ、きな臭い話も多いというのに」
魔術を扱う者、そしてアンフェルディアに敵対する可能性がある者として最初に出てくるのはルーケサの関係者だ。
敵国にして隣国でもあるルーケサ。最近でぇあ勇者が召喚されたと話題だ。さらにユニス自身も目撃した、魔物化された魔獣たち。
ルーケサが戦力増強を図っているのは間違いなく、アンフェルディアに戦を仕掛ける気ではないかと警戒せずにはいられない。
影人への、という枕詞がついてはいたが、イゾルテの目的は謀反。ルーケサの者と協力するには充分な理由であると言えた。
「見たのは一瞬だったというのは言い訳にしかならないな。情報不足は謝罪しよう」
素直に謝罪を口にしたカナトにリーカスはこれでもかと言うほど目を見開く。
男にしては長い睫毛に縁取られた、男にしては大きな目がさらに大きくなってレナードを見つめる。
「えっ……ええ、レナードが謝るなんてどうしたの……? この短い時間で頭でも打った⁉」
「失礼な奴だな。俺だって自分に非があるのなら謝罪もする」
「ええー、普段は絶対謝らないじゃん。不遜に鼻を鳴らすだけでしょ」
失礼を重ねるリーカスにレナードは眉を寄せる。ユニスにはリーカスの失礼極まりない物言いを否定することはできなかった。
むしろ、リーカスの口にした状況の方がありありと思い描けてしまう。
白状すると、ユニスもリーカスと同じくらい驚いている。目上の者相手ではなく、レナードが謝罪を口にするなど有り得ないと思っていた。
「言っただろう。非があるなら謝罪する」
普段謝罪を口にすることが少ないのは非を認めていないから。
そもそもユニスやリーカスは謝る価値のない相手と思われていることを考えればさもありなん。
「今回は王族の方々の身にも危険が及ぶことだ。油断して敵を逃がしただけでなく、情報すら持ち帰れなかった己の非は正しく認めよう」
高慢な言動こそ目立つが、レナードもまた王族に忠誠を誓う影人の一人だ。
主であるカナトを思うあまり、不躾な態度を取ることも多いが、忠誠は誓っている。ユニスにとって身近なユニスやライに対する態度を思えば、疑問を抱かざる得ないが、忠誠は誓っているはずだ。
真剣なレナードの様子に勢いを削がれたリーカスはそのまま口を噤む。
「もっともこの非は謀反人のもとへ間諜として潜り込んだ欠陥品こそ負うべきものではあるがな」
責任を感じている状況でも、ユニスを蔑む手は緩めない。向けられる侮蔑を正面から受け、ユニスは先程のレナードに倣って頭をさげる。
「役目を果たせなかったこと、謝罪を致します」
「ユニスはよくやってくれていましたよっ。そのおかげで自分たちはイゾルテ様たちを捕まえられたんですし」
「そーそー。逃がしちゃってる人に比べたら、まだ役割を果たせてるって」
「はっ。不完全な者どもの傷の舐め合いか? だからお前らは不完全なままなんだ」
鼻で笑うレナードに、リーカスは再度可愛らしい顔を不機嫌に彩る。その薄い唇がいつものようにレナードへの文句を発するよりも先に、二人の間にメリベルが割って入る。
下を定めた者への侮りを惜しみなく表現するレナードと、怒りを正しく表現した突っかかるリーカス、両社へへ呆れを滲ませた息を吐いて。
「お前たち、いい加減にしないか。いつまでも啀み合われては話が進まない」
理路整然と道理を生きるメリベルに言い返せる者はそういない。
気勢を削がれたリーカスは言葉を呑み込み、レナードは顔を歪めたまま視線を逸らす。
「ないものに強請っても仕方があるまい。己の非を認めることは必要だが、そこに拘っていては本末転倒だ。失態を演じたと言うのであれば、それを取り戻すことにこそ力を注げ」
紡がれる言葉は隙なく正しいもので、傾聴する他ない。
元よりユニスは己の、生まれながらの失態を取り戻すために間諜という役目を買って出た。そこでさらに失態を演じたと考えると己の未熟さを痛感させられる。
「それで、謀反者の処遇はどうなるの? 極刑?」
年少の者たちがメリベルの叱りを受ける裏で、ティリオが自儘にフニートへ尋ねている。
目の前で繰り広げられている諍いなど目に入らないと言わんばかりに、二人は呑気に会話を続けている。
「その判断はマーモア様に委ねられることとなった」
「王としての最初の仕事?」
「そうなるな」
主の名を出されたこともあって、ユニスは何気なく二人の会話に耳を傾けていた。
てっきり、イゾルテたち謀反人の処遇はフニート辺りが決める者と思っていたが、まさかシラーフェに一任されることになるとは。
仄かに息を詰め、そっと視線を移す。
影人たちが会話を重ねる傍ら、数年ぶりに兄弟そろって行われたお茶会の席に座する主の方へ。
謀反の件が一区切りつき、情報交換という名目で、アンフェルディア王族の方々は選王の儀ぶりに全員は顔を合わせた。その裏で、ユニスたち影人は影人で情報交換をしていた形だ。
そうでもなければ、「ツェル」の者はこうして一箇所に集まることはそうない。
「やっぱりみなさんが揃うと華やかですよね。離れてても緊張してしまいます」
ユニスが王族の方々に視線を向けていることに気付いてか、ソフィヤに声をかけられる。
華やかな場を作り出す方々の中でただ一人、主のことだけを見ていたユニスは我に返って頷く。
「エマリちゃんもすっかり立派になって……」
王族の方々の傍で給仕をする使用人たちの中にエマリも混じっている。
ユニスは謀反の対処に掛りきりになっていたので、エマリの成長ぶりを見るのは今日が初めてだ。
「ソフィヤが代わりに教育係を引き継いでくださったようで……感謝します」
「いえ、リカも一緒でしたし、エマリちゃんはすごく優秀な子なので自分なんて全然」
「あれならば、シラーフェ様の従者となる許可も得られることでしょう」
約束の二月にはまだ早いながら、エマリは従者として及第点と呼べるくらいには形になっている。
ユニスが離れている間も、努力を続けていたことが遠目にも窺える。今はまだ他の使用人と見比べると見劣りするが、そう遠くないうちに遜色なくなるであろう。
才があるだけではなく、それを実現するだけの強い思いがエマリの中にはあるから。
ひたむきにシラーフェのことを想うエマリの存在がユニスの中で一つの救いになっていた。
「……シラーフェ様」
「ユニス? 何か言いましたか?」
「いえ、何でもありません」
メーレ王が亡くなってから、主の様子がおかしい。
時折、酷く思いつめた表情をしている。時折、痛苦を耐えるような苦い表情をしている。
時折、その身に深い影を纏っているように見える。時折、その目が酷く冷ややかな色を映していることがある。
多くが気付かないささやかな変化だ。気のせいと切り捨てられる微細な異常。
幼い頃から傍で見てきたユニスの目には一大事として映る。
あの心優しき方の、その瞳が冷たく彩られる理由が知りたい。
「いえ」
吐息に近く零れた否定。主が変わりつつある理由を、ユニスはなんとなく理解している。
王位継承。それに伴う何か。シラーフェに変化が訪れたのは、選王の儀が行われた日からだ。
思えば、あの日、儀式の最中に意識を失った主が目覚めたときも、シラーフェは同じ冷たい瞳をしていた。
王位を継ぐ栄誉を、本来ならば喜ぶべきなのだろう。
頭で理解していても、ユニスは喜べない。優しい主が変わってしまうくらいならば、王位など継がないでほしい。
知られれば、不敬と咎められるだけではない済まない思想が脳内を占拠する。
多くは望まない。影人の才などもういらないから、大切なあのお方だけは守りたい。守り抜きたい。
今の穏やかな時間のまま止まってほしい、とユニスは主を見つめながら思った。




