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魔王に花束を  作者: 猫宮めめ
第1章
9/80

9「序開」

 意識をすれば、自分の胸に潜む種の脈動が感じられる。生命の息吹のようであり、シラーフェのかけた魔法に零す苦鳴のようでもある。どうであれ、この先の未来、終わりのときまで共にあるのだから気にしても仕方がない。

 今はまだ違和感があるが、きっとそのうち気にならなくなる。


「シラーフェ様、やはりお体の具合が?」


「いや、気にするな」


 短く答えて、手早く身支度を済ませる。

 今日は町歩きする気分でもないので、素直に貴族服に袖を通す。そもそも次期王という立場になった以上、以前のように自由に町を歩くなんてできないだろう。

 少し惜しくはあるが、自身の覚悟を貫き通すことに揺らぎはない。自らに何の犠牲も齎さず、目的を果たせるとは思っていない。町歩きができなくなることはその中でも安い犠牲だとも思う。


 身支度を済ませた頃、ノック音が来客を告げた。早朝に部屋を訪ねてくる者に心当たりはなく、ユニスが応対する声を聞きながら、首を傾げる。微かに聞こえるこの声は――。


「シラーフェ様、ルシフィア様がお見えです」


「フィル兄上が? 通してくれ」


 朝に弱い兄の訪問に驚きながらも、長身の青年を部屋の中に迎え入れる。

 全身に威厳を纏い、シラーフェよりも余程王に相応しい風格を備えたその人物は鋭い赤目をこちらに向ける。

 相対せば、自然と己の弱さを見せつけられている気分になる。と同時に罪悪感が湧いて出た。


「申し訳ありません」


「何に対する謝罪だ?」


「……俺が、次期王に選ばれ…っ」


 最後まで言い割らないうちにフィルに額を弾かれる。鋭い痛みに驚くシラーフェを、フィルが場にそぐわない表情で笑い飛ばした。その反応はシラーフェの予想を大きく裏切るものであった。

 フィルはずっと王代理としてアンフェルディア王国を統治してきた。国の長として、それに相応しい存在になるために費やされた時間がどれほどのものなのか、シラーフェには想像もできない。


 少なくない時間であることは容易く理解でき、シラーフェが次期王に選ばれた今の状況は、そのすべての時間を無駄にするものだった。

 シラーフェはフィルの時間と努力を奪ってしまった。己の意思ではなくとも、それは代えがたい事実であった。

 怒られ、責められても、仕方のない状況で笑い飛ばされる意味が分からない。


「たわけ」


 口の端から笑声を零しながら、フィルはシラーフェの頭を撫でる。成長してもなお、追いつけなかった身長を見上げるシラーフェを、フィルは幼子相手するかのように撫で続ける。

 物心ついた頃にはすでに父王、メーレの手伝いをしていたフィルから撫でられるどころか、接することすらほとんどなかった。だというのに、柔らかな手つきには妙に安心感があるから不思議だ。


「お前が望んで王に選ばれたわけではないだろう。その分別がつかぬ程愚かなつもりはないぞ」


 頭を撫でる手が遠ざかり、その瞳を見上げる。鋭さを持つ兄の瞳は清々しい色を見せていた。

 それはシラーフェに気を遣わせないようにしているのとは違う、実を伴った色である。

 シラーフェはこの日初めて、フィルの瞳をちゃんと見た気がした。今まで何度も目を合わせてきたというのに。


 ずっと憧れていて、本気で目指していた頃もあって、追いつくことすらできないと諦めていた一番上の兄。そんな兄にたった一夜の間に近付けた、なんて烏滸がましい感情が湧いて出てくる。

 これは〈復讐(フリュズ)の種〉の影響か、シラーフェ自身の心変わりの影響か。


「……それに、俺は王になりたかったわけではない。長子の責として努めていただけだ」


 こちらを見る瞳に宿る感情が上手く読み取れず、シラーフェは一つ瞬きをした。


「王位を継ぐことは決して良いものではない。与えられる権力の分、課せられる責は重い。俺はそれをお前たちに負わせたくなかった。負うべきは長子たる俺であるべきだと」


 語られる言葉には既視感があった。記憶を辿り、ライが似たようなことを言っていたことを思い出す。

 王になるというのはいいものではない。そう語る二人の兄の考えに納得する裏で、今、自分はその地位にいるのだと実感させられる。


「選ばれなかった身でもできることはある。変わらず、治政に関わるつもりでいるからな。これまでの経験も無駄にはなるまい。いくらでも力を貸そう。さしあたっては――」


 一度言葉を切ったフィルは後ろに控える青年に視線で示す。

 青年――フィルの影であるフニート・ツェル・ラァークはその手に持っていた書類の束を差し出す。

 シラーフェに代わって受け取るユニス、その顔をフニートはモノクルをつけた瞳で見遣る。


 互いに無言。従者たるもの、無駄に口を開かないとよく似た新年を徹底する二人、ユニスとフニートは実の兄弟なのである。

 しかしながら、フィルとシラーフェの間にある兄弟の絆らしいものが、二人の間には薄く感じられる。距離を感じさせ、漂う複雑な空気を感じさせる。


「お前の影に相応しい者を纏めたものだ。目を通しておいてくれ、結論は後で聞かせてくれればいい」


「影、ですか……?」


「王位を継ぐとなれば、影不在のままではいられぬ。理解はできるな?」


 影人はその特別な力から王族に重宝されているというのは、すでに記述した通り。そして、その力というのが影に潜む力と、影を纏う力である。

 影に潜む力は、諜報活動に重宝され、アンフェルディア王国は影人で構成される諜報組織を抱えている。

 影を纏う力――すなわち、他者の影を纏い、その人物になりすます力は王族の影武者として重宝されている。


 影人が王族の従者として付き従うのは影武者としての任の一環なのである。幼い頃から近くに配し、影武者としての精度を上げるのである。そして、シラーフェには影となる従者がいない。

 これは異例なことであり、シラーフェの我が儘を押し通した結果である。


「俺にはユニスがいます」


「僭越ながら……従者として連れ歩くのであれば、愚弟でも申し分ないでしょう。これは従者としては優秀な男です。しかし、影にはなれない。マーモア様も承知のことと存じますが、これは影人としては欠陥品、出来損ないです」


 ユニス・ラァーク。王族の影武者の任につく者に与えられる「ツェル」の名を与えられなかった影人。

 影に潜めず、影を纏えず、ユニスは影人の欠陥品として生まれた。長の子として生まれながら欠陥品。

 それ故、一族の中で冷遇されていたユニスを、シラーフェが見つけて召し抱えた。


「ユニスは出来損ないではない。訂正しろ」


「出過ぎたことを申しました。謝罪いたします。申し訳ありません」


 視線を鋭くしたシラーフェにフニートは深く頭を下げる。ほとんど間を空けない謝罪には誠意が詰め込まれていた。主であるフィルの顔に泥を塗らないこと、それを徹底するフニートらしい姿だ。


 そこにあるのは従者の立場を超えた意見を言ったことへの謝意。謝罪しながらも、フニートの瞳は意見を変えるつもりのないことを告げていた。

 あえて追求はせず、この場は謝罪を受け入れることで収める。ここで話題を長引かせても、渦中にいるユニスが肩身の狭い思いをするだけだ。


「フィル兄上、俺にユニス以外の影は不要です」


 赤い瞳で、赤い瞳を射抜いた。我が儘であることを理解しながら、それが許されない立場になったと理解しながらも、譲れない思いでフィルと向き合った。

 見つめ合うこと数秒、先に目を逸らしたのはフィルだ。フィルは観念したように細く長い息を吐き出した。


「分かった。余計なことをした。その書類は処分してくれ」


「俺の方こそ、すみません。お気遣い感謝します」


 あっさり引き下がったフィルはきっとシラーフェの考えをなんとなしに悟っていたのだろう。

 シラーフェが影を断ったのには、ユニスのこととは別の理由があった。


 影武者の役割は主を守ることだ。いざというときに身代わりとして死ぬことだ。

 しかし、この身に宿るものとともに滅びることを決めたシラーフェに身代わりは不要。この役割を変わってもらう必要はなく、すべて背負う覚悟を持ってシラーフェは目覚めたのだから。


「用件はもう一つある」


 緩んだ気を取り直すように、フィルはシラーフェを見た。先程まであった弟を心配する兄の顔ではなく、統治者としての顔を纏った姿で。

 その切り替えの早さに為政者としての素質を垣間見せるフィルに合わせて、シラーフェもまた兄に向き直る。


「カザードで、自分の剣に作ってもらえ。今でも俺のおさがりを使っているんだろう?」


 アンフェルディア王族には成人になると男王族は剣を、女王族はティアラを贈られる。シラーフェは新しく鍛造されたものを望まず、代わりにフィルが使っていた者を貰った。

 争いを好まず、戦いを厭う性情ゆえにわざわざ剣を作ってもらう必要はないと考えたのだ。

 偉大な兄の剣を譲り受けることも名誉ではあるので、特に反対もなかった。


「国を背負う者が自分の剣を持っていないのは格好がつかない。お前はこの国の顔になるんだ。お前の使うものが国の風格を示す、よく覚えておけ」


「肝に銘じます」


 影の件と違ってこちらには断る理由がない。今までのように戦いたくないと駄々を捏ねるつもりもなく、むしろ願いを果たすために必要であれば、剣を握るつもりである。

 どうせ使うなら、シラーフェに合わせた専用の武器の方がいいだろう。今使っている剣はフィルに合わせて作られたものなので、刃渡りや重さにズレがあり、少し使いづらい部分もあった。

 カザード国とは、ドワーフの国であり、工業国家とも呼ばれている。アンフェルディア王族に贈られる剣やティアラはカザード国で個人に合わせて作られるものだ。少し遅れた成人祝いと思えば悪くない。


「アベル王にはすでに連絡を入れてある。準備が出来次第、発つといい」


「分かりました」


 昨日の今日という速さに驚きながら頷く。誰もが予想していなかったシラーフェが次期王に選ばれるという事態に対して、シラーフェ自身よりも思考を回し、いろいろと動いているらしかった。

 もしかすると寝ていないのかもしれないとまで考え、影の件を断ったことに少し罪悪感を覚えた。


 あの書類だって一夜で作れるものではない。ただえさえ、忙しい兄がシラーフェのために割いてくれた時間を無駄にしたようなものだ。それを理解しても、意見を変えるつもりのないシラーフェに今更言えることもないが。


「王位継承の儀については、こちらである程度進めておく。シフィはゆっくり旅でも楽しんでくるといい。この先、ゆっくりできる時間はそう取れないだろうからな。今のうちだ」


「お気遣い感謝します。本当に……いろいろと」


「気にするな、これも兄の責だ。俺は好きでやってる」


 シラーフェの言葉を遮る形に紡がれるフィルの声は素っ気なく愛情深い。

 役目を果たしただけと告げる声にシラーフェはずっと助けられてきた。カナトの言葉を借りれば、甘やかされているということだ。


 ●●●


 苛立ちが募る。奥の奥から湧き立つ苛立ちは一向に消え去らない。

 いつからだったかも覚えていない、それくらい長い時間、カナトは苛立ちに支配されていた。

 誰といても、何をしても消えない苛立ちは昨夜の出来事でより強く存在を主張するようになっていた。


「なんで……よりもよってあいつなんだ。なんで……」


 脳裏に描かれるのはカナトにとって二人目の弟の姿だ。

 シラーフェンヴァルト・マーモア・アンフェルディア、紫を帯びた白い髪を持つ乏しい表情の青年。カナトはシラーフェのことが嫌いだった。

 王族としての役割を放棄し、出来損ないの従者を連れ回す弟。立場を忘れ、兄たちに甘やかされた果ての自由を過ごす姿を見ていると妙に苛々するのだ。


 全身を這うような苛立ちに思考を支配されるカナトは、感情のままに拳を壁に叩きつける。伝わる痛みがさらに苛立ちを齎す。

 嫌いな弟が、自分の目指していた王の座を奪った。自分ではなく、尊敬している優秀な兄ではなく、大嫌いな弟が王に選ばれた。理解できない。どんなに考えても、答えの欠片すら得られない。また苛立つ。


「アポスビュート神の気の迷いでしょう。本来であれば、選ばれたのはカナト様で――」


「だが、選ばれたのはシラーフェだ! その事実は変わらない」


 気休めを口にするレナードを睨みつける。すぐに頭を下げる姿にも苛立ちが募る。

 何に苛立っているのかも、どうすればこの苛立ちから解放されるのかもカナトには分からない。


「カナト」


 浅くなる呼吸に苛立ちを纏わせるカナトは、短い呼びかけに我を取り戻して視線を向ける。

 そこに立っているのは、穏やかな空気を纏う兄、スキラーニュアナ・サタニア・アンフェルディアである。

 ある種、対照的な雰囲気のキラはカナトの様子を笑うように口元を緩めた。


「やっぱり悔しい?」


 その問いかけはカナトの弱いところを触れるものであった。


「キラ兄様は悔しくないのですか?」


「そうだね……俺は元々王になる気はなかったからね。驚きはしたけど、悔しさはないかな」


 闘争心なんてものを欠片も持たない姿のキラと違う温度に距離を感じる。違う、違う、違うと。

 気遣っていることに感謝はしているが、どうしようもないズレが向けられる言葉を他人事のように受け止める。


「カナトが頑張っていたことは俺も知っている。すぐに飲み込めることではないだろうけど、選ばれなかったことは何も悪いことではないと思うよ。すべてが無駄になるわけではないからね」


 寄り添おうとするキラの言葉はその人柄を表すように温かい。

 穏やかに、優しく撫でる言葉はしかし肝心なところでカナトには届かない。


「俺が兄上を補佐することが己の役目と思えたように、カナトにも――」


「キラ兄様」


 無意識に音を紡いでいた。言葉を遮るように名を呼ばれ、キラは驚いた顔でこちらを見ている。

 カナト自身、何故キラの名を呼んだのか分からず、続ける言葉に迷う。内に渦巻く感情はどれもこの場で発するべきものではないと理解しており、だからこそ迷う。


「お気遣い感謝します。俺も……少しも頭を冷やします」


「うん、分かった。必要ならいつでも話を聞くから」


 苦心して出した言葉に、キラはそれ以上踏み込んでくることはなく、笑顔で頷いた。

 人の良さしか感じない姿が去っていくのを見届けるカナトの顔には暗いものが宿っている。

 苛立ちのさらに奥にあったもの、それが表に出ていることにカナト本人は気付かず、背を向けるキラも後ろに控えているレナードもその顔を見ることは叶わない。カナトに宿る闇は誰の目にも届かなかった。

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