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魔王に花束を  作者: 猫宮めめ
第4章

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86「匿影蔵形」

 賑わう城下の町ウォルカを華やかな二人組が歩いている。

 見惚れて足止める町の人々の視線に愛らしい笑顔を返せば、たちまち歓声があがる。それを味わって、ドレスを纏う方の少女が美しいカーテシーで応える。


「みなさま、少しだけお邪魔しております。どうぞ、わたくしのことはお気になさらず、お過ごしくださいな」


 この国において、もっとも尊い身分、もっとも輝かしき光に誰もかれもが目を奪われる。

 注目されることには慣れている、と少女は微笑を湛えたまま、町歩きを再開させる。


「こうして直に民の顔を見るのも悪くありませんわね。シフィ兄様がよく訪れているのもわかりますわ」


「よく訪れているのはベルフィア様も同じですけどね」


「ライ兄様はただ遊んでいるだけです。シフィ兄様とは大違いですわ」


 先程の大人びた所作と打って変わって、子供っぽい表情が愛らしい顔を彩る。

 こちらの方が彼女の素のようだ。どちらも人を魅了する不思議な魔力を秘めている。


「美人って得だよね、メリア」


「ほんと、ほんと。羨ましいね、アリア」


 第二王女ネリーレイス・ベルゼビア・アンフェルディア。その傍らに寄り添うのは、リーカス・ツェル・ラァーク。

 末の姫に宛がわれる影である。男であるにも拘わらず、その実を女性ものの衣装で包んでいる。


 長く伸ばした灰髪を側頭部で結い上げ、傍目には可愛らしい少女にしか見えない。

 行き交う人々のほとんどが可愛らしい少女二人が歩いていると勘違いすることだろう。


「可愛いと可愛い。最高の組み合わせだね、メリア」


「アタシたちには劣るけどね、アリア」


 仲睦まじく寄り添う王女と影、美しい光景を影人の双子は一つの瞳でじっと見つめる。


 あの愛おしい主従が二人の標的だ。

 普段、城下を歩かないらしい王女は、物珍しいものばかりに目を輝かせている。王女が何かに興味を示すたびに影が何やら説明している。


 王女は食欲旺盛な人物のようで、市井で食べられている食物に興味があるらしい。

 民から様々な食べ物を差し入れられ、無邪気に喜んでいる。


 周囲から歓迎のもてなしを受ける二人組を眺めるのはメリア一人きり。けれど、メリアの目を通じてアリアも同じ光景を見ている。


「そろそろ交代の時間だよ、メリア」


「もうそんな時間? じゃあ次はよろしくね、アリア」


 言って、メリアの影から瓜二つの少女が現れる。とほとんど同時にメリアの体が現れたばかりの少女の影の中に沈んで消えた。双子として生まれた二人は互いの影以外に干渉できず、隠れ潜むにはどちらかの影に潜むしかなかった。

 片方の影に長時間潜むこともできず、二人は交代を繰り返しながら、時を待つ。


 標的が人気の少ない場所に移動してからが二人の出番だ。

 一定の距離を保ち、賑わう人々の中に紛れ、二人の動向を窺う。


 そうしてどれほどの時間が流れた頃か。一通り町を堪能した二人は帰路につくため、賑わう人々の輪から離れていく。


「そろそろだね、メリア」


「うん、そろそろだよ、アリア」


 ふとアリア影に潜んでいたメリアが姿を現す。そっくりの顔を見合わせ、頷き合う双子は同時に王女と影へと視線を向ける。


「まずは私が仕掛けるよ、メリア」


「その次にアタシだね、アリア」


 お互いの役割を確認し、アリアが軽く地を蹴った。寄り添って歩く王女と影の前に躍り出る。


 見開かれた大きくて可愛らしい赤目を認識すると同時に、影が庇うように前に出た。

 角に意識を向け、吸い上げたマナを魔管に流す。そうして向上された身体能力のままに蹴りを叩き込む。


 男とはいえ、少女の見間違うほど細い体つきでは、アリアを受け止めることはできまい。

 リーカス・ツェル・ラァークは男のみでありながら、その筋力は女に劣る。話に聞いていた通り、アリアたちなら簡単に制することができる。


 魔法を扱うのは不得手なアリアたちではあるが、マナを魔管に通しての身体強化――マナ強化の腕は誰にも負けないという自負がある。


 アリアは強化された膂力で地を蹴り、追撃する。起き上がる隙を与えないまま、影の体を押さえつけて馬乗りになる。


「こんなに弱々でよく『ツェル』を名乗れるよねぇ、リーカスくん?」


「できれば、リカって呼んでほしいんだけど。それで? 僕に何か用? こういう手荒な方法は歓迎しないよ」


 明らかにアリアが優位に立っている状況にも拘わらず、余裕な態度は消えない。

 それが妙に胸をざわつかせ、楽しくない気持ちが湧いてくる。嫌な気分を払拭するために、生を共にする半身へ目を向けた。


 魂の片割れたる彼女はきちんと役割を果たしてくれている。心配してはいなかったが、その事実を自身の瞳でも確認する。


「余裕だね。自分は押さえつけられて、大事な王女様はメリアに捕まえられちゃってるのにぃ」


「……っ…で、用件は何なのさ。姫様には手を出さないでほしいんだけど」


「無理な要求だって自分でも分かってるでしょぉ。何のためにぃ、捕まえてると思ってるのぉ?」


「恨むならぁ、大事な王女様を守れない自分の無力さを恨みなよぉ」


 そっくりな顔、そっくりな顔に責め立てられ、憐れな影を悔しげに唇を噛む。いい気味だ。

 アリアはずっとこの男が嫌いだった。弱々しい見た目で、男のくせに女みたいな格好ばかりして、それなのに周りの女共にちやほやされて。


 可愛いだけなら、アリアも、メリアも負けていないのに。

 だから多くが可愛いと褒めそやす顔を醜く歪め佐瀬、この男が大切にするものを汚してやりたい。

 アリアの大切なメリアを平気な顔どころか、楽しそうな顔で痛ぶり、汚した奴らのように。


「わたくしのことは隙にしなさいな。覚悟はできていますわ」


「わぁ、王女様ったらぁ、かっくいぃ。じゃあお言葉に甘えてぇ、たぁくさん遊びましょうよぉ」


 メリアに引き摺られてアリアのもとまで連れられた王女の潔さに甘えるように、双子の影人はそっくりの顔に笑顔を浮かべる。


 ●●●


 人が怖くて堪らない。一人きりならば、上手くできるのに誰一人でも近くにいると頭が真っ白になって失敗ばかり重ねてしまう。周りにもいつも溜め息を吐かれて、どうしてできないのか、責められる。


 余計に人が怖くなって悪循環。本当はできると言っても、人前でそれを再現できないのなら、信じてもらえない。

 多くの失望を重ねて、ロレンは出来損ないの影人と蔑まれるようになった。


 誰の前でも発揮できない努力など、どれだけ重ねても意味がない。分かっていても、無意味な努力を重ねることはやめられない愚かな自分。

 消えてしまいたいと思いながら縮こまっているばかりの勇気のない自分。


 どうしようもなくつまらない自分をあの方は導いてくださった。役目をくださった。

 あの方に与えられたものが今のロレンを作るすべてだ。


「だっ……だから、がんばれ。ぼくなら、ででできるっ」


 震える声で自分を鼓舞し、そっと足を踏み出す。大丈夫、と繰り返しながら、緊張は今にも口から出てしまいそうな心臓を宥める。

 それでも呼吸は浅くなり、頭は真っ白で、目がちかちかする。


 標的に近付けば近づくたび、縮まる距離を自覚するたびに緊張は高まっていく。

 このまま緊張で死んでしまいそうだ。できることならそれが一番いいのだけれど。


「だめっ。だめだめだめだめだ! いっ、イゾルテ様の、ち力になるって、ききき決めた、だろ」


 すぐに弱気なことを考える自分が大嫌いだ。嫌いで嫌いで仕方のない自分自身から卒業するため、自ら今回の相手に志願した。

 ロレンが自分から何かするなんてこと、今までにないことだ。


 だって、どうせ失敗する。上手くできるはずがない。

 成功するなんて結末はロレンが絡んだ時点で実現し得ないものとなる。でもイゾルテは、あの優しい人は、そんなことない、と言った。ロレンの中にはきちんと成功の種がある、と言った。


 ロレン自身がどんなに否定しても、繰り返される肯定を少しだけ信じる気になった。イゾルテの言うことならば、信じられるような気がしたから。


「んじゃ、オレはここまでだから、ロレンもがんばんなよ」


 前を歩いていたコセットが振り返り、大きな声で告げる。突然振り返って、突然大きな声を出されたものだから、ロレンは大きく肩を震わせる、心臓が早鐘を打っている。


 そんなロレンの状況など気にも留めず、コセットはずかずかと近付いて、その背を強く叩いた。

 あまりの強さに思わずつんのめる。おまけに咳き込んでしまう。


 コセットはがさつで、何もかもが大雑把。ロレンが苦手な部類の人物だ。

 その癖、何故かやたらとロレンに絡んでくるから困る。放っておいてほしいのに。


 イゾルテがどうしてもと言うから乗ったけど、正直、彼女が集めた誰とも馴染める気がしない。

 元々他者と関わることが苦手なロレンが、誰かと組むなんて無理な話だったのだ。


「あっははは、悪い悪い。ほんっと、お前は弱っちいなあ。オトコなんだからもっと強く生きろよ」


 余計なお世話だと思った。思っても口にできないのがロレンだ。

 自身の感情とは別に声に乗ったのは、「はぃ……す、すみません」なんて言う情けないものだ。


 それに対してもコセットは快活に笑い、もう一度乱暴に背を叩いて離れていく。

 コセットの姿が見えなくなり、その足音すら完全に聞こえなくなったところで、ロレンは小さく息を吐く。

 少しだけ、ほんの少しだけ落ち着きを取り戻したものの、与えられた役割は消えない。


「が、がががががんばるんだぞ」


 最後の最後、もう一度だけ自分を鼓舞して行動を起こす。

 大きく息を吸い込んで、大きく息を吐き出す。少しだけ取り戻した平常心で、己の体を影に沈める。


 影の中は安心する。自分以外の誰もいないから。別の誰かが干渉してくることはめったになく、安心してひとりきりを堪能できる。

 と言っても、今回はやらなければならない仕事があるから、いつまでもここで落ち着いているわけにはいかないが。


 影から影へと映りながら、ロレンは標的を追う。

 ロレンの標的は第一王女、リリアーナ・アスモディア・アンフェルディア。魔国一の美貌と謳われる人物だ。


 多くから好意的な視線ばかりを受けるというのは、どういう気持ちなのだろうか。少しだけ羨ましい。

 ロレンには絶対に経験できない世界を想像して、自嘲気味に笑った。


「情報通り、影は……め、メリベルさんはいないんだな。よかった……っ」


 心から安堵を零した。第二王女の影であるメリベル・ツェル・ラァークのことがロレンは苦手た。

 凛としていて、ロレンのような下っ端にもきちんと目を合わせてくるから。


 女性にあんな真っ直ぐに見つめられてしまっては平静ではいられない。

 先日、仲間になったばかりのユニスから与えられた情報に偽りがないことを確認し、安堵する。


 第一王女だけなら、ロレンにもどうにかなる。だってあんなに優しそうなのだから、きっとそんなに戦闘は得意ではないはずだ。

 里で聞いた話でもとびきり美しいのと、治癒魔法の腕から優れているというものばかりであった。


「ここでイゾルテ様のお役に立つんだっ」


 そればかりを口にしながら、ロレンは影に潜んだまま、第一王女で攻撃を仕掛ける。

 人前に出なくて済むなら、ロレンの力は「ツェル」や「スクト」に匹敵するほど精密だ。

 華やかなパーティ会場から一人離れて佇むリリィを、硬化した影が襲う。


 寸前で気付いたリリィは紙一重でこれを避けた。意外に思いつつも、油断はせず、さらに攻撃を重ねる。

 人目があると上手くできないロレンに、影の中から攻撃を仕掛ける方法を提案してくれたのはイゾルテだ。

 お陰でロレンは順調に王女を追い詰められている。そう時間はかからず、与えられた役目を果たせることだろう。


 ●●●


 ロレンと離れたコセットはその足で、パーティ会場内を歩く。

 纏うのは、このパーティ会場で忙しなく動き回る使用人たちと同じ衣装だ。


 影人の象徴である灰髪と青い角は少々目立つが、少しの時間潜入するくらいならばれない。多分。


 影を纏うことができたのならよかったのだが、あの手の細かい魔法は苦手だ。

 コセットはすべてが大雑把だ。一個人の影だけを選んで魔塔だなんてまどろこしいことしていられない。


 コセットが影に干渉する際、適用される範囲はかなり広い。狭い範囲を繊細に扱うことを美徳とする影人の中では評価されない才だ。

 まあ、それはそれだ。分からない奴にこの良さを説いたところで面倒なだけだ。


 コセットは自分の望む生き方をし、自分の望むことしかしない。イゾルテに協力しているのは、そちらの方が面白そうと思ったのが大きい。

 それ以上の理由はないし、その先の考えも特にない。きっとイゾルテが上手いことやってくれるだろう。


「なんにせよ、今は役目を果たさねーとな」


 言いながら、パーティ会場の中で視線を彷徨わせながら標的を探す。

 相手は王族。広いパーティ会場、それなりに人がいる場所で、やや難易度の高い人探しも、相手の肩書きを思えば、そう難しいものではない。


 何せ、王族の周りには人が集まる。そうでなくとも多くの注目を浴びる。

 しかしながらこの場に王族がいるとき特有の落ち着きのなさがない。


「ってーと、会場の外にいるってことか。そりゃ好都合なこって」


 これからコセットは王族を殺す。絶対に人目のつかないところで殺すつもりではあるが、目立たないのこしたことはない。

 標的自ら人気のないところに行ってくれるのは願ってもないことだった。


 コセットはそのまま華やかな場を離れて、バルコニーに出た。会場から一転、静やかな雰囲気のその場所に一人の青年が佇んでいる。


「見つけた」


 小さな呟きを聞き留めて青年は振り返る。第二王子、スキラーニュアナ・サタニア・アンフェルディア。

 先日、イゾルテが仕掛けた爆発に巻き込まれたと聞いたが、目立った怪我もなく元気そうだ。

 あれは確か、彼の影が被ったという話だったか。いづれにせよ、今この場に影がいないのなら関係のない話だ。


「君は……」


「初めまして、王子様。この先の話は場所を変えてしようぜ」


 華やかなパーティ会場から零れる明かりがバルコニーに大きな影を作る。

 好都合だと快活に笑う。笑って、大きな影に命令を下す。


「何を……⁉」


 驚く王子の体が影の中に沈む。バルコニーごと影の中に呑み込んで、コセットもまた影の中に飛び込む。

 これから影の中、身動きの取れない王子様を殺すのだ。


 ●●●


 イフアンは標的を見つめ、そっと口元を緩める。一度失敗した。

 今回は必ず、成功させてみせると気合を入れる。前回は急いて事を仕損じた。


 今回は慎重さを持って、事に当たる。イフアンが苦手な部類だが、これ以上、イゾルテに迷惑をかけるわけにはいかない。


「ぜってぇ成功させる!」


 宣言するとともにイフアンは影から飛び出す。事前に新人からこの時間に標的がここに表れると聞いている。


 第四王子カナトイアータム・レヴィニア・アンフェルディア。

 剣の達人として名が知られている王子は毎日欠かさず、剣の鍛錬をしているという。


 イフアンが狙うのは鍛錬中、その意識が完全に剣へ向けられたその瞬間だ。

 周囲に影がいないことを念入りに確認し、影から飛び出す。王子の足元の影から飛び出し、その首筋に向けてナイフをきらめかせる。

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