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魔王に花束を  作者: 猫宮めめ
第4章
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84「ユニス・ラァーク」

 世界は闇に包まれている。光など少なくともユニスの周りには一つとしてなかった。


 アンフェルディア王国にて、特殊な役割を担う影の一族の一人としてユニスは生まれた。それも一族を統べる長の家系に連なる者として。


 産声をあげたとき、注がれたのは期待。


 長の一族は代々優秀な影人を輩出している。実力主義の影人の中で長を担うだけの実績を持つ家系だ。

 ユニスにもまた、その実績をさらに重ねる存在として一族の中から期待されて育てられた。

 七つ上の兄が一族きっての天才であったこともあって、いっそうの期待を注がれた。


 それが失望に変わったのはユニスが五歳になった頃だ。

 影人にとって影に干渉する術は呼吸と同じもの。早くても三歳、遅くとも五歳くらいまでには基本中の基本である、影に潜む力を使えるようになる。けれども、影に潜むどころか、干渉することすらできなかった。

 そこから一年、二年と時を重ねても、ユニスは影に潜むことができなかった。


 ようやく多少なりとも影に干渉できるようになった頃には、同い年の子供は当たり前に影を纏うようになっていた。

 同年代との距離は開き続け、ユニスに注がれるのは侮蔑へと変わっていく。


「貴方は決して欠陥品でも、出来損ないでもないわ。影人であることだけが貴方の価値ではないもの」


 唯一、叔母だけがユニスを気にかけてくれた。落ちた肩を抱き寄せ、かけられる柔らかな言葉はしかし救いにはならなかった。


 他に価値があったのだとしても、ユニスは影人でありたかった。

 注がれた期待に応えられる自分でありたかった。侮蔑を注がれることよりも、期待を失望に変えてしまったことの方がユニスには堪えた。


 叔母の優しい励ましはユニスのことを真に満たすことはなく、その癖、心の拠り所とする厚かましさに自己嫌悪する。それがユニスの幼少期であった。


 これ以上周囲を失望させないよう、出来得る限り己を高めることに力を注ぎ、それでいて誰の目に留まらないよう暗い場所にばかり足を向けた。

 そんな中、その人に出会えたことは偶然によるものが大きかった。


「そこでなにをしているの?」


 それはアンフェルディア王国の中心、王族が住まうシュタイン城で舞踏会が行われる日のことであった。


 影人として不出来なユニスであるが、使用人としての腕は一角のものである。そのことをあくぁれ、舞踏会の準備に駆り出される形でシュタイン城を訪れた。


 すでに舞踏会は始まっており、役割を終えたユニスは華やかな場を離れ、城の片隅で息を潜めていた。

 光に包まれた世界は息苦しく、誰の目に留まらない場所で片付けの時間まで過ごすつもりだった。


 広い城の中、きらびやかな世界で生きる者たちが暗いこの場所に目を向けるわけがない。そんなユニスの考えを、その人はあっさりと裏切った。

 闇など知らないと語る純粋な赤目は、容易く闇に佇むユニスを見つけ出した。


「貴方は……」


「シラーフェンヴァルト」


 戸惑いのまま口にした問いを、不敬とすら思わない目で答える。


 シラーフェンヴァルト。第五王子の名前だと認識すると即座に跪く。

 今年六歳になるという王族だ。まさかこんなところにいるとは、と何気なく周囲の気配を探る。

 使用人などと連れているわけではないらしい。今頃、探されているのではないだろうか。

 いくら王城内とはいえ、幼い子供が一人で自由で動き回るのは危険だ。


「それでなにをしているの?」


「舞踏会が終わるまでの時間を潰しておりました」


 何をしているかと聞かれても、何もしていない。一先ず素直に口にした答えに、シラーフェンヴァルト王子は首を傾げる。


「そんなところにいてもつまらないだろう」


 言って、王子はユニスの手を引いて暗い場所から引っ張り出した。

 太った月が淡く注ぐ中で王子は「こっちの方が楽しい」と幻想的な光の中にユニスを連れ出す。

 マナを食んで輝く庭木と、飛び交う精霊が彩る世界で、何より王子の姿が輝いて見えた。


「……王子は何故こちらの?」


「退屈だから抜け出してきた。ああいう場は好きじゃない」


 何でもないことのように言う王子に、逆にこちらが心配になる。連れ戻した方がいいだろうが、貴人に無理強いできる立場にないユニスは自由なこの王子に倣うしかない。


 あまりにも楽しそうに精霊と戯れる王子の邪魔するのは無粋に思えた。

 美しい光景に魅了される永遠にも近い時間は、それほど長くは続かなかった。


「シフィ、ここにいたのか。急に姿が見えなくなって心配したぜ」


 二人きり時間はここで終わり。現れたのはシラーフェンヴァルト王子の兄であるライディアリオ・ベルフィア・アンフェルディア王子である。魔法の天才として広く知れ渡るお方だ。


「兄上、ごめんなさい」


「抜け出したくなる気持ちは分かるけどな。今日は来客も多いんだから、あんま一人で歩き回んなよ。どうしたって警備に穴が生まれるからな」


 王城の警備は厳重と言っても、人が増えれば貴方生まれる。

 特に今日は舞踏会の方に警備が集中している。客人の動向をすべて把握できるはずもなく、悪さを働く者がいないとも限らない。

 ライディアリオ王子の心配は杞憂と言えないものであった。


「ま、オレも人のことを言えた義理じゃねえけどな」


「本当ですよ。後で怒られるんじゃないかと自分は気が気じゃなく……」


「そんな心配すんなよ。もしそうなったら、オレが上手ぁく誤魔化してやっからよ、ソフィヤちゃん」


 ライディアリオ王子は傍らに立つ少女に笑いかける。同じ年頃の少女はユニスと同じ灰髪と青い角を持っている。

 つまり自信なさそうに背中を丸めた少女はユニスと同じ影人ということだ。

 狭い里の中で生まれ育ち、当然知る顔であった。ユニスは何気なく身を隠すように距離を取る。


「んで、シフィはここで何してたんだ?」


「そこの人といっしょにに精霊とあそんでた」


 意識が自分から外れているうちに、と場から離れようとしていたユニスは三対の瞳が向けられる。

 隠れる機を失い、ユニスはその場で頭を垂れる。


「もしかしてユニスですか?」


 気付かれてしまったと内心で呟く。

 ユニスは影の一族の中でそれなりの有名人だ。悪い意味でだが。


 シラーフェンヴァルト王子には自分の不評を聞いてほしくないとらしくない欲が湧く。

 出来損ないと蔑まれる日々の中で、自分を良く見せようなどという欲は到に消え失せていると思っていた。


「王城で会うなんて珍しいですね」


「ソフィヤちゃんの知り合い? 見たとこ、影の一族っぽいけど」


「はい。と言っても、そこまで親しいわけではありませんけど……ユニスは長の一族の方でして」


「つーことはフニートの身内か! 確かにどことなく面影があるな」


 心臓が妙に早鐘を打っている。これ以上、自分の話題が続いてほしくないと願った。


「名前は? 何て言うんだ?」


「……ユニス・ラァークと申します」


 王族に問われて答えないわけではない。恥じ入る思いで「ツェル」も「スクト」も入らない自らの名を口にする。

 幼い時分から王子と共に在る「ツェル」はともかく、ユニスの年齢で「スクト」に選ばれる者はそう多くない。

 しかし、長の一族に生まれ、天才の兄を持つユニスにとって装飾のない名は恥であった。


「ユニスか。オレの弟の相手してくれたみたいで、ありがとな」


「いえ、お礼を言われるようなことは何も……」


「素直に受け取っとけよ。ユニスと一緒だったお陰でシフィも楽しそうだ」


 そうは言われてもユニスは本当に何もしていない。むしろ影から光を注ぐ場所に連れ出してもらった身で、高貴な存在から注がれる感謝に恐縮するばかりだ。


「むしろ私の方こそ感謝しております。このような美しい光景を見せていただき光栄です」


「ははっ、こんだけ精霊がいる光景はいくらアンフェルディアでもなかなか見れねえかんな。シフィの傍にいる特権ってヤツだな」


 シラーフェンヴァルト王子は精霊に愛されているらしい。

 無垢に笑って精霊と戯れる姿を見ていれば、それもよく分かる。彼を愛したくなる精霊の気持ちが。


 彼は光そのものだ。共にした時間は短くとも、ユニスの心はすでにシラーフェンヴァルト王子に奪われていた。

 そして傾倒する心はここで終わらない。これだけで終わらせてくれはしなかった。


「ライ兄上! 決めました。俺はユニスを俺の影にします!」


 輝く表情で、無垢に笑って王子は告げた。何も知らないその表情に胸が締め付けられる。

 シラーフェンヴァルト王子の申し出は、ユニスにとって光栄なものだった。締め付けられる胸に歓喜が灯ったのも事実。


 影に、だなんて欠陥品のユニスが言われる日が来るなど思っていなかった。

 だからこそ、断らなければならない状況が重く乗りかかる。


「だめか?」


 乞う瞳に息を詰まらせる。ほんの一時、共にしただけにも拘わらず、ここまで自分を評価してくれる存在の期待を拒むことが躊躇われた。

 けれど、ここで肯定してしまうことはあまりにも不誠実だ。

 ユニスは向けられる期待に、この心を惹きつけてやまない彼に応えられる自分でありたかった。


「っ私は……その申し出を辞退させていただきます」


「なんで……理由は?」


「私は影人として欠陥品です。影に潜むことも、影を纏うこともできない私ではシラーフェンヴァルト王子の影としてお役に立てないかと存じます」


 この身の不出来さを語れば、諦めると考えた。いくら幼くとも、影になるに必須な条件くらい知っているはずだ。

 誠実を胸に、己の欠陥を騙るユニスはしかし彼という人を読み間違えた。


「なんだ。それくらいなんの問題はない。ユニス、俺の影になれ!」


「無理です。私は……」


「無理じゃない。俺が決めた。お前は今日から俺の影だ」


 引くことを知らない様子のシラーフェンヴァルト王子はユニスの手を取る。

 暗い場所から引っ張り出されたときのように、王子はユニスを精霊が飛び交う美しい空間に連れ出した。

 すぐにそばを瞬く精霊が通り過ぎ。思わず簡単を零した。


「どうして……どうして王子は私にそこまで……?」


「俺がユニスを気に入ったからだ」


 それ以上の理由はないと語る表情に返す言葉が見つからない。

 呆気に取られるユニスの肩を誰かが馴れ馴れしく組んできた。黄色を帯びた白髪が肩にかかる。


「諦めろって。シフィは言い出したら聞かねぇかんな」


「諦めるも何も、私が影になるなど許されるわけがありません。長が認めないでしょう」


「大丈夫、大丈夫。オレも口添えしてやっから。オレの発言権はわりと高い方だぜ」


 神童と名高い彼に意見できる者が多くないのは事実だろう。多少の無理もきっと通せる。

 でも、それでいいのだろうか。選ばれぬはずの自分が差し出される手に甘えてもいいだろうか。


「ユニス……どうしてもダメか」


 迷いはある。許されぬことと躊躇う心もあるのに、王子にこうして乞われてしまえば断ることもできはしない。


「…っ……光栄な役割、謹んでお受けいたします」


 この選択はきっと間違い。それなのに、ぱっと晴れやかに笑う王子の顔を見て、正解だと考えてしまう心はすでに絆されているのだろう。

 この心はあの日、シラーフェンヴァルト王子――シラーフェに心を奪われた。


 取り戻す気はない。ユニスの心はシラーフェに奪われたままでいい。けれど、今だけは。

 ――息を吐き出し、ユニスは闇色の女性と向かい合う。嫣然と微笑むその人は、非の落ちた世界で闇と同化するように佇んでいる。


「驚いたわ。貴方の方から声をかけてくるなんて。本当にいいのね」


「はい。私は貴方に叔母様に協力します」


 これは裏切りだ。許されぬことへの躊躇いはあの日を思えば今更だ。

 この心を掴んで離さないあの方を守れるのならば、ユニスは喜び勇んで黒き道へ足を向けられる。


 仕方のないことだ。強い光の後ろには濃い影が伸びているものだから。

 なし崩しにとはいえ、影の役割を与えられた以上、進むべき道は決まっている。

 もうユニスはシラーフェの影であることから逃げない。


「でも、どうして? 少し前まではあんなに頑なだったのに」


「改めて考えたんです。シラーフェ様を守るにはどうするべきか。これがその答えです」


 叔母は用心深い人だ。突然の子悪露代わりに疑念を抱かれて当然。

 ユニスも何もなしに信用してもらえるとは思っていない。


「信用していただくために手土産を用意しました」


「手土産?」


「情報です」


 視線で続きを促すイゾルテにユニスは口を開く。


「イフアン・ラァークという名を叔母様はご存知ですよね?」


「ええ、私が声をかけた子よ」


 仲間とは言わない姿に思うところがあるが、今は気にすることではない。話を続ける。


「ルシフィア様、イフアン・ラァークを劣りに叔母様を引き摺り出すつもりのようです」


「見つけられないのなら、自分から来てももらう。あの王子が考えそうなことね」


「騎士団長を筆頭に万全の警備で迎え入れるつもりのようです」


「血染めの角、ね。出来損ないの影人相手を随分と気合が入っているじゃない。でも、そうね。せっかくだから乗ってあげましょうか」


「よろしいですか?」


 弧を描く唇。産毛を立たせる恐ろしさを纏ってイゾルテは微笑する。

 状況を楽しんでいるイゾルテの様子にユニスは緊張を抱く。

 この先の自分の立場を探って、紡ぐべき言葉の候補をいくつも脳内に描く。


「罠だと分かっているならいくらでもやりようはある。せっかくだから遊んであげましょう」


 真意を読ませないイゾルテの真意を読むため、その一挙手一投足を注視する。

 持ってきた情報が評価されるかは半ば賭けであった。見たところ、気に入られてはいるらしい。

 ここからだ、と自分に言い聞かせる。


「その後に貴方を正式に仲間に迎え入れるわ」


「分かりました」


 ここが正念場だ。この道を選んだ時点でユニスに逃げ道はない。進むしかないのだ。

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