80「襲撃」
黒い装束で全身を、頭すらをも隠した人物。体型を覆い隠す装束では性別も判別できない。
外見で得られる情報と言えば、装束の隙間から除く赤い目と灰色の髪、そして青い角くらいだ。
魔族、それも影人と呼ばれる一族の特徴である。そして纏う黒装束、影と同化しやすくするための少女くは『スクト』の人間である証だ。
個性を消すような見た目こそ、『スクト』の特徴である。
「二人も来たか。ちょうどいいな。話をしてくれ」
並ぶ面々の中でライが代表として話を促す。
謀反が起こっている状況であるスクトの存在に緊張が漂う状況の中、ライだけは通常通りを保っている。
弟妹がいる手前、努めて平静を保つライはいつもよりやや鋭さを持った視線をスクトに向ける。
「ご報告します。先程サタニア様が乗車されている馬車が影人の襲撃を受けました」
「そんなっ……兄様は、キラ兄様はご無事なのですか?」
全身を震わせるネリスは、『スクト』の者に詰め寄らんばかりに問いかける。
赤目は波立っており、瞬き一つで雫が零れ落ちてしまいそうであった。
兄を襲った事態に動揺し、力の抜けるネリスの体をリーカスがすかさず抱き留める。
「影が仕事を果たし、サタニア様に大きな怪我はありません。現在は王立治療院にて治療を受けておられます」
「ティリオちゃんの怪我の具合は?」
「命に別状はありません」
それ以上の情報は必要ないといった口振りだ。
影のもっとも大きな役割は王族の身代わりになること。その結果、影がどれだけ大きな怪我を負ったところで問題にはならない。
それで死ぬことになっても、役目を果たしたとして処理され、新たに『ツェル』が選ばれるだけだ。
「命に別状がねぇならよかった。ティリオちゃんの冷たい目で見られることがなくなったら世界の損失だからな」
場の空気を読まないライの言葉は場の空気を和ませる。
伝えるべきことを伝え終えた『スクト』の者はすぐに影と同化して消えた。
『スクト』の者は無駄を嫌う行動を常としている。そう教育されており、与えられた仕事を終えれば、すぐにでも退散する。それでいて呼べば、すぐに現れる存在だ。
「シフィは王立治療院に行きな。エマリちゃんとネリスちゃんのことはオレが見とくからさ」
軽薄さを仄かに纏いつつ、年長者の顔でライが指示を出す。
ネリスほどではないにしろ、兄が襲撃されたという報告に動揺を見せていたシラーフェは我に返ったように頷く。
普段と変わりなく振る舞うライに幾分が冷静さを取り戻した様子である。
「心配しなくても大丈夫だって。キラ兄はあれでいてかなーり強かだし、ティリオちゃんは隙がないからな。心配しすぎるとむしろ笑われるぜ?」
「そうですね。二人とも俺よりもずっとしっかりしている」
「そゆこと。シフィもしっかり者だけどな」
「しっかりしていないのはベルフィア様くらいですよぅ」
交わされる軽口に空気は仄かに弛緩し、ネリスの口元にも笑みが乗る。
少しだけ落ち着きを見せる妹の様子で確認し、シラーフェはユニスを連れて王立治療院へ向かった。
王立治療院はアンフェルディア国内で有数の治癒師が揃っている施設だ。
王族の方々は主治医を城に呼ぶことの方が多く、治療院を訪れる機会はあまりない。定期健康診断のときくらいのものだろう。
シラーフェは生まれてこの方健康体でこれまで大きな病気も、怪我をしたことがない。
王立治療院の世話になることはほとんどなく、今日のように見舞いや付き添いという形で訪れることの方が多い。
治療院を訪れる際、主の顔に宿る不安の色はユニスの胸を締め付ける。
今回も例に漏れず、平静を装いながらも滲む色は消せていない。
「あら、シフィも来たのね」
案内された病室に足を踏み入れたシラーフェを迎えたのはリリィであった。
ベッドの上で上半身を起こしたティリオに治癒魔法をかけているようだ。
リリィは兄妹の中でもっとも治癒魔法を得意としている。キラが襲撃されたと聞いて駆けつけたのだろう。
「姉上も来ていらしたんですね。キラ兄上はどちらに?」
ティリオとリリィ、そして傍に控えるメリベルが病室内にいるだけで、肝心のキラの姿がない。
この場にいる者たちが揃って落ち着いている様子を見るに心配する必要はないだろうが。
それでも不安な心は消せないと滲む色が主の心情を語っている。
「キラちゃんは別室でお兄様と話しているわ。そのうち戻ってくるわよお」
おっとりとした答えにシラーフェは分かりやすく息を吐く。安堵の息に笑声を零して、リリィはシラーフェに向き直る。ティリオの治癒はひとまず終わったようだ。
「急に襲撃されたなんて言われたらびっくりするわよねえ。私も慌てて駆け付けちゃったくらいだもの」
照れたように笑うリリィと、ライの姿が重なる。
弟妹の様子を見て、場を和ます振る舞いを見せるところはやはり兄姉である。
包み込む温かさに絆され緩む主の表情に、ユニスもまた密かに安堵する。
襲撃されたキラとティリオには悪いが、やはりユニスにはシラーフェのことが一番だった。
「ティリオも思ってたより元気そうで安心した。傷の具合は大丈夫か?」
「問題ありません。お気遣いいただき感謝します」
改めてティリオを見る。その実を包むのは常に纏うメイド服ではなく貫頭衣だ。
服の隙間から包帯が覗いており、痛ましさを感じさせる。
治癒魔法はすべての傷をたちまち治しきれるほど便利なものではない。
今のティリオは少なくとも一度の治癒では治しきれない程度の傷ということだ。
当の本人はまるで怪我などしていないと言わんばかりの涼しい顔をしている。
痛みがまったくないわけではないだろうに。
ティリオの無表情は筋金入りで、シラーフェやエマリより余程心情を読ませない。
「アスモディア様も治癒していただき感謝します」
表情だけではなく、声音も平坦で機械的な印象を受ける。感謝を口にしているが、本当に感謝をしているようには見えない。
「気にしなくていいわよお。ティリオちゃんが怪我したままだと私も心配だもの」
「この程度の怪我ならば仕事に支障はありません」
「それもあるけれど、ティリオちゃん自身のことも心配しているのよお」
表情では無理解を示しながらも、ティリオは「感謝します」と短く応えた。
形式的な感謝の言葉をリリィは穏やかに受け取るのみ。
「……それで何があったんだ?」
「走行中の馬車が突如爆発しました。爆発の規模自体は小さいものでしたが、馬車が制御不能となり横転。大破しました」
淡々とした口振りは簡潔で、やはり感情を読ませないものだ。
咄嗟に爆発からキラを庇うも、激しく馬車の衝撃まで殺しきれない影人の力を使えば多少制御を取り戻すことも可能だろうが、爆発で怪我を負った上に揺れる馬車の中ではいくらティリオでも難しいのだろう。
「爆発物の存在にもっと早く気付くべきでした」
初めてティリオの声に感情が滲んだ。仄かに震えた声に驚いてティリオの顔を見る。
相変わらずの無表情には感情の波は少しも宿っていない。
「私の失態です。すでに謀反の報告を受けていたのにも拘わらず認識が甘かったです」
見開いた目のまま、ユニスはティリオを見つめる。
ティリオがここまで自分のことを話すのも、ここまで長く喋っているのも珍しい光景だ。
少なくともユニスは見たことのない姿である。ティリオは寡黙で必要最低限のことしか話さない印象が強い。
「ティリオはよくやっている。気に病む必要はない」
凛とした声がティリオを励ます言葉を紡いだ。
メリベル・ツェル・ラァーク。リリィの影である女性は声を同じく凛とした佇まいで赤目を注ぐ。無感情な赤目と交差する。
「乗車する前に危険物がないか、念入りに調べてはいたのだろう?」
「それはそう」
「ならば、ティリオが気付けぬ形で仕込まれているのだろう。そのことを責められはしない」
ティリオが根に利に調べたというのなら隅の隅まで、小さな影に至るまで見ていたはずだ。
それでも見つからなかった事実で導き出される答えは一つ。ユニスの脳裏では黒い影が揺れている。不気味な笑みを湛えて。
「イゾルテ様、いや、謀反人を様付けするわけにはいかないな。改めよう。イゾルテが関わっているのなら、私も気付ける自信はないな」
「メリベルな弱気なことを言うなんて珍しいわねえ。彼女はそれほど厄介な相手なのかしら?」
「厄介……そうですね。厄介な相手ではあるでしょう」
メリベルが言葉に迷うこともまた珍しい。それほど評価が難しい相手という評価はユニスにも理解できるものだ。
イゾルテは『ツェル』にも、『スクト』にもなれなかった落ちこぼれ。しかし一つだけ、他の影人に勝る才能を持っている。
「彼女は影の気配を隠す才に長けているのです」
「というと?」
「私たち影人は影の中にある気配を感じることで、中に同胞がいることを把握しています。気配を消すことに長けている者は他にいますが、イゾルテの際は群を抜いています」
「イゾルテは……出来損ないと評価されていると聞いているが?」
シラーフェの問いかけは当然のものと言えよう。影人という種族の性質を理解していなければ、難しい理屈だ。
ただ完全に理解はされなくとも、その答えは一言で説明できる。
「イゾルテの才は影人にとって評価のないものだからです」
メリベルの返答を受けるシラーフェは眉根を寄せる予想通りの反応だ。
意味が分かっても、シラーフェには心優しい彼には理解は難しいだろう。
「影の気配を消すことができたところで、影人が相手でなければ意味のないものです」
影に干渉する術着を持っているのは影人だけ。メギストリス魔導王国ならば、影に干渉する魔術を研究がされているかもしれないが、広く知られるほど発展していない。
つまり影の気配を消す力など、影人が敵対しない限り必要のないものだ。
そして影人がアンフェルディアに、王族に叛意を抱くことなどありえないと考えるのが影人の一族だ。
イゾルテの才能は影の一族にとってかちのない無能と同意義のものであった。
「才があっても認められないか。それは悲しいことだな」
沈んだ主の声がまるで自分に向けられているような気になる。
一族の者は認められない才能を有しているのはユニスも同じなのだ。
「イゾルテが本気で気配を消した場合、気付けるのはユニスくらいのものでしょう」
ユニスの持つ才は影の気配を感じ取ること。この完治能力に勝るものは影の一族にはいない。
王城に侵入したイゾルテに気付けたのも、彼女が仕掛けた爆発物を探り当てられたのも、優れた完治能力があったからだ。
「ティリオちゃんに気付けなかったってことはイゾルテが爆発物を仕掛けたと考えていいのかしら」
「その可能性が高いでしょう。ユニスほどではないにしろ、ティリオも完治能力に優れていますから」
『ツェル』の称号を与えられた者はすべての能力において、優れている。その中でティリオは完治能力に優れている。
もっともティリオの場合、ユニスのように影に特化したものではなく、人や真名の気配などあらゆる方面おいて優れた完治能力を持っているわけだが。
「一族の謀反との話でしたが、やはり狙いは王族の命と考えるのが妥当でしょうか」
「王族を守り切れなかった無力感を味わわせるというのなら納得できる」
実際、無力感に苛まれているティリオがメリベルに肯定を示す。
己が傷付くことよりも、主が気付くことの方が堪える。それは影として主の身代わりとなる役割を持つ『ツェル』の者の共通の認識だ。
影の一族の者に苦痛を味わわせるのなら影人本人を傷付けることより、その主を傷付ける方が効果的である。
同じ影人ならば、当然そのことを把握しているはずだ。
「そおねえ、お兄様も今頃その話をしているのかもしれないわねぇ」
フィルはリリィよりも早く治療院を訪れていたという話だ。少し遅れて訪れたリリィにティリオのこと任せてキラとともに別室へ向かったという。
キラの方から今回の件に関して話を聞いているのだろう。
考え込むユニスはふと視線を感じて視線をあげる。穏やかな赤目と合った。
国一番と謳われる美貌を不意に向けられ、知らず心臓が跳ねた。
度を超えた美しさは互いにその気がなくとも自然と惹きつけられる。
「今回の件、ユニスの力が頼りなのねえ。期待しているわよ」
またもや心臓が跳ねる。注がれる期待は不慣れなもので落ち着かない気分になる。
シラーフェから注がれる期待に熱くなる胸とは違う感情が込み上げる。
「必ず期待に応えてみせます」
己の価値を周囲に示すことが今のユニスがすべきこと。
それを思えば、今の状況は願ってもいないことであった。王族が危険に晒されている状況を利用するようで気が引けるが、すべて守りきればいい。
少し前までは考えられない自信に満ちた己は頼もしく、ユニスは前を向く。