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魔王に花束を  作者: 猫宮めめ
第4章
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78「約束」

 スカートの裾をつまみ、まだ拙いカーテシーを見せる少女エマリ。

 身に纏うのは見慣れた服装とは違う、仕立てられたばかりの真新しいメイド服だ。


 まだ馴染んでいない服に照れたように笑う姿は可愛らしい。

 ほんの数日前まで村娘だったとは思えない成長ぶりと見慣れない服装にシラーフェは呆気に取られる。

 言葉もなく魅入られるシラーフェはライに小突かれ、すぐに我に返る。


「よく似合っている。見違えたな」


「ん、ありがとうございます」


 褒められ、笑み作る姿はいつものエマリだ。急成長を見せられる中で変わらぬ姿に頬を緩める。


「俺がいない間も頑張っていたんだな。美しいカーテシーだった」


「ん。でも、まだネリス様みたいにはできないから、がんばる」


 向上心の高さを見せるエマリの頭を撫でる。エマリの成長は目覚ましく、シラーフェもうかうかしていられない。

 幼い少女のやる気に背中を押された気分だ。


「見違えたでしょう? たった二日でここまでものにするなんてわたくしも思っていませんでしたわ。わたくしももっと頑張らないといけませんわね」


「ん、ネリス様はすごいよ?」


「一年後、それよりももっと先の未来でも同じことを言ってもらえるよう頑張りたいのですわ」


 部屋の主である姫様ネリスも、高い向上心を示す。その気高い在り方はシラーフェも見習いたいものだ。

 シラーフェもこれから先どんどん成長していくであろうエマリに恥じない主でいたいものだ。

 彼女の未来にいつまでシラーフェが傍にいてやれるか分からないが。


「ほんっとエマリちゃんってば、びっくりするくらい立派になったなー。そのメイド服もすっげぇ可愛い。もしかしてリカちゃんが選んだのか?」


「流石ベルフィア様、お目が高い! 元々あったメイド服を僕の指示で改造したんですよ~。ついでにマーモア様にいただいたという杖やナイフを仕舞える箇所も作りました」


 言われてみれば、エマリのメイド服は他の使用人のものとは少々意匠が異なる。

 自分のものをそうしているように、リーカスが細かく意匠を変えたらしい。


「これがネリスの見せたかったものか」


「ええ、そうですわ。エマリのメイド服が届いて、一秒でも早くシフィ兄様に見ていただきたかったのです」


 エマリのことを自分のことのように語るネリスの姿に嬉々とした気持ちが湧く。この数日ですっかり仲良くなったらしい。

 身分の差はあれど、歳の近い二人が仲良くしているのはいいことだ。


「ところで、シフィ兄様はこの後、ご予定はありまして?」


「今日は特に予定はないな」


「素晴らしいですわ! ならば、このままエマリと庭を散歩してきてはいかがでしょう?」


 言われてエマリの方を見る。

 ここ数日、フィルの公務に同行していたシラーフェであるが、今日は自由に過ごすように言われている。


 言葉通り自由に遊び歩く余裕のない身とはいえ、散歩すらできないほど切羽詰まっているわけでもない。

 こちらを見上げる大きな赤目と視線を交わし、シラーフェは膝をつき、エマリへ手を差し出した。


「エマリ、俺に付き合ってもらえるか?」


「ん、つきあう」


 小さな手を取って立ち上がる。誘われたエマリでだけではなく、ネリスも満足げな表情を見せている。

 分かりやすい二人の反応はそっくりで、仲良しというより姉妹のようであった。


「んじゃ、ネリスちゃんのお相手はオレがしようかね。構いませんか、お姫様?」


 シラーフェよりも数段堂にいった所作で、ライがネリスに手を差し出す。

 いっそ芝居がかってすら見えるライの誘いを、ネリスは慣れた様子で受ける。

 王族同士ということもあって、舞踏会と見間違うほどに洗練されている。


「仕方ないので受けて差し上げますわ」


「退屈はさせないって約束するぜ、お姫様」


 茶番を楽しむ兄妹を横目にリーカスは首を傾げる。

 その所作から可愛く見えるよう気遣う少年は、シラーフェとエマリ、ライとネリスを順繰りに見、ユニスの前に立つ。そして男にしては細い腕を差し出し、愛らしく笑う。


「じゃあ、僕の相手はユニスに任せるよ。ちゃんと可愛く扱ってね」


「……光栄な役割、拝命しました」


 場の空気に合わせる形で、大仰に受けるユニス。

 生まれた組み合わせを誰よりも楽しむネリスは赤目を輝かせて口を開く。


「せっかくですし、ガゼボにお茶の用意をさせましょう。お庭を散歩した後にみんなでお茶会をするなんて、素敵ではありませんか?」


「それ、ネリスちゃんが菓子を食べたいだけじゃねぇの?」


「まあ! お兄様ったら淑女に対して何たる言い草ですの。そのようなこと少ししか思っていませんわ」

「なんだかんだ素直なネリスちゃんも可愛いぜ」


 最早。仲が良いのか、悪いのか分からない二人に口を挟むのは無粋だろう。

 あれで適切な距離を取れている二人はひとまず置いておいて、シラーフェは目の前の少女、エマリに向き合うことにする。その、まだ小さな手に取って、シラーフェは庭に向かう。


「歩きにくくないか?」


「ん、ちょっとだけ。でも、すぐなれるよう、がんばる」


 今までよりも裾の長いスカートに、ヒールのある靴。

 慎重に足を運ぶエマリの歩みに合わせて、シラーフェもゆっくり歩く。

 エマリは下を向き、纏わりつくスカートに足を取られないよう真剣だ。


「わっ……」


 慣れないヒールに体勢を崩し、エマリの体が揺れる。

 手を取ったままのシラーフェは咄嗟に腕を引き、空いている方の手でエマリの腰を支える。

 なんとか転ばすに済んだエマリは胸を撫でおろしながらも、その表情を曇らせる。


「足を捻っていないか?」


「ん。シラーフェ様がたすけてくれたから、だいじょーぶ……です」


 問いに答えるエマリの表情はやはりすぐれない。怪我をしたというより、自信を無くして押し込んでいるようだ。少し前のシラーフェとよく似た表情をしている。


「ネリスは昔はヒールの靴に苦戦していたな」


 シラーフェがぽつりと零した言葉に、エマリが驚いて顔をあげる。

 あえてエマリの方は見ないままにシラーフェは言葉を続ける。


「慣れるまでそれなりに時間がかかっていた。俺もよく練習に付き合わされたものだ」


 ネリスも昔からヒールのある靴を履いていたわけではない。

 幼い頃は今までエマリのようにかかとの低い靴を履いていた。


 ヒールを履くようになったのは十になる年だったか。リリィにヒールのある靴を贈られたのがきっかけだ。

 舞踏会用に新しいドレスを仕立てる際に、それに合わせた靴も作った形だ。


 ネリスは舞踏会までにその靴に相応しい女性になれるよう、毎日ヒールになれる練習をしていた。

 舞踏会といえば、ダンスがつきものとシラーフェも相手役としてたびたび練習に付き合わされたものだ。


「ネリス様もそうなんだ……」


「あの頃のネリスは今までよりずっと腕白だったからな。淑女然としているより庭を駆け回っていることの方が多かった」


 こんな話をしていることがばれたらネリスに怒られるだろうが、エマリを励ますと納得してもらおう。

 お淑やかとは程遠かったあの頃のネリスはリリィに憧れ、靴を贈られたことをきっかけに本気で淑女を目指すようになった。


「ぜんぜんそうぞうできない」


「そrけうら努力したんだ。ネリスはかっこいいだろう?」


「ん! かっこいい」


 目を輝かせてエマリはシラーフェの言葉を肯定する。

 己の目指すものに向けて、妥協せずに走り続ける。ネリスの生き方は勇ましく、兄の立場から見ても、焦がれる気持ちが湧くほどだ。

 すぐに迷って立ち止まり、足踏みしてしまうシラーフェには大違いだ。


「私もネリス様みたいにがんばって、りっぱなしゅくじょになる。そしたら……」


 続く言葉が聞こえず、エマリへ視線を向ける。頬を仄かに赤らめたエマリは「なんでもない」と首を横に振る。

 訝しむシラーフェの腕を引いてエマリは歩き出す。


 どうやらあまり聞かれたくない内容だったらしい。深く聞くことはせず、慎重に歩みを進める小さな少女の体を支えるようにして庭へと向かう。

 エマリが体勢を崩そうになるたびにその手を引いて、体を支える。


「エマリ、顔をあげてみろ」


「ん。でも、下見てないところんじゃう」


「大丈夫。体勢を崩しても、俺が支える」


 小さく頷いたエマリは躊躇いがちに重心をシラーフェに傾ける。幼い少女の体重を預けられたところで軽いものだ。


 エマリの存在を近くに感じながら、シラーフェは己の角に意識を注ぐ。魔臓から魔管を通して角へ、マナを輩出する。


 それは庭を飾る木々への栄養であり、周囲を漂う精霊への栄養である。

 放出されたマナを食んで、庭木は仄かに光を帯び、真名に引き寄せられた精霊が美しく宙を舞う。

 緑の光に溢れたくうっ間に、エマリは大きな目を輝かせる。


「すごい! きれい」


 あふれる光に負けず劣らずの輝きを見せるエマリに口元を緩める。

 エマリが喜んでいる姿を見るだけで満たされた気分になり、零れる感嘆は心を擽る。


「夜の庭には劣るが、これも悪くないだろう」


「ん。きらきらしてて好き」


 笑顔を花咲かせるエマリの手を引いて、光の中に足を踏み入れる。

 色とりどりの精霊たちが周囲を舞い、シラーフェたちも美しい景色の一部になった気分にさせてくれる。


 メイド服に身を包み、少しだけ大人びた雰囲気を纏わせたエマリの姿は美しかった。

 自由に飛び交う精霊たちを目で追い、時にじゃれ合う姿にシラーフェはただ見惚れる。


 これから先、きっと美しく成長していくであろう姿を幻視し、抱いた感慨を宝物として胸にしまう。

 暗い感情ばかりを刺激する存在を塗り潰すように刻み付ける。

 エマリが目を輝かせ、無邪気に笑う光景はシラーフェが譲れないものだ。


「シラーフェ様?」


「なんでもない」


 訝しむエマリに仄かに笑んで答える。

 複雑に彩られた胸中は、改めて刻んだ覚悟をエマリは知らなくていい。誰も知らなくてよいものだ。


「こんなに近くで精霊を見たのはじめて」


「そうなのか?」


「ん、近づこうとしてもすぐににげられちゃうから。シラーフェ様、すごい」


 シラーフェによって精霊は身近な存在だ。

 マナの濃度が高い城内ではそこかしこにいるし、呼びかければ応えてくれる。幼い頃から当たり前に触れ合ってきた身としてはエマリの感想は意外なものだった。


「シラーフェ様の気はだうすきなんだよね?」


 シラーフェに、というよりは飛び交う精霊に語り掛けるようにエマリは問いかける。

 精霊はエマリの言葉を肯定するように明滅する。


「私もシラーフェ様がだいすきだよ」


 言って、エマリはシラーフェを横目で見る。

 いつもより幾分か顔の赤いエマリに、シラーフェは笑みを浮かべて答える。


「俺もエマリのことが好きだぞ」


「むぅ。そうゆうことじゃない」


 何故だか、エマリを怒らせてしまった。笑顔から一転、膨れっ面に代わる。

 メイーナのことも、こんな風に怒らせてしまうことがよくあった。いろいろ考えてはいるのだが、シラーフェはどうも女性の相手は苦手だ。ライのように上手く笑顔にさせられたら、といつも考えている。


「シラーフェ様は……」


 どうにか機嫌を直してもらいたいと思考をめぐらせるシラーフェの耳に呼びかける声が聞こえてきた。

 すでにいつもの表情に戻ったエマリが大きな目でシラーフェを見つめている。


「シラーフェ様のこどものときのこと聞きたい!」


「俺の子供のことの話か……」


 先程、ヒールのない靴を履いていた頃のネリスの話をしたせいか、エマリはシラーフェの子供時代に興味を持ったようだ。身近な大人の、自分の知らない頃に興味がそそられる気持ちはシラーフェにもよく分かる。


「だめ?」


「いや、構わない。あまり面白いものではないと思うが」


「いいの! シラーフェ様のはなしが聞きたいの」


 子供の好奇心に押されるシラーフェは苦笑を浮かべながら口を開く。


「俺はあまり大人しい子供ではなかった。兄たちの言いつけを守らず、よく城を抜け出していた」


 それは彼女と出会えた喜びと、兄の未来を奪った痛みを伴う幼い頃の記憶。

 渦巻く感情を表には出さず、淡々とした語調を意識して語る。


「そうぞうできない。やんちゃさんだったの?」


「やんちゃというほどではないだろうが、そうだな……好奇心旺盛ではあったかもしれない」


 知らない世界を見たいという感情が人よりも強い子供であった。

 だから言いつけを破って城を抜け出してはウォルカの町を散策した。


 その果てでリナリアと出会い、シラーフェは心の行き先を見つけた。

 その果てで、己の愚かさを痛烈に思い知らされ、なにもかもを諦めてその先の人生の大半を無為に過ごした。


「良いことばかりではなかったが、無駄なこともなかったように思う。歩んできたこれまでが今の俺を作っていると思えば、すべてが価値のある経験だ」


「ん。私も、いつかそう思える日がくるのかな。ぜんぶよかったって」


「そうあってほしいと願ってはいるが、こればかりはそのときになってみないと分からない」


 無責任にそうなるとは口にできなかった。これから起こることに絶対なんてない。

 シラーフェにできるのは、これから先、エマリの道行きが幸福に溢れることを願うだけだ。

 エマリの未来にこれ以上、悲しみはいらない。


「ん! 今はべんきょう、がんばる」


「……そうだな。俺も王位に次ぐに相応しい者になれるよう精進しなければ」


「じゃ、やくそく」


 エマリのやる気に背中を押されて呟いた意気込みへ、投げかけられた言葉に瞬きを一つ。


「いっしょにがんばるやくそく」


「そうだな、約束しよう」


 言って、膝を折ったシラーフェはエマリと角を合わせる。魔族の約束だ。

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