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魔王に花束を  作者: 猫宮めめ
第1章
8/80

8「花は自らの喜びのために花を咲かせる」 挿絵有

 ライにとって王位継承は他人事のようなものだ。王族としての役割をほとんど果たさず、おまけに角が折れている自分にお鉢が回ってくるはずがなく、兄妹たちの誰が王に選ばれても悪いようにはならないだろうという信頼があった。強いて言うなら、カナトが王になるのだけは困ると思うくらいか。


 父、メーレが体内から黒い塊を取り出しても、それが四〇〇年前の先祖が残したものと言われても、「へえ」と思うだけで特段心を動かすことなく見聞きしていた。シラーフェが黒い塊に選ばれるまでは。


 ちゃらんぽらんな自由人と言われるライにも、何に変えても守りたいものが二つある。その内の一つが目の前で激痛に苛まれ、聞いたことのない声をあげている。


「シフィ……っ、親父殿、これはどういうことだよ⁉」


 不敬なんてことは頭から抜け落ち、涼しい顔の父へ声をあげる。やはり涼しい顔は崩れない。

 実の息子が苦痛の中に放り込まれているのに、だ。昔はこんなに冷たい人ではなかったはずなのに。

 情が深いと言われる魔族の象徴のような人だった。統治者らしい非情さを持ち合わせていたが、身内には甘い人だった。

 何が父を変えたのか。その答えこそ、あの黒い塊のような気がした。


「シフィが種に選ばれただけのことだ」


「だから、なんでシフィが――っ」


「ライ」


 椅子を倒す勢いで立ち上がり、メーレに詰め寄ろうとしたライは一言のみで止められる。

 低く重いフィルの声にはそれだけの力があり、その程度で止まるくらいの冷静さがまだライの中に残っていた。


 我らが素晴らしき兄もまた、こんな状況でも落ち着き払っていた。憎らしい思いでフィルを睨みつけたのとほとんど同時に、傍らで何かが倒れる大きな音が響いた。

 反射で目を向けた先でシラーフェが倒れている。間を置かず、駆け寄ったライは半瞬遅れて立ち上がるフィルを視線だけで制する。


「シフィはオレが上に運ぶ」


 自分でも驚くくらいの冷たい声でそれだけ告げて、シラーフェの体を抱えあげる。

 腕にかかる重みは以前よりもずっと重く、その成長に感慨を抱く余裕はない。


 余裕はないから一人、早々に地下室を後にした。その後、地下で何が話されて、どうなろうとも知ったことではない。そう思える自分になるために時間が欲しかった。

 シラーフェが目覚めたとき、王に選ばれてしまった彼を見て、重く残酷な業を背負わされた彼を見て、笑い飛ばされるようになるために。


「すべてはアポスビュート神の思し召しだ」


 背中越しに聞こえる父の声に「くそったれ」と思いながら。


 ●●●


 上品さを纏った優美な顔立ちは穏やかな微笑みで、飾られる仄かな色香はおっとりした雰囲気の中に漂い、隙のない佇まいは気高い花のようである。

 存在の知らなかった地下室に案内され、知らなかった先祖の遺産が明かされ、弟が次期王に選ばれた。

 怒涛の勢いで、予想外の方に動いた状況の中でも、リリィは変わらずの穏やかな姿勢を崩さない。


 地下の出来事はライがシラーフェを抱えて立ち去ったことで一区切りがついたと言っていいだろう。

 先にライが怒りを爆発させたことで、不発に終わった感情を抱えたカナトと、状況を呑み込めずに困惑するネリスのことはキラに任せ、メーレとフィルを残す形でリリィは地下室を後にした。


 一度自室に戻ったリリィは深夜を回った頃、そっと部屋から出た。

 弟妹たちは寝静まっているものであろう時間。リリィは王族の私室が並ぶ通路を抜け、別の館にある執務室の前に立った。


 普通であれば、こんな時間に執務室に残っている者などいない。しかし、リリィにはここにいるだろうという確信があった。果たして、ノックをすれば、低い声の応答があった。


「失礼しますわ」


 中に入り、出迎えるのは長身の青年だ。人によっては恐れを抱く風格を持った彼を、しかしリリィは恐ろしいと思ったことがない。今だって、数時間前の出来事に思い悩む優しい兄の姿が、その赤目に映っている。

 同時にこれが人には怖い顔に見えるのだろうとも考える。表情変化が少ないせいなのは言うまでもなく、それがこの兄の愛嬌であり、リリィはその不器用さを愛おしく思う。


「婦女がこんな時間に男の許を訪れるものではないぞ」


「あら、お兄様は私を襲うおつもりで?」


「馬鹿なこと言うな」


 感情を乱さず、言い捨てられた言葉に笑みを作る。お互いに信頼がある故のやりとりを交わす中で、兄に向ける以上の信頼を後ろに控える己の影へと向ける。

 幼い頃から一番近くで共に育ってきた影との絆は、場合によっては血の繫がりよりもずっと強い。


「ご心配には及びませんわ、お兄様。何があってもメリベルが守ってくれますもの。ねえ?」


「はい、この命に代えましても」


 赤い瞳を交わし、互いの絆を確かめ合うリリィとメリベル。その温かな空気とは少しばかり温度感の異なった兄主従の方へ目を向けた。冷たいというより、静かな雰囲気の二人へと向けたリリィの瞳の色が変わる。

 微かな変化を容易く読み取り、フィルもまたリリィと話すための空気を整える。


「ライに怒られてしまったな」


 先に口を開いたのはフィルの方だ。表情は相も変わらず、ほとんど変化はなく、代わりに声音が雄弁に心中を語っていた。

 威厳に満ち、他者を圧倒する風格を備え人物とは思えない弱々しい声音であった。微かな呟きに込められた万感の思いを味わう数拍があって、


「お兄様はどこまで知っていらしたの?」


「それを知ったら、お前は怒るか?」


「返答次第ですわね」


 弟妹が決して見ることのない兄の弱さ。受け止めるなんてことはせず、甘さを見せない態度にフィルは小さく息を吐いて薄く笑った。自嘲に近い笑みだ。


「知らなかった」


 より深く、複雑な感情を滲ませる呟き。彼が歩んできた道のりを含んだ声音に込められたものをリリィがすべて知ることはきっとできない。弟妹に比べれば近くにいても、二年の開きがある。


 弟妹たちを、国を率いる重みは近くにいても、想像することしかできず、想像して知ったような気になるのは違う気がした。想像するより、こうして相対して言葉を交わす方がリリィは好きだ。

 表情や声色を実際に見聞きする方がずっと好ましい。


「俺が知ったのは今朝、地下室に案内されたときだ。……皮肉なものだな」


 遠くを見ているような赤目が見ているのはきっと自身が歩んできた道のり。

 次期王の選定という儀式は、この兄にとって何よりも重要で意味のあるものだったのだろう。

 王位継承権一位と謳われ、多くから次期王としての期待を注がれてきた人生。それが蓋を開けてみれば、選ばれたのはシラーフェであった。フィルにはさぞかし自分が滑稽に見えていたことだろう。


「すべてを背負うために生きてきたというのに、ままならぬものだ。よりにもよってあんなものが……」


 肝心な部分は音にならず、それでも何を言わんとしているのか、この場にいる全員が理解していた。

 メーレの中から取り出された〈復讐(フリュズ)の種〉と呼ばれる黒い塊。一目見ただけで、全身に鳥肌が立つような、おぞましく暗いものの集合体。


 あんなものを取り込んで、愛おしい弟は無事でいられるのか。

 地下室で激痛に喘ぐシラーフェの姿が思い出されて、リリィはその瞳を憂いで伏せた。


 すべてを背負う。フィルのその気持ちはリリィには痛いほど分かる。

 弟妹もあんなものを背負わせるくらいなら、自分が背負いたい。背負いたかった。

 誰よりも優しく、人族と分かり合える世界を望んでいたシラーフェに復讐なんてものは似合わない。優しいあの子のままがいいのだ。


「シフィは変わってしまうのかしらね」


 疼く感情を無視するように呟いた言葉にフィルは素っ気なく、「さてな」とだけ答えた。

 落ち込んでいるわけではないが、慰めも励ましもなく、視線すら寄越さない。だから、リリィもフィルを見ず、言葉を紡ぐ。


「ねぇ、お兄様。あの子は変わらないと私は思っているの。変わりたいと望んでいるのはきっと神の方だと」


「ならば、俺はそれを信じよう。お前の予言はよく当たるからな」


 視線を交わさず、互いの信頼を交わし合う。それぞれに複雑な思いを考えながらも、それぞれに己の方針を胸に刻む。

 変わらない未来を望み、変わってしまった今に向き合い、やはり変わらないことを選ぶ。

 ならば今まで通り、愛おしいもののためにこの身すべてを懸ける。それはずっと変わらない誓いだ。


 ●●●


 沈んでいく。深い闇の海に意識が沈んでいく。無抵抗に沈んでばかりだったシラーフェは静かに瞼を持ち上げた。

 赤い瞳に映し出されるのは何もない闇ばかり。持ち上げた手すらも見えない深い闇の中でシラーフェは拍子抜けと言わんばかりに細く息を吐き出した。


「この程度のものか」


 息を吐くと共に吐き出される呟きは虚空に消える。聞く者がいないとは思えない。

 この闇の主、〈復讐(フリュズ)の種〉と呼ばれる、蓄積された憎しみの中心にいる存在。シラーフェの先程の呟きは彼へと向けられたものであった。


 シラーフェは憎しみの根源と戦うつもりで、闇に身を委ねた。けれども、予想していた憎悪の奔流はなく、身を包むのはそれ自体は影響力を持たない無味の闇のみ。

 不発に終わりそうな覚悟を、挑発めいた呟きに込めた。それに呼応したのか、何かに引っ張られる感覚がして、シラーフェの体は大きく沈み込んだ。とぷんと音を立てて、闇の海に呑まれていく。


 息を詰め、目を瞑る。長くはない時間、体が落ちていく感覚を味わい、再び目を開ける。

 今まで闇しか映っていなかった赤目が、闇の中で初めて自分以外の存在を目にした。


 それは男だ。白い髪と、それを飾り立てる黒い角。魔族の王族たる証を持つ青年の瞳は光を失って、暗く澱んでいる。

 一目で分かった。彼こそが、この憎しみの権化たる存在だと。


「お前がルヴァンシュ・フリュズ・アンフェルディアか?」


「いかにも」


 低い応えがあった。


 ここ数日で何度も聞いた声に今更驚きもない。〈復讐(フリュズ)の種〉に憑りつかれた瞬間、ずっと存在を主張していた声の主の正体を知り、妙な納得感があった。

 彼に選ばれた事実に対しても、特に驚きはなかった。知っている存在から知っている感覚を与えられた既視感、それが選ばれた瞬間のシラーフェの中にあったものだ。


「何故、俺を選んだ?」


「そなたがもっとも種を継ぐに相応しき者だからだ」


 聞きたくて仕方がなかった問いに、求める答えは返ってこない。

 曖昧で抽象的。形の見えない返答に不愉快と眉を寄せる。


 相応しい者なら、他にもいたはずだ。もっともなんてことはないはずだ。

 それでも〈復讐(フリュズ)の種〉などというおぞましきものを、他の兄姉たちが継がずに済んでよかったとそれだけは強く思う。


「何故、俺が相応しいと? 兄上ではなく何故俺を……っ」


 課せられた荷物がシラーフェには重すぎて、見えない答えにシラーフェ自身の答えも定まらない。

 重ねた問いにルヴァンシュは腕を持ち上げ、シラーフェの胸の辺りを指差した。


 シラーフェは反射的に息を詰めて、向けられた指先を見つめる。〈復讐(フリュズ)の種〉などという代物を残した四〇〇年前の先祖へ向ける、膨らんだ感情が気圧されるように勢いを失う。


「そなたの中に種があるからだ。人族への暗き感情。心当たりがあろう?」


 残念ながら、シラーフェに思い当たるものがない。視線で示せば、ルヴァンシュは歪に笑みを作った。

 不気味さと、惹きつける何かを兼ね備えた笑みに怖気が走る思いがした。


「赤髪の乙女。異なる世界の勇者」


 鼓膜を震わす低い声が弱いところを鷲掴みにされる。

 まだ割り切れていない感情が奥から噴出し、溺れる。無意識に呼吸が乱れ、浅くなる。


 思い出してしまう。美しい成長し、聖女となった少女を。自らの手で遠ざけた初恋の少女のことを。

 胸の奥が今更すぎる痛みを訴えて、我が儘な感情が顔を覗かせる。精神体に近い今の状態で、それを無視することは容易ではない。


「……勇者とは実に醜悪な生き物よ」


 揺るがされるシラーフェの視界に金髪碧眼の青年が過ぎる。

 名前を知らぬ青年のことを、しかしシラーフェは知っていた。より正確に言えば、見覚えがあった。

 数年振りに見た赤髪の少女との出会いを夢に混じった異物。侵食する黒の中に紛れていたそれはシラーフェの中に印象深く残っている。


「お前は一体いつから俺に目をつけていた……?」


「そなたは余によく似ている。まだ青く、穢れを知らぬ。そなたの魂は実に綺麗だ」


 褒められているのだろうが、その結果が〈復讐(フリュズ)の種〉を植え付けられることならば、まったく嬉しくない。

 そもそも澱んだ目をした人物に「自分と似ている」などと言われて素直に喜べるものか。


「余はこれでもそなたを心配しているのだ。その穢れなき魂が人族の手で穢れぬよう――」


「自分の手で穢すのか?」


 無理解を宿した冷たい声に、ルヴァンシュ表情を変えない。ただ暗い表情の中にシラーフェを気遣う色が宿っているのを感じて、不快感が胸を詰めた。

 本人に自覚のない歪さには触れず、鋭くした視界で睨めつける。穢れさせる相手が人族か、魔族の歴史かの違いでしかない。


「穢すなどと……そなたは人族の醜さを理解してはおらぬ。あれらは己の欲を満たすために手段は選ばぬ。容易く他者を欺く種族なのだ。これは忠告でもある。分かり合えるなど、幻想でしかない」


「大仰なものを残したわりにその程度のことしか言えないのか」


 歴代王に受け継がれてきたという〈復讐(フリュズ)の種〉。四〇〇年続く執念の本質は、自身が騙されたことに対する駄々でしかなかった。やはり拍子抜けだと最初の印象通り、胸の中で呟いた。


「その程度、だとっ⁉ そなたに……貴様に何が分かる⁉ 目の前で妹を無惨に殺された余の気持ちの何が分かる?」


「当事者ではない俺に語る口はない。それはお前とて同じこと」


 言葉を交わそうとも、互いの距離は縮まらない。相容れない思いを強めるばかりである。


「疾うに滅んだ人間が口を挟むな。俺の問題は俺のものだ」


「無能を騙る臆病者が偉そうな口を利くものだ」


 図星を突かれ、一番弱い部分が震える。

 かつてシラーフェは己の腕を磨くことに奮起していた。魔法に、剣術に、強くなるためにあらゆる努力を重ね、それに見合う実力を手に入れた。

 魔族と人族が分かり合える世界を作りたかった。そのために必要だと思う者を貪欲に求め生き、残酷な現実を知ってすべてを諦めた。己の力が齎す影響を知り、怖くなって逃げたのだ。


 ああ、確かにシラーフェは臆病者だ。力を制限し、役割を放棄した無能な王子として責任を持たずに済む道に身を委ねた。その結果、もっとも責任のある立場に置かれたのだから笑えない。


「皮肉だな」


 小さく呟き、自嘲気味に笑ったシラーフェはその瞳に光を宿した。かつて宿していた者と同じものを。


「ならば、逃げるのをやめればよいのだろう?」


 どんなに否定しても、選ばれた事実が変わらないのならば。


 脳裏に過ぎるのは美しい花畑の中で夢を語る美しい少女の姿。再会してもなお、思い出すのはあのときの姿で、彼女の語った言葉は胸に刻まれている。思い出せば、力をくれるそれが今も指針となってくれる。


「お前が人族と騙されたとて、それは人族の一部に過ぎない。一面のみですべてを決めるのは早計であろう」


「ならば、薬草屋の娘を殺した者のことも、貴様はそうやって切り捨てるのか」


「安い言葉だ。言ったであろう? それもまた人族の一部に過ぎぬ」


 シラーフェの胸に刻まれたもう一人の少女のことを出されても、その覚悟は小動もしない。むしろ逆効果だ。

 彼女がシラーフェを呼ぶ声が蘇り、彼女の最期の笑顔が蘇る。最期に彼女は言った。


 夢を叶えろ、と。みんなが幸せになれる世界を、と。

 お願いされた。約束した。


 彼女を裏切ることはできないと諦念に身を任せ続けていた心をあの頃のように奮起させる。


「お前が人族の悪性を信じるように、俺は人族の善性を信じる」


 紡ぐ唇を綻ばせ、場にそぐわない笑顔を浮かべる。感情を表に出すことが苦手で、表情らしい表情を浮かべることがほとんどないシラーフェの顔に清々しい笑みが宿っていた。

 見る人が見れば、驚くであろう表情を唯一目にすることができたルヴァンシュは呆気に取られて、魅入られる。


「安心するがいい。お前の望み通り、〈復讐(フリュズ)の種〉は俺が継いでやろう。俺がアンフェルディア王国の王になってやろうではないか。その先で俺は俺の望みを叶える。今更逃げることは許さぬ」


 ルヴァンシュの方へ向けた掌から魔力が零れ出る。この精神世界の中でも、魔法は問題なく使えるらしい。

 重畳、と空間内のマナを集め、魔力に変換するとともに術式を構成する。知識にはあっても、ここまでの高度な魔法を行使するのはこれが初めてだ。


「ディゥマテージ・アムアンマ」


 術式の構成が完了し、唱えた言葉とともに魔力が形を成す。遅れて気付いたルヴァンシュが反魔法を行使しようとするがもう手遅れだ。

 シラーフェの魔力は鎖となって、ルヴァンシュの体を拘束する。


 視覚的に言えば、体だが、ここにあるのは精神体。平たく言えば、魂だ。

 シラーフェが行使したこの魔法は、俗に縛魂と呼ばれるものである。他者の魂を縛り付ける魔法を使い、ルヴァンシュの魂――〈復讐(フリュズ)の種〉をシラーフェ自身の魂と結び付けた。


「その妄執は俺が受け継ぎ、俺と共に費える。他の者には渡さない」


 〈復讐(フリュズ)の種〉はシラーフェが独占する。強欲さを持って、シラーフェの中で閉じ込めた。

 一度は拒絶したそれを抱き締め、死するそのときまで、いや、死してなお共にあることを誓う。下手な求婚よりも根深く、二人の魂は繋がった。


「正気か⁉」


「正気でなければ、このようなことはしない」


 シラーフェの思い描く民の幸福の中に、四〇〇年続く妄念の居場所などない。

 過去の存在を未来へ行かせるつもりはないのだと。


「小童が……。余が大人しく従うなど思うでないぞ」


「ああ、分かっている。いくらでも受けて立つさ」


 ルヴァンシュの体から立ち昇る黒い気を目にしながら、シラーフェは爽やかに残酷な未来設計を描いた。

 夢を叶える。魔族と人族が分かり合える世界を。一人でも多くの民が幸福でいられる国を。

 それの邪魔をするもっとも大きな障害は、この魂とともに滅してみせよう、と。






 目を覚ましたとき、視界に広がるのは見慣れた世界――自室にあるベッドの天井があった。

 閉ざされた紗幕に座した影が映っている。眠るシラーフェの傍らにいることが許されている者は限られている。


「ユニス」


 大きくない声で呼べば、その人物は息を呑み、腰を浮かせる。咄嗟に紗幕を開けようとする手を寸前で止める姿に微かに笑い、シラーフェは起き上がって自ら紗幕を開けた。見るからに安堵したユニスの姿が瞳に映った。


「シラーフェ様、おはようございます。お加減はいかがですか?」


「問題ない。心配かけたな」


「いえ……。シラーフェ様、昨晩は一体何が……シラーフェ様?」


 いつもと違う様子のシラーフェを見て、ユニスは問いを呑み込む。静謐さを纏い、赤い瞳は遠く、ここではないどこかを見ているようであった。

 澄みきった水を思わせる空気の中で、シラーフェは再度ユニスの名を呼ぶ。静かな、静かな声で。

 たった三音に胸を鷲掴みにされた気分で息を詰め、ユニスは恭しく頭をさげる。


「――ユニス。俺は王になる。お前は俺に従え」


「この身、この魂は既にシラーフェ様のものです。なんなりと」

挿絵(By みてみん)

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