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魔王に花束を  作者: 猫宮めめ
第4章
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76「長男の悩み」

 陽が傾き、橙色の光が執務室に注ぎ込む。騎士団の詰所に赴いていた分、溜まった書類に目を通していたフィルはふと顔をあげた。と、ほとんど同時に机の上にカップが置かれる。


「もうそんな時間か」


 声をかけずとも差し出されるお茶に口をつけ、呟く。

 舌に馴染む味で疲労を押し流し、傍らに立つ青年へ目を向ける。


 フィルよりもやや背の低い細身の青年。執事服の着こなしにも、そのたたずまいにも一分の隙もない。

 機械的に裁量を叩き出す青年はフィルの影、フニート・ツェル・ラァークである。もっとも信頼を注ぐ相手に口元を緩める。


「今日は珍しく弟と話をしていたようだが、どうだった?」


「どう、とは? フィル様にしては珍しく、随分と抽象的な言葉選びですね」


 主相手にまるで遠慮の物言いである。

 普段はどれだけ抽象的に紡いだ言葉も、的確に読み解いてみせる男があまりにもなことを言う。余程弟のことに触れられたくないらしい。


 興が乗り、フィルは笑みを深める。弟妹たちにすら滅多に見せない少年めいた表情である。

 少年であったころから付き従っているフニートに取り繕った表情を見せるのも無駄なことだ。


 長兄として、国政を担う者として、常に張り詰めている空気を今は好奇心で上塗りする。

 対するフニートはややうんざりした表情を見せる。 これもまた弟妹たちが見ることのない表情である。


「私的に声をかけるのは珍しいだろう?」


 フニートとユニスは実の兄弟である。しかし、二人が兄弟らしく指摘に言葉を交わすことはほぼない。

 従者であることに心を注ぐ似た者兄弟であることを、フニートが理性でのみ動く人間であることが理由だ。

 少ない顔を合わせる機会も従者として役割が優先されてしまう。


 フィルは二人の関係に口を出す気はない。兄弟らしさの欠片もない二人の距離は二人のものであり、フィルが介入すべきことではない。主であっても、いや、主だからこそ。


 とまあ、かっこつけた前提はここまでにして、フィルは珍しい従者の姿への好奇心を優先する。

 俗っぽい主の視線に観念したように、フニートはそっと息を吐く。


「レナードの行動が目に余ったので声をかけたにすぎません」


 それはフィルも目にした。カナトもレナードも困った弟主従であり、傲慢な振る舞いが目に余ることは少なくない。ここ最近は特に酷い。

 カナトとシラーフェの手合わせも言ってしまえば、カナトの傲慢がきっかけであった。


「目に余っただけにしては長いこと話し込んでいたようだが」


 逃げ場を塞ぐように投げかければ、フニートの眉間がわずかに反応する。

 表情を表に出さないことを徹底するフニートの雄弁な表情変化はフィルの狙い通りだ。


「あれの姿が目に余っただけです」


 今度は名前すら出さず、同じ返答が紡がれる。

 同じようで含まれているのは微妙に異なる。それを繊細に読み取って、フィルは口元を緩めた。


「シフィの影響でも受けたか?」

 脳裏に映しだした弟の姿にフィルの纏う雰囲気は和らぐ。


 シラーフェは良くも悪くも関わる者に影響を与える。ライ当たりの言葉を借りれば、天然人誑し。

 どうやらフィルの影も感化されたらしいと弟の影響力を凄まじさを実感する

 もしかするとアポスビュート神も、シラーフェのその性質に惹かれたのかもしれない、と詮無いことを考える。


「マーモア様は、不思議なお方ですね。多く言葉を交わしたわけではないというのに心を動かされる」

「存外、俺より為政者に向いているのかもしれないな」


「それはないでしょう。マーモア様は優しすぎる」


「即答か」


 フニートの言葉はフィルこそ王位を継ぐに相応しいと考えている故のものではない。

 己の中に為政者の像と照らし合わせた上で言っているのだ。フニートの描く像にフィルが当てはまっているのか、フィルも知らない。確認しようと思ったこともない。

 他者の意見を気にすることはフィルの描く為政者像にはないからだ。


「フィル様こそ、マーモア様を……今のマーモア様をどうお思いで?」


 問いに映し出されるのは今日の手合わせでのシラーフェの姿だ。

 シラーフェの剣の才能があることは幼い頃から感じていた。いづれ芽吹くものだと思ってはいたが、カナトに勝つほどとは想定外であった。


「危ういな」


 カザードから戻って以降、シラーフェと行動する機会は多くあった。

 その間も幾度と感じていた胸のざわつきが、今日カナトと手合わせするシラーフェを見て確信となった。


 選王の儀でシラーフェに受け継がれたものが与える変化を目にして、喜ぶ気分になれなかった。

 不器用ながら慈愛を注ぐ父の瞳が暗く澱み、光を失っていく様をフィルは近い位置で見てきた。同じように変わっていくシラーフェの姿を脳裏に描き、重い息を吐く。


「〈復讐(フリュズ)の種か……。先祖も随分なものを残しくれたものだ」


「この地で口にするのは少々問題があるかと」


 ほんの数ヵ月前にようやく明かされた謎。父が変わってしまった理由。

 四〇〇年前、先祖が残した恩讐の念への愚痴はフニートに咎められてしまった。

 表情に苦いものを混ぜる。少しの絡みも許してくれない厳しい従者である。


「幸いシフィは染まりきっているわけではないようだ。手合わせで映し出されていたのはほんの上澄みであろうな」


 幸い、という言い回しが引っ掛かったのか、フニートは物言いたげな視線を寄越す。 

 言いたいことが先程と同じであることを理解しながらも、気付かぬふりをする。


 軽はずみに口にできない本音を言えば、どうでもいいのだ。四〇〇年前の先祖の想いとか、このシュタイン城がアポスビュート神の遺体の上に建てられた墓標であるだとか。


 積み重ねられた過去よりも、フィルには今の方が大切だ。過去など、今を生きるための踏み台を過ぎず、足枷になってはならないものだ。〈復讐(フリュズ)の種は足枷であった。

 それも歴代王たちをことごとく沈めてきた性質の悪い、重い枷だ。


 それが弟の足に絡んでいる状況を忌まわしく思う心を誰が責められる。


「カナトを圧倒できたのはシフィの実力もあるだろう。カザード行きは良い刺激になったようだな」

「自分も手合わせしたかったと顔に書いてありますよ」


「強くなったシフィもそうだが、あの剣はずるいな。アルベ王が打った剣の中でも五本指に入るんじゃないか?」


 魔龍剣アルスハイルムリフと名付けられた漆黒の剣。

 剣を握るものならば、あの輝きを目にして疼かずにはいられない。


 強者と戦いたいという欲は薄いフィルではあるが、良い剣と手合わせをしたという欲は強くある。

 使い手以上にその武器に興味がある。最高峰の鍛冶師が打った最高峰の剣など垂涎ものだ。さらに言えば、魔龍剣はまだ本領を発揮していないように見えた。


 疼く。自分ならば、あの輝きをもっと強く、もっと美しく引き出せる。

 漆黒の剣身が帯びた虹色の輝きを思い出しながら、己の欲を膨らませる、自分こそ、あの剣の実力に相応しい相手であるという傲慢さが疼きを与える。


「いづれ、マーモア様と手合わせする機会もあるでしょう。今は自重してください」


「分かっているさ」


 甘くない従者の言葉に息を吐きながら答える。

 選王の儀を控え、影人の謀反を起こしている状況で、呑気に己の欲に従っている場合ではない。 

 描く理想を目指すことに余念がない従者に軌道修正されるがまま、意識を切り替える。


 切り替えた意識は手合わせを行ったもう一人の方へ向けられる。

 先祖の妄執を内に住まわせたシラーフェ以上に不安要素を抱えた弟だ。


「カナトはまさか負けるとは思っていなかったようだからな。自棄(やけ)を起こさなければいいが」


 誰よりも王位を継ぐことに執着していたカナトはシラーフェに敵愾心を抱いている。

 今回の手合わせも、その敵愾心から始まったものである。勝てると見込んで仕掛けた戦いで負けてしまっては言い訳もたたない。


 屈辱を人目も憚らず零すカナトの姿を描き、その暗い姿に不穏なものを抱く。


「ライの方の調査はどうなっている?」


 抱いた不穏なまま、もう一人、不安要素というより厄介な弟について尋ねる。

 知らぬ間にシラーフェのカザード行きに同行していたらしいライは、帰ってから不審な動きを見せていた。


 いつものように城下に向かうに見せかけて、騎士団の詰所訪れていたと報告を受けている。

 詰所を訪れること自体に不審はない。ライが、と思うとやや珍しい気もするが、あれが騎士団の中にも交友関係を広げていることは知っている。取り立てて騒ぐほどのことではない。


 問題は隠れるように詰所を訪れていることだ。弟妹の動きは粗方、フィルに報告が来るようになっている。

 ライの動きにはフィルへの報告を避けている素振りがあった。


「ベルフィア様はカザード行に同行していた騎士について調べていたようです」


 潜んでいるようで、簡単に掴まれるくらいには余裕のないライの動き。存外分かりやすいあの弟が、そんな動きを見せている要因は限られる。

 その根底にあるものが分かっていても理由までは分からない。


「魔獣の魔物化の件……いや、シフィが水に落ちた件か」


 シラーフェのカザード行きの間に起こった複数の問題については報告を受けている。

 エマリの故郷の村が魔物の襲撃を受けた件。龍の谷ミズオルムで人族の少女が引き起こした騒動。

 リントスへ向かう最中、魔物の襲撃を受けてシラーフェが落水したこと。


 カザードから対話石を通じて聞いた話と、帰国したシラーフェから受けた報告を思い出す。


「あれが顔を見せないことはそう珍しくないが」


 ライは自由を愛する。必要な報告を弟と従者に押し付けて、遊びに行くなんてことまずライクない。

 選王の儀のこともあって、顔を合わせづらいとも思わせていることだろう。

 そんな考えもあり、カザードから帰国以降、ライが姿を見せていないこと自体に疑問はなかった。


「隠し事があって避けられていたか。もう少し、あれの動向を気にかけるべきだったな」


 そこまでして隠しているのだから尋ねたところではぐらかされるであろう。

 こういうとき、弟妹の中でもっとも厄介なのがライだ。


「こちらで引き続き調査を行いますか?」


「いや、いい」


 お茶を飲み干して答えれば、すかさずフニートが次を注ぐ。

 立ち上る湯気を眺めながら、面倒ばかり抱える弟ばかりと息を吐く。


「必要になれば、ライの方から言ってくるだろうさ」


 厄介ではあるが、ライは己の立ち位置をきちんと理解している。先にあげた二人の弟、シラーフェとカナトに比べて自分を客観視する目を持っている。


 言うべき必要があれば、自分から言ってくるはずだ。今、それがないのはまだそのダイン会ではないのか、迷っているかのどちらかだろう。

 一人で無茶な判断はしないという信頼から、ライの件は保留の判断をする。


「下手に人をつければ、気付かれる。それで頑なになられても面倒だ」


「かしこまりました」


 フィルの判断に異存ないとフニートは会釈で示す。


 元よりフィルはライとあまり相性がよくない。立場上、厳しい態度を取らざる得ないフィルを理解してはいても、快く思っていないことは普段の態度からも窺える。

 無理に聞き出すにしても、リリィやキラに頼んだ方が確実だ。


「まったく、面倒な弟ばかりで困る」


「その割には嬉しそうですね」


 石を吐き出した口元に仄かに乗った笑みを指摘されすぐに表情を消した。

 睨むに近い視線を受けてなお、フニートの澄ました顔は崩れない。

 崩せるとも、崩そうとも思っていないので落胆もなく、フィルは視線を下へ落とす。


「俺はあいつらの兄だからな。弟のために頭を悩ませるのも、力を尽くすのも心を砕くのも、労苦より喜悦が勝る」


「私にはない感覚ですね」


 書類に視線を落とし、中断していた執務に意識を切り替えたところに零される声。

 相も変わらず感情らしい感情を含まぬ冷たいフニートの声。そこに惜しむ色が混ざっていることに気付いて顔をあげる


 かち合う赤目が見開かれる様を小気味の良い気分で見る。


「やはりシフィに感化されたか?」


「くだらないことを言っていないで、早く執務に戻ってください」


 厳しい物言いを誤魔化しとして受け取るフィルは数秒前とは違う笑みを浮かべて執務を再開させる。

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