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魔王に花束を  作者: 猫宮めめ
第4章
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73「兄の目」

 騎士団の詰所へと向かう馬車は重苦しい空気に包まれている。

 王族専用の広い馬車の中にいるのは四人。シラーフェとユニス、その向かいにフィルとフニートが座っている形だ。


 お忍びであったカザード行きの馬車よりも、幾分か広い車内。目の前に座る人物による圧迫感からか、むしろ狭く感じる。

 同じ兄でも、フィルの纏う空気はライとはまるで違う。


 ただ座っているだけで漂う威厳は場に緊張感を与える。無駄に口を開くことは憚られる空気にシラーフェは沈黙を守り、手持ち無沙汰な状況を流れる景色を見て紛らわす。


「詰所に着くにはまだ時間がある。フニート、調査結果の報告を」


「はっ。影の里からの報告によれば、イゾルテ・ラァークは数日前から行方を晦ましているようです」


 移動時間をも無駄にしないフィルの呼びかけに、フニートが淡々と応える。

 昨日、王城で起こった爆発物騒ぎに関する報告であろう。

 主犯はイゾルテ・ラァーク。その目的は影人に対する謀反だと言う。


「イゾルテ・ラァークが数日姿を見せないことは珍しくなく、里の者も特に疑問に思っていなかったとのことだ。我が一族の不手際、代表して謝罪致します」


「悔いる心があるのならば、この先の行動で示せ」


 言葉での謝罪よりも、行動で示すことを求めるフィルにフニートは目礼で応える。

 そこにあるのは、言葉不要の信頼関係であった。形式ばった言葉への返事を既知のものとして受け取るフニートは、無駄を嫌うようにすぐに思考を切り替える。


「現在、イゾルテの息がかかった者の炙り出しを行っている最中です。とはいえ、完全に信用できる者がいない以上、こちらはあまり期待はできないでしょう」


 モノクルの位置を直しつつ、フニートは息を吐き出す。


「イゾルテの目的が、我が一族への謀反というのが事実であれば、『ツェル』や『スクト』の者にまで声をかけていないと考えることもできますが」


「硬直的な考えは危険だ」


「仰る通りです。敵の性質も鑑み、あらゆる方面から柔軟に調査を進めております」


 敵、とフニートははっきりそう口にした。


 イゾルテはフニートにとって叔母にあたる人物だ。血の繋がった相手を、幼い頃より見知っている相手を、敵と定める姿はどこまでも冷徹だ。

 第一王子、フィルクリービア・ルシフィア・アンフェルディアの影らしい姿である。


 割り切るべきと頭では理解していても、シラーフェはイゾルテへ同情する心を消しきれないでいる。

 何気なく隣に座るユニスの様子を窺う。一見、いつも通りに見えるが、心なしか表情が暗いユニスの顔を。


 イゾルテと接触したという話だ。勧誘されたと聞いた。

 具体的にどのようなやりとりがあったのかまでは与り知らぬことで、その胸に渦巻く感情を理解してはやれない。


「――一族の中で劣等と扱われる者たちの動きはどうなっている?」


 すでにユニスから視線を外したシラーフェは努めて平静に問いかけた。

 すぐ隣で聞こえた微かな息の音には気付かないふりをした。


「影人に謀反を起こすというのであれば、恨みを持つ者に声をかけるのが自然であろう」


 影人にもっとも恨みを持つ者、それは一族内で出来損ないと蔑まれてきた者であろう。

 完全実力主義である影人は、その者の持つ能力で価値が決まる。最低水準、影を纏う力も、影に潜む力も満足を扱えない者がどのような扱いを受けるか、シラーフェは知っている。


 魔族として優秀であっても、影人として不出来ならば、その者に価値はない。

 否定されることが当たり前の世界で生き、暗い感情を育てずにいられる者は多くないだろう。

 他者の憎悪を想像し、うちに潜む存在が共鳴して揺れた。


「イゾルテと同じく、行方を晦ましている者が幾人かいるようです。いつから姿を消しているのか、把握できていない状況ではありますが、イゾルテに賛同し、謀反を企てているものとして動いております」


 長の一族であるイゾルテならばいざ知らず、他の者たちは姿が見えずとも誰も気にしない。

 その程度の存在と告げられたようで、仄かな痛痒を覚えた。


「マーモア様はお優しいですね」


 微かな表情変化を読み取ったのか、不意にそんな言葉を投げかけられた。

 フニートから私的な言葉を向けられるのは初めてで目を丸くする。


「出来損ないを気にかける心が我々にもあれば、早くに対策を打てていたことでしょう」


「……気にかけようと思う心が大事なのではないか? 今からでも遅くはないはずだ」


「いえ、もう遅いのですよ。事態は起こってしまった。今はそれがすべてです」


 言葉の意味が分からず、眉根を寄せる。事態が起こったとはいえ、、気にかけたいという思いに何ら関係ない。


「マーモア様はお優しいですね」


 先程とまったく同じ言葉を言われ、さらに眉根を寄せる。

 真意を問うため、口を開いたところで、馬車が止まった。どうやら騎士団の詰所についたようだ。


 イゾルテの謀反に関する話を中断し、本日の予定、騎士団の視察のため、馬車を降りた。

 騎士団の詰所にはシラーフェも幾度か訪れたことがある。以前、訪れたのはいつだったか。


「ルシフィア様、マーモア様、お待ちしておりました」


 出迎えるのは騎士団長イグニ・イルバス。『血染めの角』の異名を象徴する赤い角が特徴の男性だ。

 魔族の中では長身の部類であるフィルよりも背が高く、筋骨隆々とした体は騎士服に窮屈そうに収まっている。


「少し見させてもらう」


「はい。ご案内させていただきます。まずはこちらへ」


 強面な顔に浮かぶ生真面目な顔はやや不適当に思える。

 無骨な印象の人物で、騎士というより傭兵と言われた方は納得できてしまう見た目をしている。


「騎士団の方は変わりないか」


「はっ。皆、国のために日々精進しております」


 言って、イグニは表情を引き締める。見た目に似合う武の気配が漂う。


「王城の方で騒ぎがあったと耳にしましたが」


 昨日の今日という耳の早さだが、イグニの立場を思えば不思議はない。

 王城の警備は騎士団の管轄であり、爆発物騒ぎに関して責任を負う立場にある。


 本来ならば、すぐにでも騒ぎの詳細を聞かされるはずにも拘わらず、未だ情報が下りてこない状況を不審に思っている様子だ。 


 影人が犯行に関わっている可能性を、対処にあたっていた騎士は把握しているだろうが、フィルが情報を止めているようだ。

 険しい視線が注ぐ不審をフィルは表情一つ変えないままに受ける。


「ここで話せることではないな」


「場を弁えぬ発言、失礼いたしました」


 緊張感のある二人のやりとりをシラーフェは見守ることしかできないでいる。

 騎士団は王族に仕える組織である。当然、騎士団長も王族に忠誠を誓っているが、それ以前に部下である騎士たちを守る立場にある。


 ただ権力に阿ることをよしとしないイグニは視線に試すような色を混ぜる。

 フィルは変わらず動じないままで、宿す感情を変えたイグニが視線を外して、二人のやりとりは終わる。


 言葉すら交わさない、シラーフェの理解を超えたやりとりを終え、イグニは案内を再開させる。


「――こちらが第一演練場になります。今は第一部隊、第二部隊が鍛錬をしております」


 隊列を組み、一糸乱れず鍛錬に励む姿は壮観である。

 指導をしていた騎士がシラーフェとフィルの存在に気付き、一声で鍛錬を中断させる。


「総員、最敬礼!」


 広い空間に響き渡る声に応え、騎士たちが一斉に最敬礼をする。

 衣擦れの音すらも揃った様に圧倒される。よくよく見てみれば、指導していたのはオディスであった。


「邪魔してすまない。気にせず、続けてくれ」


 フィルの言葉に一礼し、オディスは鍛錬の再開を告げる。

 そのすべてが細部に至るまで統制がとれており、騎士一人一人の質の高さが窺える。

 カザード行きに同行していた騎士の姿もちらほらあって、新鮮な気持ちで見つめる。


「第一部隊はマーモア様に同行していましたね。いかがですか?」


「素晴らしいな。旅の間、随分と頼りにさせてもらった。こうした日々の鍛錬の積み重ねが我々の力になってくれているのだろう。感謝している」


「勿体なきお言葉でございます」


 こうして騎士の鍛錬を目にする機会はあまりなく、国を支える努力の積み重ねに胸が温かくなる。

 一人一人に伝えたい感謝を込めた言葉を喜ぶように、イグニは目尻を下げた。


 部下が褒められて嬉しいのだと和らいだ赤目が語っている。強面の印象を変える表情からは部下のことを大切に思っていることが窺えた。

 今まで最低限の付き合いしかしてこなかったイグニの知らない一面に素直な交換を抱く。

 この人が上に立つ組織がアンフェルディアを守っている事実は一つの誇りであろう。


 続いて案内されたのは、特別演練場である。

 先程の演練場は身体能力と向上と統率を図るための場だ。対して、特別演練場は魔法の鍛錬を行うための場所である。


 一糸乱れぬ動きを見せていた演練場とは違い、それぞれが己の得意とする魔法を練習している。

 特別演練場は万が一魔法が暴発しても問題ないよう、特殊な作りをしている。


「こちらでは今――」


「誰かと思えばお前か、落ちこぼれ」


 イグニの言葉を遮って、不遜に投げかけられる声。苛立ちと憎悪を多分に含めた声を、シラーフェに向ける人物は限られている。

 果たして思い描いた通りの人物が見慣れた嘲笑を浮かべて立っている。


 第三王子カナトイアータム・レヴィニア・アンフェルディア。その後ろにはまったく同じ表情を浮かべたレナードが立っている。


「カナト兄上もこちらに来ていたのですね」


「俺は以前から騎士団の指導を行っている。いておかしいことはない」


 カナトは騎士団の指導を積極的に行っていることはシラーフェも知ることだ。

 国政を担うフィルに対抗するため、戦力の増強に力を入れているのだ。


 カナトは剣の腕が立つ。多方面に優れているフィルに万が一にも勝てるとしたら、それだと考えたのだろう。

 それくらい本音で王位継承者の座を狙っていたのだ。

 結果も出しており、フィルがいなければ、カナトが継ぐであろうと言われていた。


「おかしいのはお前がいることだ。選ばれてようやくやる気を出したのか?」


 大した努力もせず、最低限の役目しか果たさずにいた弟が、カナトの求めた王位継承の座を奪った形だ。

 敵意を向けられるのも仕方のないことである。注がれる嫌悪は以前よりも増したようで悲しみが湧く。


「お前のような落ちこぼれを選ぶなどとアポスビュート神も何を考えているのか……今回ばかりは神の采配を疑わざる得ない」


「カナト、言葉が過ぎるぞ」


 カナトの怒りを鎮める方法は分からず、黙して聞くばかりのシラーフェに代わって、フィルが口を挟んだ。

 長兄を前にカナトは怯むように息を呑む。それでも今回は引く気はないと一歩詰める。

 常に鋭さを宿す赤目と、苛立ちを燃え立たせる赤目が向かい合う。


「兄様は本当にシラーフェが継ぐに相応しいと思っておいでで?」


「神がそう決められた。それが答えだろう」


「答えになっていません! 兄様はどのようにお考えなのですか?」


 それはシラーフェも気になっていることであった。フィルはシラーフェが王位継承者に選ばれたことを気にしていないと言っていた。

 しかし、足りないばかりの身に思うところがあるのではないか。


「シフィには充分資格がある。足りないのは事実だろう。だがそれはいくらでも補填できる。本人にその気があるのならば」


 言って、フィルはシラーフェの方を見た。

 理性的に世界を見る赤目は、シラーフェの意思を確かめているようで、情に揺れてばかりの心を叱咤する。


「……足りないことは承知しています。カナト兄上が俺を頼りなく思っていることも理解しております」


 怒りを炎として燃やす瞳と相対するには勇気がいる。しかし、ここで逃げていてはシラーフェは己の為すべきことも為せないままだ。

 四〇〇年前の先祖の妄執に比べれば恐ろしくない。


「諦め、止まっていた時間は簡単に取り戻せるものではないでしょう。それでも、手を伸ばすことをやめるつもりはありません。選ばれたからではなく、俺自身が求めるもののために」


「求めるものとは何だ?」


「多くの種族が分かりあえる世界を」


 ほとんど間もない返答を咀嚼する数秒、カナトは口の端から笑声を零す。

 次第に笑声は大きくなり、カナトの顔は嘲笑で大きく歪んでいる。


 鍛錬に勤しんでいた騎士たちに注目されている事実に構わず、演練場内に笑い声を響かせる。

 高らかなカナトの笑い声の裏で、レナードもまた笑声を零している。


「大口を叩いて、出てくるのがそれか? 子供の頃からまるで成長していないようだな」


 いっそう強まった侮蔑を向けるカナトはシラーフェの夢を嘲笑する。

 憚らず口にしていた。しかし、ライの一件があって以来、痛感した無力を前に消えていくだけだった夢。


「これではライが角を折った甲斐もないな」


「カナト、流石に――」


「兄様は黙っていてください」


 珍しくフィルの言葉を遮ったカナトは腰に佩いていた剣を抜く。

 紫を帯びた切っ先がシラーフェへと向けられる。瞳に消えない怒りを燃やし、カナトは挑発を口元に乗せる。


「剣を抜け、シラーフェ。お前の荒唐無稽な夢を、俺に証明してみろ」


 注がれる敵意は鋭く、シラーフェを射殺さんばかりだ。

 身内にそんな目を向けられている事実に震える心を押して、シラーフェは剣の柄に手を触れた。

 単なる手合わせを違うと己に言い聞かせながら、そっと柄を握った。

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