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魔王に花束を  作者: 猫宮めめ
第4章
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72「すべての影には続く朝がある」

 焦燥に突き動かされるまま、ユニスは足を動かす。


 影人は影を渡り歩いた方が速く移動できる。主の身に危険が迫っている状況で、影に潜むことのできないことが悔やまれる。

 急く心が駆ける足にもどかしさを与える。


「ユニス!」


 目の前に跳ねる灰色の髪に足を止めた。

 内から急かす感情を抱えながらも、ユニスは冷静に努めて呼びかける相手と向かい合う。


 高い位置で一つに括った灰色の髪を揺らし立つのは、王族に仕える影人の一人、ソフィヤ・ツェル・ラァークである。

 女性にしては高い身長は自信なく丸まった背によって隠されている。困った顔をしていることの多いソフィヤであるが、今日は一際困惑に満ちた表情をしている。


「ユニス、今の音聞きましたか⁉ 何かが爆発したような音でしたけど……」


「王城内に爆発物が仕掛けられているようです。同じものが前庭にもあるようで――」


「前庭ですか⁉ 確かちょうどルシフィア様がお帰りになったところか……あ、もしかして今向かっているところでしたか? 引き留めてしまってすみませんっ」


 情報源を尋ねることをしないソフィヤの反応は素直にありがたいものだ。

 影人が影人の謀反を表明したややこしい状況を説明する時間が惜しい。


「いいえ。むしろ、ソフィヤに会えてよかったです。一つ、頼み事をしても構いませんか?」


 ユニスにとって、ここでソフィヤに会えたことは僥倖であった。


 最低限、影人なら扱えて然るべき力を使えぬユニスを蔑むことをしない数少ない「ツェル」の者。

 ユニス自身すら不審さを感じさせる情報を疑いなく信じてくれたのは信頼ゆえだ。

 普段ならもう少し思慮深さを求める反応が今はありがたい。


「自分がお役に立てることなら、何でも言ってくださいっ!」


「前庭の木、正門から見て右側、八本目の影に爆発物が仕掛けられています。いつ爆発するか分かりません。一秒でも早く、現場に行ってシラーフェ様とルシフィア様に報告を。私は後から行きます」


「右側、八本目ですね。分かりました」


 頷いてすぐにソフィヤはその実を影の中に沈める。

 詳細を問答している余裕はないという判断で急ぎ前庭へと向かう。その姿を見届けるユニスは仄かに焦燥を落ち着ける。


 あの速さなら、シラーフェが件の庭木の横を世折るまでには間に合うだろう。

 共にいるフィルにこの情報は渡れば、適切な対処をしてくれる。


 吐き出す息に無力感を宿す。今更、ユニスが焦って駆け付ける必要はない。

 分かっていても、主を心配する心は抑えられず、ユニスは地を蹴った。


 もうすでにソフィヤの気配は遠くにあり、致命的な差を見せつけられた気分で同じ道を辿る。


 程なくして前庭に辿り着いた。すでにソフィヤは辿り着いており、爆発物が潜む庭木から離れた位置で、シラーフェとフィルが話をしていた。

 どうやらソフィヤは間に合ったらしい。主の無事な姿を確認し、安堵の息を零す。


「ユニスも来たか」


「シラーフェ様、ご無事で何よりです。爆発物の方は?」


「今、フニートと騎士が対処にあたっている」


 言って、シラーフェは庭木の方を示す。

 そこでは第一王子フィルの影を務めるフニートが中心となり、騎士たちに指示を出している。

 ユニスの知る中でもっとも優秀な影人が動いているのならば、もう心配はいらないっだろう。


「爆発物を見つけたのはお前らしいな、ユニス」


 投げかけられた言葉に知らず、心臓が跳ねた。疚しいことがあるわけではないのに、犯罪者の気分でフィルへの鋭い眼光を受ける。

 ユニスの反応を不審に思ってか、フィルはその眉をわずかに顰めた。


「先程、城内で爆発が起こったという報告を受けた。威力は弱く、被害は器物破損に留まってはいるが、俺はこれを幸いだとは思っていない」


 国の中枢を担う者として、王城に爆発物が仕掛けられた事実をフィルは誰よりも重く見ている。

 不在中の出来事とはいえ、フィルは強い責任を感じており、その表情は険しい。

 元々険のある顔立ちがより険しく、幼子が見れば一目で泣き出してしまいそうな迫力がある。


「何故、爆発物が影の中にあると分かった?」


 鋭い眼光の問いには隙がない。爆発物の場所が分かった理由ではなく、影の中にあると気付いた理由を問う言葉は影人の関与を匂わせていた。


「……先程、爆発物を仕掛けたと思われる人物と接触しました。話をしている最中に一度目の爆発が。他に爆発物を仕掛けたことを示唆して逃走。私は爆発物の捜索を優先し、前庭の庭木の影にあることを突き止めてこちらへ」


 イゾルテと遭遇してからここに至るまでの流れを端的に説明する。

 途中、ソフィヤと会って、先行してもらったことはすでに報告されているとして省いた。


 話を聞くフィルが変わらない目つきで、ユニスを見ている。いや、心なしか先程よりも鋭くなっているように見える。


「肝心な情報がないな。敢えて口にすることを避けているのか?」


 図星を突かれて息を詰めた。フィルの指摘通り、ユニスはある情報を口にすることを避けた。

 自分でも判然としない理由は、まだ整理しきれていない叔母への感情のせいか。それとも、あの誘いに揺れる心がユニスの中に存在しているのか。


「ならば、改めて俺から問おう。今回の件、影人が関わっているな?」


「兄上、それは……」


「爆発物が影に隠されていた以上、昭然たる事実だろう」


 消えない迷いを許してくれるほど、状況は優しくない。このまま黙し続ける意味が分からないほど、愚かではなく、主に迷惑をかけることをユニスは自分に許さない。

 ユニスにとって、優先すべきはシラーフェのこと。それに比べたら、叔母への感情など瑣末なことだ。


「もう一度聞く。ユニス、今回の件には影人が関わっているな? お前と接触した謀反人は誰だ?」


「今回の件、中心となっているのはイゾルテ・ラァークです」


 緊張で強ばった喉で答えた。心臓が嫌に早く鼓動を打っている。


「イゾルテ、長の一族の者か。厄介だな。『ツェル』や『スクト』にも仲間がいることを考えねばなるまい」


 王族がもっとも心を許している「ツェル」の者にすら疑いの目を向ける。


 冷徹な判断力を見せるフィルは己の影にもその鋭い視線を注ぐ。

 騎士に指示を飛ばしているフニートを見、目を細めた。フニートに爆発物の処理を任せるのは間違いであったか、見極めるように。


 ユニスの実兄であるフニートも、イゾルテとは血縁関係にある。真っ先に疑いの目を向けられるのは当然のことであった。

 きっとフィルはユニスも同じ目で見ている。


「イゾルテという人物はそれほど厄介な相手なのですか?」


 シラーフェの問いかけにより、フィルは視線を戻す。

 長の一族と言えど、「ツェル」の名も、「スクト」の名も与えられなかった人物をシラーフェが知らなくとも無理はない。


 影人は秘匿された種族。従者として顔を合わせることの多い「ツェル」の者を知っているくらいのもので、「スクト」の数人を知っていたらいい方であろう。


「イゾルテの影人としての実力は大したことはない。厄介なのは人心を掌握する術にたけていることだ」


 長の代理として動くこともあるからか、フィルはイゾルテをよく知っているようだ。

 影人の力に依らないイゾルテの才を見抜き、無能と謗られる彼女を正しく警戒している。


「彼女がことを起こしたと言うのなら、影人すべてを警戒すべきだ。『ツェル』の者すら信用はできない」


 警戒を研ぎ澄ましたフィルの言葉はユニスを、ソフィヤを射抜く。

 正しい警戒だ。この場で、違うと声高に宣言したところで意味はなく、二人はそれぞれ無言で注がれる警戒を受け止める。


「今、もっとも警戒すべきはお前だ、ユニス」


「兄上⁉ ユニスが我々を裏切ることなどありえません」


 主がユニスのために声をあげてくれたという事実があるだけで、ユニスはどんな視線を受けられる。


「シフィ、その優しさはお前の美徳だが、上に立つ者は情を捨てて判断しなければならないときもある。優しいだけでは国を守れない」


 フィルが口にする残酷な正しさをユニスは複雑な思いで聞いていた。

 シラーフェには優しいままでいてほしいと願うことこそ、残酷なことなのだろうか。

 国の長になる者として、優しさを捨てられた方がきっと幸福なのだ。


「最悪を想定して行動しろ。今回の場合の最悪は何か分かるな?」


「……ユニスが、『ツェル』の者が我々を裏切り、謀反を起こすこと、ですか?」


「影人は国の中枢に入り込んでいる。裏切られて、もっとも厄介なのはそこだ」


 冷徹に状況を分析しながらも、フィルは本心から「ツェル」の者を疑っているわけではないように思えた。

 頭では最悪を想像し、公平に状況を見て、少しでも早く全容を掴むことに注いでいる。


「現状、唯一主犯と接触しているユニスが相手方についている場合が今考えられる最悪だ。俺たちはユニスの話を信じるしかない。考えてみろ、主犯と接触した情報あるいは主犯がイゾルテ・ラァークであるという情報が嘘であった場合、こちらは偽の判断材料で動かなければならない」


「うぅ、それを言い出したらキリがありません。自分はもう何が何やらで……イゾルテ様がこんなことをするとは思えませんけど、ユニスが嘘を吐いているとも……難しいです」


「そうだ、キリがない。影人が敵ならば、これを口にしている俺ですら偽物の可能性もある」


 淡々とした言葉に仄かな緊張が宿る。影を纏い、他者になりすますことができる。

 この場にいる誰かが敵方の影人に成り代わられている可能性は捨てきれない。


 影人が敵に回るというのはそういうことだ。それぞれ顔を強ばらせた反応を見るように数拍置いて、フィルは小さく笑声を零した。

 満たされた緊張感にそぐわない姿に呆気に取られる。


「ユニス、俺は影人か?」


「い、え……いいえ。ルシフィア様から影の気配は感じられません」


「ソフィヤはどうだ?」


「えっ……あっ、はい! 自分もルシフィア様が影人だとは思えません」


 影人であれば、影の気配から正体を探ることができる。

 特にユニスは影の気配を探ることを得意としている。たった唯一、他の影人に勝つことができる才だ。


「この肯定すらも、と言うこともできるが、これでは話は進まないからな」


 言って、フィルは真摯な赤目をユニスへ向けた。

 高貴な身分の者がここまで真っ直ぐに従者を見るのは珍しいことだ。ことアンフェルディア王族は、従者相手でも誠実な目を向ける人が多い。


「ユニス」


 誠実に名を呼び、真摯に目を向ける。これに応えないことなどできはしない。


「一先ず、お前の持ってきた情報を信じることにする。お前はシフィの信頼に応えることだけ意識しろ」


 それはユニスの心をもっとも強く縛りつける言葉であった。

 ユニスはシラーフェを裏切ることはできない。純心に注がれる信頼を無碍にすることをユニス自身が許さない。


 そんなユニスの心情を知っていて、フィルは「シラーフェの信頼を応えること」を要求したのだ。

 イゾルテのような他者の心を惑わす振る舞いとは違うが、フィルもまた人を扱うことに長けた側の人物であった。


 ここまでのやりとりすらも、フィルが望む空気を作り上げるためのものだったのかもしれない。

 対峙しているだけで、役者の違いを思い知らされている気分だ。イゾルテ相手とはまた違う緊張感がある。


「イゾルテはお前に何を話した? あれの目的は何だ?」


「叔母様の目的は謀反だと」


 この場で、この二文字を口にすることへの緊張感が声を仏わせた。


 微かな震えを持った声への反応は様々だ。

 フィルは瞬き一つ、シラーフェは息を呑み、ソフィヤは分かりやすく青褪める。


 影人が謀反を起こしたこと自体は仮定として話に上っていたものではある。

 しかし事実として肯定されることは嫌な現実を突きつけられるのと同じ。逃げ場のなくのしかかる重みがそれぞれの表情が変えた。

 大きく表情には映し出さないフィルは視線のみでユニスに続きを促す。


「影人に対する謀反だと叔母は言っていました。自らを切り捨てた一族に復讐することが目的だと」


「切り捨てた、か。ユニスに接触した理由もそれか?」


「…っ……そうです。叔母は私に仲間にならないかと持ち掛けてきました」


 下手に隠しても疑いを深めるだけだ。真摯な赤目に応えるべく、真摯に言葉を紡いだ。

 何気なく主の表情を窺う。試すような心根が浅ましく思えるほど、綺麗な瞳でシラーフェはユニスを見ていた。


 主はユニスが裏切り、イゾルテの側につくことを考えてもいない。

 最悪を想定せよ、と言われてもなお変わらない信頼は何よりもユニスを繋ぎとめる。


「もちろん断りました。私の取る手はすでに決まっていますから」


 こんなにも分かりやすく紡いだ言葉すら理解していない様子の主に頬が緩む。

 久方振りに軽くなった心のままに、フィルと向かい合う。考えの読めない――読ませない瞳は黙して数秒。


「――明日の騎士団への視察、ユニスも同行しろ」


 思いもよらぬ言葉に刹那目を丸くしながらも、すぐに了承の意を示す。


 フィルの公務にシラーフェが同行している間、ユニスは残ってエマリを教育するという予定であった。が、非常事態が起こってしまった以上、予定が崩れるのは仕方がない。

 一人でこなせる課題を出すなり、やりようはある。


「お前の力を役に立たせろ。取った手の価値をお前自身が示せ」


 やはりフィルは人を扱うのが上手い。シラーフェのことを思えば思うほど、ユニスは示された道を歩むしかなくなる。


 緊張に寄せられる信頼に鋭く注がれる期待に応える道を歩む。

 眩い光が射し込む道を向け、ユニスは濃く揺らぐ影に背を向ける。

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