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魔王に花束を  作者: 猫宮めめ
第4章
73/88

71「影を産まない光はない」

 それは闇そのものであった。


 女性らしい起伏に富んだ体を包み込むのは、地に描かれた影をそのまま引き伸ばしたような漆黒のドレスだ。裾は長く、地の影と同化しているように見える。

 波打つ髪は灰色で、魔族の特徴を角は青。それは影人の特徴である。


「叔母、様……」


 零れた声を肯定するように、目の前に立つ女性はうっそりと笑った。

 艶めかしさを奏でる微笑みは美しくよりも、恐ろしさを相手へ与える。


「久方振りね、ユニス。少し見ない間に逞しくなったみたい」


 投げかけられる声は、その言葉だけを取れば、甥を気に掛ける叔母そのものだ。

 出来損ないと呼ばれ、無価値と断じられ、家の中で居場所のなかったユニスを気にかけてくれていた唯一の身内であった人。


 狭い里の中で、心の拠り所であったその人に今は恐怖心を抱いている。

 よく知る人の知らない気配に全身が震えあがるようであった。


「どうしたの? 久方振りの再会を喜びましょう。あまり長いこと、身内に剣を向けるものではないわ」


 込められた親しみは上辺だけのもののように思え、切っ先を下す気にはなれなかった。


 むしろ、柄を握る力を強めた。ほとんど無意識のことであり、ユニスの中には困惑が浮かぶ。

 対する叔母は少し首を傾けた程度で気にする素振りは見せない。


「叔母様はどうしてここに……?」


 ユニスの叔母、つまりは影人の一族――ラァーク一族の長の妹にあたる人物だ。

 王城に出入りしていてもおかしくはない肩書きではあるが、一人きりでこの場にいることは不審が募る。


 叔母の名は、イゾルテ・ラァーク。王族の影である「ツェル」の名も、諜報を担う「スクト」の名も与えられなかった影人。

 用もなく王城に立ち入れる立場に彼女はない。


 ユニスは願った。ユニスの父、長の使いで王城を訪れた、と彼女が答えることを。


「ユニス、貴方のご主人様が王位を継ぐそうね。おめでとう、と一応言っておくわね」


「何故……それを」


「影人相手に情報の出所を聞くのは愚問ではないかしら」


 シラーフェが王位を継ぐことは、まだ公にはなっていない情報だ。

 王位継承の儀の準備に駆り出されている使用人すら、誰が王位を継ぐか知らないままだ。


 王家によって統制された情報を得るのは容易ではないか、相手が影人であれば、その限りではない。

 情報を握るものの影に潜み、求められる情報を喋るまで待てばいい。


 単純な話ではあるが、イゾルテには不可能であることをユニスは知っている。説明するまでもなく、その理由を彼女の名前が証明している。


「叔母様は長時間、影に潜ることはできないはずです。より確実な情報源があるのでしょう?」


 情報が得られるまで根気強く待つことができるのならば、諜報を担う「スクト」の名を与えられるほどの才能だ。


「ユニスは、この王城にいる誰かが情報を流したと言うの?」


「それこそ愚問です。多くの者が出入りする王城内で、皆の口が堅いと私は思っていません」


 得体の知れなさを全体で語る叔母を前に、落ち着かない思いを抱えながら相対する。

 向かい合っているだけで、吞まれてしまいそうな迫力がある。


 鼓膜を擽る一音、一音が心を揺さぶる魔法でもかけられていると錯覚するほどの力が込められている。

 恐ろしい人だ。子供の頃、意識していなかった事実を突きつけられる。


「同じ場所で働く人たちを信用してはあげないの? 寂しいことだわ」


「私はシラーフェ様にお仕えしているだけですので」


 ユニスにとって特別はシラーフェだけ。大切なのはシラーフェだけだ。

 エマリに対して思っていたのと同じで、王城で働く人々に対しても特別な情はない。


 あの手を取った日からずっと、ユニスの瞳にはシラーフェだけが映っている。


「情報源は教えてあげない。それはあまり意味のないことだから」


 嫌に擽られる心を感じながらも、イゾルテの一挙手一投足を見逃さない思いで見つめる。


 目の前にいるのは叔母ではなく、警戒すべき侵入者として見る。

 ざわつく心の中にある身内に向ける情を排除することに努めた。


「私がここにいつ理由を教えてあげましょうか」


 もっとも惹きつけるものを知っていると言わんばかりに、イゾルテは紡いだ。


「ユニス。私は貴方を誘いに来たのよ」


「私を誘いに? 一体、何に……?」


 困惑を描くユニスを楽しむようにイゾルテは笑う。

 叔母の笑みはこれまで幾度と目にしてきた。しかし、ここまで心を搔き乱される笑みを見るのは初めてだ。


 今日、ここで叔母を見つけたときから、感じたことのない怖気が内側から湧いてくる。


「あなたの主は王に選ばれた。いつまでも偽物の影を侍らせているわけにはいかないでしょう」


 図星を突かれた気分で、ユニスは息を零した。


 それは選王の儀があってすぐに第一王子フィルからも言われたことだ。

 ユニスは影人として欠陥品。影に潜むことも、影を纏うこともできないユニスが王族の影として相応しくない。

 あのときはシラーフェが拒み、ユニスは今もなお、影として付き従っている。


『多くは貴方を通してシラーフェ様を見るでしょう。貴方の一挙手一投足がシラーフェ様の評価に繋がります』


 他でもないユニスがエマリに行った言葉だ。

 本当は分かっている。これを言ったユニス自身がシラーフェの評価を下げているのだと。


 どれだけシラーフェがユニスを影と言っても、それを拒絶することがユニスのするべきことだ。

 それなのにユニスの今も主の優しさに甘えて、出来損ないの影として傍にいる。


 己に課した信念に誰よりもユニスが背いていた。


「ユニス、貴方はいつまで影のふりをしているの?」


 含みのない問いかけが、ユニスの胸を貫いた。応える代わりに息が零れる。


 駆け引きでもなんでもない言葉は、何よりも痛く、何よりも心を掻き毟った。

 言葉を返すことすらできないユニスを嘲笑でもするようにイゾルテは笑みを深めた。


「ツェルの者としてどころか、影人として落第点な貴方がいつまでもいる場所ではないわ」


「分かって、います」


「いいえ、貴方は何も分かっていない」


 貫かれた傷口が絶えず痛みを訴えている。

 見て見ぬふりをしてきた傷口が開かれ、膿んでいた感情が悲鳴をあげている。


 分かっている。分かっていることにしてほしい。

 許されないことと理解している。今まで通りでいられないことも理解している。

 それでもユニスは何も知らないふりで、変わらずシラーフェの一番近くでお仕えしていたい。


「ねえ、ユニス。私はこれでも貴方のことを心配しているのよ」


 深めたままの笑みでイゾルテは甘く囁く。同じ笑みでも、囁く声音でまた違って見えるから不思議なものだ。

 怖気を感じていたことが嘘のように、その姿はユニスのよく知る叔母のものであった。


「貴方がマーモア様に忠誠を誓っているのは知っているわ。でも、あの方の傍にいては貴方は傷付くばかりよ。傷付いてほしくないのよ、貴方は誰より大切な甥だもの」


 幼い頃は信じて疑わなかった慈愛の言葉が、今は偽の言葉として鼓膜を震わせた。

 その表情がよく知るものを形作っていても、ユニスの目にはもうあの頃のようには映らない。


「……一体、何が目的ですか? はぐらかさないで答えてください」


「はぐらかしたつもりはないけれど……そうね。目的ならば、言ったはずよ。貴方を誘いに来たの」


「詳細も語らず、誘いに乗ることはできません」


「話したら乗ってくれるのかしら?」


「内容によります」


 どれだけ内心を揺さぶられようとも、警戒の姿勢は緩めず、相対する。

 イゾルテは終始変わらない態度で、最早込められた感情が分からない笑みを湛える。


「謀反よ」


 その音に思考が停止した。


 飾るもののない言葉はそれだけの力を持っていることを示して、ユニスの時を数秒ほど止めた。

 予想外すぎる答えを咀嚼するのには時間を要した。


「はぐらかさないでください」


 時間をかけて返した言葉には力がない。

 嫌に動悸する心臓が、剣を握る手に力を込める。信じ難い思いを今までのやりとりが信じさせてはくれない。


「はぐらかしているつもりはないわ」


「はぐらかしていないのなら、何なのですか⁉ よりにもよって、王城で……王族の方々が住まう場でそのようなことを……冗談だとしても笑えません」


「冗談でもないわよ」


 国の中枢である王城で、謀反などと軽口の類であっても、許されざる大罪だ。


 それをはぐらかしでも、冗談でもないと口にする叔母を不可解なものとして見る。

 理性的で、知性的な人物が、国に反旗を翻す理由など、ユニスには想像すらできない。


「一つ、勘違いを正すわ。私が逆心を抱くのは国でも、王族でもないわ」


「ならば、誰に……?」


 国に、王族に仕える影人が、反抗する相手が他にいるのか。

 王族とは別の上位貴族に対しての逆心を抱いたとして、謀反という言葉を使うとは思えない。


「影人よ」


「それはどういう……」


 言葉を返しながらも、ユニスの胸は激しい動悸を訴えていた。

 今もなお、変わらず浮かぶ笑みがユニスの既知を語っている。


 ユニスは知っている。声なき声がユニスの心中を掻き回し、奥底にあるものを無理矢理に引っ張り出す。


「勝手な価値観で出来損ないの烙印を押したお父様に、兄様に、影の一族に教えてあげるのよ。貴方たちが容易く切り捨てたものがどれほどの怪物だったのかをね」


「そんな、ことをしても無駄です。上手くいくはずがない。仮に上手くいったとして、何が得られると言うんですか? 怪物と示したところで、退治されるだけです。先はありません」


「だから、何だって言うの?」


 純粋な問いかけにユニスは息を詰めた。


 そこで知る。目の前にいるのは正真正銘の怪物なのだと。

 イゾルテの影がゆらゆらと揺れている。彼女の内に灯る憎しみを示して、不気味に揺れる。


「先なんて、私たちには元から存在しないものよ。ユニスだって分かっているでしょう。落第点の影人が進む先なんてとっくのとうに埋め立てられて、潰されている。今更気にする必要があって?」


 否定することはできなかった。シラーフェに拾われていなければ、ユニスはイゾルテの言う先のない道を歩むことになっていたことだろう。


 光の手が差し出されるまで、ユニスが闇色の世界に染まっていたのがその証左。

 イゾルテと同じ考えを抱いていたかもしれない自分が否定を口にできるはずがなかった。


「ユニス、貴方の答えを聞かせてちょうだい。私と一緒に復讐をしましょう?」


 差し出される手。向けられる笑顔。そこに幼い少年の姿が重なった。

 ユニスのもっとも大切なところに収まる姿は、イゾルテとは似ても似つかない。


「お断りします」


「あら、そう。残念ね」


 肩を竦め、イゾルテは差し出していた手を下げた。


 拍子抜けする反応にユニスは呆気に取られる。もう少し粘られるものだと思っていた。

 イゾルテはもうユニスへの興味を失ったと言わんばかりに視線を外す。


「気が変わったらいつでも言ってちょうだい。待っているわ」


 余裕のある態度のイゾルテの影が不規則に揺れ動く。その意味を理解したユニスは剣を構え直し、攻撃的に切っ先を向けた。


「逃がすと思いますか」


「思うわ。それどころではなくなるもの」


 弧を描く口元が示すものを問うより早く爆発音が聞こえた。

 先程、ユニスから視線を外したイゾルテが一瞥をくれた方角からだ。


「それじゃあね。また会いましょう」


「逃がしませ――」


「これで終わりだと思って?」


 まだ爆発物を仕込んである、と言外に告げるイゾルテ。

 踏み込む足は刹那の逡巡で、イゾルテには届かず、切っ先は空を切る。


「貴方の力で探してみなさいな。きっと誰より役に立つわ」


 それだけ言い残し、届かなかったユニスに手を振って、イゾルテの体は影に呑まれる。

 揺れる影を余韻として残し、イゾルテの姿は消失した。反逆者を逃がしてしまった。


 己の失態を悔いる暇はないと、ユニスはイゾルテが言い残した言葉を思い出す。

 王城に仕込まれた爆発物。それを探し出すのにユニスが役に立つと言った。


 出来損ないとばかり呼ばれるユニスが役に立てることがあるとするならば――。


「爆発物は影の中に隠されている」


 敵は影人。影の中にものを隠すことくらいわけない。

 そして、影に潜めず、影を纏えないユニスが他の影人よりも優れている唯一のもの。


 周辺に意識を集中させる。建物、木々、調度品、行き交う人々の影に意識を向ける。

 影と影の間を移動するイゾルテの気配を掴む。最早追い付けないと判断し、目的のものを見つけることに集中する。


「…っ……まずい」


 影の中に潜む異物を見つけたと同時にユニスは納剣として駆け出す。


 果たして爆発物は影の中に隠されていた。


 ユニスは影の気配を読み取る才に長けている。ユニスを出来損ないと笑う影人たちにも勝てる唯一の部分である。


 そして、その才で容易く爆発物の在り処を見つけ出せはしたが、その場所がかなりまずい。――王城の前庭を飾る庭木の影。そこに爆発物はある。

 今まさにシラーフェが横を通ろうとしている庭木の影の中に。

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