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魔王に花束を  作者: 猫宮めめ
第4章
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70「影が差す」

 ちょうどいい機会とエマリが落ち着くまで勉強は休憩とした。

 一度に詰め込みすぎるのもよくない。エマリはこれから覚えることも多く、知識を定着さあせるには適度な休息も必要なものだ。


「休んだら、少し早いですが、ベルゼビア様のもとに向かいましょう」


 この後、ネリスのもとで礼儀作法の授業を受けるという約束をしている。

 昨日今日の話ではあるが、ちょうど礼儀作法の講師が来るということで、挨拶だけでもと誘われた形だ。


 時間のない中で、一流の講師がつく環境。シラーフェにネリスと、王族の方々からの心配りに恵まれていると言っていいだろう。

 そう得られるものではない、とエマリも自覚しているようで、表情が乏しいながらも気合の満ちた顔をしている。


 二人が勉強しているのは、シラーフェの私室に設けられた従者用の部屋だ。

 傍付きの使用人の私室であり、ユニスが使っている部屋である。

 他にエマリを教えるに適した場所がなく、シラーフェの許可もあってこの部屋が選ばれた。


 シラーフェの私室を使えばいいとすら言われていたが、それは丁重にお断りした。

 あの方はもう少し自分の立場を考えるべきである。


 ともあれ、ユニスたちが今いる部屋からネリスの部屋はそれほど遠くない。

 広い王城の中、王族の方々の部屋は同じ区画に配置されているのである。


 先程の宣言通り、しばし休息の時間を設けたのちに、ユニスはエマリを連れてネリスの部屋へ向かった。


 主抜きに貴人の部屋を訪れる機会はそうなく、気後れする心が湧く。表には出さないように努め、エマリを案内する形で、ネリスの部屋までの道を辿る。

 程なく、一つの部屋の前で立ち止まる。ここがネリスの部屋である。


 ノックをすれば、部屋のある実家らの返事があって、こちらに駆け寄る音が聞こえてくる。

 やや落ち着きのない足跡が止まり、すぐに扉は開かれる。


「やっぱりエマリでしたのね」


 本来ならば、影であるリーカスが中継ぎをするところを省いて、部屋の主――ネリーレイス。ベルゼビア・アンフェルディアが姿を現した。

 エマリの姿を見るなり、その顔は晴れやかに彩られる。エマリは余程、ネリスから気に入れられているようだ。


「予定より少しい早いですが……」


「構いませんわ! ちょうど退屈していたところですの。ささ、早く中に入りなさいな」


 エマリの来訪を待ち焦がれていたらしいネリスは、ユニスの言葉を遮る勢いで中へ招き入れる。

 部屋の中には使用人が三人控えており、今まさにお茶の準備をしているところのようだ。


「エマリが来るのに合わせてお茶を準備していましたの。さあ、座ってくださいまし」


「んと、おじゃまします」


 拙くお辞儀をしたエマリは案内されるままに、ネリスの正面に座る。


 ユニスはエマリの後ろに立つ形だ。今回はエマリの付き添いという形なので、彼女の従者のような立ち位置で控える。

 お茶を注ぐ使用人を何気なく見て、エマリはわずかに首を傾げた。


「今日はリカはいないの?」


「リカは今、影のお勤めに行っておりますわ」


 ネリスの返答にエマリはさらに首を傾げる。

 影のお勤めはアンフェルディア王族周辺で使われている特有の言い回しだ。エマリが分からなくとも無理はない。


「リカは『ツェル』の者としての仕事、影武者としての任についているのでしょう」


「つぇる……かげむしゃ?」


 眉根を寄せ、エマリはさらに首を傾げる。


「わたくしの身代わり、ということですわ。エマリは影人のことをご存じでして?」


 ネリスの問いにエマリは首を横に振って答える。

 影人は魔族の中でも特殊な立ち位置にある。隠れ里に潜むよう暮らしている一族であり、秘匿されるように存在している。


 歴史書を紐解けば、確かに存在は語られているが、その実態を知るものは多くない。

 影に生きる者は潜んで生きる者というのが一族に共通する認識だ。


「影人は影に干渉する術を独自に編み出した一族ですの。その中でも影を纏う力と影に潜む力が評価されて、王族に重用されていますのよ」


「影に潜む力は文字通り、影と同化し、その中に入ることのできるものです。影を纏う力は他者の影を纏い、その人物になりすますことができるものです」


 ネリスの説明に補足して、ユニスがその能力について説明する。


 影に潜む力は諜報面で影を纏う力は王族の影武者として重宝されている。

 得意、不得意はあれど、影人であれば、少なくともどちらかは使うことができる。


 どちらも使えない者は非常の稀。出来損ないの烙印を押され、役立たずとして多くの侮蔑を注がれて日々を過ごすことになる。

 影の力を使えぬ者に影人の里での居場所はない。


「王族の影、『ツェル』の名を関する者は、影を纏う力が特に優秀な者が選ばれますの」


「じゃあ、リカは今、ネリス様のすがたでおしごとしてるの?」


「その通り! 物分かりがよく素晴らしいですわ。エマリは賢い子ですわね」


 感心するネリスの言葉にエマリは得意げな顔をする。


 最初は表情の乏しい表情変化を明白に読み取れるようになったからだろうか。

 ユニスの主、シラーフェもまた表情変化の少ない人なので、他者の表情の機微を読み取ることに慣れているということも一因であろう。


「リカはずっとネリス様と一緒だと思ってた」


 影はより再現性を高めるため、主に付き従っているのが常だ。

 エマリの認識も間違いではない。日常生活ならばいざ知らず、人目につく場でも共にいる状態が恒常化していると不都合な面もある。


「常に共にいては、影の勤めに不都合が生じますもの。離れていることも存外多いですのよ」


「影の役割は主に成り代わって、危険な役割を代わりに担うことはありますの。警戒対象が主催するパーティに参加したり、警戒に不安がある場に赴いたり、ですわ」


 戦闘訓練を受けている影人であれば、危険な地でも難なく切り抜けられる。

 さらに言えば、王族の身代わりとして死ぬことすら、影の役目だ。王族という立場は何かと危険がつくもので、非がなくとも命が狙われることが多い。


「常に傍にいると認識されては、それもままならなくなりますわ。エマリ、何故か分かります?」


 自身がリリィに問いかけられたのと同じように、ネリスはエマリへと問いかける。


「んーと……いないとにせものって気づかれちゃう、とか?」


「素晴らしいですわ! そうです、正解ですわ。やっぱりエマリは賢い子ですわね」


 悩ましい表情を見せながら、口にしたエマリの答えをネリスが絶賛する。

 事実、エマリの答えは正しいもので、ユニスも少し驚いた。勉強を教えている間も薄々感じていたことだが、エマリは年齢に見合わない賢さを持っている。


 二か月で、王族の従者として必要な知識、技術を身に着ける。

 幼子には厳しすぎる条件に思えたそれも、エマリならば乗り越えられるかもしれない。


 ユニスはエマリに対しては中立な立場だ。それを一貫するつもりであっても、少女は将来に仄かな期待が湧く。


 彼女が傍にいることで、主の将来に変化が訪れることへの期待だ。

 頑固で意固地で、自分の考えを曲げない主の、残酷の決意を変える方法をユニスは探している。


「エマリの言う通り、影が傍にいることが通常と認識されてしまえば、傍にいないならば偽物と判断されてしまいますわ。それを防ぐため、公の場では、あえて違う使用人を連れることも多いんですのよ」


「影が連れ添う場合でも、別の使用人の影を纏うことの方が多いでしょう」


 影人が潜むように暮らしているとはいえ、歴史書に載るくらいには周知されている。

 王族を狙う輩は当然影人の特徴を知った上で襲い掛かってくる。


 影人は隠れ潜んでこそ力を発揮する。影としての役割が知られている状況は不利なもので、相手を攪乱するために別の使用人になりすますのはよくあることだ。

 むしろ、本来の姿で公の場に出ることは稀と言ってもいい。


「ユニスも影のおつとめするの?」


 それは純粋無垢な問いかけだった。

 エマリに悪意はない。シラーフェもユニスも説明したことなく、エマリが知らないのも無理からぬことだ。


 ユニスがシラーフェの影だと勘違いしても仕方がない。

 灰色の髪に青い角。容姿だけで言えば、ユニスは立派な影人だ。


 影人について詳しく知らずとも、ユニスの容姿が王族の影――ソフィヤやリーカスと共通するものであることは、賢さの片鱗を見せるエマリも気付けるものだ。そもそも家名も同じである。

 不自然な沈黙にエマリが訝しむ気配に急かされ、ユニスは口を開く。


「私はシラーフェ様の影ではありませんので」


 硬い声が零れたのは無意識のことだった。


 己の劣等感を刺激される感覚を味わいながらも、それを表には正さないように努めた。

 努めたつもりであっても、抑えきれない感情がどうしても声に滲んでしまった。それを醜態として自戒を胸に刻む。


「そうなの?」


 そんなに冷静を演じようとも、無垢な一言がユニスを突き刺す。

 もっとも弱いところに触れられ、零れそうに痛苦の喘ぎを自制心のみで堪える。


「じゃあ、シラーフェ様の影はどこにいるの? 私も会ったことある人?」


「シフィ兄様に影はいませんわ。間髪入れずに答えたのはネリスであった」


 澄ました顔でカップに口をつける彼女の表情からはその真意は読めない。

 ユニスを気遣ってのことか、特別な理由など持っていないのか。


 末っ子らしい奔放さを持っていようとも、彼女は王族であった。


 乏しさから程遠い表情を映しながらも、この場にいる誰よりもこの場にいる誰よりも内の感情を読ませない。

 何事もなく、先日のお茶会と変わりない様子で、紅茶を飲み、菓子類を口に入れる姿はただ優雅だった。


「どうしていないの?」


「さあ? それはわたくしにも分かりませんわ。きっとシフィ兄様にはシフィ兄様のお考えがおありなのでしょう」


 無垢な質問にこれまた澄ました表情で答えるネリス。

 そのやりとりにさえ、産毛を逆撫でられるようにユニスの心は刺激される。


 王族の方々はユニスの立場をよく思ってはいないだろう。そんな罪悪感が息苦しく、ユニスの胸を締め付ける。

 正面に立つユニスに、視線すら向けないネリスの態度が痛かった。

 少女二人に悪意はないと分かっていてもなお傷つく己が恨めしい。


 会話の終わりを示すように、ネリスは空になったカップを置き、掛け時計を見る。


 何代か前の勇者が知識を持ち込み、カザードが開発した異世界の技術の一つである。

 正確に時を刻むそれはその便利さから貴人たちが競うように買ったという話だ。今は当時よりも多少安価になっており、多少手に入れやすくなっている。


「そろそろ、講師の先生が来る時間ですわね。つい長く話してしまいましたわ」


 言って、ネリスは空になった皿やカップを下げるよう、使用人に指示する。

 ほとんど一人でお菓子を平らげたネリスは心なしか、満足げな表情をしている。


「ユニスも同席するんですの?」


「いえ。そろそろシラーフェさんがお帰りになる時間ですので、私は失礼させていただこうかと」」

「確か、フィル兄様のお仕事に同席しているんでしたわね」


 シラーフェは今、王として必要な知識を得るため、そして実績を積むために第一王子フィルクリービア・ルシフィア・アンフェルディアに同行している。


 ユニスはエマリの教育を優先させた形だ。あちらは優秀な騎士が何人も護衛としてついているので、心配はいらない。

 それでも姿を見るまで、不安な心は消えないものではあるが。


「エマリのことをベルゼビア様にお任せすることは大変申し訳なく……」


「私の方から申し出たことです。謝罪は受け取りませんわ」


 揺らぎを持たない声でそう言って、ネリスは勇ましく胸を張る。


「エマリのことは任せてくださいまし。わたくしが立派な淑女にして差し上げますわ」


 堂々と宣言するネリスにエマリに任せ、ユニスは深い一例ののちに部屋を後にした。

 そのまま、シラーフェを迎えるために正門へと向かう。貴人の私室が並ぶ場を離れ、渡り廊下に差し掛かった頃、妙な気配を感じた。


 肌を撫でるとは違う影を撫でる感覚。それは先日のお茶会の場で感じたものと似ている。


 お茶会が終わり、庭を案内されていたエマリを迎えに行ったときのことである。

 仄かに影を撫でる気配がした。同じ影人であるリーカスが無反応だったことから、気のせいだと片付けていたが。


「先日よりも気配が濃い……」


 微風に似た先日の気配とは比べ、今回は明瞭な気配が影をざわつかせている。

 ここまで来ると気のせいと片付けられない。


 侵入者の可能性を高いものとして、ユニスは気配にする方へ足を向ける。

 先日よりも強くなった気配。ユニスが訪れたことを見計らって現れたように思える。


「まるで……誘われているようですね」


 強くなった気配は隠すことをやめたと語っているようにも思える。

 影のみで示される気配は、影人にのみ感じられるものだ。ならば、敵の狙いは影人、引いては「ツェル」の者たちか。


 王位継承の儀を控えた今、王城で面倒事が避けたい。

 シラーフェが王位を継ぐことは避けられないのならば、せめてその道筋を憂いのないものとして仕立てたい。


 欲を覗かせる足取りで、ユニスは影の気配を追いかける。

 誘われるように人の気配が濃い方へ進んでいく。


「――立派な忠犬に育ったようね。見違えるようだわ」


 ぞわりと肌を粟立たせる気配に反射で剣を抜き、構える。

 カザードで主より賜ったその剣の輝きを、容易に吞み込んでしまう闇がそこにあった。

 届いた声に赤目に映った人物の姿にユニスは驚きを隠せず立ち尽くす。

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