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魔王に花束を  作者: 猫宮めめ
第4章
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69「お勉強の時間」

 幼い少女が机に向かい、熱心に書き物をしている。ユニスはそれを監督している立場である。

 王位継承の儀まで二か月の間に、エマリを従者として及第点を得られるまで育てる。それが今、ユニスに課せられている使命だ。



 本音を言えば、ユニスはエマリに対する情はない。

 魔物の襲撃により、親と故郷を失ったことには同情するが、それまでだ。


 同じ境遇の者は世界的に見れば、それなりの人数存在する。彼女が特別悲劇的なわけではない。

 いっそ薄情なほど無感情にエマリを見るユニスは、ただ主の望みを叶えることにのみ集中する。


「綴りが違います。ここはこうですね」


「ん。むずかしい」


 眉根を寄せ、エマリはユニスの書いた手本を真似て、紙に何度も字を綴る。


 エマリは共通語と魔国語の読みはできるようなので、まずは書きを教えることから始める。

 読みができているのなら、覚えるまでそう時間はかからないだろう。まずは基礎を上澄み程度に教え、従者をするにあって必要な単語を中心に教える。


 字が書けることは、従者の必須技能というわけではない。まだ幼い少女に重要な役割を任せられることはなく、字が読めるのならば充分だ。


 とはいえ、身につけておいて損はない技能ではあるので、時間をかけて身につけさせるつもりではある。

 今はほかに優先して教えるべき事柄が山ほどある。


「エマリ、背筋が曲がっています」


 教えることの一つはそれだ。王族に仕える従者ともなれば、その一挙手一投足が注目される。

 ふとしたときの姿勢すら周囲から見られているという意識が必要だ。


 細かな部分は、第二王女ネリスから紹介された講師に任せるつもりだが、姿勢というのは常日頃からの習慣が肝心だ。

 背筋を伸ばす。その意識一つだけでも見栄えは随分変わる。


 ユニスの指摘を受け、エマリはすぐに姿勢を正した。その素直さに好感を抱きつつ、口を開く。


「エマリ、これから貴方はシラーフェ様の従者となります。多くは貴方を通してシラーフェ様を見るでしょう。貴方の一挙手一投足がシラーフェ様の評価に繋がります。そのことをよく覚えていてください」


 それはユニス自身が己に戒めていることであった。

 使用人は己の行動が評価される機会は少ない。使用人というのは主と手足となる存在だからだ。


 手足の評価は当然、その体の方に向けられる。ユニスの行動はシラーフェの評価に繋がる。

 自分の行動により、シラーフェの評価を落とすことだけは何があっても避けなければならないことだ。


「私はシラーフェ様をもっとも優先すべきものに据えています。厳しいことを言うようですが、いざというとき、私は貴方ではなく、シラーフェ様を選びます」


 これは伝えておかなければならないことだ。まだ幼い少女を一人の人間として相対する。

 カザード国行きからずっと見てきて、エマリは年齢のわりにしっかりした子だと認識している。


 幼い子供に言い聞かせるには難しい言葉でも、エマリは理解してくれるという信頼がある。

 実際、大きな赤目は真剣にユニスを見ている。


「ん。わかってる。私の存在が不利益にならないようにする。私も嫌だから」


 以前、ユニスがエマリに語り聞かせたこともきちんと覚えているようだ。

 シラーフェの不利益にならない存在であることをエマリなりに考えている。


「いっこ、聞いてもいい?」


「なんですか?」


 子供らしい好奇心を覗かせてエマリは問いかける。


「ユニスはいつ、シラーフェ様と知り合ったの?」


 脳裏によぎるのはまだ幼い主、シラーフェの顔だ。

 今も鮮明に思い出されるそれはユニスにとっての神様の顔であった。


 出来損ないの烙印を押され、失望を積み重ね、息を潜めていた日々に手を差し伸べてくれたのがシラーフェであった。

 華やかな場所から一人離れ、隠れるように座っていたユニスの手の引っ張り上げ、今もなお、光の中に置いてくれている。


「シラーフェ様と出会ったのは十年以上も前のことです」


 詳しく話す必要はないと判断し、端的に返答した。

 シラーフェとの出会いはユニスにとってもっとも大切な記憶であり、軽率に口にできるものではなかった。

 エマリも詳細まは暗視を求めていたわけではないようで、別のところに興味を示す。


「じゃあ、ちいさいころのシラーフェ様もしってるの?」


「そうですね。その頃からお仕えしていますので……ただ、今は勉強に集中してください」


 シラーフェの幼い頃の話が聞きたい、と訴える赤目を突っ撥ねる。

 エマリ自身、時間がないことを理解しているようで、不満げな顔をしつつも、大人しく引き下がる。


 机に向き直るエマリは、紙に字を繰り返し綴る作業を再開させる。

 最初は拙さを目立っていた字も、見られるものとなっている。


「手習いはそこまでにしましょう。これから毎日するようにしてください」


「ん、わかった。がんばる。つぎはなにをべんきょうするの?」


 字を覚えることに時間はかけられない。短い時間でも毎日続ければ、いづれ身につく。

 一気に詰め込むよりも、むしろ長く定着するものとなる。


「次は王族の方々について覚えてもらいます。シラーフェ様のお傍にいれば、関わる機会が増える方々です。粗相のないよう、基本的な知識として頭に入れてください」


 多少の粗相ならば、笑って許してくれる方々ではあるが、甘やかすのはいけない。

 従者と貴人との線引きはきちんとするべきだ。幼さ故に王族の方々に甘やかされている状況だけにユニスが引き締める。

 王族の方々がどれだけ優しくても、従者として守るべき一線がある。


「エマリは当代のアンフェルディア国王の名前は知っていますか?」


「ん、知ってる。ルキファ様……あんまりすがたを見ないって言ってた」


 字が読めることもそうだが、エマリの両親は彼女に最低限の教育を施しているようだ。

 エマリの出身は辺境の村であり、字の読み書きどころか、王の名すら知らなくとも無理はない環境であった。


 良い両親だったのだろう、と今はもういない方々に感謝と尊敬を抱く。

 娘の将来を想って施した教育が、確かに娘にやりたいことの手助けになっているのだから。


「第三十一代アンフェルディア国国王、ロワメーレウス・ルキファ・アンフェルディア様です。現在は病に臥せっておられ、政務はすべて第一王子のフィルクリービア・ルシフィア・アンフェルディアが担っております」


「会ったことある人……ちょっとこわかった」


「エマリ、不敬ですよ」


 フィルとは、アンフェルディアに戻ったその日に顔を合わせた。

 そのときの印象のままに口にした言葉を窘めれば、エマリは「ごめんなさい」と頭をさげる。

 このような発言を迂闊に口にしないよう、徹底的に教育しなければと改めて意識する。


「……二か月後行われる王位継承の儀で、王位はロワメーレウス王からシラーフェ様に継承されることになります」


 シラーフェが王位を継ぐことはまだ公表されていないことだが、エマリ相手なら今更だ。

 フィルへ報告の際にも話に出ていたし、旅の間にも幾度か触れられていた。

 詳しく話すことまではなかったが、エマリも察するところではあっただろう。


「どうしてシラーフェ様が選ばれたの?」


 純粋な問いへの返答に困って、息を詰まらせる。


 国政を担っていたフィルではなく、シラーフェが王位を継ぐことへの違和をエマリも感じたらしい。

 同じ感覚を覚えながらも、口にすることは躊躇われ、気付かぬふりをしていたユニスは答えを持っていない。


「私にも分かりません。王位継承者を選出する方法は我々にも知らされておりませんので」


 私情を挟まないという意識は、どうしても滲むもどかしさに邪魔される。


 どのような経緯を持って、どのような理由があって、シラーフェが王位継承者に選ばれたのか。


 それはユニスこと知りたいことであった。主の様子を見れば、望んで得たものではないことはすぐに窺える。

 望まぬ重責を背負うことになった理由を、もっとも大切な人の心を蝕むものの正体をユニスは知りたかった。


「ユニス?」


 黙して考え込むユニスを訝しむ視線で我に返る。

 情に突き動かされていた思考を現実に引き戻し、今すべきことを思い出す。


「話を戻します」


 その一言で、自身の思考も引き戻した。


「現在、国政を担っているのはフィルクリービア第一王子。第二王子のスキラーニュアナ・サタニア・アンフェルディア様がその補佐をしています」


 王位継承者で言えば、フィルに次ぐ位置として目されている人物ではあったが、キラは早々に王位の辞退を表明している。

 上に立つのは性に合わないとのことで、補佐という立場に専念している。


 今のアンフェルディアは、フィルとキラという二人の優秀な王子によって支えられている状態だ。

 シラーフェが王位を継いでもなお、二人が国政に関わることは変わらないだろう。


 いくら国の最高権力者になったからといって、今まで碌に政治に関心のなかった男が急に国の中枢を担えるわけがない。


 主の負担を軽くする要因としても、二人の変わらぬ心持ちはユニスとしてもありがたいものだ。

 シラーフェが国のすべてを背負うことをユニスは正直歓迎していない。


「リリィ様やネリス様はなにをしているの?」


「アスモディア様は主に外交面で国を支えておられています」


 その美貌を最大限に生かし、リリィは多方面に広く顔を売っている。

 穏やかでゆったりとした雰囲気の人物ながら、リリィは人を見る目に優れ、頭も回る。

 国政を支える二人の王子を差し置いて、アンフェルディア国内でもっとも侮れない人物とすら言われている。


「ネリス様は国内の社交場で人脈を築いていらっしゃいます」


 リリィが他国に幅広く顔を売っているのに対して、ネリスは国内の社交界で広く顔を売っている。

 末の姫ながら、王族という立場の重さを理解し、国のために人脈を作るとともに貴族同士の力関係の把握に努めているという話だ。

 妹の優秀さを、シラーフェが誉れ高く話していたのを覚えている。


「二人ともすごい」


 すべてを理解しているわけではないだろうが、エマリは知り合ったばかりの王族二人を称賛する。

 称賛して、すぐに小首を傾げた。エマリの知っている王族の中でまだ話に出ていない人物が一人いる。


「ライ様は? なにをしてるの?」


 第四王子、ライディアリオ・ベルフィア・アンフェルディア。旅の間、シラーフェとは離れていた時期もあったと思えば、エマリがもっとも長く一緒にいたアンフェルディア王族と言えるだろう。


「ベルフィア様は……普段は城下におりて民と友好関係を築いているようです」


 らいが何をしているのか、ユニスも詳しいことは知らない。

 表面的に見れば、遊び歩いているだけに見えるが、その裏でリリィやネリスよりも広い交友関係を得ている。


 王女二人が貴人中心に人脈を築いているのに対して、ライは肩書き人種性別関係なく、あらゆる筋の人脈を築いている。

 その違いが、ライの広すぎる交友関係に繋がっているのだ。


「それは……すごい、の?」


「他の方にはできないことであることは間違いないでしょうね」


 ユニスも、ライのすごさを語れるほど理解しているわけではない。

 他人に真似できることではないのは確か。ただ普段の軽薄な態度を見ていれば、そのすごさも霞んで見えてしまう。本当に遊んでいるだけにしか見えないことの方が多いから尚のこと。


 不敬とも言えるエマリの問いかけを咎めることを忘れる辺りが、ユニスのライへの評価を物語っている。


「えと……シラーフェ様は五番目の王子さまで……んと、三番目の王子さまはなにをしているの?」


 第一王子と第二王子が国政を支えている。第四王子であるところのライは遊び歩きながらも、広い交友関係を築いている。


 ユニスの説明を反芻したのちにエマリは首を傾げる。

 まだ話の上っていない第三王子、あの方に対してユニスは正直良い印象を持っていない。

 とはいえ、私情を表に出すことを良しとしないユニスは内に抱く感情を努めて隠すように口を開く。


「第三王子カナトイアータム・レヴィニア・アンフェルディア様は、主に戦力増強に力を入れられておられるようです。頻繁に騎士団の団連や遠征に顔を出し、指導しておられています」


 カナトは剣の腕が立つ。アンフェルディアでは、フィルに次ぐ実力者と目されている。

 類稀な魔法の才能を持ち、神童を謳われていたライとよく並べられており、双頭と称されていた時期もある。


 王族の中で唯一、王位をつくことに執着を持ち、それがユニスにとっては大きな不安要素である。

 シラーフェが王位につくことを快く思っていないことは間違いない。


 覆すことのできない状況の中で、無理な行動を取ることは流石にないと思いたいが。


「レヴィニア様はきしだんのところ。ん、おぼえた」


 複雑なユニスの心中は知らず、エマリは懸命に王族の方々の役回りを頭に入れている。


 私情で思考を回しすぎたと自戒し、息を吐く。従者はただ主のことを考えるのみ。

 己の心で物事を判断するべきではない。幼い頃から叩き込まれている従者の在り方を反芻する。


「シラーフェ様のおかあさんは? 今はどこにいるの?」


「王妃様は数年前に病はお亡くなりになられました」


 静かな返答にエマリの目は見開かれる。王妃の死は国民にも流布されていることではあるが、まだ物心つく前であったエマリが知らなくとも無理はない。


「シラーフェ様も、そうなんだ」


 見開かれた赤目を波立たせながら、エマリは微かな声で呟く。

 その脳裏に映しているのは魔物の襲撃により、失った自身の母親だろう。


 王族と、平民を並べて見ることをユニスは不敬だとは思わなかった。

 母を思い浮かべ、涙を堪えるエマリを見、ユニスはここにはいない主に代わってその頭を撫でる。


「ん、ありがと」



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