66「お茶会」 挿絵有り
どこまでも広がる青空に雲が薄い紗をかける。風邪が心地よく肌を撫でつける日和。
穏やかに注ぐ陽光に照らされる庭園をシラーフェはエマリとユニスを連れて歩く。
アンフェルディアは植物が育ちにくい土地であるが、シュタイン城の庭園には木々がいくつも生えている。
これらはみな、エルフの国エルフレイムから友好の証として贈られたものである。
土から栄養を得るのではなく、大気中のマナを栄養として返還するよう改良された種であり、アンフェルディアでも問題なく育てられる代物だ。
むしろ、アンフェルディア国内において、一際マナの濃度が高いシュタイン城は豊富な栄養が得られる立地と言えよう。
アンフェルディアとエルフレイムは長年、マナで育つ植物を共同で開発している。
友好の証として贈られたこれらはその成果であり、一つの実験の意味もある。
「すごい! きらきらしてる」
広い庭園を飾る木々を見て、エマリは目を輝かせる。
マナで育つ木々は取り込んだマナの影響か、仄かに光を纏っているのが特徴だ。
淡い光を帯びる木々は、精霊を思わせる神秘的な印象を見る人に与える。
「夜はもっと美しいぞ」
「ん、見てみたい」
「エマリが今日起きていられたらな」
「がんばる」
今は陽光の中で、はっきりと光を視認できないが、宵闇の中では美しい光がこの庭園を満たす。
淡い緑の光に包まれた庭園は筆舌しがたい美しさを奏でる。
月光とマナの光に包まれながらする夜の散歩には妙な昂揚感がある。
「シフィ兄様、ご機嫌よう。もう来ていらしたのですね」
鈴の音が鼓膜を擽り、花の香りがふわりと鼻腔を擽った。
頭上に広がる空と、同じ色のドレスを纏った可愛らしい少女が立っている。第二王女、ネリーレイス・ベルゼビア・アンフェルディアである。
ドレスの裾を軽く摘まみ、恭しく礼をする姿は気品に溢れ、幼い頃からよく知る少女の成長にはいつも胸が熱くなる。
「今日は駆け寄ってこないのだな」
「まあ、そんなはしたないこといたしませんわ。淑女たるもの、楚々とした振る舞いを心掛けるものですもの」
先日、シラーフェの姿を見るやいなや駆け寄ってきたのは誰だったか。なんて口にするのは意地悪が過ぎると思い、胸を張る妹姫を温かい気持ちで見つめる。
胸を張るその姿は、彼女が口にする楚々とした振る舞いとは、ズレたものではあるが、愛らしいので指摘はしまい。
「はぁ、自信満々の姫様も可愛い」
シラーフェが口には出さないでいた感想をうっとりと呟くのはネリスの影、リーカス・ツェル・ラァークだ。
一部だけピンクに染めた灰髪をツインテールにした少女風の少年であった。
動きやすさと可愛らしさを重視して改造されたメイド風の執事服を揺らし、歓喜を示している。
「シラーフェ様、だれ?」
そっとシラーフェの体に隠れていたエマリが問いかける。
シラーフェが答えるよりも早く、エマリのことに気付いたネリスがそっと膝を折る。
「初めまして、小さなお姫様。わたくしはリーレイス・ベルゼビア・アンフェルディアと言います。どうぞ、ネリスと呼んでくださいまし。ネリスお姉様でも構いませんわよ」
「ネリス、おねーさま?」
「まあ! 可愛らしいですわぁ!」
たどたどしく呼ぶエマリの体を、ネリスが強く抱き締める。
ネリスがここまで子供好きだおとは知らなかった、とシラーフェは驚きとともに見つめる。
「僕は可愛いネリス様の影、リカですよぅ。貴方もなかなかに可愛らしいですね」
「ん、ありがとう、ございます。えと、エマリ・フォシルスです」
ネリスに抱きつかれたまま、エマリは不格好にお辞儀をする。
その様子すらも、「可愛い」と声をあげるネリスとリーカスは似たもの主従である。
「なんだなんだ、お姫様たちが仲良く寄り添って眼福だねえ」
変わらずの軽い口調で投げかけられるのは、ライである。
昨日はあのまま城下に赴いていた兄ではあるが、今日は王城に帰ってきていたらしい。
城下に行ったきり帰ってこない日もあるので、庭園に姿を見せたことには少し驚いた。後ろにはソフィヤを連れている。
「そのお姫さまって僕のことも入ってるんですよね、ベルフィア様?」
「そりゃもちろんだぜ。リカちゃんも最高に可愛いお暇様だからなー」
「さっすが、ベルフィア様は男心が分かってますねぇ」
それは男心で合っているのだろうか。確かにリーカスは男ではあるが、この場合適用されるのは男心でいいのだろうか。
同じ男であるシラーフェには“可愛いお姫様”と言われたい願望はない。
しかし、自分の感覚だけで判断するのも問題である。シラーフェが特殊ということも充分に有り得るのだから。
「リカ、おかしな言い回しをしないでくださいまし。シフィ兄様が混乱しておられますわ」
「シフィは真面目だからなー。そこまで深く考えんなって、こーゆーのはノリだよ、ノリ」
ノリと言われても、シラーフェにはそれがどういうものなのか分からない。
一先ず、リーカスの言葉は難しく考える必要のないものとして思考の隅に置いた。
「それにしても、ライ兄様もお呼ばれしていたんですのね。来るなんて思っていませんでしたわ」
シラーフェとネリスがこうして庭園で顔を合わせているのは、長女たるリリィが主催するお茶会に招待されたである。リリィが主催するお茶会は不定期で、少なくない頻度開催されている。
兄弟水入らずで過ごせ貴重な機会でもあり、シラーフェはなるべく参加したいとは思っている。
基本的にお茶会の参加者は、主催のリリィとネリス二人きりのことが多く、それが気持ちとは裏腹に足が遠のいている理由だ。
女性二人、より正確に言えば、女性三人とリーカスの中に混ざるのは少々気が引ける。
今日のように話せる内容があるときなら別だが。
「リリィ姉に招待されるなんてできねぇだろ?」
「あらあら、そんな風に言われるとお姉ちゃんがとっても怖い人みたいだわ。みんなに頼りにされる優しいお姉ちゃんのつもりでいたのだけれど、もっとがんばらないといけないみたいねぇ」
「リリィ姉⁉ 聞いてたのかよ」
「もちろん。お姉ちゃんは大切な弟の言葉を聞き逃したりしないわ」
「オレ的には聞き逃してほしいところだぜ、お姉ちゃん」
いつからいたのか、穏やかな微笑を湛えたリリィが弟妹の会話に混ざる。
魔国一の美女と誘われるその美貌がその場にいるだけで場が華やぐ気がする。
美しいというだけではなく、第一王女であるリリアーナ。アスモディア・アンフェルディアの存在感は格別のものであった。
終始、穏やかで柔らかな雰囲気を纏っており、先の言葉を字面ほどの恐ろしさは感じられない。
実際、リリィとライのやりとりは軽口の範疇に収まるものである。
「断ることができないなんて、普段はまったくいらっしゃらないのによく言いますわ」
兄妹に愛するネリスは不満を隠しもしない様子で言い募る。
もっと一緒にいたいという感情が含まれた妹の言葉は、シラーフェにも突き刺さるものであった。
女性陣の中に混ざる事への苦手意識から避けてきた日々に罪悪感を抱く。
「あんま拗ねんなよ、ネリスちゃん。可愛い顔が台無しだぜ」
「わたくしは拗ねた顔も可愛らしいとリカがよく言っているので問題ありませんわ」
「教育の賜物だねぇ。自己肯定感が高くて結構、結構」
日頃、リーカスから幾度も可愛いと言われているネリスは己の可愛さに欠片の疑いもない。
ライの言うところの教育を施しているリーカスは、自信満々に言い放つネリスをやはり「可愛い」と褒め言葉を重ねる。
陶酔しきった影を横目にネリスは「ほら」と得意げに笑う。
「こうしてお話をしているのもいいけれど、そろそろお茶会を始めましょう? せっかく用意してもらったお茶が冷めてしまうわ。お菓子もたっくさん用意したのよ」
リリィに促され、シラーフェたちはガゼボへ向ける。
ガゼボ内に置かれたテーブルには何種類もの菓子が置かれている。甘い香りに混じって、入れたてのお茶の香りが鼻腔を擽る。お茶会の準備は万端なようだ。
「今日もおいしそうですわ」
「シェフの自信作ばかりだから、きっとおいしいわ」
食欲旺盛、健啖家なネリスは、テーブルに並ぶお菓子たちに目を輝かせ、一番乗りに席に着く。
シラーフェたちもそれぞれ席に着いた。
ガゼボ内に置かれたテーブルには椅子が七脚並んでいる。その中で王族四人は迷いなく自分の席に着いた。
主催であるリリィと常連のネリスはともかく、シラーフェとライにも迷いがないのはすでに定位置が決まっているからだ。エマリはシラーフェの隣に座らせた。
「ふふ、こうして席が埋まるのを見るのもいい気分ね。他の子たちも誘いたかったのだけれど、みんな忙しいみたいねえ。残念」
「キラ兄やカナ兄は今出掛けてんだっけ。みんな、仕事熱心だねぇ」
「そおねえ。仕方のないことだけれど、やっぱり寂しいわよねぇ。昔みたいに兄弟そろって お話しできたなら……なんて、贅沢な名や巳ね」
シラーフェとライが席に迷わなかったのは、兄弟全員揃ってお茶会をしていた時期があったからである。
子供の頃はお茶会に揃い、それぞれの近況を話し合うのが恒例であった。
成人を迎え、それぞれが王族としての役割を果たすようになってから、当たり前だった日々は少しずつ崩れていった。全員揃ってのお茶会はもう何年もしていない。
主催として、この空席の目立つ景色をリリィはどんな思いで見ているのだろう。痛痒を覚えて、目を伏せる。
「わたくしはあまりそのときのことを覚えていませんわ」
「ネリスちゃんはまだ小さかったものねえ」
「ぜひ、そのときのこと聞かせてほしいですわ!」
目を輝かせたネリスの声が暗く落ちた心を引っ張りあげる。
勝手にリリィの胸の内を想像し、勝手に傷付いた心を叱咤された気分で少し気まずい。
「そおねえ、ライちゃんとカナトちゃんの子供の頃の話なんてどうかしら?」
「ぜひ! 意地悪なカナト兄様の昔なんて、とっても興味がありますわ」
話題に前向きな女性陣に対して、名前を出されたライは苦々しい表情を見せる。
「聞いたってなんも面白いことねぇって。やめときな」
「兄の幼い頃の話なんてそれだけで面白いものですわ。わたくしは見ることのできない景色ですもの」
珍しく後ろ向きな言葉を紡ぐライに、末の姫の興味は消えない。
輝く妹姫の赤目を向けられ、ライはおられたように息を吐いた。苦々しい表情のままで。
「オレとカナ兄が昔、仲良しだったって話だよ。何も面白いことねーだろ?」
「お二人の仲が良かったなんて信じられませんわ」
「本当よぉ。よく剣の手合わせしてたものね」
「ま、オレじゃ、カナ兄には敵わねぇから魔法込みの手合わせだったけどな」
その頃のことはシラーフェもぼんやり覚えている。ちょうどガゼボの近くにある開けた場所で、遊びに近い手合わせを行っていた。
いつの頃からか、二人は手合わせをしなくなり、以前のように話すことはなくなった。
「ほら、オレとカナ兄の話はこれで終わり。リリィ姉、今日はシフィの冒険譚が本題だろ?」
「そおだったわねぇ。お姉ちゃんったら、つい楽しくなってしまったわ」
余程、カナトと親しかったころの話をされるのが嫌だったのか、ライはすぐに話題を変えるように誘導する。
今はお世辞にも仲が良いとは言えない今を思うと、あまり昔のことを蒸し返したくないのかもしれない。
普段の軽薄さからは程遠いライの姿は新鮮なものである。
「ライ兄様も、シフィ兄様のご旅行の話が聞きたくていらっしゃったんですの?」
誘導のためのライの言葉を、ネリスは純粋に受け取ったらしい。
「あれ、ネリスちゃんは知らなかったのか。シフィのカザード旅行にオレも一緒に行ってたんだぜ?」
「そうなんですの?」
ライが同行していなかったらしいネリスは目を丸くする。
仄かな驚きを映し出すネリスに、ライはいつもの調子を取り戻して大袈裟に体を動かす。
「二カ月もいなかったのにきにもしてくれないなんて、お兄ちゃん寂しいぜ」
「ライ兄様がいないなんていつものことですもの。下手な泣き真似はやめてくださいな。気にしてほしいのならば、その放浪癖を直してくださいまし」
「それはちょーっと無理な相談だな。オレを待っている女の子たちを寂しがらせられないだろ?」
軽薄なライの返しにネリスは呆れを混ぜた息を吐く。
ライが数ヵ月姿を見せないことは最早通常だ。知らない間に他国へ足を向けていたことを後になって知ることも多い。
実際、旅の道中、たびたびカザードを訪れていることを聞かされて驚いたくらいだ。
「もち、ネリスちゃんが寂しいってなら、ちょっと考えるけどな」
「ご心配なく。わたくしには頼もしい兄様がいらっしゃいますもの。ねえ、シフィ兄様」
急に話を向けられたシラーフェは「そうだな」と頷く。
ライの代わりが務まるとは言えないが、ネリスの兄はライやシラーフェだけではない。
「ライ兄様は待っていらっしゃる方々のもとに行ってくださいまし」
「つれないねぇ」
冷たくも思える妹姫に気分を害した素振りもなく、ライは肩を竦める。
「ネリスちゃん、あんまり意地悪言っちゃダメよ。ネリスちゃんは頼もしいお兄ちゃんがたくさんいても、私たちの可愛い妹はネリスちゃんだけなのよ。冷たくされたら、お姉ちゃん、泣いちゃうわ」
「う……ちょっと言い過ぎましたわ。ライ兄様、ごめんなさい」
「気にしてねぇよ。ネリスちゃんがオレのこと、大好きなのは知ってっかんな」
「そうだとしても、言い過ぎたことは変わりませんわ。自分の非はきちんと認めます」
純粋で素直なネリスは、己の感情を偽ることをしない。
好きなものは好きと認め、己の非を正しく見詰める。大人になるほど難しくなっていくそれを、ネリスは今もなお実行している。
そんな妹姫の姿に堪らない気持ちになり、そっと手近にあった菓子を手に取ってネリスの前に置いた。
シラーフェが置いたのとほとんど同時に、他に二つの手がネリスの前に菓子を置く。
「なんですの?」
「素直で良い子で可愛いネリスちゃんにご褒美よお」
「よく分かりませんけれど、ありがたくいただきますわ」