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魔王に花束を  作者: 猫宮めめ
第3章
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64「恋は愛らしい花であり、友情は甘い果実である」

「リントスは町が区画で分かれていて、一番街から十三番街まであるの。私たちが今いるのは四番街ね。漁業関係の施設が集まっているそうよ。後は海水客用の観光施設なんかもあるみたいね」


 道中、リナリアの解説を聞きながら、リントスの町を歩く。


 リントスは十三の区画に分かれている。

一番街から三番街、十番街から十三番街は居住区。四番街は先程の説明にあった通り、リントスの主要産業である漁業関係の施設が多く立ち並ぶ。五番街と六番街は商業施設が中心となっており、七番街と八番街は宿泊施設や食事処で、九番街は行政施設で構成されている。


 すらすらと並べられるリナリアの説明は聞き取りやすいものであった。

 それはシラーフェが彼女の声を耳心地の良いものとして受け取っていることだけが理由ではなく、リナリアは説明が上手い。


 普段からサクマにこの世界のことを教えていることが容易に想像できるほど、こなれた様子で言葉を並べ立てる。


 道すがら、程良く差し込まれるリントスの解説のお陰で、美しい町並みもいっそう魅力的なものに感じられる。


「……本当に美しい町並みだな」


「歩いているとより感じられるでしょう?」


 思わず零した言葉に肯定する声はどこかに弾んでいるようであった。

 笑みの乗った美貌は可愛らしさを奏で、また違う魅力をシラーフェに届ける。

 美しい町並みの相乗効果もあって、性懲りもなく顔を覗かせる恋心が胸をざわつかせる。


「リナリアはリントスのことが好きなのだな」


「そうね。この町は魚人族と海人族、水精族、複数の種族が共に暮らしているでしょう? 似ているとはいえ、違う種族が一緒に暮らすのはきっと苦労も多いでしょうけれど、みんなが笑っていて幸せそう。とても素晴らしいことだわ」


 魚をそのまま人型にした者、見た目は人族とほとんど変わらないながら鱗を肌に残した者。

 高濃度のマナで構成された体を持ち、様々な姿形をしている者。

 リントスの町を行き交う人々は、この三つの種の者が多くいる。


 みな、水精の女王の加護を受ける者という共通点は持っているが、細かな特徴は異なる。

 それでも共に笑い合って暮らしている姿に、リナリアは思うところがあるのだろう。その瞳には、強い憧憬が宿っている。


「ルーケサも、こんな風にあれたらいいのに……」


 微かな呟きは哀切を持って。不意に色を変えた表情は刹那のうちに元の色に戻る。


「ごめんなさい、なんでもないわ。それよりも、そろそろお店につくわ」


 気丈に見せるリナリアの心を尊重し、シラーフェは先程の呟きが聞こえなかった風を装う。

 代わりに、と彼女が案内する先、町の景観を統一するためか、例によって派手な色の壁に彩られた食堂の方へ視線を遣る。


 外観からは信じられないが、看板と周囲に漂う馥郁とした香りが食堂であることが伝えている。


「ここが私のお気に入りの食堂よ」


 食事時にはやや早いものの、店の中はすでに客が幾人か入っていた。

 この時間帯でも、それなりの客入りで人気な店であることが窺い知れる。


「空いてる席に座りな」


 やや無愛想な店員の言葉にシラーフェは戸惑いを見せる。

 この手のお店に訪れるのは初めてのシラーフェを他所に、リナリアとサクマは慣れた様子で空いている席に着く。シラーフェも倣って、サクマの隣の席に着いた。

 流石にリナリアの隣に座るのは気が引けた。


「注文はどうする?」


「俺はこの地に来るのも初めてだ。お前たちに任せる」


「任せとけ。俺のとっておきに食わせてやるよ」


「まったく、貴方が作るわけじゃないでしょ」


 この輪の中に混ざれている事実が妙に擽ったい。

 二人はあれやこれや話しながら、いくつか料理を注文する。中には知らない料理名もいくつかあり、リントスに伝わる料理なのだろうか、と仄かに期待を膨らませる。


「そういえば、シランはどうしてリントスまで来たの? 冒険者って感じでもないし、旅行かしら?」


「……そんなところだ。カザードから自国に帰る途中だ」


 サクマへ語った説明をそのままリナリアへの返答とした。

 冒険者らしくなく格好をしているというのは、リナリアにもサクマにも指摘された通り。


 質の良い衣服は誤魔化しようもなく、嘘を吐くのも苦手なシラーフェは曖昧に言葉を選んで場を乗り切ることにする。

 口にしたのは事実ばかりだというのに不自然ではないか、とそれはそれで不安になる。


「ああ、カザードからアンフェルディアまでの道は今封鎖されているものね」


「リントスの観光ができる思えば、そう悪いものではない」


 魔物の討伐のために聖国の勇者が向かっているというライの話は本当だったらしい。

 道の封鎖は気にかかることの一つではあったが、サクマたちが向かうのであれば心配はいらないだろう。


 共に戦った中で、サクマの実力はよく知っている。召喚されてばかりで経験の浅さが目立つものの、サクマは強い。これからもっと強くなっていく人だ。


「じゃ、まずはその第一歩つーことで」


 話しているうちに料理が運ばれ、テーブルの上にいくつも並べられる。

 所狭しと並べられた料理はやはり魚介中心のものが多い。肉料理中心の食文化であるアンフェルディアでは見たことのない料理ばかりで目移りしてしまう。


「しかし……多いな」


 普段なかなか口にすることのない魚介料理はどれもシラーフェの目を惹くものである。

 ただし量が多い。テーブルを隙間なく埋める料理の数々に苦笑である。


 健啖家な妹、ネリスが喜びそうな現状も、人並みの胃袋しか持たないシラーフェは圧倒されるばかり。


「ちょっと頼みすぎちまったな……」


「ごめんなさいい。貴方に何を食べさせるか盛り上がってしまって……冷静になるべきだったわ」


「いや……構わない。三人で食べればどうにかなるだろう」


 二人に悪気がなかったのは分かる。楽しそうに注文する二人を見守るに徹し、口を挟まなかったシラーフェにも非はある。


「さあ、食べよう」


 言って、傍に置かれた赤色のスープを口にする。

 トマトスープと思って口にした舌に広がるのは、魚介のうま味と香辛料によって作られた繊細な味だ。

 ただのトマトスープとは違う味わいは、大衆食堂と侮っていた心に強い衝撃を与える。


「どう? おいしいでしょう?」


「そう、だな。まさか、これほどとは……」


 リナリアが得意げな顔を見せるのも頷ける。王城の料理人に匹敵するほどの腕前だ。


「シラン、次はこれを食ってみろよ。うまいぜ」


「それは生の魚か?」


 サクマが指し示す皿の上には薄く切られた生の魚が乗っていた。上にチーズとソースがかかっている。

 この店の味への信用はスープを口にしたことで、確証のあるものとして存在している。


 しかし、しかしだ。生の魚を食すとなれば、話は変わってくる。

 野菜や果物さえ、火を通すか、乾燥させたものを食すのが主流のアンフェルディアでは、生の食材を口にする文化はほとんどない。


「最初はびっくりするわよね。でも安心して。危険性はないし、とてもおいしいのよ」


 ここまで言われて食べないわけにもいかない。意を決して生魚を一つ取り、緊張した面持ちで口に運ぶ。


 薄く切られた身は柔らかく、弾力がある。噛みしめれば、噛みしめれば、その魚が持つうま味が口の中に広がる。

 チーズとソースの味と混ざり合い、極上の美味が舌先に幸福を届ける。

 生の魚を口にしたというのに、不思議と生臭さは感じない。


「……! 生の魚がこれほど美味だとは知らなかった」


「私も初めて食べたときはすごく驚いたわ。サクマは普通に食べていたわよね」


「俺の地元じゃ生魚なんて普通に食ってたからな。ここみたいにシャレたもんじゃなくて、醤油……調味料につけて食うって感じだったぜ」


 サクマの地元のこと異世界には随分変わった食文化があるらしい。

 そこへの興味もほどほどに、シラーフェは他の料理にも手を付ける。


 どれもシラーフェの舌を充分以上に満足させてくれるものであった。すべての料理を平らげた頃には舌だけではなく、胃袋も充分以上の満足感を訴えていた。


「流石に多すぎたな……」


 もっとも多くを平らげたサクマが腹部をさすりながら呟く。

 落水から食事らしい食事をしていなかった故、なんとか完食できたが、普段ならば食べきることはできなかっただろう。


 心なしか重たくなった気のする体を抱えて、シラーフェたちは店を出た。

 支払の際にも一悶着あったが、最終的に割り勘することで落ち着いた。


「無理してない?」


「少し体が重たいが、問題ない。それに」


 心配そうにこちらを見る紫の瞳に仄かに笑んだ。


「こういう経験も悪くはない」


 王族という立場を忘れた一時を過ごすのはいつぶりだろうか。


 体が重くなった代わりに心は軽くなったように思える。

 魔族と人族、アンフェルディア国民とルーケサ国民が台頭に笑い合える。他の者たちと変わりなく過ごせる事実がただ嬉しい。


「シランが気に入ってくれたのならよかったわ」


 未だリナリアの一挙手一投足に擽られる想いがありはしても、会ってすぐ頃のように緊張はしなくなっていた。


「ねえ、シラン。これからも私たちと仲良くしてくれるとうれしいわ」


「それは……」


 浮かれた気分のまま返すことのできない内容に言葉を詰まらせる。

 シラーフェが心を解して、二人との時間を過ごしていたのは一時だけのものという思いがあったからだ。


 アンフェルディアに戻り、王位を継いだシラーフェは敵国、ルーケサの重要人物と親しくあることはできないし、許されない。

 逃げられない未来を、覆さない事実を前にシラーフェは返す言葉を探す。


 リナリアとサクマはシラーフェの素性を知らず、無垢に向けられる好意を突き放すのは良心が痛む。

 だからと言って、嘘を返すのも不誠実に思われ、致命的に時間だけが流れていく。


「ごめんなさい。出過ぎたことを言ったわね。貴方の事情も考えないで……今のは忘れてちょうだい」


 返答に迷って生まれた沈黙に、リナリアが謝罪を口にする。

 シラーフェの素性を知らずとも、魔族と人族の抱える複雑な関係を思えば、返答を躊躇う理由も知れるというものだ。


 彼女に悲しそうな顔をさせるのは本意ではないが、中途半端に否定しても意味はないと口を噤む。


 シラーフェはサクマとリナリアのことを好ましいと思っている。

 この絆を大切にしたいと強く願い、誠実でありたいと祈っている。


「また……迷惑でなければ、また一緒に食事をしましょう」


「……っ…ああ。機会があればな」


 夢見る世界への未練からか、零れたリナリアの言葉にようやく返事をした。

 果たされることのないであろう約束を交わすシラーフェは無意識にネックレスに触れる。


 願いを叶えると謳われる石で作られたネックレス。約束を果たせなかった贈り物を。


「……俺はシランのこと、大事なダチだって思ってっから。それはずっと変わんねえからな!」


 リナリアとのやりとりを聞いていたサクマが突然にそう宣言する。

 驚く二対の瞳を受けながら、サクマは強い瞳でシラーフェを見た。


「俺は、シランを裏切らないからな。絶対の絶対に!」


「前にも聞いたな」


「それくらい本気ってことだ! 分かったか⁉」


「分かっているさ」


 お互い、思い浮かべている者は同じだろう。サクマは真剣な眼差しで手を差し出し、シラーフェは逡巡の後にその手を取った。


 赤目と黒瞳が互いを見つめ――。


「――様っ」


 ここにはいないはずの声が聞こえ、反射的に目を向ける。微かな声を聴き咎めたのはシラーフェだけのようで、サクマとリナリアが不思議そうにこちらを見る。


「シラーフェ様!」


 先程よりも近い距離で聞こえた声は間違いなく、シラーフェのよく知るものだ。

 それを説明するように赤目は駆け寄ってくる幼い少女の姿を捉えた。赤目が見開かれる。


「エマリ……⁉ どうしてここに、一人で来たのか?」


 駆け寄ってきたのはエマリであった。

 リントスに辿り着くには早すぎるという驚きと、エマリが一人で現れたことへの驚きが綯い交ぜになった状態で駆け寄る少女を受け止める。


「んーん、ひとりじゃない」


「エマリ、急に走り出しては……シラっ…」


 エマリに詳細を求めるよりも先にその答えが姿を現す。

 ユニスである。エマリを追いかけてきたらしいユニスはシラーフェの姿を認めて、出かかった言葉を咄嗟に飲み込んだ。傍らに人がいるのを見て、本名で呼ぶことを躊躇った結果だろう。


「ユニスも一緒だったか。予定よりも随分早い到着だが……?」


「水精の使者様が道を繋いでくださったのです」


「そのようなことが可能なのか?」


「ある程度広さのある水辺通しを繋ぐことができるそうで……リントスに近接する海に繋いでいただきました」


 水辺同士を繋げる。言葉で言うのは簡単だが、かなり高度な魔法である。

 ユニスたちの許を訪れた使者はラピスに匹敵するほどの高位の精霊なのだろう。


 少しでも早く合流できるよう、心を砕いてくれたシャトリーネに内心で感謝する。


「リオン様は宿の手配をしてくださっています。私とエマリは……主様を探しに。魔族の青年を見かけたという話を耳にしたのでこちらに。無事合流できて安心致しました」


「ん、私のおかげ」


 シラーフェが落水してから、随分と心配をかけたようで、ユニスは大きく安堵の息を零す。

 リオン――ライが宿を手配してくれているとなれば、サクマたちの案内は不要となる。


「シランの知り合いか?」


「ああ、はぐれていた仲間だ」


 答えながら、どう断るか思案する。せっかくの好意を無碍にすることへの罪悪感が胸を擽る。

 迷いを宿す赤目を笑うように、サクマは相好を崩す。


「案内、必要なくなっちまったな」


「すまない……」


「気にすんなってそういうこともあるだろ。仲間と合流できてよかったじゃねぇか」


 心から祝福する口振りでそう言ったサクマは一歩踏み出し、こちらを振り返った。

 晴れやかな表情を浮かべ、シラーフェの正面に立ったサクマはその手を差し出す。


 向けられる握り拳に眉根を寄せ、サクマを見返す。


「シランも同じように手を出せ」


「こうか?」


 言われるがままに出したシラーフェの拳にサクマの拳が合わさる。


「んじゃ、またな」


「また会えたらお話ししましょう」


 そうして聖国の勇者と聖女とは別れた。

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