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魔王に花束を  作者: 猫宮めめ
第3章

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62「神の真意」

「エーテルアニス神があれを俺に……」


 人族よりもやや鋭敏な聴覚がサクマの呟きを辛うじて拾った。

 考え込んでいる様子のサクマの脳裏には四〇〇年前の記憶が映し出されていることだろう。


 サクマは四〇〇年前に召喚された勇者アッシュ・イアンの記憶を見たはずだ。

 天真爛漫で、快活で、正義感の強い青年の過去に、サクマを思い悩ませる何かがあったのか。


 シラーフェの脳裏にもまた四〇〇年前の記憶が映し出される。

 記憶の最後を飾った惨劇を思い出し、もう聞こえぬはずの悲痛な絶叫が鼓膜を震わせる。幻聴に奮い起こされ、心臓とは違う拍動が主張を始める。


 ルヴィの記憶を見て以来、強くなった疼きをなんとか堪える。

 少しでも気を抜けば、自我が呑まれてしまいそうな感覚の中で、シラーフェはサクマへ視線を遣る。

 今、サクマを苛んでいるのはアッシュがルヴィを裏切ったときの記憶だろうか。


 裏切り同然の行いより、親友を失ったサクマには堪える記憶であったろう。


「なんでっ……あんなものを」


 苦悶を滲ませるサクマの声に答えられるものはいない。

 シラーフェにルビの記憶を見せることが目的か、サクマにアッシュの刻を見せるのが目的か、どちらが狙いなのだろうか。あるいは両方が狙いか。


「あまり力に慣れなくてごめんなさい。できる範囲で調整はしてみるわ。あまり期待はできないしょうけれど」


「いえ……シャトリーネ様には充分力になっていただいています」


「そう、っすよ。これはこっちの問題……みたいなもんなんで。調査してくれるだけでありがたいです」


 なんとか平静を取り戻した様子のサクマの顔を盗み見る。

 明るく振る舞っているように見えて、無理をしていることが窺える。

 鈍いシラーフェにも明らかなほどなので、シャトリーネやラピスにも気付いているはずだ。


「今日は疲れているでしょうし、一度お開きにしましょうか。貴方たちを陸に送り届ける話はまた明日の朝にしましょう」


 シャトリーネの呼びかけに寄り、この場はお開きとなった。

 サクマやラピス、ロキンがそれぞれ部屋を退室する中で、その視線に親愛が宿っている。


「まだ聞きたいことがあるという顔ね」


「シャトリーネ様は最近のルーケサの動きをどうお考えですか?」


 カザードで起こった魔獣の魔物化。海中で仕掛けられた魔獣を活性化させる魔術。

 そして、エーテルアニス神が残した魔術の発動。勇者の召喚も含め、ルーケサ周辺の動きがここ最近妙に活発だ。

 敵国たるアンフェルディアの長になるものとして、無視できないと取り繕って問いかけた。


「そうねぇ、現状ではなんとも言えないわね。ルーケサ以外にいないと言っても、ルーケサがしたとは言えない。でも、そうね」


 魔王族の立場に仮面として纏ったシラーフェの内心を見透かしてシャトリーネは続ける。


「――四〇〇年前の空気と似ているとは思うわ」


 図星を突かれて、心臓が大きく跳ねた。


 シャトリーネはどこまで見透かしているのか。親愛を宿したままの濃藍の瞳は、不公平にもその心の内を読み取らせてはくれない。同年代のような見た目をしていようとも、相手は千年以上も生きた精霊だ。

 十数年生きただけの若造に踏み込ませてくれるわけがなかった。


「ねえ、シフィ。貴方は一体何を見たの?」


「それは……俺は、四〇〇年前の……ルヴァンシュ・フリュズ・アンフェルディアの過去を見ました。彼と当時の勇者との間に何があったのか、この〈復讐(フリュズ)の種〉が生まれるに至った物語を見ました」


 刹那、話すべきか迷ったのちにシラーフェは堪えた。

 サクマとは違う。兄姉やユニスとも違う。遥か長い時間を行き、多くの事を見知ってきた彼女にならば、近すぎず遠すぎもしない距離にいる彼女にならば、すべてを話してもよいと思えた。

 寄りかかることが重荷にならないとそう思える相手だからかもしれない。


「俺は元々〈復讐(フリュズ)の種〉の存在に否定的でした。ただ……あの記憶を見てしまえば…」


「肯定したくなった?」


「いいえ、しかし、仕方ないと思ってしまった。納得してしまった」


 納得してしまえば、〈復讐(フリュズ)の種〉の存在を否定することはもうできない。

 今もなお、ルヴィの絶叫が耳に残っている。絶望に染まった声に共感する心がないとは言えず、自分が同じ立場にあったらと考えずにはいられない。

 憎悪に染まりきったルヴァンシュの心と、シラーフェの心が重なる日が訪れる可能性に震える。


「〈復讐(フリュズ)の種〉を受け継いだ日の覚悟を違えるつもりはありません」


 覚悟の証明と自らの魂に課した魔法のことは、シャトリーネも気付いていることだろう。

 ラピスに気付かれたくらいなのだから、水精の女王たるシャトリーネはより詳細に把握しているはずだ。


 シラーフェが縛魂の魔法を用いた意味も含めて。


「それでも、いつかこの心が抗えることができなくなる日が来ると思うと……恐ろしくて堪らないのです。あるいはこの揺らぎこそ、エーテルアニス神の狙いなのではないかと」


「それが私に聞きたいことね?」


 シラーフェの弱音を聞いてもなお、シャトリーネは調子を変えずそう言った。

 普段通りを崩さないシャトリーネの態度に救われた気分になる。


「まずは一つ聞かせてちょうだい。サクマも貴方と同じものを見たのかしら?」


「サクマもまた四〇〇年前の、勇者アッシュ・イアンの記憶を見たと話していました。詳細を聞いたわけではありませんが、視点は違えど同じものを見ていたのは間違いないと思います」


 視点が違う分、まったく同じものとは言えないが、内容はそう変わりないはずだ。

 四〇〇年前、ルヴィとアッシュと友好を深め、ルーケサによる手酷い裏切りにより生まれた惨劇の日までの記憶。

 それほど経っていないこともあって、今までも鮮明に思い出される。


「エニスの考えをすべて理解しているとは言えないけれど、シフィが思っているようなことはないと思うわ」


 シラーフェの返答を受けて、数拍の間ののち、シャトリーネはそう答えた。

 正直、シラーフェには先程の質問の意味も分かっていない。サクマが見たものとの違いで変わるものあるのだろうか。


「あの部屋に行ったってことは、中央の置かれていた彫像のことも見ているのよね?」


「アポスビュート神とエーテルアニス神は寄り添っている像のことですか?」


 シャトリーネは首肯で答える。あの像も気になることの一つであった。


 シュタイン城の地下で見たものと製作者が同一と考えられる彫像。

 正史と異なる二神の姿を描いた彫像が、エーテルアニス神が残した部屋に置かれていた理由。


「あれはね、ロキが作ったものなの。核になるものが必要って言われて、作ったものらしいわ」


「あの姿も指示があってのことなのですか?」


「あれはロキの趣味よ」


 困ったように笑うシャトリーネの返答に、拍子抜けする想いがあった。

 深い親愛を思わせる二神の距離感に意味を求める心があった。期待に近いものかもしれない。


 敵対していると言われる二神が、親しい間柄である事実に希望を見出そうとしていたのだ。

 魔族と人族が分かり合える未来への希望を。


「彫像を作るのがそもそもロキの趣味なのだけれど」


 友人の困った部分を語るようにシャトリーネは紡ぐ。


「心に残るものを形に残すのが好きなんだそうよ」


「それは……」


 拍子抜けに終わった事実に、希望の影が差す。小さく頷くシャトリーネは続きを引き継いで紡ぐ。


「エニスとアビスは思い合う間柄だったのよ。いつも二人で寄り添ってたわ、あの彫像のように」


「しかし……二神は争い、アポスビュート神はエーテルアニス神に討たれたと正史には残っています」


「それも事実よ。想い合う二人は掛け違いが重なって、刃を交えることになったの」


 長い年月を生き、多くを見てきたシャトリーネは神妙な面持ちで紡いだ。

 想い合う二人と、掛け違いで生まれる惨劇。シラーフェの脳裏にに浮かぶのは神とは違う二人の人物である。


 想い合っていたはずの二人はアッシュの裏切りにより、修復できない亀裂が走り、アッシュの刃が残酷に最期を飾った。

 それはシャトリーネが語るアポスビュート神とエーテルアニス神の話に似ている。


 ルヴィの視点で見ていた故、二人の関係のすべてを知っているわけではないにしろ、似ている二人を知っているシラーフェには否定を口にできない。


「エーテルアニス神は……そうなったことを、憎んで、おられるのですか?」


 だから、シラーフェとサクマに、自分たちと似た二人の物語を見せたのか。

 容易く『憎悪』を口にしたシラーフェは本人も自覚していないところで、〈復讐(フリュズ)の種〉の影響を受けている。

 それを指摘しないシャトリーネは笑みだけ深めて口を開く。


「刃を交える関係性になって、想いを注いだ相手を手にかけたとき、エニスが何を思ったのか……それは本人にしか分からないことだわ」


 シャトリーネの表情は口にした内容とは少し不釣り合いであった。

 向けられる笑顔に、内心で困惑を抱くシラーフェはただ耳を傾ける。


「記憶を見せたことはきっと……エニスの願いよ。貴方たちに何かしてほしいわけじゃない。貴方たちの中に何かが生まれることを期待しているのでしょうね」


 紡がれる言葉はシラーフェの中に更なる困惑を生んだ。意味はない、見せただけ。


 あんなものを見せられて、ここまで心を揺さぶられて何もなかったとは思えない。

 眉根を寄せて考え込むシラーフェを、やはりシャトリーネは不釣り合い笑顔を注ぐ。


「そうして一生懸命考えて、思考を回して、意味を見出そうする。貴方も、サクマも……そうして考える時間が生まれることこそ、エニスが望んだことなのだと思うわ」


 言って、シャトリーネは笑声を零す。無理解に囚われたままのシラーフェを楽しむような反応だ。


「たくさん悩みなさい、若人よ。なんてね」


 シラーフェは終始、答えの得られない状況に置かれていたが、シャトリーネからすれば、それこそが答えなのだろう。それだけは理解できた。

 明確な答えを教えず、曖昧な道筋さけを示す様は神と信者の距離を思わせる。


 事実、シャトリーネは神に並ぶ立場にいる人物なので、その認識に間違いはない。とすると、エーテルアニス神の考えも、シャトリーネの示すものは神特有にものなのかもしれない。

 そう思って、この場は納得して、シラーフェは青籃宮に用意されている部屋に戻った。






 翌朝、シラーフェは謁見の間へ向かうサクマに遭遇した。


 部屋に戻ってからも、考えを巡らせてはいたが、結局答えらしいものは見つけられず、朝となっていた。

 思索に耽っていたが故、あまり眠れず、普段よりやや重い瞼の裏に収まる赤目は、同じ状態のサクマと遭遇した。


 同じく四〇〇年前の記憶のことを寝ずに考えていたらしいサクマとともに謁見の間に向かっている形だ。


「あんたたち、揃いも揃ってひっどい顔ねぇ」


 ひらひらと宙を泳ぐラピスがそんな二人の顔を見て、そう零した。鏡を見たわけではないが、否定できない顔しているだろうとは思う。


「いろいろ考えてたら、あんま眠れなかったんだよ」


「バカね、眠れないくらい考えたってどうしようもないでしょ。そういうときは頭からっぽにして寝るのはいいの! 考えるにしても、一階寝て、すっきりした頭で考えた方でいいでしょ」


 ラピスの言い分は至極真っ当なものだ。


 二人の会話を聞く徹しながらも、シラーフェは考えすぎな己を反省する。もう少し気楽でいられたらと何度考えたか分からない。

 少しだけ精霊の自由でゆったりとした生き方を真似するべきだろうかと真剣に考える。


 そうこうしているうちに謁見の間へ辿り着いた。シャトリーネは昨日と変わらない様子で二人を出迎え、寝不足を語る顔を見て苦笑する。


「少し刺激が強かったようね」


 笑声混じりにそう言って、シャトリーネは手にする笏を鳴らす。

 周辺のマナがきらめき、シラーフェとサクマの周囲を飛び交う。美しい光の演舞に魅入られている間に体が軽くなっていることに気付いた。


 どうやら、シャトリーネが寝不足の体を癒してくれたらしい。

 眠気が消えただけではなく、疲労感も綺麗さっぱり消えている。


「帰り道に案内する話をしたいのだけれど、大丈夫かしら?」


「お陰様で体を軽くなりました。お気遣いいただき、ありがとうございます」


「それならよかった」


 笑んでシャトリーネは向き直る。

 ここから本題、青籃宮を訪れた目的であるところの、陸地へ戻る案内をしてもらう件についての話だ。

 川に落ちてから、立て続けに様々なことが起こり、本来の目的を忘れるところだったと切り替える。


「こちらはそう準備できているけれど、どうする? 今からでも案内できるわよ」


 兄たちはまだリントスに着いていないだろうし、シラーフェには特に急ぐ理由もない。

 かと言って、青籃宮に残る理由もないので、ここの判断はサクマに委ねる。


「あーと……じゃあ、今すぐにでもお願いできますか? 仲間たちも待っているだろうし……」


「もちろんよ。先触れを出しておくわね」


 シャトリーネは首肯し、ロキンは甲高い鳴き声で肯定を示す。

 擦り寄ってくる体を撫でてやれば、ロキンはもう一度声をあげて、くるりと回る。


 ロキンの体が淡く光るその姿は一度見たものだ。

 白が瞬いて視界を焼いた間にロキンの体は一回り以上も大きくなる。荘厳な空気を纏いながらも、人懐っこさは変わらない白イルカは早く背に乗るように二人を急かす。


「道は示すから、ちゃんと二人を送り届けるのよ」


 主の声に応える白イルカは意気揚々とした様子を見せる。

 やる気を空回りする不安を感じさせるものの、一度目の実績を信じてロキンを背に乗る。

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