60「合流」
いっそ耳鳴りがするほどの甲高い声が文字通り降ってきた。
驚くシラーフェが声の主を認識する間を与えず、白い影が眼前に躍り出る。
甘えるような鳴き声で擦り寄ってくるのは白いイルカだ。説明するまでもなく、ロキンである。
戻る術がなく、頭を悩ませていたところに突然現れたロキンへ、浮かぶのは困惑ばかりである。少しばかり時間をかけて、状況を咀嚼する。
「もう! 急にいなくなるからびっくりしたじゃないの‼ あんたたちに何かあって女王に怒られるのはあたしなんだからねっ」
咀嚼する時間を与えない勢いで言い募る高い声。
声に負けず劣らずの勢いで迫るのは掌ほどの大きさの小さな少女だ。
ロキンとともに今回の調査において案内役を担う精霊の少女が愛らしい顔を怒りで飾る。
「別に好きでいなくなったわけじゃねぇって。何かの術が発動したの、ラピスだって見てただろ」
「それはそれ、これはこれよ。あたしがどれだけあんたたちを探したと思ってるの⁉」
理不尽としか言いようのないラピスの言葉に、サクマは形容しがたい表情を見せる。咄嗟に言い返すのを堪えたような表情である。
真っ直ぐさだけを表すラピスを、心配してくれていたことと認識し、代わりとしてシラーフェが口を開く。
「心配かけてしまってすまない。そんなに時間が経っていたのか?」
四〇〇年前の記憶、アッシュとセニアが出会った日から惨劇が起こるまでの十年以上の月日を見せられていた以上、かなり時間が経っていても不思議はない。
シラーフェの体感としては、長くとも一、二時間くらいのものだ。
記憶を見せられていた間のことは精々十数分といった感覚だ。長い期間を見せられていた自覚はあるのに、意識を失っていた時間への認識は驚くほど短い。
「大体、半分くらいかしらね」
「えっ……そんな経ってたのか⁉」
サクマもシラーフェと概ね同じ認識でいたようで驚きの声をあげている。
体感の倍はかかっている想定でいたが、そのさらに長い時間が経っていたのは。
抱く驚きはサクマ代わりに表してくれたので、シラーフェはむしろ冷静な面持ちで受け止める。
「女王に小言を言われるのは確定よ。まあ、小言を言われるくらいで済んでよかったわ」
怒りに任せた勢いで言い募っていたラピスはやや落ち着きを取り戻してそう言った。
「あんたたちが無事そうでよかったわ。厄介なことにはなってないわよね?」
落ち着きを取り戻した様子のラピスはその瞳に心配の色を宿す。
擦り寄ってくるロキンも二人を心配してのことのようで、怪我の有無を確認していたらしい。
ラピスがかけてくれた自動治癒魔法お陰で、無傷の二人を確認したロキンは安堵して離れていく。
「自覚症状としては何もない。それ以上のことは精霊の目で見た方が早いであろう」
「それもそうね」
ここへ転移されたこともあるし、四〇〇年前の記憶を見せられたこともある。得体の知れない魔術を二度も受けて、何もないと楽観視する気にはなれない。
シラーフェの言葉を受けてラピスはその目でじっとシラーフェとサクマを見つめる。
「んー、何もなさそうね。マナにも特に異常はないわ」
マナの専門家からのお墨付きをもらい、一先ず安堵する。
本当に転移させるだけ、記憶を見せるだけのものだったようだ。そうなると不審が募るものの、今はいい。
外傷も、マナの異常もないのなら、現時点で考えられることはない。別口から情報を集めるべきだろう。
「ここはどこなんだ? 遺跡のようだが」
「どこって地下よ、地下」
だいぶざっくりとした返答にシラーフェは眉根を寄せる。
地下と言われても、詳細が不明な事実には変わりない。既に海底――界ちゅうの一番下にいるという認識でいた分、地下という単語に困惑が勝ってしまう。
「地下なのに陽の光が射し込んでんのか?」
「地下で陽の光が射し込むわけないじゃない」
当然の問いを口にしたサクマへ、ラピスもまた当然のことのように返した。
客観的に見れば、どちらの言い分も納得できるものだ。
天井の穴から今もなお、空間を神秘的に照らし出す陽光。これが地下、それも海中ならば、その存在に疑問を抱くのは自然。
そして地下に陽光が射し込むわけがないというラピスの言も、真っ当なものではある。
「あれ、陽の光じゃねぇのか!」
二人の意見から導き出される答えはサクマが口にした通りである。
「精霊石の光よ。よく見てみなさい、ちょっと違うでしょ」
「や、分かんねえよ」
「分かるでしょ!? ったくダメね。こういう違いが分かんないとモテないわよ」
ラピスの言葉を聞き、シラーフェは再度射し込む光を見つめる。サクマと同じで、シラーフェにも陽光との違いは分からなかった。
精霊石の光ということはマナを帯びた光であり、精霊の目とは見え方が違うかもしれない。
至極真面目に考え込むシラーフェを他所に、サクマとラピスは軽快に言葉を交わす。
「ここは青籃宮の地下よ。微妙に位置がずれてるから広義の意味でって認識してくれたらいいわ」
サクマとのやりとりに一区切りついたのか、ラピスは落ち着いた様子でそう言った。
感情のままに言い募ったかと思えば、冷静な振る舞いもする。ラピスという人物は非常に掴み所がない。
精霊らしい性格をしているとも言えるかもしれないが。
「射し込んでいる光は青籃宮を構成している精霊石のものよ」
説明するラピスは宙にその手を翳す。マナが渦巻き、歪な形を織り成す。
石を思わせる形に整えられたマナの塊がその精霊石を表現しているのだろう。
「元々あった大きな精霊石を削り出して作られたのが青籃宮なの。それで余った部分は地下にも、というよりは地下の方にこそ広がっているの。ここはそのさらに下ってこと」
マナの塊は上の部分に即席で城の形を作り出す。下部にはまだ歪な精霊石が残ったままだ。
ラピスは下部に残った精霊石の舌を小さな指で示した。そこがシラーフェたちが今にいる場所なのだろう。
「精霊石ってこんな光るんだな。知らなかったぜ」
「周囲のマナに反応して光るのよ。ここみたいにマナの濃度が高い場所はあれぐらい強く光るのよ」
光を帯びる精霊石を幾度と見たことのなるシラーフェも、その原理までは知らなかった。
なかなか興味深く耳を傾ける。明らかになった現在地を一つの収穫として受け取りつつ、さらに踏み込む。
「ここはシャトリーネ様が管理している地なのか?」
広義の意味で青籃宮の地下となれば、宮の主たるシャトリーネが管理しているとするのが自然であろう。
自分の考えに確証を持つための問いかけを口にするシラーフェは、この地下空間に鎮座する像を一瞥する。
アポスビュート神とエーテルアニス神の像。その意味することや製作者も気になるところだが、それ以上に引っ掛かるのはあの像を基盤にした魔術陣だ。
前触れもなく発動した魔術、シラーフェに四〇〇年前の記憶を見せたそれをシャトリーネが把握していたのか、どうか。
「一応そうね。一〇〇年以上放置してるからちゃんと管理してるかって言われたら……まあ、微妙なところね」
ラピスが苦々しい顔でそう言った。管理している身として、ずさんな管理状況に多少の責任を感じているらしい。
「じゃあ……前の道にいたゴーレムもシャトリーネ様のものだったり?」
「ゴーレム……ああ、守り人ね。配置させたのは女王だからそうなるんじゃないかしら」
意識すらしていなかった方面からの言葉に首を捻るラピスの返答を聞き、サクマは青褪める。
いろいろあって記憶の隅に追いやられていたゴーレムの存在を、シラーフェはそこで思い出した。
何拍か遅れる形で、サクマの表情変化の理由を理解する。
「そのさ、ゴーレムのことなんだけどさ……オレとシランで壊しちまってさ」
「……侵入者と認識された故の不可抗力とはいえ、こちらに非はある。必要な対価は支払うつもりだ」
誠心誠意、ゴーレムを破壊してしまったことへの謝意の姿勢を示す。
この空間に来る前、シラーフェとサクマはゴーレム四体に襲われた。それ以外に道はなく、共闘してすべてのゴーレムを破壊するに至った。
望んだことではないにしろ、破壊の判断をしたのはシラーフェたちであり、そこに伴う責を負う覚悟はある。
真摯な二対の眼差しを受けるラピスは未だ首を捻ったまま、不思議そうな面持ちで見返す。
「壊したの? あのゴーレムを?」
聞き返され、二人の胸中に強い不安感が宿る。やはり破壊してはならなかったのだと。
「本当に? 本っ当に壊したの?」
「何度も確認しなくてもそうだって。核を砕いて、ゴーレムを破壊したんだよ」
あまりにも執拗に確認するラピスに。サクマが声をあげる。ラピスに負けず劣らずの勢いだ。
不思議そうに瞬いてばかりいたラピスの瞳は、サクマの声を受け取り、ようやく理解を得たと輝いた。
「なんだ、びっくりしたわ。いくら神の加護を受けてるとは言っても、今のあんたたちに破壊できるわけがないものね」
ほっと息を吐くラピスの言葉はゴーレムを破壊した当人たちを理解の外へ置くものだ。
いや、ラピスの言葉から察するにシラーフェたちはゴーレムを破壊できていないようだが。
「核は破壊したはずだが」
ゴーレムは核を破壊すれば、機能を停止する。
これは所詮、本――それもシラーフェが好んで読んでいた英雄譚や冒険譚から得た知識である、飽くまで物語上の設定であり、シラーフェの認識が間違っていたのか。核の破壊が不充分だったのか。
「あのゴーレムは神、ロキジニアスが造ったものだもの。核を壊したくらいじゃ、機能停止させられないわよ」
「でも、核を破壊したらバラバラになったぜ?」
「そりゃ核を破壊したんだから、バラバラにはなるわよ」
さも当然のことのように語るラピスの言葉足らずの説明に、今度はシラーフェとサクマが首を捻る番だ。
一先ず、分かったのは、シラーフェたちが遭遇したゴーレムは地を司るロキジニアス神が造ったものであること。
言わば、特別製であり、核破壊では機能停止できないと。
「核は術式の中心だもの。破壊されたら繫がりが断たれて、体がバラバラになるのよ。核に自動修復の機能がついているから、時間が経てば再構成されるけどね」
「ってことは、俺らが倒したのも今頃……」
「再構成されているんじゃないかしら?」
ほっと胸を撫で下ろすサクマ。その分かりやすい表情変化には自然と頬が緩む。
ルヴィの過去に触れてからいっそう強く訴えかける〈復讐の種〉に反して、シラーフェの心はサクマに好感を抱いている。
アッシュのことが脳裏を過ぎり、胸を締め付けるものを無理矢理に抑え込む。
複雑に絡み合う感情を内へ内へ押さえつけ、その辛苦を息として零す。
「核を破壊すれば、ゴーレムは機能停止する認識は間違いではないんだな?」
心中を悟られないように努めて平静な声で問いかける。
この地を守護するゴーレムが破壊されていないという事実は一先ず認識できた。
あのゴーレムが神謹製のものであるが故のことなのであれば、シラーフェが本から得た知識が正しい情報で会ったのか、確認しておきたい。間違った知識をいつまでも持っているわけにはいかない。
「そうね、あれが特別製、規格外ってだけよ」
どうやらシラーフェの知識は正しいものであったらしい。
間違った知識を得意げに披露するという恥ずかしい姿を晒すことにならず、密かに安堵する。
そんなシラーフェの心中はお構いなしのラピスとサクマは会話を続けている。
「ロキ……なんとか神ってシャトリーネ様が話してた人だよな」
「ええ、地を司る神、ロキジニアス。獣人が信仰している神よ」
獣人の里はロキジニアス神に加護によって守られている、という話はシラーフェも聞いたことがある。
大地が含む神の力を吸い上げ、獣人は高い身体能力を発揮している、とか。
直接、獣人と会ったことのないシラーフェにはゴーレムの破壊同様、聞きかじりの知識である。
カザードですれ違うことはあったが、戦闘時でもなければ確認しようのない情報だ。冒険者として活動しているサクマの方が実感のあることだろう。
「ここを作るにあたって女王が頼んだって話よ」
「ならば……シャトリーネ様はこの空間を、この術式の存在を把握していたのか?」
それはもっとも聞きたかった問いであった。未だ不明瞭な、四〇〇年前の記憶を見せられた意味を明らかにするために必要な問いかけだった。
仄かな緊張をはらんだシラーフェの問いを前にラピスは首を傾げた。
「さあ? 知らないことはないでしょうけど、そうだとも言えないわね。女王のことだし、いくらあたしでも無責任なことは言えないわ」
結局、ラピスとの問答でも、欲しい答えは得られなかった。
シラーフェの胸中にはもどかしい思いが残ったままだ。しかし、まだ複雑に絡む感情の行き先を定める術は残されている。
「どうせ、今から帰るんだし、シャトリーネ様に直接聞きなさいな」
そう、シャトリーネである。この地下空間の持ち主である彼女ならば、あの像や奇怪な紋様の詳細を知っているに違いない。
「つーか、どっかに出口とかあるのか? 戻れんの?」
「あるでしょ、上に大きいのが」
ラピスが指し示すのは頭上にある、精霊石の光が注いでいる大きな穴だ。ラピスとロキンが落ちてきた穴でもある。
先程の説明を含めて、あの穴が外に繋がっているのは事実なのだろう。
「上って……あそこまで上がんのは無理だろ。さっき、シランとそういう話したばっかだぜ」
穴が外に繋がっていても、あそこまで上がる術はない。会話はラピスたちが来る前と同じ結果を辿る――
「無理ならあたしだって口にはしないわよ。」
――わけではなかった。
相も変わらずの勢いでそう言ったラピスは傍らで泳ぐロキンに目を向ける。
これまでの会話を退屈そうに聞いていたロキンはようやく役目が来たと声を上げる。
「ロキン! 見せてやりなさい、あんたの真の姿を‼」
自分のことのように胸を張るラピスに応えて、ロキンが高く鳴き声をあげる。
淡く光を纏った体が優雅に宙を泳ぐ。魅入られて注ぐ赤目が強い瞬きを捉えらる。
視界が白に焼かれた一瞬ののち、大きな影が差し込んだ。
「ロキン、なのか……⁉」
思わず零れた問いかけに大きな影の正体――巨大化したロキンが誇るように泣き声をあげた。
「さあ、ロキンの上に乗りなさい。上まで行くわよ!」
唯一、ロキンの本来の姿を知るラピスだけが驚きもなく、意気揚々に声をあげた。




