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魔王に花束を  作者: 猫宮めめ
第3章
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59「目覚めのとき」

 響く絶叫がシラーフェの脳を激しく揺らす。込められた憎悪と悲哀がシラーフェの脳内を無遠慮に掻き混ぜる。

 シラーフェが見た過去とルヴァンシュの記憶が掻き混ぜられる。


 自我が別のものに塗り替えられる感覚は、シラーフェにはなじみ深いものである。ただその事実を認識するだけの余裕は今のシラーフェにはない。


 ルヴィの視点を借りて四〇〇年前の出来事を追体験したシラーフェの自我はあやふやなものになっていた。


 その心はルヴィのものと同化し、絶叫と同じものを映し出す。

 視線を落とし、赤目が映し出す手には妹姫を斬った感触がありありと残っている。


 意識すれば、ルヴィと同じように発狂してしまいそうになる。シラーフェは絶叫を上げる代わりに浅い呼吸を零す。堪えるため、呼吸は数度繰り返される。

 四〇〇年前の出来事に囚われたままの瞳は虚ろで、目覚めてもなお、現実とは違うものを映し出す。


 美貌を悲痛で飾ったセニアの顔。無惨な死に様を晒したリスティの姿。

 魔族を騙しきり、快活に笑うアッシュの顔。おぞましい命令を嬉々として下すアルミダの姿。

 惨劇を飾った人々の姿を次々に映し出す赤目は最後、傍らで眠る少年へ向けられる。


「…さまが、貴様がいなければ、貴様さえ……っ」


 虚ろなまま、憎悪の声を零す。


 意識なく傍らで倒れる今代の勇者サクマの姿が、シラーフェの目には四〇〇年前の勇者アッシュとして映し出される。

 すべての始まりはアッシュとルヴィの出会いであった。そこからすでに人族の、あの勇者の企みが始まっていたのかと思うと途方もない感情が憎悪として湧き立つ。


「どう、して……っ」


 幸福な時間は確かにあったはずなのに、どうしてあんな残酷な終わりが訪れたのか。


 泣きそうに顔を歪めたシラーフェはその手を意識のないサクマの首にかける。

 もう二度と、あの惨劇が訪れることのないように、今、この手ですべて終わらせてしまおう。


 疼くくらい感情のみを心に手を力を込める。魔族の力を持ってすれば、首を絞めるどころか、圧し折ることも容易い。このまま力を込めて――。


「ダメだよ」


 鼓膜を震わせる声があった。

 悲痛を語る絶叫でも、憎悪を煮詰めた声でも、おぞましい嘲笑でもない声。


 清らかで、穢れを知らないその声がシラーフェの心を震わせる。掻き混ぜられた心の中で、シラーフェの心だけが存在感を示すように震える。

 痛苦を与え、無理矢理に感情を引き出すものとは違う、シラーフェの心を包み込む温かな声。


「シラン様、違うでしょ」


 声は少し怒っていた。幾度と見たことのある膨れっ面を想像させる声に、シラーフェは手の力を緩める。


 憎悪に塗り潰されていた何かが揺り動かされ、奥底で震えている。

 虚ろに注がれていた赤目に感情めいたものが宿る。


「思い出して、シラン様の夢を。シラン様の願いを」


 二人以外呼ぶことのない愛称が消えつつあったシラーフェの自我を揺り起こす。


 一人は今まさにシラーフェが首に手をかけている少年。そしてもう一人は人族の手にかかり、死した少女。

 相性を命名した少女の死はシラーフェの憎悪を膨らませる要素の一つになるはずであった。


「……メイーナ」


「うん。ほら、やっぱ……シラン様は優しい人だもんね」


 未だルーケサの勇者、サクマの首にかけられたままのシラーフェの手に、幼い少女の手が重なる。


 大きな赤目がこちらに見ている。無垢さを語る瞳が一心にシラーフェへ期待を注ぐ。

 そうだ。彼女はいつだって真っ直ぐにシラーフェを信じ、身に余るほどの期待を注いでくれていた。


 足りないことが多い身ながら、彼女の期待に応え続ける自分でありたいと奮起していた。

 そんな日々を、彼女と過ごしていたかけがえのない日々を思い出す。


 四〇〇年前、ルヴィの記憶を見たことで、彼の憎悪に染まっていた心が本来の色を取り戻す。

 光を取り戻した赤目が正しく状況を映し出す。自分が手にかけられているのが友人とさえ思っていた少年であることに気付き、咄嗟に手を離した。


「俺は、何を……」


 感覚を共有されていた故、と言い訳が経つにしても、己の行いへの恐怖心が勝る。

 本気でサクマのことを殺そうとしていた。メイーナが現れなければ、間違いなく殺していただろう。

 そうなればきっとシラーフェは〈復讐(フリュズ)の種〉に抗うことを諦め、歴代王と肩を並べることになっていた。


「メイーナ……助かった。感謝する」


「うん。シラン様の夢、叶えてね」


 幻視するメイーナが無邪気に笑って、掻き消えた。

 儚く、幻想的に消える友人を見送って、シラーフェは複雑な思いを息として零す。

 〈復讐(フリュズ)の種〉の拍動はいっそう強く、シラーフェの根幹を揺るがさんばかりに脈打っている。


 少しでも気を抜けば、また意識が乗っ取られてしまいそうだ。


 シラーフェは四〇〇年前の出来事を知った。ルヴァンシュが憎悪に呑まれ、〈復讐(フリュズ)の種〉を生み出すに至った惨劇を知ってしまった。

 当事者の目線で見た世界は、他人事に思っていた頃とは違う感慨をシラーフェに齎す。


『目の前で妹を無惨に殺された余の気持ちの何が分かる?』


 初めてルヴァンシュと言葉を交わしたあの日、向けられた悲痛の叫びを思い出す。


 あの頃のシラーフェは本当に何も理解していなかったのだと思い知らされる。

 現実を知らず、夢見がちな過去の自分を思い出し、羞恥を抱く。


「何も理解していなかったことを理解した。お前が種を生み出すに至った気持ちを仕様のないものという思いもある。だが」


 聞く者がいるか分からない言葉は誰よりも自分へ語りかけるように紡ぐ。

 ルヴァンシュに届いているかどうかは些末なこととして、言葉を続ける。


「――オレはやはりこの思いを譲る気はない。俺の生を明け渡すつもりはない。お前の妄執は俺が終わらせる。先に続かせはない」


 決意を新たに、シラーフェは己の心を奮い立たせる。

 民が幸福である世界を。メイーナに語った夢を実現させるのに過去の妄執は必要ない。


 当事者として見たからこそ、シラーフェは重みを持って、ルヴァンシュの想いを受け取られる。

 けれど、多くの者にとって過去の人の感情など他人事だ。それが負の感情なら疎ましい思いすら湧くものだ。


 かつてどのような思いがあったか、そんなものは今を生きる者は関係ない。ならば、かつてを知ることとなった者の席としてシラーフェが終わらせるべきである。

 四〇〇年前の出来事を知り、いっそう強い決意がシラーフェの中に成った。


 ルヴァンシュの憎悪を、妄執を終わらせることを己の役目と定めるシラーフェの脳裏に過ぎるものがあった。

 己の立ち位置を改めて認識したことで、思考が整理されたせいだろうか。


「アッシュは本当に裏切っていたのだろうか」


 惨劇を冷静な立場から見られるようになったからこそ、浮かんだ疑問であった。


 ルヴィがアルミダの術中に嵌まったのは、渡された赤い石がきっかけだとシラーフェは推測している。

 そして似たものをアッシュが持っていることをシラーフェは目にした。遠目で、一瞥程度のものであったので、確証はないものの、もし同じものであったならば。そこまで考え、頭を振る。


「希望的観測だな」


 赤い石だけの話をすれば、シラーフェはルヴァンシュの記憶以外にも目にしている。

 この地を訪れるきっかけも赤い石であり、単にルーケサが媒介として重用しているという可能性も低くない。


 アッシュが持っていた赤い石には別の術が込められていた、そう考える方が自然だ。

 裏切っていないなんていうのは、シラーフェの希望に過ぎない。あの花畑で描かれた幸福の時間が偽物だったとシラーフェが思いたくないだけなのだ。


「よくないな。夢想に囚われていては必要なものを見逃してしまう」


 希望に囚われることが許されない立場だと自戒を込めて紡ぐ。


「っ……うわあああああ!!」


 独り、息を吐いたのとほとんど同時にサクマが飛び起きた。大声をあげ、勢いよく起き上がるサクマに見開いた視線を遣る。


 思考に時間を割いたところでの大声に心臓も早鐘を打っている。

 先程までとは違う意味で乱れた胸を落ち着けつつ、シラーフェは口を開く。


「サクマ、大丈夫か?」


「……っ…あ、ああ。大丈夫、だ。わりぃ、驚かせたな」


 目覚めて間もないこともあって、要領を得ない様子でサクマが答える。

 時間をかけて思考を現実に引き戻すサクマを、シラーフェは急かさず見守る。


 特に急ぐ理由もなく、少し前まで同じ立場にいた身として、悠長な心持ちである。きっとサクマも同じものを見せられていただろうから。


 どこからか射し込んだ光に寄り、照らされる景色を眺めて時間を潰す。

 荘厳な空気を纏う空間は四〇〇年前の記憶を見せられる前と特別変わった部分はないように思える。


 巡らせる意識が、寄り添う二神の像を見て止まる。記憶を見せられたのは、あの像が光ったことを起因としている。

 像から溢れた光が、空間に描かれた奇怪な紋様を染め上げ、魔術が発動したのだ。

 その結果、シラーフェとサクマは共に意識を失うこととなった。


「はー。シラーフェ、待たせて悪い」


「いや、大して待っていない」


 精々、数分程度のものだ。片手で足りる程度のものであり、言葉通りに待たされた感覚は薄い。


「なんか、昔の勇者の記憶を見せられてさ。整理すんのに時間かかったわ」


 やはりサクマはアッシュの記憶を見せられていたらしい。

 サクマ自身にはアッシュに対する特別な思い入れは内容で、昔の勇者と一括りで語る。


 この世界に来て間もない上、周囲から教えられていないのであれば、そんなものであろう。シラーフェも〈復讐(フリュズ)の種〉なければ、ルヴァンシュのことを意識すらしなかった。

 歴史の授業で話に聞いた程度の知識に収まっていたことであろう。


「シランも何か見たのか?」


「……そうだな。おそらく、先祖の記憶であろう」


 どこまで話すべきか迷いながら答えた。身分を偽っている以上、ルヴァンシュの記憶を見たと口にすると不都合が生じる。一先ず、苦肉の策として「先祖」の言葉で誤魔化した。

 先祖の記憶を見せられていたことに間違いないので嘘は言っていない。


「シランもってことは、過去の記憶を見せる魔術だったてことでいいの、か?」


「現状、それ以外に考えられないだろう」


 シラーフェの返答をサクマが不審に思った様子はなく、密かに安堵する。

 嘘ではないにしろ、真実でもないことを口にした自覚が落ち着かない気分にさせる。やはり嘘や隠し事は向いていない。


「でもさ、わざわざ過去を見せて何の意味があるんだ?」


 サクマの問いはシラーフェも当然に考えていたことだ。

 二人をこの地に転移させ、見せたかったものが四〇〇年前の記憶なのか。


 それ以外は考えられないほど、〈復讐(フリュズ)の種〉との関連を思わせる。

 ただサクマには何の心当たりもない記憶であり、その意味に寄り強く引っ掛かりを覚えている様子だ。


「先の未来に生きる俺たちへ伝えたいことでもあったのかもしれぬな」


「伝えたいことか……」


「過去の真実、あるいは警告か」


 シラーフェの見た過去には真実というほど目新しいものはなかった。


 歴史上の話とは異なる部分はいくつかあったが、大きな驚きを齎すほどのものではなかった。

 長い年月の中で、形を変え、曖昧なものとなった事実を得られた感慨だけが与えられた。それも歴史学者でもないシラーフェからすれば、些末な感覚だ。


 ならば、警告の方が目的か。ルーケサの勇者に騙された末に訪れた惨劇。

 かつてルヴィとアッシュのように、サクマと交友を深めるシラーフェの警告と考えれば、納得できる部分もあろう。


 サクマが自分を騙している可能性を考え、疑う心を増長させんばかりに疼く胸の内に小さく息を吐く。


 シラーフェはサクマのことを信じたいと思っている。

 友人について語っていたサクマの姿が嘘だとは思えない。ならば、真実には充分だ。

 他者を思い、後悔で胸を埋める人間が悪人なわけがないと。


「あれが俺に伝えたいこと……見せたいものだったのか?」


 サクマもまた、自身が見せられた記憶を思い起こしていたようで、神妙な様子でそう呟いた。


 サクマが見たアッシュの記憶はどんなものであったのか。

 シラーフェの中にある希望的観測のこともあって、詳細を求めたい気持ちになる。


 しかし、逆にシラーフェが見た記憶について求められても答えられないので、迂闊に問うことはできない。

 問われて襤褸も出さずにそれらしく答えられる自信がシラーフェにはない。


「でもさ、シランと俺が見たのは別の記憶だろ? そこに意味があるかはぶっちゃけ微妙なとこだよな」


「内容よりも記憶を見せることに意味があったと?」


「そこまでは分かんねぇけど、ここって結構古い遺跡だろ。昔の術式が残ってて、たまたま発動しただけってのもあるんじゃね?」


「それは……ない可能性ではないな」


 今まで巡らせていた思考を零す言葉へ、咄嗟に曖昧な言葉を返す。確かになくはない。

 シラーフェたちがここへ転移させられた理由が不透明化してしまう答えではあるが、それも偶然の一言で片付けられてしまう事実であった。


 まさに単純明快。直截簡明な結論であり、シラーフェにはなかなか出せない類の答えでもある。


「要は分かんねぇのことを難しく考えても仕方ねぇってこった。それより変える方法、探そうぜ」


 その切り替えの早さには息を巻くほどだ。どの道、これ以上考えたところで手詰まりでしかなく、思考の切り替えはある意味、良晏と言えよう。

 記憶を見せられた理由よりも、ここから脱出することのない方が優先順位が高い。


「とはいえ、その手掛かりさえない現状だが」


 そもそもここがどこなのかすらつかめていない。結局、こちらも手詰まりである。

 悩ましげに天を仰ぐ。陽光を思わせる光が注ぐ穴を見つめ、あそこから出られないものかと考える。


「なら、あそこから出られねえかな」


 同じことを考えていたらしいサクマの言葉に思わず笑みを零す。

 出口として使えそうな場所があそこしかないのだから、当然のこととも言える。


「出られるにしても、どうやってあそこまで行くかが問題だな」


「そういう魔法とかねぇの? 飛行魔法とかさ」


「類似する魔法はあるが、俺には使えないな」


 飛行魔法と言ったら、龍族が使うものがそれに当たる。風魔法の応用で似た状態は作り出されるだろうが、シラーフェはその手の魔法を習得していない。


 見様見真似で行使しても、あの距離を飛ぶのは難しい。高い位置にある穴までの距離を目視しつつ、考えるシラーフェの目が白いものを捉える。


 訝しみ、目を凝らす赤目を前に、白いものはどんどん大きくなっていく。その正体を認識するよりも先に――


「いた――‼」


 甲高い声が頭上から降ってきた。

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