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魔王に花束を  作者: 猫宮めめ
第1章
6/80

6「あらゆる未来の花は今日の種の中にある」

 意識が戻ったとき、鉄の香りがやけに鼻についた。見える景色に大きな変化はなく、空白の時間を自覚するのに少し時間を要した。意識が途切れる前に聞こえてきた低い声のことを思い出す。


 耳ではなく、頭の中に直接響く声には覚えがあった。先日、夢の中で聞いた声だ。

 内にある何かに自分が染め上げられていく感覚すらも、夢と同じだ。


 微かな指の震えを止めるようにメイーナを抱え直して立ち上がった。剣を持っているので片手で抱えた状態だが、軽い少女の体は難なく持ち上げられた。

 もう二度と目覚めることはないとしても、彼女を家に帰してやりたい。

 決意を新たに牢屋から出た。まだ人攫いはいるはずなので、出くわすことのないように注意を払って慎重に進む。


 牢屋を出てから鉄の香りがより強くなった気がする。不審を覚える一方で、その理由をシラーフェは知っている気がした。頭ではなく、魂が心当たりを訴える。

 進まなくては帰れないのは分かっている。けれど、本能がこれ以上先へ進むことを躊躇っている。


 人攫いに見つかる前にここから脱出しなければ。だが、本当に人攫いはいるのか? 生きて、いるのか。

 浮かんだ疑問に戦慄した。空白の時間、自分に一体何をしていたのだろうか。


「あら、無事な人もいたのね。ねえ、貴方、ここで一体何があったの?」


 聞こえた声に反射的に息を詰め、遠目に捉えた姿に目を見開いた。

 魔族は夜目が効く。明かりがほとんどない洞窟の中でも確かにその姿を捉えていた。


 長い赤髪を高い位置で結いあげた気の強そうな少女。年の頃はシラーフェと同じくらいか。

 美しい少女の姿に目を奪われ、それとは別の理由で自失させられた。


 記憶にある姿よりも成長しているが間違えない。彼女だ。

 シラーフェが初めて会った人族の少女。美しい花畑の中で夢を語った少女。

 今も鮮明に記憶に刻まれた幼い少女の姿が重なった。あの頃よりも質の良い服を纏い、女性らしく成長していても、紫の瞳が宿す光に変わりはない。


 仄かに警戒を宿しながらも少女は迷いのない足取りでこちらに歩み寄る。これ以上近付かれたら、流石にシラーフェが魔族だと気付かれてしまうだろう。

 とはいえ、ここから逃げ隠れられる場所もないし、ここで不審な動きを見せるわけにはいかない。

 近付き、シラーフェが剣を持っていることに気付いた少女はそこで立ち止まる。警戒を強め、間合いを確保する距離は妥当な判断だ。


「……貴方が彼らを殺したの?」


 慎重さを持った問いかけに眉根を寄せた。彼女の問いに心当たりはないはずなのに知っていると魂が訴えている。それは彼女が現れる前に考えていたことにも重なることで――。


 考えてばかりでも埒があかないと地面を蹴った。次々起こる心を掻き乱す事柄へ思考を割くことにも疲れ果て、力押しに進むことを選ぶ。驚く少女の傍を一蹴りだけで通り過ぎ、その先へ足を踏み入れた。

 進むことに躊躇する心も無理矢理に押し潰し、鉄の臭いが強い場所へ辿り着いた。


 それは人攫いに遭った人々が捕えられた牢屋を通り過ぎた先にある開けた場所へ辿り着く。

 噎せ返るほどの鉄――血の臭いが突き刺さり、顰めた瞳が赤い景色を映し出す。


 壁を、天井を赤いものが染めている。視線を下に向ければ、全身を赤く染めた男が倒れていた。

 一人や二人ではない。恐らくこの洞窟にいた人族のすべてがここで死体として積み重なっているのだろう。そう思ってしまう人数が地面の上で血に塗れている。

 服は元の色が分からなくなるほど、真っ赤に染まっている。中には手足が欠損している者や原形を留めていない肉塊同然となっている。どういう方法で殺されたのか、見当もつかない。


 知らない死体。身に覚えのない惨状。しかし、漂うマナの残滓は誰よりもよく知るものだ。

 角が感じ取ったマナは嫌というほど下手人の正体を伝えてくれる。この惨状を生み出したのはシラーフェだ。


「その反応、知らなかったみたいね。やっぱり貴方がやったわけじゃ――」


 追いついた少女の言葉が息を呑むように止まった。その視線はシラーフェの頭、角のある部分に注がれている。

 小さな灯火だけが照らす薄暗い闇の中、彼女にはシラーフェの顔もまともに見えていないだろう。しかし、その輪郭から頭に生えた角を認識することはできる。

 角のある種族は数あれど、この洞窟の立地から真っ先に浮かぶ種族はただ一つ。


「貴方、もしかして魔族?」


 仄かに身構えた鼓膜を震わせたのは純朴さを纏った問いだった。

 人族にとって魔族は嫌悪の対象であり、特にこの洞窟のあるルーケサ聖王国は特にその傾向が強い。

 かつては人族と魔族の融和を語っていた彼女も成長し、国の在り方に染まって考え方が変わっているかもしれない。ずっとそう考えていた。


 シラーフェが魔族だと知れば、その瞳はもう二度と真っ直ぐに見てくれはしないだろう、と。

 紫の瞳が嫌悪と侮蔑に染まる未来を何度も想像した。期待しないことで己を納得させていた。


 けれども、嗚呼、彼女の瞳は何も変わらず、暗いものを映さないまま、シラーフェを見ていた。

 たったそれだけのことが堪らなく嬉しくて、同時にこの惨状を生み出した自分自身のおぞましさに打ち震える。


 身に覚えのないこととはいえ、魂とマナが伝える罪からは逃げられない。

 あの頃と変わらず美しいままの彼女の隣には、もういられないだろう。


「リナリア、何があったんだ? オレもそっちに……」


「待って、来ないで。私は大丈夫よ」


 入り口の方から少年の声が投げかけられた。言葉で返す少女の声は心配の色を纏った。

 赤く染まった惨状を声の主に見せたくないのだろう、と容易く察せられた。


「貴方は見なくてもいいわ」


「でも、オレは勇者なんだろ⁉ 目を逸らしていて世界が救えるのかよっ」


 今にもこちらへ駆けつけそうな少年の声に焦りを覗かせる少女。その意識が少年の方へ向けられる。

 現実に引き戻されたシラーフェは聞こえた単語に微かに目を見開いた。


「勇、者……」


 召喚されていたのか、と心中で呟いた。

 ルーケサ聖王国には異世界から人間を召喚する技術を持っているのだとか。


 界を渡る際に神の加護を受けたその人間は勇者と呼ばれている。数百年前、アンフェルディア王国が領土の大半を失った戦いにも勇者が参加していたという話だ。

 勇者が一人いるのといないのとでは、ルーケサ聖王国の戦力はかなり変わると言われている。


「そう、彼は勇者。そして私は聖女――ルーケサ聖王国の聖女、リナリア・マルティーナよ」


 ずっと知りたかった少女の名前が最悪な形で明かされた。勇者に続いて明かされた少女の肩書き――聖女とは、神の代弁者にして、勇者と結ばれる者、そう言われている。

 彼女と結ばれているのは、勇者として召喚された少年。シラーフェが彼女の隣に立てる可能性は、そもそも存在していなかったのだと、胸を占めていた想いが行き場を失って不安定に揺れる。


 どんな間違いがあったとしても、人族の聖女と魔族の王族が結ばれる未来が訪れる可能性はない。

 ちょうどよかった。おぞましく穢れた身よりもずっと、彼女を幸せにできる者がいるならそれがいい。

 ならば、シラーフェは彼女のために、守りたいもののために何ができるのだろう。


「こう見えてそれなりの権限を持っているの。魔族の貴方がなんでここにいるのか分からないけれど、困ったことがあるのなら、できる限り協力するわ」


「聖女が魔族にそんなことを言っていいのか?」


「よくはないでしょうね。所詮、出来損ないの聖女だもの、好きにさせてもらうわ」


 ようやく言葉が返ってきたことに表情を明るくさせた彼女の口から卑下する言葉が出てきた少し驚いた。

 聖女という肩書きに思うところがあるようでいて、そこに暗さはなかった。渦巻く感情すべてを糧にして進む強さを持った言葉だった。


「私は貴方を魔族なんて枠組みで見るつもりはないわ」


 迷いのない言葉と同じく、迷いのない瞳は暗闇の中でも確かにシラーフェを見ていた。

 あの頃と変わらない少女の姿を誇らしく思う反面、もう同じ場所に立てない事実への哀惜が滲む。

 今立つ場所を確かめるように、メイーナの体を抱く力を仄かに強めた。


 分かっている。自分が何者で、誰を守るべきなのかを。

 彼女のことを今でも愛している。この心は彼女の幸福を願い、共にある未来を夢想している。


 けれども、シラーフェの立場が邪魔をする。たとえ、その役目を果たさない身であっても、その一挙手一投足は国を背負っている。

 国をよりよくするため、力を尽くす兄たちの邪魔にならないことが、シラーフェが国のためにできることだ。

 細く吐き出した息を一気に飲み込み、意識を切り替えて少女を見た。


「そんな言葉、信用できると思っているのか? 人族は騙し打ちが得意なんてのは、魔族の間では常識だ」


 人族の黙し打ちなんて、歴史書を読めば、いくらでも出てくる。アンフェルディア王国が枯れた土地ばかりなのがその証明とも言えよう。


「いくら聖女といっても、小娘一人に魔族を匿うことなどできるものか。いづれ、限界が来る。そんな窮屈な暮らしに俺の望むものはない」


 夢を語る瞳へ、現実を語り聞かせるように言葉を紡いだ。シラーフェが諦める口実に使った現実は、誰もが夢を叶えるために乗り越えなければならない壁でもある。

 変わらず夢を見続ける彼女であれば、現実などに負けないと信じない。


「……貴方の望むものって、なに?」


「……っ…さてな」


 懲りもせず顔を覗かせる花畑の記憶。零れた声を誤魔化すために紡いだ素っ気ない言葉は震えていた。

 切り替えたはずの意識が容易く戻される己の意思の弱さにうんざりする思いで言葉を続ける。


「融和を望むのであれば、そこな屍のような愚者が齎す被害を減らすのが先決であろうよ」


 その言葉を別れの言葉の代わりとし、背を向けて歩き出す。返事を聞くことも、顔を見ることすらもせず、前だけを見て進む。


「待って!」


 話は終わっていないと訴える声から努めて意識を逸らし、足を動かすだけに集中する。

 容易く屈してしまいそうな自身を必死に律した。


「貴方が、彼らを殺したの……?」


 幾度めかになるこの質問は今までと少し様子が異なっているものだった。

 シラーフェの雰囲気に気圧され、恐れをはらんだ声が鼓膜に突き刺さる。嗚呼。


「……だとしたら、どうする?」


 想定よりも冷たい声が出て唇を噛む。

 彼女はシラーフェを軽蔑するだろうか。彼女の瞳はどんな色でシラーフェを見る?


 確かめる勇気を持たないシラーフェはただ歩調を速めて、その場を後にした。

 途中、少年をすれ違った。真新しい服に着られている様子の少年は、ただ驚いた顔を見せている。

 まだ世界に染まっていない様子の少年に判断できるものもなく、一瞥だけで通り過ぎる。


 そのまま、洞窟を後にし、森を抜ける。ちょうどその辺りで別れたはずの精霊が仲間を連れて寄ってきた。

 ふわふわと周囲を飛ぶ姿に久方ぶりに笑みを浮かべた。張り詰めていた感情が少し解された気がする。


「すまない、メイーナの体を綺麗にしてもらえないか」


 明滅するのは緑の精霊が連れてきた青の精霊。水を司る精霊の魔力が渦巻き、メイーナを包み込む。

 瞬く間に服や体についた汚れが落とされ、その怪我が治癒される。

 息を吹き返すことはなかったが、彼女の良心にあんな姿を見せずに済んだだけで充分だ。


「感謝する」


 メイーナの体を抱え直し、森の中を歩く。間もなくアンフェルディア王国とヒューテック領を隔てる壁の前に辿り着いた。いろいろあったせいか、随分長いこと、ヒューテック領にいた気がする。

 久しぶりに自国の土を踏み、壁の方へ振り返る。そっと手を伸ばし、「ドラク」と短く唱える。


 地面が盛り上がり、シラーフェが通ったばかりの穴を埋め立てる。一先ず、これで誰も通れない。

 後で兄に報告すれば、完全に穴は塞がれる。もうあの花畑に行くこともできなくなるが、それでいい。

 もともと何年も訪れていなかったのだ。ちょうどいい、とあの日と決別する想いで歩みを再開させる。


 道中、町の人々に話しかけられた。みな、決まってメイーナの姿を見て表情を曇らせる。

 愛されていた子だったのだと一歩一歩実感しながら、彼女の家――薬草屋に辿り着いた。

 探しに出ている父、ベルートに変わって店番をしていた母、ヒルダがシラーフェを見つけて大きく瞳を震わせる。


「すまない」


「いいえ……いいえ、見つけてくださってありがとうございます」


 メイーナの体を抱きかかえるや否や、ヒルダは泣き崩れる。それを見ることしかできないシラーフェは無力感に苛まれる。町の人から話を聞きつけてベルートも帰ってきて、二人で娘の死を悼む。


 もっと早く駆けつけられていたら、間に合ったかもしれない。ただ連れ帰ることしかできなかったシラーフェに、二人は何度も頭を下げて、何度も感謝を告げた。

 罵られた方がよかった、なんてのは少し我が儘だろうか。

 二人とはすぐに別れた。きっと家族だけで過ごしたいだろうから、と。


「おー、そこにいるのは我が弟じゃねえか? シフィ、へへっ、お兄様だぞー」


 沈む感情への配慮などまるでない声が投げかけられた。視線を向ければ、赤ら顔のライが青年に抱えられた状態で、へらへらと笑っていた。一目で酔っ払っていると分かる風体だ。


「あ、リオンの弟か。この酔っ払い、後は任せてもいいか?」


「はい、兄がご迷惑をかけました」


「気にするな」と笑う青年を見送り、自力で立つこともままならない様子の兄に肩を貸す。

 そんなにお酒に弱くないはずなのに、かなりの量を飲んだのか、泥酔に近い状態だ。

 少し前の鬱々とした感情を思い出す暇もなく、呆れを浮かべた。


「兄上、帰りますよ」


 ふらふらと頭を揺らす兄を支えながら、帰路につく。ずっと機嫌がよさそうに、町行く人たちと短く言葉を交わしていたライは人通りがなくなった頃にふっと押し黙る。

 賑やかな雰囲気が一転、静まり返る。ライと二人きりなのも、お互い無言なのもよくあることなのに、妙な気まずさを感じる。何か喋ってくれ、と他力本願にライを見たシラーフェは小さく息を呑んだ。


「シフィ、何かあった?」


 数秒前までの呂律の回っていない喋り方が嘘のように、静かな声で問いかけられた。

 包み込む温かさを含んだ声に胸が詰まる思いがした。ぐちゃぐちゃに掻き回されたままだった心が形を思い出して溢れ出す。


 メイーナを助けられなかったこと。初恋の少女と再会したこと。彼女にはもう結ばれるべき相手がいたこと。そして――途切れた意識の間に人族が惨殺されていたこと。

 話したいことは、吐き出したい感情は山ほどあるのに何かが引っ掛かって音にはならない。


「ま、話せるようになったらでいいけどな。いつでも、いくらでも聞いてやるからさ」


 ふと体が軽くなる。酔っ払い、凭れかかるようにして歩いていたライが離れたからだ。

 泥酔寸前だったとは思えない足取りで進み、シラーフェの方を振り返った。あの赤目は優しくシラーフェを見つめ、


「オレはいつでも力を貸してやる。それを忘れんなよ」


 知っている、と心中で呟いた。


 誰よりもよく知っている。その証明である折れた角が夕陽を浴びて輝いている。

 角が折れたときのことは今も鮮明に覚えている。あの日から、もっとも年の近いこの兄は、シラーフェにとってもっとも頼りになる存在なのだから。


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